30 今日が初めて
どこか戸惑った様子のティリアに、夫人は優しく口を開いた。
「ふふ、まさか若様がこんなに可愛らしいお嬢様を連れてこられるなんて……腕が鳴りますわ」
「あの……本当に、私はただの使用人でして――」
ユンカース夫人は何やらとんでもない勘違いをしているようだ。
ティリアは慌てて、「自分はただの使用人であり、決してアルヴィスの恋人や想い人ではない」と説明した。
そんな勘違いをされていると知れば、アルヴィスも気を悪くするだろう。
だがユンカース夫人は、ますます愉快そうに口角を上げる。
「あらあら、それはそれは……前途多難のようですわね。ですがお嬢様、覚えておいてくださいな。私はアルヴィス様を幼い頃から存じておりますけど、彼ががこのように女性をこの店に連れてきてくださったのは……今日が初めてですのよ」
「ぇ……?」
唖然とするティリアににんまりと笑うと、ユンカース夫人はすぐに弾丸のようにセールストークを繰り出した。
「それはさておき……アルヴィス様が服を贈ってくださるというのですから、最高の一着を選ばなくてはなりませんね! ご安心ください。必ずやお嬢様の魅力を最大限に引き出してみせますわ!」
「あ、あの……!」
言葉を挟む間もなく、あっという間にティリアは着せ替え人形と化してしまった。
ユンカース夫人の納得のいくコーディネートが仕上がると、表で待っているアルヴィスの元に連れていかれティリアは慌ててしまう。
「さぁアルヴィス様! こちらは今シーズンの新作ドレス。わたくしの自信作ですのよ! こちらのお嬢様にもよくお似合いで……どう思われますこと?」
ティリアが身に着けているのは、淡いグリーンのドレスだ。
しなやかで光沢のある素材が、窓から差し込む光を浴びてよりいっそう輝きを放っている。
胸元から腰にかけては、細やかなレースの装飾が施され、見る者の視線を惹きつけるだろう
スカートの部分にはふんわりとしたフリルが施され、広がりのある優美なフォルムを作り出している。
まさしく非の打ちどころのないような美しいドレスだが、それを着ている人間がティリアとなれば話は別だ。
(ど、どうしよう……)
じっと黙ってこちらを眺めるアルヴィスに、ティリアは恥ずかしくなって俯いてしまう。
だがアルヴィスは、そんなティリアを安心させるようにふっと笑うと、ゆっくりと口を開く。
「よく似合ってるよ、ティリア。特に……ジェイドフロッシュのような鮮やかな色が素敵だね」
アルヴィスがにっこり笑ってそう口にした途端、ユンカース夫人は眉根を寄せた。
「……念のためお伺いしますが、そのジェイドフロッシュとは?」
「南国に生息する神獣の一種だ。非常に鮮やかな体色が美しいカエルで――」
「まぁ! 女性をカエルに例えるだなんて! マナー違反も甚だしいですわ!」
途端にガミガミと怒りながら目を吊り上げるユンカース夫人に、アルヴィスは少し気まずそうな顔をしている。
だがティリアは、少しも怒る気にはなれなかった。
確かに何も知らない女性であれば、アルヴィスのたとえに気を悪くするかもしれない。
だがティリアは知っている。
彼は悪意があってああいう言い方をしているわけではない。むしろ……あの夜空を舞う蝶のように、本当に美しいと思ったからこそそう言ってくれたのだろう。
(……まぁでも、神獣のことを知らない方なら傷つくかもしれないし、直した方がいいのかしら)
いつか彼が他の女性をここに連れてきたときに、同じようなことを言えば今度は困ったことになるかもしれない。
そう考えるとずきりと胸が痛んだが……ティリアは努めてそれに気づかないふりをした。
「いいですか。女性を爬虫類や昆虫に例えるなど言語道断。こういう場合は花や宝石など一般的に美しいとされるものに例えるべきであり――」
夫人の説教に、アルヴィスの腕の中のブラックサンダーが退屈そうに欠伸をしている。
その微笑ましい光景に、ティリアは思わずくすりと笑ってしまった。
「お買い上げありがとうございます! 是非またご贔屓に。もちろん、お嬢様のためだけの特注の衣装も承っておりますわよ!」
なんとか「ヴィヴィアンテ」を後にし、ティリアはほっと息を吐きだす。
結局、舞踏会に着ていくような美しいドレスが一着。こうやって街に出る時に着れるような上等なワンピースを二着、アルヴィスはティリアへの贈り物にしてくれた。
ちなみに、ワンピースのうちの一着はちょうど今ティリアが身に纏っている。
淡い青の生地に、細やかなレースや花や葉の装飾があしらわれた上品な一着だ。
「せっかくの機会なのですから、このまま着ていってくださいな!」とユンカース夫人が勧めてくれたのである。
こんなに素敵な服を着て外を歩いた経験なんてほとんどないので、ティリアはなんとなく落ち着かない気分だった。
「女性を褒めるのにカエルを引き合いに出すのが禁忌だとは知らなかった。すまないことをしたね」
アルヴィスは先ほどユンカース夫人に説教されたことを気にしているのか、あらためて謝罪の言葉を口にした。
「いえ、私でしたら大丈夫です。あっでも、他の女性に対しては控えた方がよろしいかと」
「肝に銘じておこう。……そんな機会があるかどうかはわからないが」
店の前で待っていた御者に買ったばかりのティリアの衣装を手渡しながら、アルヴィスはそう口にした。
「さて……」
アルヴィスが振り返り、上から下までユンカース夫人の手でコーディネートされたティリアを眺める。
(ぅ……)
なんだかそれが気恥しくて、ティリアは少しだけ俯いてしまった。
「きゅい?」
ティリアの腕の中で不思議そうな声を上げるブラックサンダーの頭を撫でながら、アルヴィスは朗らかに告げる。
「それじゃあ次の場所へ行こうか」
「え、次の場所ですか……?」
てっきりこのまま公爵邸に帰るものだと思っていたので、ティリアは驚いてしまった。
「一軒店に寄っただけで帰ったら、ラウラに怒られてしまうからね。彼女のようにうまく案内できるかどうかわからないけど、君の時間を僕に預けてもらえるかな?」
そう言って手を差し出したアルヴィスに、ティリアの心臓は大きく音をたてた。
「…………はい」
ティリアはそっとその手を取った。
普段から忙しくしているであろうアルヴィスに、ティリアのために時間を使わせてしまうのが忍びない。
だがそれ以上に……胸の奥から湧き上がってくる歓喜の感情に、逆らうことなどできなかったのだ。
いつもお読みいただきありがとうございます。
ちょっと話のストック量がこころもとなくなってきたので、次回から3~4日に1話くらいのペースの投稿になります。




