21.片道の愛
子供の世話――特に赤子――は、騎士を経験した者でも体力が持たない。自分の子供なら、いつでも気が張っているから当然でもある。
母親は交代が聞かない。母乳の代替に山羊の乳が使えるといっても、それを飲むかは子供の気分次第。
出産から三か月で、アルギンが熱を出した。幸いにも一日で平熱に戻ったが、その間の子供達はずっとぐずりが止まらなかった。
出産から四か月。ウィスタリアが熱を出した。すぐに医者に見せて薬を貰った。熱が下がる頃、今度はコバルトが発熱した。
出産から五か月。アルギンが倒れた。理由は今の生活に少し慣れて来たからと酒場を開店したからだった。過労が過ぎた彼女は目を覚まして、酒場に住む者達から一言ずつ怒りの言葉を頂戴していた。
これまでも、皆アルギンを支えてきた。子供の面倒を見ろと言われれば見るし、アルカネットを含む全員がおむつ替えまで出来る。積極的な参加はオルキデとマゼンタがやっているし、言われれば何でもそつなくこなすアクエリアは、有償で双子を半日任せる事が出来るほど世話に慣れて来た。休みの日のソルビットやフュンフも、育児に疲れたディルやアルギンの様子を見ながら世話を手伝った。
しかし、アルギンは出産後から気分が落ち込むことが増えた。よくある話らしかったが、だからと誰も心配していない訳では無い。
子供達が生後半年を迎える少し前から、ディルは送迎付きの馬車に荷物を乗せて帰って来る事が増えた。そして、半分はディルの領分としていた寝室の収納場所に荷物が増える。これまでに貰ってきた士官学校の卒業証書や、聖騎士の叙勲の際に貰って執務室に飾られていた記念盾、先代『月』隊長から貰ったその他色々まで。
物に執着、なんて事は殆どしていないディルなのに、何で今持って帰って来てるんだ? と考えたアルギンが――ふと、答えに辿り着く。
ディルが、約束を守ろうとしてくれている事に。
「あっぶ!」
「うぁー!」
「はいはいウィリア、バルト。パパのお荷物凄いねぇ。でもおもちゃじゃないからね?」
その日も朝から、前日にディルが持って帰って部屋の隅の床に置かれたままの木箱をばしばしと叩く双子。
見慣れぬ物が増えた四人の眠る部屋は、あっという間に物が増えた。双子の出産前後よりも、確実に部屋が狭くなっている。
フュンフが荷づくりをしたのか、埃を被っているものが一つも無い。これで家で埃を被せたら、また何と言われるか分かったものではない。
床にまで置かれた木箱。中身は孤児院の子供達から貰ったらしい感謝状だったり、押し花で作った栞だったり、拙い字で書かれた恋文のようなものまであった。『おおきくなったらおよめさんにしてください』……。子供が書いたものなので大目に見る。そして、この手紙を渡した子は見る目があると唸った。
ディルは(恋人期間は短すぎて恋人としては判別不可能だが)伴侶として最高の男だ。子供の世話を率先してやるし、体のせいで風呂から上げるのは無理だが双子と一緒にお風呂も入ってくれる。子に対する愛情も深いし、ちゃんと家族を養おうとする気概もある素敵な人。……とはいえ、生活費だけで言えばアルギンも酒場の経営と家賃収入でもそこそこ賄えてしまうのだが。
「ほら、二人とも。コレ見て、パパが国王陛下から賜った銀杯だよ。すっごいねぇ何の感慨も無く筆記具とか手帳とかと一緒に入れられてる」
「だぅ!」
「んあー?」
「この手帳見ていいかな。……いいよね、不用心に置いてったディルが悪いんだから」
「ぁい!」
「あぁい!」
「えへへ」
ディルが帰って来るまで、まだ時間はある。双子は離乳食も始まったし、まだお腹はいっぱいだ。
皆から言われる『無理をするな』を律義に守っていては、どうしても軟禁生活のようになってしまう。そんな中見つけた気分転換の手段を手放したくない。
木箱の中に入っていた手帳は合計十冊。だいぶ古いのもあるが、保存状態は大体良好。『月』隊の仕事に使っていただろう事は見れば分かる。
「パパ凄いんだよ、こんな風に手帳使ってさ。アタシも手帳は持ってたけど最初のうちだけだったな。どうしても途中から面倒になっておきっぱになるんだ。アタシよりアタシの日程分かってる副隊長もいたし」
「あう」
「むぇー」
「ソルビットお姉ちゃんの事だよ。また遊んでもらいたいねぇ、ここ一ヶ月顔見てないけど元気だと良いな」
言いながら一頁目を捲る。双子は木箱への興味が薄れ、それぞれ部屋の中を這い回り始めた。
ディルの字は略字が過ぎて、読めなくはないが走り書きになると解読に時間を要する。アルギンの字は汚い方面で読みにくいが、ディルほどではない。
開いた中に書かれているのは、『月』の業務の日程だったり、雑務内容だったり。日記のようなものは無く、面白みも同じくらい無い。
頁を捲ってみても、誰かの名前が書いてあるように見えない。人と関わる事が無い筈ないが、もしそれが他の女性の名前だったときに動揺しない自分が居ない――とも言い切れないのでアルギンの胸中としては複雑だった。
最初に手にした手帳を木箱の中に戻し、次を手にする。同じように開こうとした時、酒場の方の扉が開く鐘の音がした。
「あ」
二冊目は開くことなく、もう一度木箱の中に戻して蓋を閉める。そして、部屋の中を縦横無尽に這い回っていた双子を確保して廊下に出た。左右の腕で一人ずつ抱っこするのも、もう慣れた。
まだ、朝だ。昼の準備をするにも早い時間だ。けれどアルギンには、誰が帰って来たのか分かる。
廊下を出て、衝立を避ければすぐ酒場に出る。そこに居たのは。
「おかえりなさい」
「……」
いつもの聖職服を纏った、ディルだった。
「ああ」
「疲れたでしょ。まだご飯も用意できてないしお風呂もまだだけど、紅茶飲む?」
「ああ」
「お昼は何にしようか。何食べたい? それとも外に食べに行こうか。二人には食べられるもの作って持って行こうね」
「んぶー」
「ふえ」
「……任せる」
「もー、そればっかり。んじゃまたキタラにお昼作って貰おうか?」
「……」
宮廷料理人であるキタラに食事を作って貰うのも、騎士隊長であるディルならさして問題の無い話だ。
しかしディルは一瞬、眉をぴくりと動かしただけで何も言わない。アルギンの側に近寄って、今日はウィスタリアを抱きかかえる。父親の腕に抱かれた赤子は満面の笑みを浮かべながら、父親の胸元をぺちぺちと叩いた。
なんとなく、いつもよりディルの表情が強張っている。見逃すアルギンではない。
「……取り敢えず、着替えて貰おうかな。洗濯籠に入れといてね」
「………ああ」
「へへ。ウィリアにバルト、嬉しいね。パパが早く帰って来てくれたよ。一緒に居られる時間が長くなるね」
廊下を先に歩くディル。その後ろをついて歩くアルギンが、寝室に入ると同時に扉を閉める。
中に入っても、ディルはウィスタリアを下ろそうとしない。ソファに座ることもせず、背中を向け続けている。
「………」
「……」
「…………」
無言の時間が、長い。
アルギンは、ディルの言葉をずっと待っている。
「若し」
躊躇いがちに開かれた唇は、可能性の話を語りだす。
もし、なんて時期はもう通り過ぎている癖に。
「我が――此れからは、ずっと一緒だと言ったら、困るか」
今でもそんな馬鹿を言う、そんな夫の背中に額を預けた。
約束を守る為にした決断を、ずっと黙っているままだ。
「困らないし、何があってもディルが大好きだし、寧ろ嬉しいよ」
「……」
「ありがとう。そんで、ごめんね。悩ませたね」
――聖騎士の位を返上した。
同時に彼は騎士を辞めたのだろう。持って帰って来ていた荷物がその証拠。
彼が騎士として国に仕えた証が、全て家にある。
悩んだろう。いつかは辞めると思っていた騎士を、『今』辞めて良いのか。戦後から一年以上経ったとはいえ、国に二人しかいない最高位だ。
妻に相談していないのは、アルギンが「まだ辞めない方が良いよ」と言うに決まっているから。自分の無理を押す妻が、夫の誇りを捨てさせる訳がないのだ。
「……誓ったからな。『生きて帰って二人で酒場を経営する』、と」
「嬉しい。約束、覚えててくれたんだよね」
「あの誓いが無ければ、我はファルミアで果てていたやも知れぬ。……だが、今果てそうなのは汝の方ではある」
「あ、あはは……。いや、双子の育児って本当大変だから……。孤児院のシスター達尊敬する。少数で大人数育ててるんだから」
「此れまで、無理をさせた。だが、此れからは――我も共に居る。一人で抱え込むな」
「……」
抱え込むな、と言ってくれる。
それだけで充分だ。
「ありがと、ディル」
――充分な、筈なのだ。
「約束だ。……二人で親となり、生きて行こう」
「……うん。本当に、嬉しい」
ディルが騎士を辞めてまで、アルギンの側に居るのは愛情からか、それとも義務感からか。
今のアルギンには、どちらの理由かすらも判別できなくなっている。産後の疲労のせいだけではない。これまでずっと、胸にあった違和感を拭い去れなかったから。
「ほんとに、うれしいよ」
でも、問い掛ける気力すら失われている。
ウィスタリアを寝台に置いて、振り返ってアルギンを抱き締める夫の顔すら正面から見られない程に。
体に回された力の強さは分かるけれど、その行動から愛を感じる事すら出来ない。
「……ディル」
「………」
「あいしてる」
「……。ああ」
知っている、と。
夫から返る言葉は、いつもそればかり。
「愛してるよ、ディル」
ディルからの愛の言葉を最後に聞いたのは、妊娠を伝えたあの時か。
出産の時にも、聞いた覚えはない。感謝の言葉と同じくらい欲しい言葉なのに。
知っていて欲しい。けれど、理解もして欲しい。アルギンは、愛の言葉も無いまま働ける永久機関ではないのだ。
水の無い花は枯れる。ディルからの愛が、アルギンにとっての水なのに。
今は、行動から愛を感じ取る事も出来ないのに。
約束を覚えていて、守ってくれた。
その時のアルギンには、それで充分と思うしか無かったのだ。
ディルだって、アルギンに異変があれば一番に気付く筈だったのだ。
けれどその時気付かなかったのは、彼が相応に浮かれていたから。
愛しい妻と、愛らしい子供達と、命許す限り永遠に傍に居られると信じていたから。
その油断が、近い将来に嵐を呼んだ。




