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26 身分不相応な想い

 翌朝、ティリアは昨日以上に早々と起床した。

 もはや、早朝に鳴きだす鳥よりも早い時間である。

 なんといっても、昨夜からアルヴィスがここに泊っているのだ。

 出来る限り、彼の不都合がないように努めなければ。

 アルヴィスを起こさないように気を付けながら、昨日以上の熱心さでいたるところをピカピカに磨き上げる。

 朝食の下ごしらえまで済ませたところで、やっと空が白み始める。

 じきに、アルヴィスも姿を見せた。


「おはよう、ティリア」

「おはようございます、アルヴィス様」


 アルヴィスは昨日言っていた通り、自分一人でも完璧に身支度を済ませていた。

 だが、早朝の彼はどこか抜けているというか、隙があるというか……普段とは異なる色香を纏っているように思えて、ティリアはどきりとしてしまう。


「ち……朝食をご用意いたしますね……」


 ティリアはそそくさとキッチンへ対比しようとしたが、その前にアルヴィスに呼び止められてしまう。


「待ってくれ、ティリア」


 慌てて振り返ると、存外近くにアルヴィスの姿があり動揺してしまう。

 そんなティリアに、アルヴィスはずい、と顔を近づけてきた。


「あ、あの……?」

「少し、顔色が悪いね」


 アルヴィスのしなやかな指先が、がティリアの頬へと振れる。

 もはやそれだけで、ティリアの心臓は暴れ出しそうだった。


(そ、それは……アルヴィス様がいらっしゃると思ったら緊張であまり寝られなくて……)


 言葉に詰まるティリアに、アルヴィスは諭すように優しく告げる。


「君が仕事熱心なのはありがたいけど……あまり無理をしないでくれ。多少仕事で手を抜いても生きていけるけど、君が倒れれば神獣たちは心配する。ただでさえ、神獣たちの世話とこの建物の管理を一人でこなすのは大変だろう。……もう少し、肩の力を抜いても大丈夫だよ」


 そう言って、アルヴィスは指先を滑らせそっとティリアの肩に触れた。

 その途端、不思議とティリアは自分の体から力が抜けていくのがわかった。


「……はい、申し訳ございません」

「謝る必要はない。ただ、君のことが少し心配だっただけだ」


 じんわりと胸が熱くなって、ティリアは何も言えなくなってしまう。

 俯くティリアに、アルヴィスは優しく笑いかけ告げる。


「……よし、それじゃあ朝食は僕が作ろう」

「!? そ、そんなことはさせられません! 私が――」

「じゃあ、一緒に作ろうか」

「え……?」


 ティリアの肩を押すようにして、アルヴィスは自身もキッチンへと足を踏み入れてしまった。

 伯爵家にいた時は、父も義母も義妹も……誰もキッチンへ足を踏み入れたところなど見たことはなかった。

 なのにアルヴィスは、嬉々として調理器具を用意していくではないか。


「下ごしらえは済ませてくれたんだね、ありがとう」


 慣れた手つきでパンに切り込みを入れていくアルヴィスに、ティリアはおずおずと申し出る。


「アルヴィス様、私が――」

「ありがとう、ティリア。でもここは僕に任せてくれ。君はスープを頼めるかな」

「ですが……」

「大丈夫。味は保証する……とは言えないけど、少なくとも人間が食べられるものにはするつもりだから」

「は、はい……」


 あまりしつこくしすぎるのも、彼の腕を疑っているようで失礼かもしれない。

 そんなことを考え、ティリアはしおしおと引き下がった。


「君が来る前は僕一人でここに泊ることも多かったし、これでも慣れてるつもりだよ。だいたいこうやって用意していると……ほら来た」

「クルルゥ!」


 キッチンの扉からひょい、と顔をのぞかせたのは、カーバンクルのクルルだ。


「クルルは食いしん坊で、食べ物の匂いがするとすぐにやって来る。つまみ食いをされないように気を付けた方がいい」

「クルァ!」

「はは、そう怒るなよ。事実じゃないか」

「余計なことを言うな」とばかりに、ふさふさの尻尾でアルヴィスの足元をぺしぺしするクルルの姿に、ティリアは思わずくすりと笑ってしまった。

(本当に、不思議な人……)


 アルヴィス・リースベルクという人間は、ティリアにとって未知の存在だ。

 伯爵家にいた頃は、父や義母、それに義妹のバーベナと付き合いのある貴族の人間を幾人も目にしていた。

 大概の貴族は美しく着飾って、全身で気高さを誇示しており、使用人以下の存在のティリアなど目もくれないか、冷たい蔑みの視線を向けるだけだった。

 だが、アルヴィスという人間はティリアが今まで見た貴族たちとは違う。


(だからこそ、神獣たちにも信頼されているのね……)


 強大な力を持つ神獣が、この屋敷でおとなしく、それでいてのびのびと暮らしているのは……ひとえにアルヴィスの人徳の賜物だろう。

 彼がティリアの心配をしてくれるのも、あくまでティリアのことを多少は神獣の世話係の適性がある人間だと評価してくれているからだ。

 そう自分に言い聞かせ、ティリアは目の前のスープの鍋に意識を集中させる。


 ……そうしないと、勘違いしてしまいそうになる。


 ――「嘘じゃない! 君が一番に決まってるじゃないか!」

 ――「僕は、君たち姉妹と結婚するんだよ」


 もう、あんな思いはしたくないのに。

 信じても、期待してもむなしいだけだと、学んだはずなのに。

 だが、それでも――。

 思わず、身分不相応な想いを抱きそうになってしまうのだ。



「い……いってらっしゃいませ、アルヴィス様」

「いってきます、ティリア」


 こちらに手を振って去っていくアルヴィスの背中を眺めながら、ティリアはほっと安堵の息を吐く。

 宣言通り、アルヴィスは基本的に別館で寝泊まりを行うようになった。

 もっとも、彼は普段から忙しくしている人間だ。

 一日中仕事から帰らない日も、公爵家の跡取りとしての仕事のために本館で過ごすことも多い。

 それでも、彼は時間の許す限りティリアや神獣たちの下へ顔を出してくれるのだ。

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― 新着の感想 ―
[気になる点] 主人公ってかなり惚れっぽいのかな?落ちるの早過ぎな気がする
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