4.5-1-2.自警団との話し合い―中
纏まった休みがある時以外は、酒場に帰るまでの体力も無くなったアルギン。城に居る時間が長いのだから、と長い間を過ごして馴染んだ隊舎に泊まる毎日。
その日も朝から、妊娠してから感じる異常なまでの倦怠感と戦っていたのだが、その格闘中に、隊舎の扉から打音が聞こえた。
隊舎にまでわざわざ来て何かしら用がある者も少ないので、返事をするだけで扉はすぐ開く。……鍵は掛けていた筈なのだが。
廊下から現れたのは案の定、ソルビットだった。手には鍵開け用の針金を持っている。
「は? それ本当?」
「本当っす。もう来てるっすよ」
そして彼女が伝えたのは――自警団長とその部下数名が、城にまで来ている、と。『花』隊長に用があると申請があり、今は城の応接室で待って貰っているそうだ。
「……こんな早い時間からぁ……? 今、何時……?」
「八時っすよ。大丈夫っすかたいちょ、あたしが代わりに出ましょうか?」
「……アタシが窓口なんだからアタシが出るのが筋だろ……? うう、ごめんソルビット……お水貰える……? そこに水筒置いてる」
「はいよ。制服も出しましょうか」
のそのそとアルギンが寝台から這い出す間に、ソルビットが身の回りの世話をてきぱきと始める。元々朝に強くない『花』隊長ではあった。だから、世話をするのはこれが初めてではない。
アルギンが水を飲んでいる間に、服は脱がされ髪は整えられ、至れり尽くせりといった具合だ。
「軽食摂りましょ。一旦執務室寄ってください、キタラさんから冷製スープ届いてます」
「わーん、あいつ本当マメだな。嬉しい」
妊娠してから、以前以上に皆が優しくなっていると感じる。隊長の責務を果たさずに騎士を辞める無責任、と言われてもおかしくないのに。
非常に恵まれている。夫も親友も理解があって、仕えるべき存在も従える部下も、皆温かい。
だから、まだ、体が動くうちは頑張りたいと思える。
――『 』が、一緒に生きていてくれるから。
「っ……?」
アルギンが覚えた奇妙な感覚は、これが初めてではなかった。
どうも近頃、空白を備えた言葉が勝手に頭に浮かんで来るのだ。考え事をしていればさして不思議な事でも無いのだが、何もしていない時にもそうなる。
寝台から下りようとした時に、ふらり、と体が傾く。まだ服も着ていないうちから貧血のように視界が定まらなくなり、それに気付いたソルビットが大慌てで抱き留めた。
「ちょ、大丈夫っすか。まだ気分悪いすか?」
「……いや……。うん、大丈夫。やっぱり本調子とは程遠いな。でも、もう大丈夫」
そっとソルビットを押し返して、床に足を付けた。立ち上がっても先程のような眩暈は無くなっていて、一過性のものだと安心して着替える。
服を着込めば、腹こそ目立つものの『花』隊長のアルギンが出来上がる。大きく育つ腹に合わせて改造して貰ったのだが、そんな悪足掻きなど無駄だと嘲笑うかのように更に膨らんで来ている。最終的にどこまで大きくなるのかと思えば、いつまでも騎士服など着ていられない。
「行こうか。流石にこれ以上待たせる訳には行かんだろうな……。すまんソルビット、そのスープっていつものカップに入ってる? 応接室で飲むから持って来てくれない?」
「はー? そんなん約束も無しに来た奴等が悪いでしょうに、待たせときゃいいんすよ」
「あちらさんも、そんだけ急ぎたいって事だろ。いいから、行こう」
自分がゆっくり休むためには、残された数少ない仕事を終わらせればいい。
アルギンを奮い立たせる活力は、ディルと腹の子と、支えてくれる皆。
だから、あんな幻聴になんて構っている余裕なんて、ない。
ソルビットと行動を別にしたアルギンは、私室を出ると即座に応接室へ向かった。その場で簡単な会議も出来るほどの広さを備えたそこは、城の一階にある。
体を動かすと、少し吐き気もぶり返して来る。空腹が原因の悪阻だ。胃に入れる物はソルビットに頼んだから、後は体ひとつで応接室に向かうだけ。
「入るぞ」
城の敷地は広い。だから、隊舎から城に向かうまでもそれなりに距離がある。
やっと応接室に辿り着いた時、起床からは十五分を越えていた。気分も悪いし、顔色も悪い。
それだけが理由ではないが。
「……へぇ!?」
合図と声を伴い開いた応接室の扉の中では、思っていた以上の人数がいた。
自警団は五名か。先日よりも人数が増えていて、体躯も立派なその全員が部屋の中の卓の片方に詰めて座っている。どうも委縮しているようだ。
向かいには一人掛けのソファに、カリオンとディルが別々に座っている。ディルの傍にはフュンフも控えていた。
――そして、聖騎士二人が隣を囲うように座る、一人の女性。いつものように額から垂れ幕を垂らした、この国で尊きお方。
騎士や王妃の前に出ている紅茶は口を付けた形跡があれど、自警団側のカップにはひとつたりとも飲み跡すらついていない。
「王妃殿下!?」
「――ふむ。疲れているだろう所、来てくれて感謝するぞアルギン」
「で、ど、どうして殿下が此方に?」
「何ぞ、其方に用向きある者共が訪れたという話でな。何やら興味深い話だったので同席しているだけよ」
同席、と言っても。
唯一の女隊長であるアルギンに用があっただけなのに、聖騎士は二人とも出て来るわその副隊長も来ているわ、挙句本来謁見しないとお目にすら掛かれない王妃殿下が一緒なのだ。萎縮の理由が分かってしまった。
何か無礼な言動ひとつで。それこそ、先日アルギンにした無礼な発言では確実に。
――首が、飛ぶ。
「……うーん……。うぅーん……」
「どうした」
「あんまり言いたくないんですけれど、アタシに話しに来た所に殿下がいらっしゃったら、自警団側も言い出しにくいんじゃないかな、って……」
「むう」
「失礼を承知で、アタシが前に立っていいですか? 殿下の眩い御姿もアタシが目隠しとなれば、きっと話し合いは恙なく進むと思います」
「こ奴め、私を厄介者のように言いおって……。まあいい、私も其方を信頼しておるでな」
流し目のように自警団員全員を見回した、その王妃の視線が冷たい。
「此度の件、円滑に、双方に利の有るものにしたいのでな。下手な野次などは、控えて貰えると助かるぞ?」
「っは、はいっ……」
アルギンだって、暇ではない王妃がわざわざ応接室まで来た理由くらいは分かっている。物見遊山気分や、アルギンの顔を拝んで茶々を入れてやろうという魂胆くらいあっても不思議ではなかった。
ログアスなんかは特に可哀相で、見た目がアレなのに王妃の圧に震えあがってしまっている。このまま眺めるのもなんなので、王妃を背中に隠して話を始めた。
「それで、ここまで御足労いただいたのは嬉しいよ。先に言ってくれたらアタシが出る事も出来たんだけどなぁ」
「……は、はは。早い方がいいと思っ……て、な」
「いつも通りでいいよ、ログアスさん」
「………」
彼は何かアルギン個人に対する不満を言いたそうであったが、王妃から特別目を掛けられている存在だと認識すると口を噤む。
そして出したのは――先日の書類の写しだ。やけにぐしゃぐしゃになった跡もある。
「一応、自警団の役職持ちと、話した」
「へええ、早かったね。それで、何だって?」
「……この前言った以上の不満は、無い。何より、嬢――アルギンは、半年をお試し期間と思えと言ったな?」
「そうだね。なにせ、協力関係を結ぶのは初めてだから、どっちにも不手際なんてあって当たり前だろ? 擦り合わせの時期は絶対必要なんだから、そう考えるだけでも心持ちは違うだろ。……まさか、わざと『紳士的じゃない問題』を起こすような無法者でもあるまいし、ね?」
触れればちくりと痛む棘を潜ませた言葉を掛ける。
ログアスは苦笑いで済ませたが、アルギンの見知らぬ顔をした自警団員はそうでもないらしい。それだけ、騎士を嫌っているという事なのだろう。
「不満が無いのは金銭面だけだ。……今日、俺達がこれだけ人数を連れて来た理由が分かるかい」
「………。さてね? やけに血気盛んな人員揃えて来た気もしてるけど」
武力派集団の中でも力自慢の者達が揃っているのは見ればわかる。その力自慢も、王妃の権力の前では委縮するしかないのだが。
理由なんて、分かるけど分かった振りをわざとしない。首を竦めてとぼけてみせるも、ログアスの表情は苦々しいままだ。
「協力するのは、そっちの力を見せて貰ってからにしたい。……と、話し合いの末に結論が出た」
「……。……ふぅん?」
一瞬だけ、アルギンの眉毛が不快を表すようにぴくりと反応した。けれど、それは一瞬で終わる。同時に声にも再び棘が混ざったが、これは暫くの間消えなかった。
「三本勝負。こっちからも三人出すから、そっちも三人出して模擬戦を行って欲しい。俺達は弱い奴に従う気はないし、協力する事も出来ない」
「三人って……こっちが勝手に選んでいいの?」
「構わない」
「――ほう」
それまで大人しく話を聞いていたディルが、その時やっと口を開いた。
「……腕の一本や二本、再起不能にされる覚悟があるということかえ?」
「ひぃっ」
戦場で功績を上げて来たディルからすれば、模擬戦だなんて甘ったれた言葉すら煩わしいとばかりに殺気を放つ。一瞬漂わせた血生臭さに声を挙げたのはアルギンだった。
命を摘み取ることが得意な男なのに、これでじきに子が産まれる父親だというのだから驚きだ。
「三人か……。丁度良いんじゃないか、私とディルとフュンフで三人だ」
「ちょっとカリオン、本当にディル出す気? やめようよ死人が出るよ」
ディルの様子の変化と、二隊長の不穏な話に自警団側も冷や汗を隠し切れない。カリオンも先程の、まるで『力を試してやるのはこっちの方だ』と言わんばかりの自警団側の発言には苛立ちを覚えている。
そんな中、平然と口を開いたのはフュンフだった。視線はログアスへ向かう。
「……私としても、出るのは吝かではありませんが――魔宝石の使用は可能か?」
「ま、魔宝石? 出来れば同じような条件での模擬戦を願いたい。使用は控えて貰えるか」
「そうか。……残念だ。もし使えたなら、三人と言わず私一人が全員片付けてくれようものを」
騎士側に出す条件として、模擬戦は悪手だったと考えさせられる。
どいつもこいつも血の気が多い。そうでなければ戦場に立つなど出来ないのだが、戦争が停戦となってまだ半年しか経っていないのだ。戦争で膨れ上がった戦意はそう簡単に萎みはしない。
そもそも、聖騎士二人がそのまま出るというのも問題だ。言っては悪いが勝ちは模擬戦開始前に決まってしまう。
このまま騎士側の三名が決定する――そんな時だ。応接室の扉が打音を響かせたのは。
「あ」
誰か、扉を開ける前から分かった。そしてアルギンは、それが天からの助けのようにも思えた。
「入ります。たいちょ、お飲みものをお持ちしまし――え、王妃殿下」
最初にアルギンが入って来た時と同じ反応をした、頼れる副隊長ソルビット。
全員の視線が彼女に向いて、気圧されたように半歩下がる。
「な、なんですか?」
「――ソルビット」
アルギンが何を言おうとしているか、フュンフは分かっている筈だ。けれど彼も止めない。
自分の妹が弱くないと知っているから。
「頼む。模擬戦出てくれ」
「は? 何言ってんすか?」
突然言われた言葉に、ソルビットは呆気に取られつつ、手に乗せた盆ごと飲み物をアルギンに押し付けた。
冷製スープは作られてすぐの冷たさを保ってはいなかったが、少なくとも、男共の血の気の上った頭ほどの熱さも無かった。




