16.戻る、城へと
季節は冬になっていた。
妊娠発覚から病院に押し込められて重度悪阻を耐えている間に、秋だった筈の季節はアルギンを置いて行く。
高揚していた広葉樹の葉は既に落ち、寒々しい景色になっている。今日はまだ雪は降っていないが、昨晩の雪は道の脇へとかき集められていた。
既に第一王子アールヴァリンの誕生日さえ過ぎ去り、年明けて久しい。ここ暫く、戦争だなんだと忙しくて誰の誕生日も気にしていなかった。ディルの誕生日だって、離れ離れで戦場に布陣していたのだ。でも、もうそんな調子ではなくなる。産まれる子の誕生日は、きちんと祝ってやりたい。この子には両親が揃っているのだから。
とぼとぼと歩くのは、寂しいからじゃない。体の具合がまだ悪いからではない。妊娠して足取りが重いからだ。転ばないように気を付けながら、それほど長くない筈の道を歩く。王城手前で、アルギンの姿を見た門番二人は、その動きの不審さに睨みつけるような視線を投げて来た――が。
「っあ、アルギン様っ……!?」
「よっ」
それがアルギンだと気付くと、それまで威嚇するように腰に佩いた剣に触れていた手を退かして素っ頓狂な声を上げる。
気付かれた方も気付かれた方で、笑顔を浮かべて軽く挨拶した。着ている外套が全身をすっぽり覆ってしまっているから、腹に視線は向かっていない。
「どっ、どうして此方に!? 入院されていた筈では」
「今日退院したんだよ。連絡行ってねぇ? ディルが伝えてくれたはずなんだけど」
「ディル様は緊急の任務にて、今朝方遠征を……」
「あー……。じゃ、仕方ないなぁ」
「それよりも、まだお加減が宜しくないのでは? 先程から歩いてらしたのが見えましたが、どうも足元が普段よりもゆっくりで……」
「んにゃ? そんな事ぁ無いからだいじょーぶ。じゃ、中入るよー」
「はっ! お疲れ様です!!」
「………」
特に何の問題も無いと判断してアルギンを通す門番に、通り過ぎる時冷ややかな視線を投げた。
通ったのが騎士隊長のアルギンだから当然なのだが、確実にこの日城に上がると分かっている人物以外を身体検査も無しに入れるのは規則違反だ。
でもアルギンの用事は目下の者に文句を言いに来た件ではないので、そのまま素知らぬ顔で通る。
向かうは、『花』執務室。
「んぁ!? 何の用っすかたいちょー!?」
「え」
執務室に入室の合図も無しに入ったら、まず中の景色に驚いた。
中は隊長専用執務机と応接のソファーとテーブル、それから幾らかの書類が収められている棚と、仮眠室へ通じる扉と、その他細々したものがあるだけだった筈だ。
けれど今日中へ入って見たら、家具が増えている。
家具というか、その場しのぎに持って来たらしい机と椅子が四つ揃い、書類棚が一つ増え、この間までアルギンとソルビットしか飲まなかった為に小さかった紅茶用のポットが三倍くらい巨大になっている。
応接用のソファ―とテーブルは詰め込まれた机達のせいで壁際にぎゅうぎゅうと押し込まれていた。落ち着きだとか居心地だとかそういうものをかなぐり捨てた事務的な雰囲気だ。
アルギンが先代隊長が使っていた物をそのまま受け継いだ執務机は、今はソルビットが座っている。
「……アタシ、一応ここの部屋の主で、隊長だよな? 何の用って言われても」
「やっと目途が付くんっすよ! 今日の書類出し終わったら騎士団内の戦後からの仕事、全部一段落っす!! 邪魔しないで大人しくしててください!」
「え、もう?」
騎士団の仕事には、これまで襲撃を受けた町や村の被害状況確認やら、その修復計画やらも入っていた。一段落というには到底終わりの見えない仕事ばかりだった筈なのに、それがアルギン不在の間に終わるとなると、どれだけ無茶をしたのか。
「……言っときますが、全部が全部あたしらの手柄じゃないっすよ。王妃殿下が御自分直属の配下を出してくださいまして、それで」
「殿下直属の、……って、もしかして」
「まぁ、敢えて言いませんけどぉ。その配下さん達ってですね、王妃殿下の方針もあって地学や建設系の勉強をされてたみたいで、知識が豊富だったんすよ。そういう所ご助力いただいて、襲撃された町とかは復興の目途が立ったっす。あんまりこっちの事良く思ってるのって少なかったんすけど、話してみるとなかなかいい奴ばっかりだったっすよ」
「え、直接会ったの? 話したの? いいなぁ」
知らぬ知識を持っている人物と逢うことは、それがアルギンの身になろうがならなかろうが、話を聞くだけでも面白いものだ。その体験をしたソルビットに羨望の眼差しを送るが、ソルビットは全然意にも介さず書類を睨みつけている。
さて、戻った事だし自分も、と未処理の束から数枚手に持とうとすると、やけに目付きの鋭いソルビットから奪い返された。
「妊婦の仕事は休息! 適度な運動! 二人分の栄養補給!! 書類なんて見てんじゃないっすよ、座ってなさい。お茶飲めるっすか。白湯の方がいいっすか」
「え、そんな、いいよ。茶ぁ飲むために来たんじゃないんだが」
「はー、ったく、こうなる事は分かり切ってたってのに何で来るんすかねぇー。あたしの仕事増やされても困るっすよ」
「……アタシだって仕事しに戻ったんだけど」
聞き分けの無い子供相手に言うような口調のソルビット。叱られてしおしおになりながら応接用のソファーに座りながら外套を脱ぐと、その間に紅茶が運ばれてくる。頻繁でなければ紅茶も飲んでいいと言われていたので、ありがたくいただく。
変わらない香りと味、それから時間が経って温くなったそれをのんびり味わっていると、アルギンと同じく入室の合図も無しにどやどやと喋りながら中に入って来る声と足音が聞こえた。
「副隊長ー、各方面配り終えましたよ」
「はい、お疲れ」
「いや、参りましたよ。『月』の奴等も総出であちこち回ってて捕まらなくて……って、隊長いるじゃないっすか!!」
「え、隊長!?」
入って来たのは中隊長四名だった。誰も彼も、アルギンの先代隊長が任命した血気盛んな若い衆……だった男達。
ふと今になって改めて顔を見たら、昔のようなやんちゃな顔はしていない。自分より年上の男達は先代隊長の時からよく仕えてくれた。
見舞い申請も無かった薄情者、と思っていたのだが、それぞれ抱えている執務を思えば仕方のない事だった。
「おー」
「隊長、もう大丈夫なんすか!? あの隊長が随分長く入院してんなって話してたところっしたよ!!」
「もう執務戻って大丈夫っすか? 今日からだったりします?」
「んでも隊長向けの仕事ってもう無いよなぁ。全部副隊長が隊長代理でやって良いって事になってるし」
「ねー隊長、病院ってどうっした? 毎日食い物出るって聞きましたが美味かったっすか? 食堂の食い物で俺達慣らされてるから、病院食ってのは美味くないって聞くんすよね」
「病院食……ああ、まぁ、そこそこ美味かったぞ」
「マジっすか!! くー、いいなぁ隊長! ここ最近は俺達も疲れてるから、美味いもの、食い……た……」
馬鹿話を繰り広げる部下の目の前で立ち上がって見せた。
この四人は知らない。アルギンが入院した本当の理由を。
だから、不自然に膨らんだアルギンの腹を見て目を丸くする。
「美味いものなら今度皆で食いに行こうぜ、仕事任せてアタシだけ抜けさせて貰ったお礼に。お前さん達も皆、本当によく頑張ってくれたな」
「……たい、ちょ……う、その、……その腹、って……」
「本当に、この時期に悪いって思ってる。アタシは今……お前さん達に、苦労させて、こうして……生きながらえて、妊娠して。それで、アタシはちゃんと、けじめつけに戻っ……って、え!?」
腹を中止する中隊長四名。その中でも、昔からアルギンの事を率先してからかって弄り倒していた一人が泣きだした。髭を蓄えて縦にも筋肉にも恵まれた大の男がぼろぼろと涙を流す。
「モーデン、なんで」
「……正直言っていいっすか。……どうして、もっと、早く……って」
「……」
「俺も、……死んだ奴等も、本当は、隊長に言わなかったけど。ずっと、結婚して、幸せそうにしている隊長が……心配だったんですよ……。ディル様みたいに強くないんだから、本当は戦場にも行かないで、どうか、幸せでいて欲しいって……そしていつか、隊長のお子さんにも、会えたら、って……話、してた奴が……ファルミアで、死んだからっ……」
「……そんなこと」
「悪いなんて思わないで下さいよ。俺達が命懸けた意味が無くなっちまう。俺達は国に忠誠捧げたけど、貴女に背中を預けたんす。背中に居る貴女が、絶対死なないようにって、それで仲間は死んで俺は生き残って、……っ」
「ば……っ、か、……言いながら、泣く奴があるかぁ……。アタシだって誰も死んでほしくなかったし、……もう、お前さん達みたいな良い部下残して死ねるかってんだよぉ……!!」
モーデンの涙と同時期に、他の者も泣きだしてしまう。アルギンを隊長として尊敬していないような普段の振る舞いも、裏を返せば友人のように接していたからだ。
身を案じていた者は、数えればもっと多い。そんな者達が、アルギンの妊娠を喜ばない訳がないのだ。
筆記具を指に挟んで五人のやり取りを見ていたソルビットが、呆れたような視線を向ける。
「だからそこの四人、見舞いに行かせないでずっと仕事させてたんすよ。病院で煩く泣くに決まってたし、絶対喜んで口滑らせて妊娠の話あちこちにばらまいちゃうから」
「そんなぁ!!」
「あの仕事量わざとだったんすか副隊長!!」
「うっさい。あちこちの迷惑考えた結果だよ。自分達の声の大きさ自覚してくれない? ……そんな訳で」
持っていた書類で、しっしっ、とアルギンを追い払う真似をするソルビット。
その口許には笑みが浮かんでいる。
「本当は、仕事しに来たんじゃないんでしょ?」
「……」
「貴女は貴女の思うままにしてくださいよ。あたしは、貴女のこの椅子ずっと狙ってたんすからね? 今更貴女が戻って来れるなんて思わないでくださいねぇー?」
「……でも」
「だから、いってらっしゃい」
アルギンの事を、ともすればディルよりも知っているたった一人の親友だ。
自他問わずの認識が単純なアルギンの考えなど、手に取るように理解されている。
いってらっしゃい、と言われて向かう場所は一ヶ所しかない。残して来た仕事もそうだが、アルギンはその為に城に戻って来た。
「んじゃあ、行って来るか。……アタシ、なんかずっとディル以外には見送られてばかりだなぁ」
「やだ、惚気っすか。その旦那様、ここ最近ずっとニヤニヤしっぱなしで正直気持ち悪いっす。これまで何があっても殆ど表情変わらない男だったのに、表情筋ぶっ壊れてますよ」
「え、本当に? アタシと一緒の時のディル、普段はいつもと変わらないぞ?」
「うっそでしょ」
『普段』は変わらないだけで、特別な時にはしっかり、しかもソルビット達が見た事もないような変わり方をするのだが――アルギンは特に何も考えず、そう口にした。
アルギンの言葉がこれ以上惚気に傾かないうちに、早く部屋を出て行って貰いたいソルビット。ちら、と中隊長達に視線をやれば、その中の一人が慌てたように先に部屋を出て行く。
「お、俺、謁見申請届けて来ます!」
「あ」
「ほらぁ、たいちょーがもたもたしてるうちにリケイロ行っちゃったっすよ、追ったらどうですか」
「……うん、ありがと」
「礼言われるような事ぁしてないっすよ」
アルギンが次に目指すのは――国王との謁見だ。
これまでの不在の非を詫び、これからの事を話さねばならない。アルギンの胸の中にある想いを全て話しても、全て思い通りに行くとは限らないが。
ディルとも、アクエリアとも、アルカネットとも話した事だ。
皆言葉は違えど、アルギンの考えを尊重してくれた。
さて、ただの思い付きではない言葉でも、簡単に説得されてくれるとは思わないが――どうだろう。
アルギンの歩幅は城に来る時と変わらず、ゆっくり、謁見の間を目指した。




