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【第三部】アルセンの方舟 ―国家公認裏ギルド交響曲―  作者: 不二丸茅乃
chapter.4 花鳥風月

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19.うまれたよ



 アルギンと赤子の処置が終わる頃には、空には既に日が昇り始めていた。

 明るい薄紫と深い青の層が空に広がる。窓から空を見ていたディルに、手を拭いきれない血に塗れさせたオルキデが声を掛けた。


「ディル様」

「……」

「おめでとうございます」


 オルキデは粛々と頭を下げた。

 やっと産まれた、ディルとアルギンの子供。小さな命は女の子だという。


「ああ」


 ディルは顔を向けず、ただ、相槌だけ口にした。

 外を見ているディルに、オルキデが口許に安堵の笑みを浮かべる。心此処に在らずといった様子だが、声は聞こえているらしい。


「呼んでいた名前、どうして二つだったんです? 最初から分かっていたのですか?」

「……、いや。アルギンが……決めた名前と、互いに話し合い決めた名前を用意していた……。顔を見て最終的に決めようとしたまでだ」

「出来過ぎた話のように思えます。両親がふたつの名前で呼ぶから、急いで二人になったのかも?」

「有り得ぬ話では有る……が、そうだったら――我には勿体ない、良く出来た子だ。将来はアルギンに似て、気遣いが上手くなるやもな」

「それは確定しているようなものでしょう? マスターの子なんですから」

「……」


 ディルの視線は、空から逸らされない。

 戦争中は、あれだけ明けるなと願った夜だ。あれだけ来るなと願った朝だ。

 けれど今日この日の空は、今まで体験したことがないほど清々しい一日となる予感をさせている。


「アルギンが三人――と考えたら、些か我が手に余る」

「余っても、頑張ってくださいね。『お父さん』」

「……」

「もう、寝室には入っていいそうですよ」

「そうか」


 どんな時でも、ディルはディルだった。オルキデの前ではいつもの落ち着いた表情を崩さない。

 けれどそんなオルキデでも分かる。今のディルは浮かれている。それだけではなく、疲労感を滲ませつつも酒気を漂わせ酒場客席で潰れているアクエリアとアルカネットは、既に祝杯を挙げていたようだった。転がる酒瓶は安いものでは無かった記憶がある。それが五本。


「御苦労だった。其処な二人には、昼にでも手伝いに来いと言っておいてくれるか」

「畏まりました」


 足音軽く自室へと向かうディル。

 その後ろ姿は背筋が伸びていて、やや緊張も見えるようだ。

 自分と血を分けた、血の繋がった家族。齎してくれたのは、妻であるアルギン。


「……」


 自分の『血を分けた家族』という存在と対面するのは、これが初めてだ。産まれてこのかた、ディルは自分の親の顔も名前も知らないし、自分が親から何と呼ばれていたかも知らない。

 共に暮らす共同体、という意味の家族なら、この酒場に来て少しは分かるようになった。相手が例え成人して身の回りの事が一通りできる存在であっても、健康を心配し世話を焼く。顔を合わせれば挨拶をして、時間があれば話もして、同じ屋根の下で起きる問題に力を合わせる。それが、家族。

 ……自分は理解していても、今から逢うのは生まれたばかりの赤子なのだ。そんな理屈は通じない。


「アルギン」


 戸は開きっぱなしだ。窓も全開の室内は、換気が充分だというのに不思議な生臭さで満ちている。

 少し前まで喉が裂けそうな程苦痛を叫んでいたアルギンは、既に立って新生児用の寝台――これは男衆で作ったものだ――の側で子供達の顔を覗き込んでいる。

 まだ産婆は後始末をしているが、その表情はにこにこと笑顔を浮かべていた。


「ディル」


 声がかなり掠れている。あれだけ叫んでいたのだ、無理もない。


「立っていていいのか」

「うーん、産んだらもう痛くなくなったから今は平気」

「平気ではありませんよ、アルギン様。今は気分が高揚しているのでそう感じているだけなので、ゆっくりお休みいただかないといけないんですよ」

「はーい。まぁ、後でね」


 ディルも、アルギンの隣に立って寝台を覗く。

 そこに居たのは、産まれて間もなく産着に身を包んでいる小さな子供――が、二人。

 双子はそれぞれ、両親の髪の色を引き継いで濃さの違う色の髪を生やしている。すやすやと眠っているから見えない愛らしい瞳も、親と同じ色を引き継いでいるそうだ。


「…………。……」

「かわいいでしょ」

「……ああ」


 産まれて、まだ数時間。

 顔も手足も小さくて、時々ほにゃほにゃと四肢が動く。二人とも、耳が少し尖っていて、アルギンの子供だという事はすぐに分かる。

 そして片方は、ディルの色素をしっかりと引き継いだ。どっちも、女の子。


「やっと産まれた! ……って思ったのに、まだお腹痛いの治らなくて驚いたよ。もう一人いたんだね」

「……」

「名前二つ考えてて良かったね。居たんだ。アタシのこのお腹の中に、二人とも」


 アルギンの腹は、すぐにぺたんと平たくなった訳では無い。二人分入って膨らんでいた腹は、脂肪こそ薄いもののまだ若干の厚さを保っている。

 隣で立って、生きて双子を生んだ妻。これまでの苦痛を思うと、その肩を抱き寄せずにはいられなかった。


「……ありがとう、アルギン」

「ううん。……ディルに、赤ちゃんの顔見せてあげられて良かった」

「見られて良かった。……我が血を継ぐ子が、世界で一番尊いものだと思わされる。どちらも、愛らしい」

「でしょ? 可愛いでしょ――ウィスタリアとコバルト」

「ああ」


 産まれたばかりの我が子を見ながら、仲睦まじい様子の二人。後片付けが終わった産婆は、荷物を背中に背負いながら最後の言葉を掛ける。


「何かありましたら、またお呼びください。……とはいえ、アルギン様はお医者の伝手もあるでしょうし、心配はしておりませんが」

「うん、ありがとう。何かあったらまた宜しくお願いするよ」

「そうですね。……もし『次』がある場合、最低でも一年以上空けてからが宜しいと思いますよ。双子ちゃんの出産で、相当体に負担が掛かっていますから」

「え、次って、……あ、あはははは」


 産婆からしたら、それは要らぬ節介ではなく必要な伝達事項ではあるのだが、アルギンは意味に気付いて頬を赤らめた。

 産婆が出て行って、夫婦互いに見つめ合う。ふと漂う甘い空気――の前に、ディルがアルギンの両脇に無遠慮に手を突っ込んだ。


「ぶぇ!?」

「休め。寝ろ。何時までも立っているな、汝は出産直後の体であろ」

「え、だ、だって寝るって言ってもお乳要るよ?」

「ウィスタリアとコバルトが起きてからで良かろう。起きれば我が隣まで運ぶ。汝は休養を第一とせよ」

「わぁん」


 そのままアルギンを寝床まで運搬して、横たえて、毛布を掛けて終わり。

 ディルも疲れているだろうに、そのまま双子の寝台まで戻って行った。


「……ディルは寝ないの?」

「二人の寝顔を見ている。……永遠に見ていても飽きなさそうだ」

「ディルだったら本当に見てそう。でも、体壊すから普通に止めてね」


 高揚感から戻れていないのはディルも同じ。待ち望んだ子がこれだけ愛らしくて、大人しくしている方が無理なのだ。

 寝ているだけの子供を眺めるディルの瞳が輝いている。そして、そんなディルを見ているアルギンの瞳から――涙が零れた。


 ずっと、この景色を、見たかった気がしている。

 ずっと前から。

 子供の事で喜んだり、アルギンの知らない顔をしているディルを、ずっと見たかった。

 そして今、実際に目の前にディルが居て、嬉しいのに、何故か苦しい。胸の奥が、陣痛の時のように締め付けられている気さえする。


「……ディル」

「どうした」

「アタシ、ね? アタシ、ディルが居てくれて、良かったって思ってる」

「……泣いているのか?」

「ディルが傍に居てくれて、喜んでくれて、凄く嬉しいんだ。本当に、嬉しいんだよ。でも」


 この苦しさが、どこから来ているのか分からない。


「なんで、だろう。苦しいの。ディルが喜んでくれてるのに、すごく、苦しくなる。どうしてかな、ふとした時に、目を逸らして、ディルをもう一度見ようとするけど、ディルが突然いなくなっちゃいそうに思うの。ずっとそこに居て欲しいのに、どうしようもない理由で、いつかいなくなっちゃうんじゃないかって」

「……、理解しているだろうが、我は……未だ、騎士だ。居なくなりはせんが、どうしても不在がちになる」

「分かってる。責めてないし、そんなディルも大好きだよ。けど違うんだ、城で仕事して、だから家を空けるとか、そんなんじゃなくて。もう戻って来なくなるみたいな不安が、どうしても消えないの」


 目元を何度も拭って、泣きながら話すアルギン。ディルも双子の側から離れて、寝台に腰掛けた。

 子を産んで、疲労と安堵と色々な者が入り混じって精神状況が不安定になっているのだ。頭を撫でてやれば、安堵に目を細める。


「……汝と共に、騎士の位を返上する心算だったが……同時に二人も騎士隊長から抜けた今、聖騎士の位を受けた我までも城を離れるとなると大問題になる。暫し待て、二度と其の様な不安を抱く事も無くなるであろう」

「いいんだ。傍に居てくれる貴方も大好きだけど、騎士として働く貴方も大好きだよ、ディル。変な事言って、ごめんね。疲れてるから嫌な事考えてるだけなんだろうし、寝たら、きっと……直るから」

「ならば、休め。……乳以外の世話であれば、我も出来る」

「……うん……。ありがと、……おやすみ」


 ディルはまた時間になれば、妻と子供達を置いてこのまま仕事に行かなければならない。王妃や騎士団長達にも、産まれた事を報告する義務がある。きっと皆喜んでくれるだろう。双子だと聞けば驚いて、愛らしい姿を一目見たいと言うはずだ。

 産後のアルギンを連れ出すのも難しい。産まれたばかりの子供達は尚更に。けれど自慢の双子を披露したいと思うのは、それだけディルも既に、妻を想うのと同じくらいに双子を愛しているから。

 瞼を閉じて眠りに入る妻の隣で、ディルは朝日が昇るまで双子を見ていた。時折むずがって泣くも、その仕草すら可愛らしくて、その時は問題なく世話をする事が出来た。


 ……けれど以降は、夫婦揃って双子の世話に追われる日々になる。

 けれど、それはまた別の話。

 

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