4.5-2-1.『花』の気持ちは『風』には分からぬ
――隊長の座を継いで一年経った、ソルビット。
苦悩しながらも毎日隊長職を務めていた。これまで、先代隊長であるアルギンの補佐として動いていた時と勝手が違う。輝かしい地位に相応しい仕事をしていた先代を見ていた筈なのに、いざ自分が実行するとなると面倒としか思わなくなった。
『花』隊長としての肩書は、最大限の信頼を置かれる。同時に、大なり小なり救いを求められる。『王室に仕える騎士の四大名声である騎士隊長なら、何か恩恵を齎してくれる』という要らない信頼が。
アルギンは、野生の勘とも言うべき第六感で、協力すべきものとそうでないものを選り分けた。私利私欲が見え隠れする手合いには一切力を貸さず、けれど本当に助けを必要としている者や、助ける事で王家の名声が高まる者には惜しみなく手を貸した。そういう広報的な仕事を担う『花』隊に、アルギンは適任だったのだ。
でも、ソルビットは違う。
それが仕事であれば、否応なくすべてこなさねばならないものだ。
同時に部下にはこれまで自分が行っていた仕事量を課すのが当たり前だと思っていた。
そして、自分もそれを上回る仕事をしなければいけないと思っていた。
『花』隊長という名誉ある地位を賜った自分が、手を抜く事を許せなかった。
「……は?」
自他ともに厳しく振舞った結果は、悲しいものとなる。
「……うん。そうか。……いや、こちらこそ悪いと……思っている。そっちの気持ちを推し量れなくて」
自分が指名した副隊長からの、見限りの言葉。
他の隊に異動したい、と。
ソルビットの仕事量についていくのはもう無理だ、と。
そこまで厳しく当たったつもりも無く、特別大量の仕事を押し付けた自覚も無い。当然だ、自分がこなしていた仕事なのだ。
言うだけ言って執務室を出て行く副隊長を追う気にもなれなかった。
「……ふぅ」
ソルビットが『花』隊長執務室の自分専用の椅子で、深い溜息を吐いた。
隊長の執務机は、自分の好きにしていい。けれど、ソルビットはアルギンがずっと使っているものをそのまま引き継いだ。これは、彼女が大切に想っていた先々代隊長の持ち物だったから。
でも、自分が遺品を大事にしようとしている先々代隊長は――ソルビットの執務の行く先までは守ってくれなかったらしい。当然だ、彼からは嫌われていたから。
新しい副隊長も決めないといけない。でも、今はそんな仕事の事なんて忘れて座って居たかった。
「……はー」
うまく行かない。
元々、ソルビットは『風』隊の出身だった。諜報部隊に身を置いていた頃と仕事内容も違う。
書類仕事は苦手では無いが、毎日机に座って申請書に許可と却下を下す仕事は楽で良いと思う。でも、『仕事』でもあるまいに人の顔色を窺ってばかりなんて嫌だ。わざと鈍感でいたいのに、アルギンの鈍感とソルビットの鈍感では反応も大きく違った。
「……」
ずっと、あのひとになりたいと思っていた。
でも、それはすぐに、あのひとのそばにいたい、に変わった。
結局彼女の隣には、ずっと前から決められていたように綺麗な男が並ぶことになったけれど。
でも、それでしあわせなあのひとを見ているのも悪くなかった。
あのひとがずっと想いを寄せていた、驚くほど鈍感で生きている気配をさせない男。
付け入る隙は、これまでも、これからも、きっと無い。
「……、あ、だめだ」
泣きそう。
自分で思っていたより、心身共に辛い。副隊長に見限られるとか、隊長職に就く者としてなかなかの失態だ。
ソルビットの深い溜息は一回二回では心を晴らさない。沈んだ気分は、昔のあれそれを思い出させては再び後悔を突き付けてくる。
あの時、ああしてれば良かったな、とか。
あの時、こうしていれば何か変わったかな、とか。
生きている限り後悔は尽きなくて、時が過ぎた今更どうしようもない話なのに。
鬱々としたソルビットの思考を切り替えたのは、扉から聞こえた打音だった。
「……どうぞ」
反応が早いと、扉が開くのも早い。
打音の主は扉を開くと、ソルビットの姿を見ないまま手元の書類に視線を落としている。
「失礼するよ。『花』隊長、書類の事で聞きたいんだが――」
流麗な物腰と、涼やかな声。撫でつけた濃紺の髪はいつもと変わらない。
女であれば幼い時分に、その立場に憧れたであろう『王子様』が入って来た。
その王子様は、ふとソルビットに顔を向けると、驚いたような動揺を表情に浮かべる。けれどそれも一瞬だけだった。
『風』隊長が騎士を辞した後、王国第一王子アールヴァリンはその後釜に収まった。王子としても騎士隊長としても動いている彼は、立派に本分を全うしている。
「書類?」
「……あ、ああ。フュンフが持って来たものだが、今は外に出ているそうなんだ。帰城は夜になるらしいから聞けなくて」
「見せてみて」
幾ら異母兄の連絡不行でも、その異母妹に話を聞こうとするのは止めて欲しいけど――。そう思いながら、書類を受け取る。
文面を読んでみたら、城下の改修計画についての話だった。
「ああ、改修については後日また発表があるそうだよ。自警団と手を組むことになったじゃんか、あれで追加で牢獄作るんだって聞いたけど」
「それは俺も聞いている。……だが、場所が書いていない。改修となれば人手も必要だろうに誰が行くかも知らされていない。ソルビットは何か聞いていないかと思ってな」
「ヴァリンにも? ……あ」
ぽろっ、と口をついて出て来た王子の愛称。
思わずソルビットが口を噤む。今口にするべき名前ではなかった。
途端、アールヴァリンの喉元で音が鳴る。それは、不快になったからでは決してない。
「……ソル」
執務机の上に、アールヴァリンが手を置いた。そして、ぐっとソルビットの顔に近付く。
「今晩、いいか」
「――……」
ソルビットがヴァリン、アールヴァリンがソル、と呼ぶのは二人きりの時だけと約束した。特に、その愛称は艶めいた意味を持っている。
耳元で、低い声で囁かれて。普通の女ならば、それだけで胸がときめくものだろう。王子からいいか、なんて聞かれて即答ではいと言ってもおかしくない。
しかしソルビットは違う。机の上に書類を放った後は、回る椅子の座面に体を預けて半回転。
「そういう気分じゃないなぁ」
「……」
「あたしじゃ力になれそうにないし、兄貴帰って来るまで待ってなよ。あたし何も知らないから」
「ソル」
傾国の女騎士であるソルビットと、王子騎士であるアールヴァリンの関係は、既に片手では数えきれない年月が経っている。
十五の誕生日に閨の指南役の女を宛がわれた第一王子は、あろうことかソルビットと寝床を共にするよう指示を受けた。それからもアールヴァリンは、頻繁にソルビットを寝所に呼んでいる。
けれど、将来の約束どころか恋人関係も結んでいない。
「……そういう気分じゃないのは本当だよ。あたし今傷心中なんだから」
「傷心?」
「副隊長から異動願いを出された所だよ。……あたしについていくの、もう限界なんだって」
「へぇ。……俺からやっかみを受けるのも限界、の間違いじゃなくて?」
机から手を離し、ソルビットからも離れたアールヴァリンは僅かに頬を緩ませる。
王子の口から出た不穏な言葉に、一瞬何を言われたか分からなくて眉を顰めたソルビット。
「あいつ、お前狙ってるの丸分かりだったからな。少しばかり釘を刺し続けていたんだが……そうか、やっと諦めたか」
「ちょっと、何してくれんのよ! あたしがどんだけあいつを口説き落として副隊長になって貰ったか覚えてないの!?」
「口説き落とした? 何言ってるんだ。あれだけ勿体振って焦らして、副隊長になる条件ばかり吊り上げた割にはそこまで役に立たなかったじゃないか。たかだか書類を配り歩くだけなら腕の無くなったエンダでも出来る。実情話せばアルギンだって怒るに決まっ――」
「アルギンは関係無いじゃない!!」
絶対に。
絶対に、巻き込みたくないひとの、名前。
アールヴァリンの口からその名を聞けば、冷静ではいられない。彼女の幸せを願った自分の今の姿は、とても無様だ。
「……アルギンには、黙っててよ。やっと、幸せになれた所なんだ。あたしの下らない話に巻き込まないであげてよ」
「下らない話、なんて言ったらアイツは怒ると思うぞ。……聞かせてやればいい。アイツの居なくなった『花』で、何が起きているか。妊娠して簡単に騎士辞めやがって、お前は怒っていい立場だ」
「あたしが辞めても良いって後押ししたの! そもそもヴァリンには何も関係ないじゃない!!」
幸せになって欲しいと思っていた。
幸せでいて欲しいと願った。
その結果がこれでは、目も当てられない。
「……関係あるよ。俺の『指南役』が俺の為に時間使ってくれないんじゃあな」
「……」
「我慢にも限度があるから、もしかすると外で適当な女を見つけに行くかも知れないな? ああ、その女が妊娠して第一王子の落胤……なんて事になったら大変だろうな。なぁ、ソル。どう思う?」
「……」
アールヴァリンの脅しとも思える言葉は、明らかにソルビットの領分を越えている。
今の所、彼が余所の女で遊ぶくらいならと黙認されている関係だ。それ以上の感情はあってはならなくて、ソルビットだって弁えている。なのに、線引きされた関係を飛び越えようとするアールヴァリンに振り回されてばかり。
「なぁ、ソル」
再び、彼の顔が近付く。
「俺、『待て』は嫌いだよ」
囁く声は、悪戯を伝える子供のように楽しそうに。
すっかり大人の男になってしまった王子は、ソルビットの事情をわざと汲もうとしない。
「犬だって我慢は覚えるのにね」
「俺は犬じゃないからなぁ」
ソルビットの嫌味すら、笑って躱す事を覚えた。
王子を飼いならせるなんて思っていないが、欲の矛先が向かっているのに避けられないのは本当に厄介だ。
「いつもより一時間遅くなるし、悠長に一緒に寝てらんないから終わったらすぐ出て行くからね」
「了解。飲み物に睡眠薬混ぜておくよ」
「馬鹿」
根負けするのはソルビットの方。
それだけ言葉を交わした後は、上機嫌に執務室を出て行くアールヴァリン。
振り回されるだけ振り回されたソルビットは、再び大きな溜息を吐く。
「……」
七歳年上の女騎士を振り回して何が楽しいのか分からない。
それでなくとも、彼の誘いに乗った所で何も解決する話はないというのに。
今はただ、後回しに出来る執務を探すだけ。
「……馬鹿」
あの男にとっては、閨に誘う方が気楽なのだろう。彼の想いなんて、昔から漏れ出ているのが分かる程なのに。
どれだけ我慢したって、アールヴァリンが他の女を誘える訳がないのだ。
あの男は、昔から、ソルビットに惚れている。当人に分かる程、分かりやすく。
想いだけはまっすぐな癖に、今の今まで一度も言葉にした事がない。……口にされた所で、今のソルビットにはその想いに応える事が出来ないからそれでいいのだが。
いつか国益の為に、他国の姫を娶ることが確約している次期国王の第一王子。
彼に振り回される女騎士ソルビットはいずれ来る二人の決定的な離別の前に、痛む頭をそれまでに執務のせいだと誤魔化した。




