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【第三部】アルセンの方舟 ―国家公認裏ギルド交響曲―  作者: 不二丸茅乃
chapter.4 花鳥風月

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20.『花』の異変




 産後のアルギンの体調は、幾多の助けによって順調に回復していった。

 同時に、日を追うごとに元気にすくすくと育つ双子。まるまると大きく膨らむ頬は艶も張りも申し分ない。

 幸せな一家だ。酒場は暫くの間休業するが、商売を伴わない客はひっきりなしに訪れる。


 そしてアルギンは、出産から二ヶ月経つ頃には双子と共に暫く外出出来るまでになった。




「わああああ!! ちっちゃい! 首もまだ据わってない! かわいいぃ!!」

「やだぁー! 掌こんなにちっちゃい! おゆび! おゆびちっちゃいねぇ! おつめは!? わあ薄い!!」

「アルギン様そっくりぃー! この子達連れて帰りたいぃー!」

「お前達大人しくしないか!!」


 アルギンが双子初めてのお出かけ先として決めたのは、誰もが予想していた王城だった。初めて、といえど近所の散歩はしていて、外気に触れることは何度もあったが。

 ここは王城の中、中隊長達が事務室として使っている部屋。机が幾つも並んで、その上に置かれた書類の数も隊長執務室より多い。アルギンが重度悪阻から退院してきた頃に隊長執務室にぶち込まれていた机も個々から来たものだ。

 喧しい声に包まれていても、親の胸の中で眠る双子は肝が据わっている。胎の中で聞いていた声だからか馴染みがいいようだった。

 しかし、包んでくる声の大多数が野太い男のものだから親の方が堪ったものではない。


「ちょっとソルビット、声が大きいよ。しょうがないじゃん、やっと連れて来られたんだもん、皆だって気に掛けててくれたんだよな」

「そうです! いいですよね隊長は! アルギン様と頻繁に会ってらして!」

「そりゃあたしの特権だからいいんだよ!」

「……」


 休日に子供と妻と一緒に職場に戻っているディルは、双子の顔見せは必要な事柄だと分かっている。妻が身重の時に方々で助けてくれた仲間達に、産まれた子供の顔を知らせておかなければならないと分かっている。分かっているが――アルギンの元部下達は、ディルにとってとても重苦しい。

 アルギンの後を継いで隊長となったソルビットは、今日も声を張り上げて部下を律しようとしている。けれどディルには、その姿が時折空回っているようにも見えた。


「はぁー……。いいなぁ赤ちゃん。俺の子供にもこんな時期あったなぁ」

「ん? お前さん所、確か八歳だったか? 女の子だったよな」

「そうっすよ。もう人が毎日せっせと仕事して帰って来てんのに、『お父さん臭い』なんて言いやがるんですよ! 働いてるんだから仕方ないだろ! って話っすよ」

「……くさい……」


 娘に暴言を吐かれる未来を想像したディル。思わず、コバルトを抱いている腕を片方鼻先まで持って行って自分の匂いを確かめてしまった。

 ウィスタリアを腕に抱いているアルギンは、ばっちりその光景を目にする。


「大丈夫だよ、ディル。ディルいっつもいい匂いするもん。アタシがディルの匂い大好きだから、この子達もいい匂いって言うと思うなぁ」

「……うむ……」

「はいはいそこの色惚け夫婦。いつまでも二人の世界に浸ってないでくれますか。もうすぐ客も来るってのに」

「客? あ、もしかして邪魔になる?」


 挨拶に来た時間が悪いなら、早々に退散せねばならない。回る場所は幾つもあるから、夫婦は視線で会話してそろそろ出ようかと頷きあう。

 けれどその会話も、他人から読めるくらいには簡単だった。ソルビットは出て行こうとする二人を制する。


「ねぇ、アルギン。今日はまだ時間ある?」

「あるよ。だから出て来たんだから。……でもお前さん、客って、アタシらいていいの?」

「いいのいいの。寧ろそっちの方が良い」


 ソルビットは、その客が来るまで一家を引き留めようとしているようだった。アルギンもディルも、その客とやらに心当たりはない。

 動かない親に、さっきまで寝ていた子供達が目を開ける。そして、刺激が無い状態に小さな口を開いて「ふぇ」と声を漏らした。夫婦がほぼ同時に双子をゆっくり揺らしてあやし始める。

 ちゃんと、夫婦で親になり始めている。特にディルが子供と関わるところを見たことが無い『花』隊の面々は、貴重なものを見られたかのような顔をしている。


「……アルギン様、赤ちゃん起きたなら抱っこ代わりましょうか。お疲れでしょう」


 そのうち、赤子の可愛らしさにうずうずしていたモーデンが声を掛けてくる。顔や体つきに似合わず、可愛いものが好きな騎士だ。


「え、いいの? 助かる。まだ首据わってないから気をつけてな」

「わぁ軽い。この子の名前はどっちでしたっけ」

「こっちがウィリア。ウィスタリアな。ディルが抱いてる方がコバルト。見分けは髪の色で付けてくれ」

「ふぇ」

「わぁかわいい」


 モーデンの目じりが下がりっぱなしになっている。人見知りもしないウィスタリアは、見知らぬ大男に抱っこされても平気なようだった。

 対するコバルトは――まず、ディルが娘を手放したがらない。じっとりとした騎士とディルの様子伺いが始まってからは膠着状態だ。


「……ディル様……、いけね、ディルも変わったねぇ。お嫁さんのお陰かな、ね、アルギン」

「馬鹿言え。元々、ディルは子供の世話も仕事の内だったんだ。それで自分の子供が産まれたんだから可愛がるだろ」

「……仕事で扱い知ってても、子供可愛さに積極的に世話する男って少ないんだけど……まぁいいや」


 隊長でも騎士でもなくなったアルギンと、現役で騎士隊長をしているソルビットは、変わらぬ友情を育んでいる。以前より口調が砕けても、穏やかな会話は変わらない。

 そんな時に、出入り口から入室を伺う打音が聞こえてきた。様々な立場の者が使う部屋だから、相手が誰かはアルギンには分からない。


「入っていいよ」


 答えたのはソルビット。一拍置いて扉が開く。


「………あ」

「お」


 扉の向こうに居たのは、騎士服を着ていない男。いつもは撫でつけている髪の毛も下ろし、胡散臭い優男のような出で立ちになっていた。

 利き手ではない左手で扉を開いたのは、右腕が――無くなったから。


「久し振りだな、アルギン」

「……え、ん、だ」


 『風』元騎士隊長――エンダ・リーフィオット。

 敵の攻撃にて右腕を失った彼は、アルギンより三ヶ月ほど早く病院から退院し、二ヶ月ほど早く騎士の位を返上している。

 まだ九番街の屋敷に住んでいるとは聞いていたが、これまでアルギンは戦場で別れてから一度も会っていなかった。

 久し振りに見る彼の顔に、大きめの傷が頬に入っていた。アールヴァリンを守った傷は、名誉の負傷と呼ぶには酷すぎる後遺症を残している。


「産まれたってのは聞いてたが、そうか、今日連れて来たのか」

「エンダ……、お前さん、どうしてここに?」

「居ちゃ悪いか? 俺は騎士を辞めたが、お前とは違う種類の仕事を任されてるからな。とはいえ、今は士官学校の教科と実技幾つかの担当だが。そんな俺を待ってたお前らに。ほらよ、士官学校から派遣要請掛かってる業務の一覧だ」

「うへぇ!」


 ひらひらと左手を動かすエンダだが、中に何も入っていない右側の服の袖さえもひらひら動いている。長袖の季節に、通っていない部分は悪目立ちする。

 どう声を掛けて良いか悩むアルギンの顔を見たエンダは、噴き出すように笑ってしまった。


「お前、相変わらず面白い顔してんのな。どうした、俺に腕が無いのがそんなに面白いか」

「面白い訳無ぇだろ!? ……面白い、なんて、思える訳……」

「冗談だよ。幸せそうで安心した。んで、次の子供の予定は?」

「まだ早すぎるだろ馬鹿!!」


 声を張ることで、やっとアルギンもいつもの調子に戻って来た。こうやって軽口を飛ばす時間は、騎士として過ごした時間の中でも楽しかったのだ。

 エンダは目を細める。悪友のような女が、ちゃんと生きて幸せになっていた。それだけ見られただけでも、今日城に来た価値がある。


「……俺はもう別の仕事に就いてるし、食いっぱぐれる事もない。別にお前がそんな顔する必要はないんだぞ」

「でも、……エンダ、お前さん」

「不便だが悪いことばかりじゃないぞ。俺の事心配してくれる美人さん達が入れ食いだ」

「……入れ食いって……相変わらずな奴。そのうち、その美人さん達から致命傷喰らうぞ」

「後腐れない相手にするように気を付けてるよ」

「流石、心配で看病に来た女が四人鉢合わせて地獄絵図作った男は言う事が違いますねぇ」

「えっ」

「おいソルビット!」

「アルギン、その顔の傷は違うからね。大乱闘した女達を止めようとして喰らった傷だから気に病むんじゃないよ」

「……やだ……エンダ、お前さんまだそんなことしてたの……? めっちゃ心配して損した……。最悪じゃん、痴情の縺れで死んでも葬儀には出席しねぇからなアタシ……」

「お前どれだけ俺を殺したいんだよ」


 ソルビットの情報網は相変わらず正確で恐ろしい。美談と醜聞を両方兼ね備えたエンダは、アルギンからの冷たい視線に頭を掻くしか出来ない。同時に、ディルからも『妻と子供達に近寄るな』といった視線を浴びている。


「それはそうと。王妃殿下がお前ら一家を待ってたぜ。まだ来ないってソワついてた」

「え、待ってるの? じゃあ、ディル、行こうか。終わったらもっかいこっちに戻って来よう」

「ふん」


 ……母親は出産後に神経過敏になって、自分の子供を誰にも触らせたくない時期が来る者もいるという。

 しかし今の夫婦を見ていると、過敏になっているのはどうやらディルの方だった。モーデンからウィスタリアを受け取ったアルギンは、「じゃ、また後で―」と言いながらディルと連れ立って廊下に出て行く。

 四人の姿を見送った後に事務室に残ったのは、エンダが最初に噴き出してからの全員で大笑いだった。


「見たか、お前ら! あのディルがだぞ!? 子供に触られないように滅茶苦茶警戒してたな!!」

「見てたっすよ! ってーかあのコバルトちゃんも抱っこしたかったのに!」

「もう一回来るんだろ、その時頼んでみろよ。まぁ無理だろうが」

「駄目なんすよ、俺らもそんな暇じゃないからもう行かねぇと。エンダ様が時間あったら俺等の雪辱を晴らしてください!」

「それ雪辱ってほどの大事か? ……頼んでみるだけはするよ」


 騒がしい『花』隊の中隊長達が外へ出て行く。残されたのはソルビットとエンダだけ。

 ソルビットはその場にあった自分の決済が必要な書類を片っ端から集めて抱え始めた。そんな仕事は副隊長にでも任せればいいのに。


「疲れてんな、ソルビット」

「そりゃ、疲れもするよ。あたしが優秀だっただけに、他の奴等の仕事振りを隊長の座から見てみると皆適当って言うか」

「……」


 ソルビットは、昔から完璧主義だった。アルギンが居た頃は、彼女に倣って手を抜くことを覚えていたが、自分が隊長になってからは完璧主義が悪癖のようになって戻って来ている。

 自分がアルギンから『花』隊長の座を受け継ぐからには、先代に恥をかかせる訳にはいかない、と。それがエンダにも空回りに見えるし、実際隊内の空気は悪くなっている。

 これまでアルギンが皆を引っ張って来て成り立っていた隊。引き手が変わって始まった動揺は、一時的なものなのか、それとも。


「大丈夫か、ソルビット」

「……」


 聞かれても。


「大丈夫だよ」


 それ以外に、どう答えればいいのだろうか。

隊長職は自分から欲したものだ。けれど、その職に必要な資質があることは知らなかった。

 アルギンに惹かれたソルビットがいたように、隊長には配下を惹きつける資質が必要だった。ソルビットは見目麗しく、また装う事も得意だけれど、上下関係に於ける信頼はそれだけじゃ築けない。

 アルギンのように振舞うのは簡単だ。でも、ソルビットはアルギンじゃない。彼女だから出来た人心掌握に、ソルビットは猿真似だけでは近付けない。今はまだ、模索の最中だ。


「アルギンが心配しちゃうでしょ。もうその話題、出さないでね」

「……」

「良いんだ。アルギンは今、幸せになろうとしてる。双子ちゃんも生まれたばっかりで、あたしが相談できる状態じゃないし。今からだよ。今から、まだゆっくり、考えて行けばいいんだ」

「お前がそれでいいならいいけど」


 エンダもソルビットも、かつては同じ隊に所属して同じ隊長に従っていた同僚だ。だから互いの悪癖は、そこらの者よりよほど知っている。


「無理はするなよ。アルギンだって早めに相談してほしいと思っている筈だ」

「……わかってるよ」


 『花』隊の亀裂は少しずつ進行するが、これもまた今は表面上に出てこない問題だ。

 水瓶に入った亀裂がいつか水を漏らして惨事になるように。

 今はまだ、亀裂からじわりと滲む水は渇いていく方が早かった。



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