22.一旦、休憩
「双子ちゃんの子育てって、そんなにキツかったんですか?」
「そりゃもう。産んで半年は、どっちかに泣かれてた記憶しかない。片方のおしめ替えたらもう片方のおしめ替えて、そしたらまた替えたはずのおしめが汚れてるんだよな。それ終わったら次お乳の時間で、終わったらまたおしめ汚れてるだろ。体力気力に加えて睡眠時間と命まで吸い取られてた。あははは」
「うわぁ……」
なかなか凄絶な出産話に加え、過酷な育児の話を聞いている全員の表情が引き攣る。その頃には既に酒場に住んでいたアルカネットやアクエリアも、五年前の話は忘れつつある。けれど当事者であるアルギンはしっかりと覚えていた。
「そうですねぇ、睡眠時間って言ったって、私達も頑張って協力はしてたんですけど。でも、夜は絶対にお母さんやお父さんと一緒に寝ないといけなかったから……。あの頃は本当に大変でしたよね」
「そーそー……って、うわ!?」
アルギンが話し込んでるうちにいつの間にか酒場に戻って来ていたマゼンタとロベリアは、自然と話しにも入り込んでいた。雨の中アルギンと一緒に外に出てくれた彼女は着替えたのか、酒場を出た時と服が違う。
「ま、マゼンタ。お、おかえり。いつ戻って来たんだ?」
「え? そうですねぇ、私がマスターにソーサーぶつけて貴女が倒れた辺りかな。昔の事話してるって聞いたから、頑張って馬飛ばして貰ったんですよ。あの節は本当すみませんでした」
「い、いや、もう今は全然いいんだけど。お前さんが付けた傷痕より、戦争の時の傷の方が大きかったし、そりゃお前さんも色々あったしな。……あれ、お前さん達帰って来たのにオルキデいないな?」
「……」
仲睦まじい様子のプロフェス・ヒュムネの二人は、アルギンの話を聞いているように見えてべたべたしているので話し難さの方が勝っている。それと同時に、一人の不在を感じ取った。
マゼンタが帰って来たなら、オルキデもいる筈だと、姉妹はいつも一緒だと思っていた。けど、彼女はいない。
視線で探しても気配すら無くて、ふと音がする階段の方向を見たら丁度ディルが降りて来たところだった。
「ディル。ありがと、お疲れ様」
「二人共、今日は絵本二冊で寝た。疲れていたからであろうな」
孤児院の運営にも携わっていた育児の玄人であるディルは、子供の寝かしつけも担う。尤も、すんなり子供達が寝るのはある程度大きくなってからなのだが。
カウンターの定位置に座るディルに、すぐアルギンが紅茶を用意する。彼の紅茶には、いつも白い陶磁の小瓶が付いて来た。
「其れで、昔話とやらは何処まで進んだのだ?」
「……丁度、貴方が騎士の位返上した辺りだよ」
「………」
寝かしつけにそれなりの時間を使って来たつもりだったが、話が進んでいないのはアルギンが途中途中で惚気を挟んだ為だろう。
気付けばスカイはアクエリアの隣で眠い目を擦っている。そっと彼の肩を支えて、アクエリアが立ち上がる。
「すみませんが、一度失礼しますよ。スカイが眠いみたいで」
「……ぼくは、まだ……ねみゅくなんて……」
「はいはい、良い子ですから寝ましょうね。貴方だって疲れたでしょ」
アクエリアの離脱宣言。眠さにふらつくスカイの片側を支えて階段を上っていく背中を、まだ客席に残っている全員が見ていた。
残っているのは話という報酬を語り続けているアルギン、それを望んだジャスミンとユイルアルトとミュゼ。それからマゼンタとロベリア。双子の寝室から戻って来たディルは、一番自分が聞きたくない話の部分が今から話されるということで、自分も紅茶を飲み干してから離席を決めた。
「……我も、風呂に入って来る」
「はーい、いってらっしゃい」
「えー? ディル様は聞かないの?」
やや不満げなミュゼの声だったが、その不満を軽く越える苛立ちを含めたディルの視線がミュゼに向いた。
おおう、と声を漏らすミュゼ。彼はやや本気で怒っていた。
「……聞く気は無い。あの時の事は、思い出すだけで腹立たしい。だが、汝等の求めに応じて聞かせるまでだ。理解しているとは思うが、口外は許さん」
「わーってますよ、大丈夫だって。私等の事は気にせず温まって来てくださいねー」
「ふん」
今の『ふん』は全員に分かる程、不機嫌に満ちた『ふん』だった。
気安くディルと話すミュゼに、一番目を丸くしているのはアルギン。まるで時間をそれなりに重ねたソルビットのような関わり方に見えて、ミュゼはここ最近酒場に来たばかりの人員なのに。
こんな口の利き方を許すディルも珍しかった。気に入らない相手には話しかけられても完全無視なのに。
「……なんか……、ミュゼって、だいぶディルと仲良くなった? 妬くぞ」
「何でだよ、妬くなマスター。だって、ディル様って話しやすくない? 最初はスカした野郎だなって思ってたけど、ああ見えてマスター大好きじゃん。マスター雑にでも褒めとくとすっごい乗って来るよ」
「雑にしか褒めるとこないのかよアタシはよ。……うん。でもまぁ、そうなんだよ。ディルねぇ、アタシのことすっごく愛してくれてるんだよえへへへへへへ」
「はいはい」
そこまでは、いつも通りの惚気だった。
次第にアルギンの表情が曇り出す。過去を遡り、その記憶に行き着く時、いつもアルギンの表情は苦笑に変わる。
「……あの人がアタシに向けてくれる愛を、信じ切れなかった時があるんだ。それが、ディルがいつも嫌がる理由」
「……信じ切れなかった?」
「おかしい話だよね。興味のない人の所に、ディルがずっといる訳ないじゃんって分かってたはずなのにさ。あの時のアタシはどうかしてた。でも、その時のアタシはどうしても受け入れられなかったんだ。……ディルが、他の女に向かって『愛してる』なんて言ってるとこ見ちゃうとね」
「え」
何よりも、ディルからのその言葉を望んでいたアルギンの瞳には、それが夫の心変わりのように思えた。
そして同時に、裏切りではないと思った。
裏切られたのではない。心が移ろうのは人として当然の事だ。
彼は、人形ではないのだから。
だから、いつまでもアルギンが縛り続けていてはいけない、と考えた。
彼が『感情』を知れたのなら、そちらの方が喜ばしいと無理矢理納得して。
「勿論誤解だったんだけど。いやー、あの時は流石に荒れたよね。本当はお乳に影響あるから飲んだら駄目だったんだけど、そこの酒の棚の一番上の左から順に七本空けて全部吐いた」
「……うっわぁ……」
「ほら、話した通り、アタシずっとディルが好きだったんだよ。初めて出逢ってから、それこそ今でもずっと。でもディルは暫く……もう一年近くそういう事言ってくれない訳じゃん? もうアタシに飽きたのかなって思ってて、んでその事件だよ。それでなくとも育児でろくに眠れてないってのに、頭おかしくなって当然じゃん?」
「おかしいのはいつもの事だろ」
「なんだと」
酒を傾けるミュゼの呆れた声は、しっかりとアルギンの耳にも届く。つかつかと同種の側に行ったアルギンは、彼女が傾けている酒瓶を横から引ったくった。そして、ミュゼの酒杯に酌をする。
「……今なら分かるよ、そんなアタシの側に居てくれるディルが不倫する訳無いって。ディルも、アタシの不調が理由だって分かってるけど、あの時にアタシがした選択を今でも怒ってる」
「選択?」
「………」
ミュゼに注いだ後は、自分も酒杯を持って来て自分にも注ぐ。掌の中でくるくると動かす液体は赤葡萄酒。
マゼンタも酒の置き場所は自分の領分だ。棚から勝手に取った酒を、自分とロベリアに分けて注ぐ。
「あの時の事、今も覚えてますよ。ディルさんがあんな顔するんだって思いました。マスターから離婚を言い渡されて、この世の終わりって顔してたんだから」
「り」
「離婚!?」
「声が大きいよ」
ジャスミンとユイルアルトがほぼ同時に声を出す。こんなに似合いの破れ鍋に綴じ蓋夫婦、他に何処を探してもなかなか居ないというのに。そもそも、ベタ惚れのアルギンが離婚を言い渡した側というのも驚きだ。
大声を窘めたアルギンも苦々しい顔を隠さない。そのまま手の中の酒を煽る。彼女にとっても、酒が無いと話したくない過去なのだ。
「……あの時はそれが最善って思ってたんだ。他に好きな人が出来たなら、アタシをこれだけ幸せにしてくれた人だから、解放してやって幸せにしてあげないとって思ってさ。いやー、幾ら精神不安定だからってとんでもない事考えるよね」
「じゃあ、今は?」
「え、今? まぁ相手がどんな女でもディルはアタシの愛する旦那様だよね。ちょっとアタシと一戦殺し合いして貰おうか。勝つのアタシだけど」
「ですよねー」
「……」
アルギンは過去の話として口に上らせてはいるものの、ミュゼにはこれまでの話の中で何かが引っかかっている。
アルギンもディルも、離婚の話を過去にしきれていない様子が気になるが――他に、もっと、大事な話があった気がする。
「ああ、でもその頃からかな。……変な夢を見るようになったのも」
「変な夢?」
「まぁ、それも追々話すよ。……ところで皆、眠くないの? もう結構な時間になったけど」
「こんな面白い話聞き逃せる訳ないでしょう」
「私もまだ眠くないです。普段はイルに付き合って薬作ってるし」
「私も寝る気は無ぇなぁ」
「私はこの先の話聞くために急いで帰って来たんですからね!!」
「僕は……マゼンタが楽しそうなので、起きています」
「揃いも揃ってよくもまぁ」
揃っている面々は、まだ話を中断する気は無いようだ。若干話し疲れたアルギンだが、続きを強請られては話さない訳には行かない。
「……アレはねぇ、ウィリアとバルトが産まれて一歳になる前くらいだったかな。ちょっと、ここのお店巡るひと悶着があった、って感じだよ」
ここの、と言いながらアルギンが手にしたのはディルに出した白い小さな陶磁器だ。
「なに、それ。器?」
「器っちゃ器だけど、問題は中身だよ」
「中身って、何入ってるの? 砂糖?」
「ちょっと違うねぇ」
蓋を開けても、座っているミュゼには見えない。
だから、マゼンタが口端に笑みを浮かべたまま答えを言う。
「蜂蜜、ですよ」
「蜂蜜ぅ?」
「そう。ディルの大好物」
「大好物? へぇ、ディル様にも好きなものってあったんだ」
中を開けば、そこにあるのは琥珀色の液体。
とろりと流れる甘味を巡る昔話は、苦い記憶を伴った。
「最初は、ディルの様子が変だな、くらいにしか思ってなかったんだけど……」
そして始まる、アルギンの語り。




