22 仕事はじめ
翌朝、ティリアはいつもの習慣で夜明けと同時に起床していた。
伯爵家ではこのくらい早起きしなければ仕事が終わらない。
だが起床したと同時に、驚いてしまった。
(すごい、体が軽い……)
柔らかな寝台で、何に脅かされる危険もなく眠ることができたからだろうか。
いつになくすっきりとした目覚めに、爽快な気分だった。
(定められた仕事を終えるのにどのくらいかかるかわからないし、早く取り掛からなくては)
そう自分に言い聞かせ、ティリアは名残惜しさを振り払い寝台から立ち上がる。
早く着替えようとクローゼットに手を伸ばした時――。
「クルゥ!」
「ひゃっ!?」
急に何かが足元を走り抜け、ティリアは素っ頓狂な声を上げてしまった。
慌てて視線を下に降ろすと、そこにいたのはカーバンクルのクルルだ。
クルルは「いたずら成功!」とでもいいたげに、くりくりの大きな目でこちらを見ている。
「ふふ……驚いたわ。どこに隠れていたの?」
「クルァ」
クルルはティリアのベッドの上に登り、ぴょんぴょんと飛び跳ねて遊んでいる。
その姿にくすりと笑いながら、ティリアは新しいお仕着せに袖を通していく。
しっかりとエプロンの紐を締め、どきどきしながら姿見の前に立つ。
そこには、緊張気味の少女の姿が映し出されていた。
真新しい衣装に身を包んでいるからか、しっかりと睡眠と栄養を取ったおかげか……伯爵家にいた頃のみすぼらしい姿に比べれば、ずっとまともに見える。
「……よし」
自分を鼓舞するようにそう口にし、ティリアはクルルに声をかける。
「クルル、私はお仕事を始めるけど、あなたは……」
「ルゥ!」
クルルはひときわ大きく飛び跳ねたかと思うと、そのままムササビのように飛び、ティリアの肩に着地した。
「一緒に来てくれるの? ……ありがとう」
初めての仕事で少し緊張していたが、クルルがついてきてくれると思うと心強い、
ティリアは深呼吸し、部屋の外へと踏み出した。
◇◇◇
「おはようティリア! 食材持ってきたよ~」
エントランスの方から声が聞こえ、ティリアは慌ててそちらへ向かう。
そこでは、大きな箱を抱えたラウラが待っていた。
「はい、これがティリアの食材ね。私の朝食も持ってきたから一緒に食べよ」
「ありがとうございます、ラウラさん」
「いいっていいって。それより……やっぱりこの屋敷全体をティリア一人で掃除するのって大変じゃない? 神獣たちの世話もあるし、どのくらい時間がかかるか――」
「あ、いえ……掃除については、先ほど一通り終わりました」
「えっ、もう!?」
驚いた様子のラウラに、ティリアは「何かいけなかっただろうか……」と身を縮こませた。
(この建物だけなら伯爵家の屋敷よりも小さいし、元々きちんと掃除は行き届いていたし、お義母様やバーベナがわざと私の仕事を増やすこともなかったから……)
伯爵家にいた時は、義母やバーベナが起床する前に一連の掃除を終えなくてはならなかった。
だがなんとか掃除を終えられても、義母やバーベナが嫌がらせで花瓶を割ったり、水や食べ物を零したりして、ティリアの仕事を増やすことはしょっちゅうだった。
だから、できる限り早く、それでいて丁寧に仕事をこなそうと動いていたら……何の邪魔が入ることもなくあっさりと終わってしまったのだ。
「あっ、でも……公爵家の基準では行き届いていない部分があるかもしれないので、チェックしていただけると有難いです」
「う、うん……大丈夫だと思うけどなぁ……」
ラウラはきょろきょろとあちこちを見回し、少し困ったように笑った。
共に朝食を食べ終わると、ラウラはティリアが頼んだとおりにあちこちをチェックしてくれた。
その結果……ティリアの仕事ぶりは、文句なしに「合格」という審判が下されたのであった。
「すごいよティリア! 大変そうだったら私が手伝いにこようと思っていたのに、全然そんな必要なさそうだもん」
「……今まで、ラウラさんや皆さんが綺麗に保ってくださったおかげです」
「あはは、ありがとう。今まではここの別館の掃除当番って、罰ゲームみたいな感じだったんだよね」
ラウラが笑いながら口にした言葉に、ティリアは驚いてしまった。
「えっ、罰ゲーム……?」
「うん。神獣たちの機嫌が悪いとそもそも入り口に結界が貼られて入れないし、ちっちゃいユニコーンには角で刺されるし、大きいユニコーンは怖いし……なんか変な幻覚が見えて逃げ出す人もいたの。ティリアも大丈夫かなって心配してたけど、うまくやってけそうでよかった」
(そ、そんなことが……)
あの愛らしい神獣たちにそんな一面があったとは……。
だが考えてみれば、常に悪意を持った人間の脅威に晒されている彼らからすれば、よく知らない人間というだけで警戒対象なのかもしれない。
(どうして、私が受け入れられているのかはよくわからないけど……)
よくわからないが、この場所に、この役目にティリアが必要とされているというのなら……こんなに喜ばしいことはないだろう。
一通りのチェックが終わると、ラウラは自分の仕事をこなすために本館へと帰っていった。
ティリアも気分を切り替え、次の仕事へと向かう。
(神獣のお世話……何か粗相があって神獣を傷つけてしまったり、アルヴィス様に迷惑をかけるわけにはいかないわ)
「……クルル、いる?」
そっと声をかけると、どこからかクルルが飛んできた。
「これから温室へ向かうの。一緒に来てくれる?」
「ルゥ!」
少なくともこの屋敷の中ではずっと先輩のクルルがいてくれれば、ティリアも心強い。
クルルを肩に乗せ、ティリアは多くの神獣たちの棲家である温室へと向かう。




