27 小さな幸せ
「あ……」
夜間の施錠確認を終え、談話室へと戻って来たティリアの目に……ソファに背を預けたまま寝息を立てるアルヴィスの姿が目に入る。
彼の膝の上では、同じようにブラックサンダーがぷぅぷぅと可愛らしい寝息をたてながら眠っていた。
その微笑ましい光景に、思わずティリアの頬も緩む。
ただでさえ忙しくしているアルヴィスのことだ。
ティリアや神獣のことで、負担になっていないといいのだが――。
(ここは起こすべき……? いいえ、アルヴィス様はお疲れなのだもの。少しくらい、このままでも……)
ティリアは薄手の毛布を手に取り、風邪を引かないようにそっとアルヴィスの肩へとかける。
その途端、アルヴィスが小さく声を発した。
「ティリア……」
(えっ!?)
どくん、と心臓が大きく音をたてる。
起こしてしまったか……? と慌てたが、アルヴィスの瞼は閉じられたままだ。
「つまりは、プルクラ‐ヒアサント‐ジェマ‐モルフォは昼間だと通常の蝶と見分けがつきにくいが――」
(す、すごい寝言……)
彼は夢の中でも、ティリアの神獣についての解説を繰り広げているのだろうか。
なんにせよ、彼の夢の中に自分が出てきていると考えると……ティリアの胸は暖かくなる。
彼の世界に、確かに自分は存在しているのだ。
むにゃむにゃと要領の得ない寝言を呟くアルヴィスを起こさないように、ティリアは静かにその場から離れようとした。
だがその途端、目の前のテーブルに広げられた本のページが目に入った。
これは、神獣の図鑑だろうか。
年季の入ったその本は、何度も何度も手に取られた形跡がある。
きっと、アルヴィスの愛読書なのだろう。
ちょうど開かれた図鑑のページには、満月を背に夜空を飛翔する美しい蝶の挿絵が描かれている。
(『プルクラ‐ヒアサント‐ジェマ‐モルフォ』……これって……)
さきほど、アルヴィスが寝言で呟いていた名前だ。
それに、この名前は――。
(初めてこの屋敷に来た時に、アルヴィス様が……)
――「そのドレスもよく似合っている。まるで……プルクラ‐ヒアサント‐ジェマ‐モルフォが月の光を浴びて羽化したかのようだね」
ラウラの力を借りてドレスアップしたティリアに、彼はそう言ってくれた。
結局その例えも意味不明だと、ラウラにはボコボコにされていたのだが――。
(アルヴィス様、私のことをこんなに綺麗な蝶みたいだって……)
図鑑に描かれた青く輝く蝶は、思わず目を奪われてしまうような美しさを秘めている。
……ただのお世辞だということはわかっている。
だが、確かにあの時……アルヴィスはティリアを見て、この美しい蝶を思い出してくれたのだ。
たったそれだけで、ティリアは胸がいっぱいになってしまう。
……誰にも愛されず、必要とされず、薄暗く狭い場所を彷徨っているだけのドブネズミ。
ずっと、ティリアは自分のことをそう思っていた。
だが……アルヴィスの目に映るティリアは、そうではなかったのだろうか。
目の奥が熱くなる。少しでも気を抜いたら、嗚咽が漏れそうになってしまう。
「無能」と呼ばれたあの日から、すり潰され続けた空虚な心が……温かなもので満たされていく。
(ここへ来られて本当によかった……)
一人と一匹の穏やかな寝息を聞きながら、ティリアは小さな幸せを噛みしめるのだった。




