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36 まるで小さな騎士気取り

 いくつもの回廊を抜け、たどり着いたのは……美しい蒼の屋根が特徴的な建物の前だった。

 入り口には、青地に金色で鷲が描かれた旗が掲げられている。


「蒼穹騎士団の詰所――俗に『ブルーパレス』と呼ばれている。実は、これから診てもらう獣医も蒼穹騎士団の一員なんだ。僕の先輩にあたる御方でね」


 アルヴィスはそう言って、ずんずんと進んでいく。

 入り口には見張りの兵士が立っているが、アルヴィスの姿を見ると恭しく一礼し道を開けてくれる。

 ティリアもおそるおそる、その後に続く。

 エントランスを抜けると左右に長い回廊が伸びており、そこからいくつもの扉が見える。


「蒼穹騎士団の団員はここに部屋を与えられているんだ。研究室のように使っている人が多いそうだよ」


 アルヴィスは迷うことなく回廊を進み、一つの扉の前で立ち止まる。

 一呼吸おいて、彼は目の前の扉を叩いた。


「コルネリア先輩、アルヴィスです。ブラックサンダーの定期健診に参りました」

「あぁ、入ってくれ」


 中から聞こえてきたのは、凛とした女性の声だった。

 アルヴィスは扉を開き、ティリアを中へと招き入れる。

 逃げ出さないようにしっかりとブラックサンダーを胸に抱いて、ティリアの部屋の中へと足を踏み入れた。


「今日は早かったな。前回は三十分も遅刻し、私の時間を無駄にしたのを覚えているか?」


 そう声をかけてきたのは、白衣を身にまとったアルヴィスよりも年上の女性だった。

 化粧っ気のない顔に、長い金の髪を後頭部でまとめている。

 宮廷を闊歩する貴婦人に比べればいささか地味な装いだが……それでも、彼女は美しかった。

 外面ではなく、内面から魅力が溢れ出ているとでもいうのだろうか。

 その凛とした佇まいに、強い意志を秘めた澄んだ瞳の美しさに。

 きっと誰もが、視線を奪われずにはいられないことだろう。

 彼女がいるこの部屋は、まるで医務室のように様々な動物用の診察台や医療器具などが揃っていた。

 きっとここは彼女の診療室なのだろう。


「あの時はブラックサンダーが早々に脱走して……でも今日は、逃げることなく連れてくることに成功しましたから」


 アルヴィスは誇らしげにそう言ってみせる。すると彼女の視線が、ティリアの腕の中のブラックサンダーへと向けられる。


「ほぉ……いつになく落ち着いているようだな。新しく有能な助手でも雇ったのか?」

「えぇ、実はその通りでして……ティリア、彼女はコルネリア先輩だ。蒼穹騎士団の一員で、僕の先輩。ここの宮廷獣医でもある」


 アルヴィスの紹介を受け、獣医コルネリアは軽く手を挙げて見せた。


「コルネリア・ヘルツォークだ。人間のことはよくわからないが、動物のことなら任せてくれ。君は――」

「ティリアと申します、コルネリア様。現在はリースベルク公爵家に使用人としてお仕えしております」

「なるほど……」


 コルネリアが観察するように顔を近づけてくる。

 まるで奥底を見透かすような彼女の瞳に見つめられ、ティリアはどきりとしてしまった。


「きゅい!」


 すると、ブラックサンダーがコルネリアを牽制するように鳴いてみせる。

 コルネリアはくすりと笑い、わしゃわしゃとブラックサンダーの頭を撫でる。


「まるで小さな騎士気取りだな。確かに……気難しいユニコーンが最近出会ったばかりの人間に、ここまで心を許すのは珍しい」


 コルネリアはそう言うと、機嫌よく診察の準備を始めた。


「では、診ていこうか。ティリア、ブラックサンダーを診察台に乗せ、支えていてくれ」


 ティリアは指示された通りに、ブラックサンダーを診察台へと乗せそっと体を支える。


「きゅい……」

「大丈夫、怖くないわ」


 やはり緊張するのか、小刻みに震えるブラックサンダーの体を、ティリアはそっと撫でた。

 コルネリアは手際よく、ブラックサンダーの体のあちこちを確かめていく。


「ほら、口を開けるんだ。ティリア、補助を頼む」

「はい。ブラックサンダー、あーん」


 ブラックサンダーはいつもより動きが硬いが、それでも聞いていたよりはよほど大人しい。

 コルネリアがブラックサンダーの小さな歯を一本一本診ていく様子を、アルヴィスは感心したように見つめていた。


「この前とは大違いだな……。前なんて診察の途中でも暴れて脱走して、掃除用具入れの中に隠れているのを散々探し回ったんだ」

「そ、そんなことが……」


 どうか今回はそんな事態になりませんように……と、ティリアは宥めるようにブラックサンダーの体を撫で、語り掛ける。

 それが功を奏したのか、ブラックサンダーが暴れ出すこともなくなんとか診察の終わりを迎えることができた。


「うむ、診たところ異常はなし。身体や情緒の発達も問題はなさそうだ」

 コルネリアがそう告げ、アルヴィスとティリアはほっと安堵の息を吐いた。

「よかった……。最近はよく脱走を企て、一度は屋敷の外まで逃げたことがあるのですが、ストレスが溜まっていたりは――」

「いや、その場合はもっと暴力的な兆候が見られるだろう。ストレスが溜まって脱走したというよりは、単に好奇心が強いだけだと考えられる。その好奇心を抑え込むのではなく、きちんと保護下に置いたうえで満たしてやるのがよいだろう」

「なるほど……さすがです、コルネリア先輩」


 アルヴィスはあれこれとコルネリアを質問攻めにしていた。

 あれこれと意見を交わし合う二人の姿は、生き生きと輝いていて……まるでそうあるのが自然の光景のようにも見える。

 なんというか……お似合いの二人なのだ。


(私ったら、お二人に失礼よ……)


 変なことを考えてしまった罪悪感を覚えながら、ティリアはそっと腕の中のブラックサンダーへと視線を落とす。

 ブラックサンダーは一大行事が終わったのを察したのか、安心したように欠伸をしている。


「頑張ったね……」


 ティリアがそっと首筋を撫でると、ブラックサンダーは嬉しそうな鳴き声を上げた。


「ふむ……やはり今回落ち着いて診察を終えられたのは、彼女の力が大きいのだろう」

「は、はい!」


 急にコルネリアに話を振られ、ティリアは慌てて背筋を正す。

 コルネリアはそんなティリアを見つめ、意味深に笑い……とんでもないことを言いだした。


「アルヴィス。彼女を私にくれないか?」

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