表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
【第三部】アルセンの方舟 ―国家公認裏ギルド交響曲―  作者: 不二丸茅乃
chapter.4 花鳥風月

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

86/278

13.ねぇ、聞いて


 アルギンの様子を見たリエラが下した判断は、他の者が思っていたよりも重かった。


 最初にリエラが慎重に見たのは、頭の傷だ。それでなくとも少し前の戦場で全身に傷を負っていたのだ、それが今になって内臓や脳に異常を来している可能性もある、と考えた。

 試しにとリエラが水を飲ませた所、胃が受け付けずにただの水をその場で全部吐いた。

 外傷の簡単な治療と暫くの休息で大丈夫だろう、と思っていた王妃の表情がみるみる青くなる。嘔吐の原因が体の内部に問題を持つとなれば、王妃では何も打つ手がない。

 自分の足で歩くことを許されないアルギンは担架で運ばれていく。見送るしか出来ないのは王妃とソルビット。呆然と、今日の朝まではまだ元気に自分で歩けていた姿を重ねてしまった。

 国の誉れ、騎士団四隊長の一人。彼女に何かあれば、やっと落ち着き始めた国に陰りが差す。そして王妃は、その陰りが二度と晴れないのではないかという予感さえしていた。


「……わ、私のせい、じゃ、ないもの」


 『花』隊執務室で、尚も往生際悪く口走っているのは紫廉だった。

 この部屋で彼女がした暴虐をソルビットが見ているのに、これで彼女のせいでないなんて言って誰が信じるか。


「……『私のせいじゃない』? この期に及んでまだそんな事言うっての?」


 ソルビットの声には怒りが滲んでいる。ひ、と紫廉が息を呑んだ。それは、言葉とは裏腹な罪の意識があるから。

 他人の命を何とも思わない、傲慢な紫廉でも、自分のせいでアルギンが――となれば話は違う。紫廉の心の中でも、アルギンはいつの間にか別格の存在になっていたのだ。

 頭を抱えたのは王妃。紫廉のしたことは八つ当たりに過ぎない。矛先がアルギンに向かったのは、王妃を変えた存在であることと、紫廉が無意識に甘えの感情を出してしまった事に他ならないのだ。

 甘えて、鬱憤を発散していい存在と認識してしまった。紫廉にとってアルギンは、他人ではなくなってしまったから。


「……無事で在ることを祈ろう。過ぎてしまった時間は戻せぬのだ。あの女が簡単にくたばる筈が無い、そうだろう」

「……王妃殿下、失礼を承知で申し上げます。希望的観測は結構ですが、あのひとだって生きてるんです。脳に何かあれば、生き物は生きていけないんです。死ぬんです」


 死ぬ、の言葉に紫廉が再び肩を震わせた。紫廉だって、死んでほしくて投げつけたんじゃない。ただ、怒りの矛先を向けるべき相手が明確だったから、苛立ちを発散させるために茶器を投げつけただけだ。あんな薄い陶器を投げただけで、簡単に死ぬなんて普通思わない。

 あんなに元気で喧しい、あのアルギンが。


「――隊長に何かあったら。あたしは処刑されても構わない。王妃殿下、貴女様の妹を殺します」


 国一番の美貌が歪む。

 ソルビットの宣言を受けた紫廉が、更に怯えた。この時ばかりは傲慢さは成りを潜めている。


「その点は案ずるな。恐らく其方よりも早く、ディルが紫廉の首を刈り取るであろう」


 まるで、収穫を待ち侘びた果実のように。

 白銀の死神が振るう剣が首に食い込むさまを想像して、紫廉がその場にへたり込んだ。腰が抜けたように座り、全身の震えが止まらない。

 ――自分は、同胞達に何も出来ないまま、慕う女を死なせた罪で、彼女の夫の手に掛かって死ぬ。

 ディルならば確かに、十名のプロフェス・ヒュムネを殺せたあの男ならば、紫廉を殺めるのももしかしたら容易かも知れない。

 そしてそれを、王妃は止めない。


「……あたし、オルキデさん探して来ます。ディル様にも、たいちょーが病院行ったって伝えなきゃ」


 紫廉の瞳から、ぼろぼろと涙が幾つも零れ始めたのを見て、少しは気が済んだかのようにソルビットは出て行った。

 騎士として動いているソルビットの方が、ディルを見つけるのに有利だ。結局途中でディルを探して彷徨う緑蘭と合流し、ディルを見つけたのはそれから十分後となった。


 ――その時のディルの表情は、絵画にして残しておきたいと思ったほどに、いつもの冷静な顔とは程遠かった、と後にソルビットが証言した。




 緑蘭は、紫廉が心配だからと一緒に病院に来ることを拒んだ。ソルビットとディルだけで、城から病院までひた走る。

 王立病院は十番街にあるから、そこまで時間は掛からない。ちゃんとした入院設備が揃っているのもこの場所だった。

 二人が病院に駆け込んだ時には、既にアルギンは個室に移動されていた。詳しい検査はまだだが、側にリエラがついているので何が起きてもすぐに対処できる、との事で。

 個室までの、短いようで遠い道のりを、ディルとソルビットが並んで歩く。重い沈黙を掻き消すのはソルビットだ。


「……すみません、ディル様」

「……何の話だ」

「あたしがついてながら、たいちょーがこんな事になってしまって。あの小娘を執務室に入れるべきじゃなかった。あたしの不手際です」

「………其の話ならば、聞く気は無い」


 謝罪を聞く気もないとばかりに、ディルの歩幅が広くなる。


「アルギンは子供ではない。あれでいて隊長の一人であり、我等よりも年上で、我が妻だ。あれは馬鹿だが、あれなりの矜持を持っている。汝が気を揉まねば歩き出さぬ赤子ではない。あれの決定は全て尊重されるべきだ」

「……赤子?」

「――どうした」


 ソルビットは耳に入った単語を繰り返して目を瞬かせている。ディルも一瞬反応するが、ソルビットの思考までは読めずに足を止めない。


「……いや。そんなねぇ。まさか」

「どうした、と聞いている」

「いやいや、あたしの勘違いでしょ。何でもないです。……でも、本当にたいちょーに何かあったら……」

「其の心配も、無用だ」

「無用、って」


 二人の足は、先に聞いていた部屋番号の部屋の前まで来た。

 扉に手を掛けるディルは、まだ続ける。


「――我は、アルギンの居ない此の世に未練など無いからな」

「……え」


 まるで、アルギンが死ぬ時は自分も死ぬ、みたいな。そんな事で、心配いらないなんて言われても。

 そんな不穏な言葉を聞いてしまったソルビットは、扉が開いた後も足が動かなかった。

 アルギンに用意された個室は、壁全面が汚れの無い白だった。四、五人入っても問題なく時間を過ごせ、中には接客用の椅子や机、大人が寝られる布張りの長椅子もある。床は木目調で絨毯やそれらしきものが無く、窓は広く窓幕は薄い緑色。

 とても穏やかに時間が過ごせそうな場所だった。後について入るソルビットが扉を閉める頃には、リエラが椅子から立ち上がって二人を出迎える。


「……リエラ」

「ディル、さま」

「アルギンの加減はどうだ」

「……今は、お眠りになられてます。だいぶお疲れだったようで……暫くは起こさないで差し上げてください」

「起きるのか」

「それは確実に。大丈夫です、少しだけですがお水もお召しになりましたので、命に別条がある訳でもありません。起きてからの検査にはなりますが、今の所脳の異常も無いと思われます」

「そうか」

「……良かった」


 寝台の上のアルギンは、頭に包帯を巻かれて病院着に着替えて眠りについていた。白い寝具に包まれて、顔色は悪くとも寝息は安定している。胸が上下に動いているのを見て、ソルビットが安堵の溜息を漏らす。

 近くに用意されているのは、水差しと桶。吐き気自体はまだ収まっていないのか、ご丁寧にも準備を欠かされていない。


「今日明日は入院になる……と思います。これまでの心身の負担を考えれば、そちらの方が安心いただけるかと。アルギン様は病院を出れば、きっと仕事に戻ると仰いますので」

「従おう」

「この個室でしたら、ディル様も一晩お泊まりいただけるそうですが……どうされます?」

「一晩くらいであれば、我もフュンフからの咎めは受けぬだろう。……助かる、リエラ」


 ディルが寝台に近寄って、アルギンの寝顔を見た時、その灰色が細められたのをリエラは確かに見た。

 二人の恋愛模様は、城の中では知らぬ者がいない程有名な話だ。愛する人が側に居て、幸せそうにしているアルギンの姿も。

 ディルが来たことで、リエラの役目は失われる。出て行こうとする彼女の腕を引いたのは、ソルビットだった。


「リエラ様。少しいいっすか」

「はい?」

「ここじゃ、ちょっと話し辛いんで……一緒に来て貰っても?」

「……大丈夫です」


 リエラを伴って、ソルビットは出て行く。残されたのは夫婦だけで、片方は寝たままだ。

 妻の寝顔は何度も見てきたが、今日ほど生きている事を安心できる寝姿も無いだろう。いつか目覚めると聞いていれば、穏やかな寝顔をずっと見続けられる。

 妻がいなければ生きていても仕方ない、とは、何度も思った。倒れたと聞いて、それがマゼンタのせいかも知れないと叫ばれて、ディルの目の前は一度真っ暗になった。


「……アルギン」


 愛する妻だ。

 命に代えても守りたい女だ。

 いつも元気で有り余る体力が売りの彼女が、今日はとても疲れた表情をしていた。ディルに出来る気遣いなんてあの時かけた言葉が最大で、他に何も休ませる手立てが無かったのか考える。

 けれどきっと、「アタシは隊長だから」なんて言って、他の言葉は断られただろう。

 解かれた髪に、指を差し入れる。細く、手入れの行き届いていない鈍い銀の色の髪は、ディルから逃げるようにするりと流れて行った。


「……」


 起きろなんて言えない。瞼に隠された瞳が見たいなんて思ってはいけない。休息を取らせる事が第一で、床に蹲って苦しんでいた話を思い出すだけで胸が苦しくなる。

 何度か髪を撫で梳いている間に、身動ぎしたアルギンが苦痛の表情を浮かべて目を開く。


「っ……ぅ、……あ、……でぃる……?」

「寝ていろ」

「寝っ……あ、……ああ、うん……そっか、アタシ、寝ちゃってたか……」

「気分はどうだ」

「……少しまだ気分悪いけど、倒れた時ほどじゃないよ……。みず、水……貰える……? のどかわいた……」

「ああ」


 側にあった水差しを、唇に傾けてやる。喉を鳴らして少しずつ飲むアルギンだったが、二、三口で止めてしまった。

 ぷは、と唇を離す時に水が零れる。少し頬を濡らしてしまった。


「も、いい。ありがと」

「足りるのか?」

「あんまり飲み過ぎないようにって言われた。一気に飲んだらまた吐いちゃうって」

「………」


 ただの疲労で、水すら吐くような体調になるものか。

 数時間前は普通に階段すら上っていたのに、今はもう寝床から起き上がれずに自力で水を飲むことも出来ない。水差しを置いた後、アルギンの指に触れた。細い指だと思っていたが、号数を確認して買った指輪が少し浮いている。


「……ディル、あのね」

「どうした?」

「……あの、ね。……話したい事が、あるの。……とっても、大事な話、なんだけど。……聞いて、くれる?」

「……必ず聞かねばならぬのか」

「うん……。それでね、本当は、こんなこと、お願いするのは変かも知れない、けど……。どうか、聞き終わった後は……愛してるって、聞かせて欲しいな。じゃないと、アタシ、……不安になる」


 前置きが、彼女らしくない。

 二人の間で交わされる話に、こんな嫌な予感を齎す前置きなどあっただろうか。今の時点で大事な話があるなんて言われれば、体調の話以外無くて。

 聞きたくない、と思ってディルが目を伏せる。前置きをされて聞く話が全部、吉報ばかりではなかった。


「……我が、不快に思わぬ話ならばな」


 抵抗のつもりで口にした言葉。


「……それは、……ごめん、わからないや……。でも、ちゃんと、聞いて欲しい」

「………凶報であるならば聞かぬぞ」


 何か病気が見つかった、とか。

 戦場で負った傷が実は思わしくなかった、とか。

 今日負った傷が、実はよくないものだった、とか。

 聞かない事でどうにかなる訳でも無いけれど、唯一、ディルの心の平穏は保たれる。


「凶報、……そう思われたら………無理は無い、けど、悲しいなぁ」


 外見と同じ、儚い笑みを浮かべたアルギン。

 ディルの予感はどんどん強くなる。妻を失いたくないのに、言われる言葉が凶報である予感が消えてくれない。

 聞きたくなかった。子供のように耳を塞いで、恥ずかしげもなく拒絶出来たらどれほどいいか。


「聞いて、ディル。……アタシね」


 唇から紡がれる言葉の続きを、ディルは待ちたくなかった。

 けれど時間が流れるのと同じように、アルギンの言葉も止められない。







































「アタシね、妊娠したみたい。あなたとの、あかちゃん、いるみたい」




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ