12 神獣に認められる存在
アルヴィスはティリアを誘うように、入ってきたエントランスとは別の扉から建物の外へと出た。
そこでティリアは、奥まった場所にもう一つ建物が建っているのに気付く。
今で出てきたばかりの建物に比べると小さいが、それでも「小屋」などという規模ではなく、立派な邸宅のように見える。
(別館かしら……)
近づくにつれ、ティリアはその建物が少し不思議な形をしているのに気が付いた。
建物の約半分ほどが、巨大なガラス張りの温室のようになっているのだ。
(何か希少な植物を育てる場所……?)
異国の珍しい植物や果物を邸宅で栽培するというのは、まさに高位貴族の富と権力の象徴だ。
リースベルク公爵家のように名高い貴族であれば、専用の施設を所有していてもなんらおかしくはない。
「この別館の中だよ。少し待っていてくれるかな」
アルヴィスは建物の入り口までやって来ると、懐から鍵を取り出し錠を回す。
「少し驚くかもしれないけど、君なら何も恐れることはないからね」
アルヴィスはそう言って口元に笑みを描き、ティリアはよくわからないままに頷いた。
ゆっくりと、大きな扉が開かれる。
そして、その向こうから飛び込んできたのは――。
『クルルゥ!』
「ひゃっ!?」
急に何かよくわからないものが目の前に突っ込んできて、ティリアは思わず小さく悲鳴を上げてしまった。
だがアルヴィスは動揺することもなく、ぱしりと片手で謎の物体を受け止めた。
「こーらクルル、急に飛びついてきたらびっくりするだろう?」
『クゥ?』
「今日はお客様もいるんだ。行儀良くしてくれると助かるな」
おそるおそる目を開けたティリアは、目の前の光景に驚きに目を丸くする。
アルヴィスの腕には、小さな動物が乗っていた。
だが、それはティリアの見たことのない生き物だった。
大きさは成長しきっていない子猫くらいだろうか。
柔らかなクリーム色の体毛に、狐のようにふさふさの尻尾、うさぎのように長い耳。
だが何より人目を惹きつけるのは……額にはまった、真っ赤に輝く宝石だろう。
ティリアが驚いているのを見て、アルヴィスはいたずらが成功した少年のように笑った。
「ティリア、こいつはカーバンクルのクルル。カーバンクルは神獣の一種だ」
「神獣……!」
その存在は、ティリアも知識として知っていた。
神聖力を持つ希少な生き物であり、密猟者に狙われることも多い。
そのせいか近年では滅多に人前に姿を現すことはない、半ば幻の存在となっている。
その身に比類なき治癒や浄化の力を秘めており、その肉体の一部は闇市で法外な値段が付くという。
そんな神獣が心を許すのは、真に清い心の持ち主のみだというが――。
(す、すごく懐いてる……)
目の前のカーバンクル――クルルは、嬉しそうにアルヴィスにじゃれついている。
アルヴィスの方も優しい目でクルルの相手をしている。
決して、打算や義務だけの関係ではないようだ。
(……アルヴィス様は、神獣に認められるほどの清い心の持ち主なのね)
あんなにひどい身なりをしていたティリアのことさえも、適当にあしらわずに気を遣ってここへ連れて来てくれるような人間なのだ。
神獣に好かれるのも当然なのだろう。
そう納得し、ティリアはほっとした。
「クルァ?」
だがその時、アルヴィスの肩に乗っていたクルルとばっちり目が合ってしまう。
「ぁ……」
ティリアは思わず一歩足を引きそうになってしまう。
神獣は人の心の奥底を見抜く生き物だという。
きっと、ティリアの醜い心に気分を害してしまうことだろう。
(私なんて「無能」で人に迷惑をかけることしかできない、周りを羨んでばかりの汚い心の持ち主だもの……)
ここにいるだけで、神獣の害になってしまうかもしれない。
そう思い、ティリアは「外へ出ています」とアルヴィスに申し出ようとした。
だが、その前にアルヴィスはとんでもないことを口にしたのだ。
「ティリアのことが気になるのか? ほら、行っておいで」
アルヴィスはクルルをてのひらにのせ、そっとティリアの方へと差し出した。
「噛んだり引っ掻いたりはしないから、君さえよければ抱っこしてあげてくれるかな」
「でも、私……」
「君なら大丈夫、僕が保証するよ」
またもやアルヴィスの有無を言わさぬ勢いに押されて、ティリアはこくりと頷いてしまっていた。
(少しでも嫌がるそぶりを見せたら、すぐにアルヴィス様にお返しして……)
そう固く心に決め、ティリアはおそるおそる手を伸ばす。
クルルは戸惑うことなく、ひょいとティリアの腕の中へと飛び移って来た。
まるでひよこのようにふわふわで、温かく柔らかな感触にどきどきと胸が高鳴る。
そのぬくもりに不安も忘れて、ティリアは微笑んだ。
クルルは真っすぐにティリアを見つめたかと思うと――。
「ひゃっ……! ふふ、くすぐったい……」
ぺろりと頬を舐められ、ティリアはくすりと笑ってしまった。
「クルルゥ!」
クルルはティリアの腕から抜け出し、肩から頭へと場所を移し、またティリアの腕の中へと戻って来た。
「済まない、噛んだり引っ掻いたりはしないが人を舐めないわけではなかったね」
アルヴィスがおかしそうにそう口にし、ティリアは恥ずかしさに少しだけ頬を染めた。
「ず、ずいぶんと人懐っこいのですね……」
誤魔化すようにそう口にすると、何故かアルヴィスは困ったように眉根を寄せる。
「いや、それなら楽なんだが……普段のクルルはこんな風に人にじゃれついたりはしない。警戒して姿を現さないか、ひどいときは威嚇して追い出そうとする」
「えっ!? ですが――」
ティリアは思わず腕の中でくるくると喉を鳴らすクルルに視線をやった。
……この甘えた猫のようなクルルが、とてもそんな態度を取るとは思えなかったのだ。
「……やはり、僕の見込んだとおりだな」
不意にアルヴィスが真剣な声色でそう呟く。
思わず顔を上げ、彼の強い意志を秘めた瞳と視線が合いティリアはどきりとしてしまう。
「ブラックサンダーの時もそうだったし、トリスタンも君が去ろうとするのを止めていた。……クルルも含めれば三匹もだ。これはもう確定と言ってもいいだろう」
アルヴィスは少しだけ表情を緩め、嬉しそうに告げた。
「ティリア、どうやら君は神獣に認められる希少な存在のようだ」
その言葉に、ティリアは息が止まりそうになってしまった。