41 嫉妬する資格なんてないのに
「まぁ、素晴らしいわ……!」
神獣たちの暮らす温室へ招き入れると、アンデルス侯爵令嬢は歓声を上げた。
その反応を見て、ティリアはほっとする。
(よかった……きっと、この方なら神獣にも認められるはず……)
誰だって最初から何もかもを知っているわけじゃないのだ。
先ほどのように、知らず知らずのうちに神獣の怒りを買ってしまうことがあるかもしれない。
だが、きっと時間をかけて少しずつ……神獣たちともわかり合うことができるだろう。
(そうなれば、私はもう……)
一瞬そんな考えが頭をよぎったが、すぐにティリアは余計な考えを頭から振り払った。
アルヴィスにも、神獣にも愛され未来の公爵夫人となる女性が現れたのだ。
ティリアのくだらない感傷などどうでもいい。
今はとにかく、彼女と神獣たちが打ち解け合えるように動かなければ。
「あんなに美しい鳥は初めて見ましたわ……」
「イリデセントーカラドリウスは季節や周囲の温度、または感情によって羽の色が変わるんです。その虹色の輝きは古来より多くの人間を魅了して――」
アルヴィスの長ったらしい説明にも、アンデルス侯爵令嬢は優しい笑みを絶やさない。
彼女がそっとアルヴィスの肩に頭を預けるように寄り添う。
寄り添う二人はあまりに自然で、お似合いで、文句の付け所の一つもない。
まるで、元からそうあるのが自然のようにすら思えた。
その光景を目の当たりにして、ずきんと胸が痛む。
(……馬鹿みたい。私に嫉妬する資格なんてないのに)
仲睦まじげな二人を見ていられなくて、ティリアは視線を逸らす。
ちょうど向こうからジュエルタートルのゲンさんがのっそのっそと歩いてくるのが見えて、気を紛らわせるようにティリアは笑顔で口を開いた。
「アンデルス侯爵令嬢、あちらの亀もここで暮らす神獣――ジュエルタートルです」
宝石のような美しい甲羅を持つ亀に、アンデルス侯爵令嬢は嬉しそうに目を輝かせた。
「すごい……なんて美しいのかしら……!」
彼女は興奮気味にアルヴィスを見上げ、甘えるように口を開く。
「ねぇアルヴィス様。わたくしたちの結婚指輪は、あの甲羅を加工したものにするのはどうかしら! きっと忘れられない思い出になるわ……!」
彼女がそう口にした途端、その場の空気が凍った。
それも無理はない。
甲羅を加工して指輪を作りということは……すなわち、神獣の命を奪うということなのだから。
確かにジュエルタートルの甲羅はジュエリーの原材料として人気がある。
その希少価値に目を付けた密猟者に、絶滅寸前まで追い詰められるくらいには。
……彼女はわかっていないのだろうか。
なぜアルヴィスが、この場所に神獣たちを保護しているのか。
今の彼女の言葉は、アルヴィスの行動と、信条と、決して相容れないものだということに。
ティリアはそっとアルヴィスに目をやった。
アルヴィスは先ほどまでの取り繕った笑みが消え、恐ろしいほどの無表情でアンデルス侯爵令嬢を見下ろしている。
その表情に、さすがのアンデルス侯爵令嬢も自分が何かまずいことを言ったと気づいたのだろう。
その視線から逃れるように、俯いたのがわかった。
(ど、どうしよう……なんとかフォローを――)
そう考え、一歩を踏み出しかけた時だった。
「きゃあ! なによこれ!!」
俯いたアンデルス侯爵令嬢が、何かを見つけ悲鳴を上げた。
慌ててそちらに視線をやったティリアは思わず息を飲む。
きっと、アルヴィスやティリアの声に反応して来てくれたのだろう。
アンデルス侯爵令嬢の足元には、カタツムリのようなドラゴンのようなスライムのような不思議な生き物――ル・カルコルのケイオスがいた。
ケイオスは知らない人間がいきなり悲鳴を上げたことに驚いたのか、怯えたように殻の中へと引っ込んでしまう。
「何なの、このナメクジは……気持ち悪い!」
アンデルス侯爵令嬢は明らかに敵意をむき出しにした形相で、ヒステリックにそう叫んだ。
彼女が傷一つないつやつやの靴――そのつま先を振り上げたのが見え、ティリアの頭に警鐘が鳴る。
(危ないっ……!)
考えるよりも先に、体が動いた。
「っぅ……!」
守るようにケイオスの上に覆いかぶさったティリアの脇腹に、アンデルス侯爵令嬢の蹴りが入る。
内臓を圧迫するような鋭い痛みに、思わず悲鳴が漏れる。
それでもティリアは全神経を自分の下で震える小さな神獣に注いでいた。
(よかった、無事だ……)
なんとか痛む腹を押さえ体を起こし、真っ先にケイオスを逃がす。
すると、頭上から金切り声が降って来た。
「ちょっと、何のつもりなの!? あなたおかしいわよ! あんな気持ち悪い生き物を庇うなんて――」
予想外の出来事が起こったせいだろうか。
アンデルス侯爵令嬢は少し前までの優雅な淑女の仮面をかなぐりすて、怒りの形相で怒鳴っている。
それが、引き金になってしまったのかもしれない。
仲間の神獣を傷つけられそうになったことが気に障ったのか、今まさに、彼女がティリアに危害を加えようとしているように見えてしまったのか。
とにかく、アンデルス侯爵令嬢の態度はもう一匹の神獣の逆鱗に触れてしまったようだ。
「グルァ……!」
ティリアのエプロンのポケットから飛び出したクルルは、今までになく獰猛な獣のような顔をしていた。
毛を逆立て、牙をむき出しにするクルルの鋭い視線は……まっすぐにアンデルス侯爵令嬢を見据えている。
……クルルは、彼女を傷つけようとしている。
「だめっ……!」
ティリアはとっさに、アンデルス侯爵令嬢に飛びかかろうとしたクルルを抱き寄せた。
むき出しの牙が布地を裂き、腕に突き刺さる。
皮膚を引き裂かれる鋭い痛みと共に、血が流れだしたのがわかった。
それでも、ティリアはクルルを離さなかった。




