31 諦めていた未来
「わぁ……」
運ばれてきた鮮やかなフランボワーズのケーキに、ティリアは思わず目を輝かせる。
視界に飛び込んでくるのは、鮮やかなピンク色だ。
フランボワーズの酸味と甘みがたっぷりと詰まったジャムが、美しくも華やかな見た目を作り出している。
まるで宝石のように美しいケーキを前に、ティリアの胸は高鳴った。
アルヴィスが連れてきてくれたのは、色とりどりのケーキが並ぶお洒落なカフェだった。
案内された二階のテラス席からは、眼下の通りを行き交う人が良く見え、一日中ここにいても飽きないだろうという気がした。
どうやら高位貴族や国の要人などもお忍びでやって来る店のようで、今ティリアたちが腰を下ろしている席もさりげなくパーテーションで周囲の視線が遮られている。
「きゅい~」
色鮮やかなケーキに驚いているのは、ティリアだけではなかった。
ティリアの膝の上のブラックサンダーも、感心したような鳴き声を上げている。
「それはティリアのだから横取りするなよ。お前には別にリンゴのコンポートを頼んでおいたから」
「きゅい!」
チーズケーキを口にしながらそう言うアルヴィスに、ブラックサンダーは元気よく返事をしていた。
いつまでも手を付けようとしないティリアに、アルヴィスは不思議そうに首をかしげる。
「……フランボワーズは嫌いだった?」
「い、いえ! そんなことはないです……!」
ティリアは慌ててそう言い繕い、そっとフォークを手に取った。
(ケーキを頂くのなんて、何年ぶりかしら……)
「無能」と呼ばれるようになったあの日から、ティリアの生活は一変した。
それまでは目に見えるような愛情はなかったものの、伯爵家の娘として丁寧に育てられてきたと言えるだろう。
マナー教育の一環として、ケーキだって何度も何度も口にしたことがあった。
だが、あの日からは何もかもが消えてしまった。
「無能」のティリアにこんな贅沢なものを与える価値などないと、判断されたからだ。
――「見て、お姉様。お父様が私のためにこんなに美味しそうなケーキを買ってきてくださったのよ。今から頂くから紅茶を淹れてくださる?」
妹のバーベナは、わざわざケーキを食べる時はティリアを呼びつけ給仕をさせた。
もちろん、ティリアの分け前など一口たりとも存在しないのに。
――「はぁ、美味しい……! ねぇ、お姉様はどんなケーキがお好きなの? 今度お父様にねだってみてはどうかしら?」
そういって、意地悪く笑うバーベナの顔をよく覚えている。
万が一にもティリアが父にねだったところで、与えられるのはケーキではなく折檻だとわかっていながら。
そんな苦い思い出が頭をよぎったが、今はアルヴィスとブラックサンダーが共にいるのだ。
ティリア一人暗い顔をしていては彼らにも迷惑をかけてしまう。
意を決して、ティリアは切り分けたケーキを口に運ぶ。
一口食べると、口の中に広がるのはしっとりとしたケーキの食感。
フルーティーなフランボワーズジャムと、軽やかな口当たりのホイップクリームが絶妙に絡み合い、口の中に広がる味わいは甘さ控えめでありながらも濃厚で贅沢なものだった。
(美味しい……)
まさに、舌がとろけてしまいそうだ。
ティリアは知らず知らずのうちに、自身の頬に手を添えていた。
「気に入ったかな?」
そんなティリアを見て、アルヴィスは優しく目を細める。
ティリアは少々気恥しさを覚えながらも、小さく頷いた。
(まるで、幼い頃に戻ったみたい……)
ケーキの甘さがじわじわと広がるのと同時に、記憶の奥底へと封じ込めていた無邪気な想いが蘇ってくる。
自身の才能を、明るい未来を信じて疑わなかったあの日々。
そんな希望も一度は粉々に打ち砕かれてしまい、ティリアは心を殺すようになっていた。
明るい未来など、希望など、そんな夢を見るからつらくなるのだ……と。
だが、今……まるであの頃のように、温かな感情が胸の中へと戻ってきたような気がしたのだ。
「こんなに美味しいケーキは初めて頂きました……」
誇張ではなく、本心からティリアはそう口にする。
すると、アルヴィスは嬉しそうに口角を上げた。
「だろ? 僕も気に入ってる店なんだ。……ティリアが喜んでくれてよかった」
アルヴィスが口にした言葉に、ティリアの鼓動が跳ねる。
ちょうどその時店員がリンゴのコンポートを運んできたので、二人の意識はそちらへと移る。
「きゅい! きゅいきゅい!!」
やっと自分の番が来たとばかりに騒ぐブラックサンダーに、アルヴィスは呆れたように、それでも優しく笑う。
彼がブラックサンダーに「あーん」とリンゴのコンポートを食べさせるのを眺めながら、ティリアは満ち足りた気分だった。
……まるで、一度は諦めていた未来が別の形で戻って来たかのように。




