40 ……ありがとう
本日は、いよいよアルヴィスの婚約者候補の女性が屋敷にやって来る日だ。
ラウラを始めとするメイドたちはいつも以上に神経質にあちこちに気を払っており、話しかけるのも躊躇してしまうほどだった。
まずアルヴィスが例の女性を屋敷へ迎え、顔合わせを行う。
そして二人の話が弾み、相手の女性の希望などがあれば……彼女がこの別館へやってくる可能性も十分あるとのことだった。
「ティリア、申し訳ございませんがその際は案内役をお願いいたします。それと、お客様をお迎えするのですからいつも以上に念入りに掃除を――」
「はい、承知いたしました……!」
様子を見にやって来たシデリスにそう頼まれ、ティリアは隅から隅までピカピカに磨いていく。
「きゅいぃ……」
「ごめんね、今日はおとなしくしてるのよ」
いつもと違う雰囲気を感じ取っているのか、ブラックサンダーも落ち着きがなくそわそわしている。
そんなお姫様をユニコーンの両親のところまで運び、ティリアはふぅ、と一息ついた。
(トリスタンとイゾルデはさすがに大丈夫よね? いつも落ち着いてるし……)
もう一匹の問題児、クルルはティリアが間近で見張ることにした。
気を落ち着けるように、クルルのブラッシングをしていると――。
「ティリア、大変大変! アンデルス家のお嬢様が神獣に興味持っちゃって『是非お会いしたいですわ』とか言ってるの! 準備お願い!!」
「はっ、はい!」
慌てて飛び込んで来たラウラに、ティリアははっと立ち上がる。
クルルをエプロンのポケットに入れ玄関先で待っていると、やがてアルヴィスにエスコートされた女性が姿を現した。
「まぁ、ここが神獣の育成場所ですのね。興味深いわ……」
そう言って微笑む女性に、ティリアは思わず圧倒されそうになる。
豊かな金色の巻き毛に、華やかな顔立ち。
身に着けるドレスや宝石も一級品で、恐ろしいほどによく似合っている。
そこに彼女が立っているだけで、匂い立つような気品が漂ってくるようだった。
彼女は丁寧にお辞儀をするティリアに目を留め、にっこりと微笑んだ。
「ごきげんよう、少し中を拝見してもよろしいかしら?」
その鷹揚な態度に、ティリアはほっとした。
(よかった、優しそうな御方で……)
貴族の令嬢、と聞くと真っ先に思い浮かぶのは異母妹のバーベナの姿だ。
バーベナのように我儘ですぐに周囲に当たり散らすような相手だったらどうしよう……と心配していたが、どうやら杞憂だったようだ。
「お待ちしておりました、アンデルス侯爵令嬢。別館の管理及び神獣の生育係を担当いたします、ティリアと申します。どうぞ、中をご覧ください」
ティリアは入り口の扉を開け、アンデルス家の令嬢を中へと招き入れる。
すると、アルヴィスがアンデルス侯爵令嬢になにやら説明を加えているのが聞こえた。
「ティリアは神獣に好かれる天才でね。僕も驚くほどの適応力で次々と神獣を手懐けて――」
(アルヴィス様、私ではなく神獣の解説をした方がアンデルス家のご令嬢も喜ばれるのでは……!)
アルヴィスが嬉々としてティリアの説明を始めるのに、思わず羞恥心がこみ上げる。
ティリアの存在などただの神獣のおまけだというのに。
美術館に行って、美術品ではなく案内人についての説明をされてもつまらないだけだろう。
ラウラがことあるごとにアルヴィスのことを「残念なイケメン」と評する気持ちが、ティリアには少しだけ理解できてしまった。
「あら……そうですの」
アンデルス侯爵令嬢の声も、こころなしか冷たく聞こえてしまうのはティリアの気のせいだろうか。
(まずい……! ここは私が何とかしなければ……!)
もしもアンデルス侯爵令嬢が愛想を尽かせば、次にやって来る女性が彼女のようにまともな保証はないのだ。
使命感に駆られたティリアはそっとエプロンのポケットの中で丸まっていたクルルを抱き上げる。
「クルル……いつもみたいに可愛くじゃれてみて……!」
「クルゥ……」
小さな声で懇願すると、クルルはいまいち気乗りしない様子だったが……「まぁしょうがない」とでも言いたげに鳴くと。しゅたっと床へと降り立った。
すぐにアルヴィスの肩へと登ったクルルを見て、アンデルス侯爵令嬢は嬉しそうな声を上げた。
「まぁ可愛らしい……この子も神獣ですの?」
「えぇ、カーバンクルのクルルといいます。とても人懐っこくて、可愛い奴ですよ」
「本当にとても可愛らしいこと……」
わざとらしく甘えた声を上げるクルルに、アンデルス侯爵令嬢は穏やかに微笑んでいる。
彼女はそのまま、そっとクルルの方へ手を伸ばす。
優しく頭を撫でてくれるのだと思い、ティリアは安堵したが――。
「とても美しい宝石ね。見惚れてしまうわ」
彼女は不躾に、クルルの額の宝石に触れたのだ。
「っ!?」
その途端、アルヴィスとティリアの間に緊張が走った。
カーバンクルの額の宝石は、彼らにとって心臓にも等しい大事な器官だ。
クルルはこの宝石が汚れたり傷つくのを嫌っており、アルヴィスやティリアでさえ許可なく触れることはない。
きっと、アンデルス侯爵令嬢に悪気はなかったのだろう。
だが、クルルにとってはよく知らない人間に、不躾に大事な感覚器官に触れられたのだ。
敵愾心を抱くのも、無理はないだろう。
「グルゥ……!」
急に唸り声を上げたクルルを、間一髪アルヴィスはアンデルス侯爵令嬢から引き離した。
だがアンデルス侯爵令嬢は、何が起こったのかわからない、とでもいうように目を瞬かせている。
「あら……? 機嫌でも悪いのかしら」
「……アンデルス侯爵令嬢。カーバンクルの額はいわば人間にとっての局部のようなもので――」
「お、お腹が空いているのかもしれませんね! 後でたっぷり餌をあげます……!」
いつものように長々と解説を加えようとするアルヴィスを、ティリアは慌てて制した。
アンデルス侯爵令嬢に悪気はないのだ。
自身の何気ない行為がカーバンクルの怒りを買ったなどと知れば、気を悪くしてしまうかもしれない。
(これからゆっくりと神獣について知っていってもらえばいいんだもの。それに、事前に注意できなかったこちらの落ち度だわ)
少しぎくしゃくしてしまった空気を払拭するように、ティリアは努めて明るい声を上げる。
「アルヴィス様、アンデルス侯爵令嬢に温室の方をご覧になっていただくのはいかがでしょうか」
「あ、あぁ……そうだね。どうぞこちらへ」
アルヴィスは毛を逆立てるクルルをさりげなくティリアの腕の中へと渡し、すれ違いざまにそっと囁いた。
「……ありがとう」
何に対しての「ありがとう」なのかはよくわからなかったが、ティリアはより一段と気を引き締める。




