21 小さくて儚い命
「わぁ……!」
ガラス張りのドーム状の天井から、燦燦と降り注ぐ光。
その下には生い茂る木々に、地面を覆う草に、睡蓮の浮かぶ池に……。
別館の約半分ほどの面積を占めるその大きな温室の中には、美しい自然環境が再現されていたのだ。
「ここが、神獣たちの棲家だ。ほら、あそこにも」
アルヴィスが上空を指さす。そこには美しい金色の羽を持つ鳥が悠々と舞っていた。
「あれはイリデセント‐カラドリウス。季節によって体毛の色が変わる珍しい神獣だ。あれは気が難しくて僕にも中々懐いてくれなくて……一日一回、あそこの小屋に餌を置いてあげてくれるかな」
中空を舞う神獣のあまりの美しさに見惚れていたティリアは、アルヴィスの言葉に慌てて頷いた。
「それと……いるんだろう? クルル」
おかしそうに笑いながら、アルヴィスは虚空に声をかける。
いったいどこにいるのだろうとティリアがあちこちを見回すと――。
「クルゥ!」
「ひゃっ!?」
足元に何かがすり寄って来た感覚がしたかと思うと、何もない空間からいきなりクルルが姿を現した。
「ど、どこにいたのでしょうか……?」
「カーバンクルは光を操る神獣で、こうやって空気に溶けるように姿を消すことができる。まだ完全に原理は解明されていないけど、光の屈折を利用しているとの説が有力で――」
アルヴィスは水を得た魚のように、早口でカーバンクルの特性を語り出した。
だが、あまりにも難しい話で……ティリアにはその三分の一も理解できそうになかった。
「その光の力を使って鏡のような壁を張り、外敵からの攻撃を反射することも――」
「クルァ!」
アルヴィスはまだ話し足りないようだったが、当のクルルがアルヴィスの肩まで登ったかと思うと、
「つまらない話はやめろ」とでもいうようにぺしぺしとふさふさの尻尾で頬を打っていた。
「わかったわかった。トリスタンたちはどこにいる?」
「クルゥ」
アルヴィスの言葉に、クルルは前足で温室の奥を指し示す。
「ありがとう、助かったよ」
アルヴィスは優しくクルルを顔から引きはがすと、ティリアの方へと差し出した。
おずおずとティリアが手を差し出すと、すぐにクルルが飛び移ってくる。
「行こう。きっとブラックサンダーが待っているはずだ」
アルヴィスに促され、ティリアは温室の奥へと足を進める。
まるで宝石のような甲羅を持つ亀、カタツムリのような殻を持つ小さな竜……ティリアが見たこともない、神秘的な生き物がのびのびと暮らしているのが視界に入る。
「すごい……」
「領地ではもっとたくさんの神獣を保護しているんだ。いつか君にも見せてあげたい」
「ありがとうございます……」
その「いつか」は来るのだろうか……なんて後ろ向きの思考を、ティリアは慌てて振り払う。
アルヴィスはずんずんと足を進め、やがて温室の最奥の扉へとたどり着いた。
「この先が、ブラックサンダーたちのお気に入りの場所なんだ」
嬉しそうにそう告げて、アルヴィスは扉を開く。
その向こうは、建物の外に通じていた。
陽の光に照らされた広い草地が、ぐるりと柵に囲まれている。
その中心に見えるなんとも微笑ましい光景に、ティリアは思わず頬を緩めた。
「まぁ……」
二頭の成獣のユニコーンが、寄り添うように座っている。
その間には、小さなユニコーンの雛――ブラックサンダーが、すぴすぴと気持ちよさそうな寝息をたてながら昼寝をしていた。
「……お姫様を起こしては悪いね」
アルヴィスは小声でそう言うと、足音をひそめるように三頭の下へと近づいていく。
二頭のユニコーンはアルヴィスとティリアが近づいてきたのを見て、緩慢な仕草で顔を上げる。
そのうちの一頭は、初めて王都にやって来た日にティリアを助けてくれたユニコーン――トリスタンだった。
「トリスタンには会ったことがあるだろう。この屋敷では一番の古株の神獣だ」
そっとたてがみを撫でながらそう告げるアルヴィスに、トリスタンは誇らしげに鼻を鳴らす。
「トリスタン。これからはティリアがこの屋敷でお前たちの世話をすることになる。お前がここにリーダーなんだから頼むぞ」
そんなアルヴィスの言葉に、トリスタンは「任せろ」とでもいうように鷹揚に頷いた。
「よ、よろしくお願いいたします……!」
ティリアも慌てて頭を下げた。
「それでもう一頭が……トリスタンの妻のイゾルデだ」
アルヴィスに紹介され、ティリアは改めてもう一頭のユニコーンの方へ視線を移す。
……なんて美しいユニコーンなのだろう。
艶やかな毛並みは流れゆく川のようで、穏やかな瞳は静謐な湖のようだった。
どこか威厳を感じずにはいられないトリスタンに比べて、彼女からは優美さや気品が漂ってくるようだった。
ティリアは思わず息を飲み、彼女に向かって深くお辞儀をした。
そうせずにはいられなかったのだ。
「彼女はプライドが高いから気を付けた方がいい。僕は何度も何度も蹴られてるんだ。……まぁ君なら大丈夫だと思うけど」
アルヴィスがこっそり耳打ちしてくれた内容に、ティリアは慌てて背筋を正す。
だがイゾルデは立ち上がりティリアの傍に近づいてきたかと思うと、腕の辺りにそっと頬ずりをしたのだ。
「やっぱり、君は神獣に好かれる天才だね」
困惑するティリアとは裏腹に、アルヴィスは得意そうにそう告げる。
その声に、すやすやと寝入っていたユニコーンの雛――ブラックサンダーがぴくりと動いた。
「きゅい……?」
寝ぼけたような声を上げ、ブラックサンダーはそっとくりくりの大きな目を開く。
そしてぼんやりと周囲を見回し、ティリアの姿を見つけたかと思うと……嬉しそうに飛び上がったのだ。
「きゅい!」
腕の中へ飛び込んで来たブラックサンダーを、ティリアは慌てて受け止める。
「きゅいきゅい!」
ティリアの腕の中で、ブラックサンダーは嬉しそうにはしゃいでいる。
その無邪気な姿は本当に愛らしくて、ティリアは知らず知らずのうちに口元を緩めていた。
そんなブラックサンダーの姿を見て、アルヴィスは優しく目を細めた。
「……ブラックサンダーは、初めてこの屋敷で生まれた神獣なんだ。だから野生を知らない。この屋敷から一歩でも外に出れば、恐ろしい目に遭う可能性があるということも知らなかった」
「あ……」
ティリアは初めてブラックサンダーと出会った時を思い出した。
アルヴィスはブラックサンダーのことを、「屋敷から逃げ出した」と言っていた。
……きっと、この場所が嫌になったわけじゃない。
きっとこの小さなユニコーンは、純粋に外の世界が気になっただけなのだ。
両親やアルヴィスが守ってくれる小さな屋敷から外へ出てしまえば、どんな悪意が渦巻いているのかもわからなかったのだろう。
「これで多少は懲りたと思いたいが……こいつはやんちゃだからな。ティリアに迷惑をかけるんじゃないぞ」
「きゅーう!」
諫めるようなアルヴィスの声に、ブラックサンダーは不服そうに鳴いてみせた。
「おそらくここにいる神獣の中で一番手がかかるのがこいつだ。ティリア、すまないがよろしく頼むよ」
「はい、お任せください」
ティリアは深く頷く。
初めてブラックサンダーと出会った時と同じだ。
この、小さくて儚い命を守らなければ。
そんな使命感が、胸を熱くさせるのだ。
(……頑張ろう)
こんなに前向きな気持ちになれたのは、いったいいつ以来だろうか。
「無能」と呼ばれた時、ティリアは何もかもを失った。
だが……そんな自分でも、こうしてできることがあるのならば。
精一杯、アルヴィスやこの屋敷の神獣たちに尽くしたかった。




