15 アルヴィスの真意
その後は大きな出来事もなく、ティリアはラウラに案内されるままに客室へと向かっていた。
よく回る口で道中もあれこれと説明してくれるラウラに、ティリアは意を決して声をかける。
「あの、ラウラさん……」
「はい、なんでしょう!」
笑顔で振り返るラウラに、ティリアはおずおずと口を開く。
「先ほどの晩餐の時なのですが……私、何かアルヴィス様のお気に触るようなことを言ってしまったでしょうか……」
「え? そんなことないと思いますけど……」
「あの、急にアルヴィス様の雰囲気が変わった時がありまして、私が何か変なことを口走ってしまったのではないかと……」
そう口にすると、ラウラは少し思案した後……納得がいったとでもいうように手を叩いた。
「あぁ、ティリア様の就職先の話の時ですよね。確かに……あの時の若様はなんか変でしたね」
「はい……」
やはり、アルヴィスの機嫌が悪いと感じたのはティリアの思い違いではなかったようだ。
「うーん、やっぱりティリア様が変なことを言っていたとは思えないんですけど……あっ、親切な方がどうとかいう話じゃないですか? ティリア様、どこで若様やブラックサンダーに出会ったんです?」
「えっと……」
ティリアは王都に来てすぐに親切な青年に就職先を斡旋してもらえそうだったこと、その途中で売り飛ばされそうになっているブラックサンダーを見つけ、その直後にアルヴィスに救われたことを説明した。
その途端、ラウラは苦虫を噛みつぶしたような顔をする。
「あぁ、なるほど……そういうことか」
「わかったのですか?」
「えぇ、若様が何に怒っていたのかもちゃんとわかりましたよ」
ラウラは声を潜めるようにして、ティリアに教えてくれる。
「その、ティリア様が連れていかれたあたりって……歓楽街なんですよ。いわゆる夜の店が立ち並ぶタイプの」
「えっ」
まさかそんな場所だとは露しらず、ティリアは呆気に取られてしまった。
「最近問題になってるんですよね。地方から出てきたばかりの女の子が言いくるめられたり借金背負わされたりして、嫌々娼館で働かされるのが。だから……」
ラウラはまっすぐにティリアを見つめ、安心させるように笑った。
「若様はティリア様に怒っていたんじゃなくて、ティリア様がそんなひどい目に遭いかけたことに怒っていたんですよ」
一拍遅れて、ティリアはラウラの言葉の意味を理解する。
つまり、ティリアに声をかけてきた親切そうなあの青年は女衒で。
ティリアはあと少しで娼館に売られてしまう所だったのだ。
(まさか、そんな……)
あの時もし路地裏でブラックサンダーを見つけなければ……と考えると、今更ながらに恐ろしさが沸き上がってくる。
だが――。
(アルヴィス様、私に怒っていたわけではなかったのね。よかった……)
何よりもその事実に、ティリアは安堵していた。
「若様ってあんな感じで、よくわからない時によくわからないスイッチが入ることがあるんです。だから、あんまり気にしない方がいいですよ。見た目はあれでも中身は間違いなく変人なんで」
容赦なく主人をこき下ろすラウラに、ティリアはくすりと笑ってしまう。
(こんなに率直に意見が言えるほど、アルヴィス様は慕われているのね)
彼と使用人たちの間には、確かな信頼関係があるのだろう。
……「家族」という関係であるはずの、ティリアと伯爵家の者たちよりもずっと。
急に浮かんできた仄暗い思考を振り払い、ティリアはラウラに礼を言った。
「ありがとうございます、ラウラさん。その、アルヴィス様の真意がわかって安心しました」
「いえいえ、こちらこそ! これからも若様をよろしくお願いしますね!」
「……? は、はい」
なぜ「よろしく」なのかはよくわからないが、そういうものなのかと深く考えることなくティリアは頷く。
案内された客室は、たとえ王族がここで過ごすことになっても満足するだろうというくらい、豪奢なものだった。
「わぁ……」
ティリアは何となく忍び足で室内を進み、室内全体の調和のとれた美しさに感嘆のため息を漏らす。
いつもの癖で室内の汚れをチェックしてしまうが、さすがは国内有数の公爵家ともいうべきか。
見る限りは塵ひとつ見当たらない。
ティリアはおそるおそるソファに腰を下ろし、ふぅ……と息を吐いた。
(今日は本当にいろいろあったな……)
仕事探しが難航するかもしれないとは考えていたが、まさかこんなふうに公爵家にお世話になるとは思わなかった。
(仕事が必要なら紹介してくださると仰っていたけど……いえ、そこまでご迷惑はかけられないわ)
素敵なドレスに身を包んで、アルヴィスにエスコートされ、美味ばかりの晩餐を頂き、こんなに立派な部屋に泊らせてもらったのだ。
これ以上、何かをねだることなどできるはずもない。
(きっと、一生忘れられない素敵な思い出になるわ……)
……夜も更けてきたが、あまり眠りたくはなかった。
眠ってしまえば、それだけこの素敵な時間が終わりに近づくのが早まってしまうのだから。
だが、眠らなければ明日の活動に支障が出てきてしまうだろう。
ティリアは名残惜しさを感じつつも、ゆっくりと寝支度を始めた。