11 さなぎが蝶へ羽化するように
「あの、変じゃないでしょうか……」
「まったくもって問題ございません! とてもお綺麗ですよ!」
「ぅ……ありがとうございます」
ティリアは何度も何度もぎこちなく頭を下げ、ほぅ……と小さく息を吐いた。
ラウラの手によって、ティリアは見事に変身を遂げていた。
(すごい、私だとは思えない……)
ラウラの腕は確かで、今のティリアはまるで時折伯爵家を訪れていた貴族の令嬢たちのようないでたちをしている。
肌に残る傷跡はショールや手袋で上手く隠しており、適度な露出がティリアのみずみずしい魅力を醸し出している。
髪も綺麗に結い上げられており、心なしか表情までも明るく見えるようだった。
じっと鏡を見つめても、とても目の前に映るのが自分自身だとは思えないくらいに。
「さぁ、準備もできましたし若様の所へ戻りましょう! ふふ、若様もきっと驚きますよ~」
「っ……!」
ティリアをこの屋敷へ連れてきた張本人――公爵家の嫡子であるアルヴィスの元へ戻るのだと聞いて、ティリアはわずかに身を固くした。
それでも……少なくとも先ほどのようにぼろぼろの服を身に着けたみすぼらしい状態よりかは、この屋敷にふさわしい格好になっているはずだ。
(ほんの少しの間とはいえ、私みたいにみすぼらしい人間にうろつかれては公爵家側も困るのでしょうね)
そう自分を納得させ、ティリアは借り物のヒールに傷をつけないように、最新の注意を払い足を進める。
ラウラはそんなティリアの様子をちらちらと確認しながら歩き、先ほどの応接間の前まで戻ってくると恭しく扉を叩いた。
「若様、ラウラです。ティリアお嬢様の支度が完了いたしました」
「あぁ、ありがとう。入ってくれ」
ティリアは緊張を抑えるように息を吸い、ラウラが開けてくれた扉の中へと足を踏み入れる。
室内にはアルヴィスと執事服の青年が待っていた。
ティリアが姿を現した途端、アルヴィスが驚いたように息をのむ。
「驚いたな……」
立ち上がりゆっくりとこちらへ近づいてくるアルヴィスに、自然とティリアの鼓動は早鐘を打つ。
彼はティリアの目の前までやって来ると、優しい笑みを浮かべて告げた。
「まるで……換羽期のイリデセント‐カラドリウスのようだね」
アルヴィスがそう口にした途端、室内の空気が凍り付いた。
「…………???」
……彼が操っているのは異言語だろうか。それとも何かの呪文だろうか。
どう反応していいのかわからずに、ティリアは固まってしまう。
(も、もしかして……上流階級の方にしかわからない雅な言葉だったりするのかしら……。どうしよう、全然わからない……)
穏やかに微笑むアルヴィスに対し、ティリアの顔はどんどん蒼白になっていく。
そんな二人の間の微妙な空気に、執事服の青年は呆れたようにため息をつき、ラウラは目を吊り上げた。
「若様……! 何わけのわからないこと言ってるんですか! ほら、ティリア様も困ってるじゃないですか!!」
「え……? 何かまずかったかな?」
「そのイリなんとかのたとえがマニアック過ぎて誰も理解できませんよ!」
「そうなのか、難しいな……」
ラウラに叱責され、アルヴィスは困ったように眉根を寄せた。
その光景をおろおろと眺めるティリアに、執事服の青年が咳払いをして声をかける。
「……申し訳ございません。躾のなっていないメイドと主人で。ちなみに先ほど言葉は、若様にしかわからないマニアックな知識なのでお気になさらず」
どうやら意味が解らないのは自分の無知のせいではないと知り、ティリアは少しだけほっとした。
「い、いえ……滅相もないです」
「それと……申し遅れました。私はリースベルク公爵家にお仕えする執事のシデリスと申します。どうぞよしなに」
丁寧に礼をするシデリスに、ティリアも慌てて頭を下げた。
シデリスの物腰は柔らかで、その態度はどこまでも丁重だ。
だが、その瞳の奥には……どこかティリアを探るような光が宿っているように思えてならなかった。
少しだけ居心地の悪さを覚え、身じろぎした時……やっとラウラの話が付いたようで、アルヴィスが声をかけてくる。
「すまない、ティリア。ドレスアップした女性を迎えるにはいささか不適切な対応だったようだ」
そこまで言うと、彼は少しだけ気恥しそうに笑う。
「その……君さえよければやり直しをさせてもらえないだろうか。できれば、君がこの部屋に入ったところから」
「わ、わかりました……」
よくわからないままに頷き、ティリアは慌てて立ち上がり再び部屋の外へと出る。
後ろからついてきたラウラが扉を閉め、形だけはこの部屋に入る直前と同じ状況となった。
「…………いやいや、客人に何やらせてんですか」
「仕方ないだろう。このままでは彼女に気の利かない男だと思われてしまう」
「もう遅い気はしますけどね」
「とにかく、お前も早く彼女がこの部屋に来た時の配置についてくれ」
「まったく……」
アルヴィスとシデリスの会話が漏れ聞こえたが、やがて室内は静まり返ったようだ。
そのタイミングを見計らうようにして、ラウラが先ほどとまったく同じ動きで部屋の扉を叩いた。
「若様、ラウラです。ティリアお嬢様の支度が完了いたしました」
「あぁ、ありがとう。入ってくれ」
ラウラがにっこりと笑い扉を開け、ティリアはおそるおそる室内へと再び足を踏み入れる。
そんなティリアの姿を見て、アルヴィスは女性であれば思わず見惚れてしまいそうな甘い笑みを浮かべた。。
「驚いたな……すごく綺麗だよ」
「あ、ありがとうございます……」
……駄目だ、いたたまれない。
せっかく仕切り直しをしてくれたラウラとアルヴィスには悪いが、むしろ先ほどのわけのわからないたとえの方が有難かったかもしれない。
なんともいえないむずがゆさに身を縮こませるティリアに、アルヴィスは優しく告げた。
「そのドレスもよく似合っている。まるで……プルクラ‐ヒアサント‐ジェマ‐モルフォが月の光を浴びて羽化したかのようだね」
またもや発揮される謎のセンスに、ラウラが再び目を吊り上げたのがわかった。
「変わってない! むしろ悪化してますよ若様! もっとわかる言葉で話してください!」
「うっ、それは済まなかった。僕の悪い癖だな……」
アルヴィスは困ったように眉根を寄せると、再びティリアの方を向き優しく笑った。
「えぇと、つまりは……さなぎが蝶へ羽化するように、より美しくなったということだよ」
その言葉の意味を理解した途端、ティリアの鼓動がよりいっそう大きな音をたてる。
(お、落ち着いて……相手は公爵家のご令息なのよ。こんなの、ただの社交辞令に決まっているじゃない……)
慌ててそう自分に言い聞かせ、ティリアは礼を言い、何度も何度も頭を下げた。
「あの……こんなによくしてくださって本当に感謝しています。もう十分お礼はしていただけましたので――」
そろそろお暇を……と切り出そうとしたが、その前にずい、とアルヴィスに詰め寄られ、ティリアは言葉に詰まってしまう。
「晩餐まで時間があるし、君に見せたい場所が場所があるんだ」
「見せたい場所……ですか?」
「あぁ、みんなもきっと君に会いたがってる。だから、一緒に来てくれるかい?」
思わず見惚れそうな笑みを浮かべたアルヴィスにそう問いかけられ、ティリアは反射的に頷いてしまっていた。
(あぁぁぁ……もうここを去らなきゃいけないのに……)
しかし気弱なティリアにとっては、アルヴィスの誘いを断るなど伝説のドラゴンと戦うよりも難しいことだった。
アルヴィスはティリアが頷いたのを見て、嬉しそうに笑う。
「よかった。それじゃあ僕たちは別館に行くからその間に準備を頼む」
「「承知いたしました」」
ラウラとシデリスが頭を下げたのを確認し、アルヴィスがこちらへ向かって手を差し出す。
彼がエスコートを申し出てくれているのだと気づいて、ティリアは息が止まりそうになってしまった。
(お、落ち着かないと……)
……まだ「無能」の烙印を押される前、ティリアは幼いながらも貴族令嬢としても教育を受けていた。
その時のことを思い出し、そっと差し出された彼の手に自らの手を重ねる。
手袋越しに彼の体温を感じ、緊張のせいか鼓動が早くなる。
(まさか、またこうして誰かにエスコートしてもらう日が来るなんて……)
だが、きっとこれが最後の機会だろう。
そう自分を律しながら、ティリアは静かに歩みを進めた。