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【第三部】アルセンの方舟 ―国家公認裏ギルド交響曲―  作者: 不二丸茅乃
chapter.4 花鳥風月

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12.限界


「……アタシが、殿下を変えた?」


 紫廉の言葉はあまりに不可解で、心当たり以下の記憶しかないアルギンは困惑するばかり。

 確かに、戦場だった地で話をした。意見を求められもした。けれど、自分という一個人の意見でしかないものであの王妃が自分の考えを変えるとも思って無いのだ。

 アルギンにとって王妃は、自分より大人で、凛とした女性。自分の意思を持っていて、その意志は根拠に乏しい目下の者の言葉では簡単に曲げられないものであるべきだ。

 決して越えられない立場がある。なのに、紫廉はそんな城仕えの常識が通用しない。


「そうよ。姉様は、いつも、貴女の話をする時は楽しそうだもの。自分が仕えさせている騎士達の、その代表みたいに、いつも貴女の名前を出すの。私達の共通の知人だからって最初は思ってたけど、姉様は貴女を贔屓してる。その贔屓で、姉様は自分の意見を――プロフェス・ヒュムネとしての意思を変えてしまったの!!」

「アタシに責任があるって言いたいんですか。責任取れって?」

「取れるものなら取ってよ!! 私達の安住の地を、私達が名前を捨てなくてもいい場所を用意してよ!! 姉様に託した私達の夢は、こんな所で絶えていいものじゃないのよっ!」

「それ、本当に貴女の夢なんですか」


 アルギンが言った言葉に、一瞬紫廉の言葉が止まった。それまで怒りに任せて張り上げていた声が、急に一回分の呼吸ごと停止する。


「側で見守ってくれた人の夢を自分の夢と混同するのは分かります。でも貴女は、本当に誰かを害してまで国が欲しいんですか。本当の故郷でも無いのに。種を繋げるならアルセンでも出来る。貴女の故郷はここじゃないんですか。十何年も前に滅びた、覚えてもいないだろう祖国が、貴女が暮らすこの国より本当に大事?」

「……っるさいわね!! 知った口を利くんじゃないわよっ!!」

「その言葉、王妃殿下にも賜りました。でも、違いますね。『重さ』が全然違う」


 王妃の言葉は、自分達種族の全運命を背負っていたから重く感じた。アルギンのような馬鹿でも、お国に仕えている者としてその重大さは分かっているつもりだ。自分では決して出来ない、同胞の命も矜持も何もかもを肩で支える女傑の言葉だった。奴隷に落とされた同胞を助けるのも、その為の法を制定したのも、生半可な覚悟では出来なかったろう。

 王妃がそうやって身を削りながら整えた国で、整備された道を歩いているのは紫廉だ。


「お前さんが王妃殿下の労苦の何を知ってるってんだ。殿下が悩んでた事知ってて、それで自分と違う答え出したからって八つ当たりか? 後出しで責任問おうとするな。アタシらの国を勝手に乗っ取ろうとするな。十何年も前の件で追及される責任を、なんの関係もない国民にまで取らせようとするな」


 体調が悪いせいか、アルギンの口から出る言葉も辛辣だ。本人にもその自覚はあるようで、少し間を置いた後に「……ま、折り合いつけようぜー」と軽い調子で言う。

 けれどその軽さも、直前の責める言葉も、マゼンタの気に障るものでしかない。

 カップの次はソーサーだ。もう紫廉に投げるものはそれしかない。今度は誰もいない所になんて投げずに、アルギンの顔目掛けて力任せに投げつける。

 アルギンの額で割れた陶器は、破片を散らばした。


「……っ」

「たいちょー!」


 額が切れて血を流す。約二ヶ月ぶりの頭からの流血に、眩暈が更に強くなった気がした。

 別に怒りの感情は湧かない。頭に上った血が、次から次に流れ出ているせいかも知れないが。


 ただ、怒りに曇るその紫色の瞳を見て。


「哀れだな」


 そうとしか思えないほどに、疲れている。


「哀れっ……!? 哀れですって!? 誰に向かって言ってるのよ!!」

「人の執務室に押し入って茶ぁ飲んだ挙句に茶器ぶっ壊して、今でもぎゃーぎゃー喚いてるどっかの『元』次期女王だった小娘にだよ。……あーあ、その茶器高かったのになぁ」


 ソルビットが急いで止血に手巾を押し付けた。自分の傷も全く意に介していないアルギンは、ソルビットの行為さえ無視して立ち上がる。

 額が、傷のせいか更に熱を持った気がした。


「……ソル、ビット。アタシの事はいいから、さ。片付け、お願い、できるかな」

「……たいちょ?」

「アタシ、少し……休むわ……。もう、きょう……は」


 ぐらり、アルギンの視界が霞む。


「……つか、れ……」

「――隊長っ!!」


 もう動きたくない、と思っていたら、体が勝手にその場に倒れ込んでしまった。疲労感は膝から全身を支配して、アルギンを絨毯の上に横たわらせる。

 疲れていたし、熱っぽいし、睡眠もまともに取れていないし、頭は痛くて気分が悪い。

 何が起きたか確認して理解する前に、次の不調がアルギンを襲う。


「――う」


 突然の、猛烈な吐き気。


「隊長っ!! あ、た、隊長!!」

「――あ」

「何見てんの! 誰か呼んできて!! ……早くっ!!」


 咄嗟の事にすぐ動けないのはソルビットもだったが、紫廉はアルギンの突然の転倒と嘔吐に硬直している。ソルビットが呼びかけても、顔を青褪めさせて震えるだけで声も聞こえていないらしい。


「ああ、もうっ!!」


 今さっきアルギンに害を成したばかりの紫廉と二人きりにするのは不安しか無かったが、そもそも相手は十代前半の小娘だ。こんなに狼狽えている小娘が、これ以上大仰な事をするとは思えなかった。

 ソルビットが執務室の扉を開こうとした瞬間に、外からの打音が聞こえる。返事もせずに大きく開くと、そこには緑蘭と名乗ったオルキデと王妃が並んで立っていた。


「ソルビット? そんなに急いでどうし――」

「隊長が大変なんですっ!! 誰か、医者を呼ばないとっ!!」

「アルギンが? ――アルギン!?」


 胃に殆ど何も入っていない筈なのに、何度も嘔吐反射を繰り返す。たった少量の胃液を戻した後でも、苦しそうに床に蹲っている。息も荒く、顔色は今日一番悪い。

 アルギンの姿を認めた王妃は、すぐさま駆け寄る。それとは別に、緑蘭はすぐさま廊下を引き返すように走った。


「医者はソルビット様、貴女が! 私はディル様を呼んで来ます!!」

「分かった!!」


 緑蘭の言葉に、二手に分かれる。背中を擦る王妃は、室内に水が無い事に舌打ちした。来客に出したり自分達の休憩の時用の紅茶はあれど、病人に飲ませるものが無い。

 部屋の中も、やや荒れていた。綺麗好きのソルビットがいるのに、山積みの書類に規則性は無いし一人掛けソファに出しっぱなしの毛布が被さっている。カップやソーサーが割れた形跡すらあったが、誰がしたのかは聞かなくても分かる。

 戦争が停戦になってからというもの、どこもかしこもしっかり休む事すら出来ていない。

 そのツケが今、アルギンに来ただけの話。


「紫廉、水を持って来させよ。飲料用も掃除用も無いのは不便だ」

「………」

「紫廉っ!!」


 王妃の声は張り上げられて、やっと紫廉の鼓膜に届く。はっと気づいたような紫廉だが、何を言われたかまでは理解出来ないようだった。


「水を持って来い! 急ぎで飲ませねばならん!! あとは掃除夫を呼べ、急げ!!」

「……」

「早くっ!!」


 王妃の声は、今まで紫廉に掛けられなかった事のない怒声だった。いつも優しく窘めるだけの声が、今は厳しい。種族として母親という人格ある存在を持たない紫廉にとって、王妃は他種族で言う所の母親代わりだった。

 その王妃が、アルギンの為に紫廉に向かって声を荒げた。肝心の時には動けなくなるお子様に、この部屋で何があったかも聞かない。

 優先すべきはアルギンだという事も分かっている。けれど、幼い紫廉としての心は納得していない。


「なん、でよ」


 慕う大人からの怒声は、見放された気がした。


「どうしてその女の方が大切なの。どうしてその女の心配ばかりするの。私達の事なんて、どうでも良くなっちゃったの? 私達が積み上げた年月も練り上げた計画も、もう、全部終わりなの?」

「……いつまでも聞き分けの無い事を言うのだな」

「姉様が分かってくれないからじゃない」

「私が、か」


 そう傲慢に育ててしまったのは――王妃含む、大人の責任だ。


「では問うが、私の理解者は何処に居る」

「――え……」

「理解して貰おうとは思わなかった。ほんの少し前まではな。けれど、私は、私の問いにアルギンが期待通りの答えを返して来た時に、同族の悲願を背負う必要などないと思えた。私はプロフェス・ヒュムネではあるが、同時に、十数年もの間をこの国の王妃として生きて来た。……これは、アルギンが私に与えた最期の機会やも知れぬ。プロフェス・ヒュムネとして死ぬか、アルセン王国の王妃として死ぬか。どちらかしか用意されていなかったと思っていたが、アルギンの言葉を聞いて、心が決まった」


 王妃の声は優しく、そしてその声のような腕の動きで、アルギンを転がす。再び吐いても苦しくないように、横向きに。


「私はアルギンの声が呼ぶ『王妃殿下』が好きだ。こんな馬鹿な女が一所懸命に私を慕って尊重してくれるのが好きだ。私はまだ、アルギンにとっての『王妃殿下』を止めたくない」

「……」

「けれど同胞が大切なのも変わりない。保護には変わらぬ力を注ぐと誓おう。そしてプロフェス・ヒュムネの皆が『故郷』と聞いて一番に思いつくのがこの国になるように、ヒューマンとの共存を目指そう。本当は、国がある時から考えなければならなかった問題だがな」


 アルギンの瞳は開いていたが、王妃は続けた。聞かれても困らないとばかりに、優しい声で。

 王妃の想いは、きっと変わらない。これから先、何があっても。思い知った紫廉は涙目で部屋を後にした。その足音からは失意が聞き取れたが、王妃が優先したのは妹を慰める事ではない。


「……でん、か」


 王妃の耳に聞こえたのは、弱々しい震えたアルギンの声。

 まだ吐き気が収まっていないらしく、時折、ぐ、と喉を鳴らしている。


「アタシ、そんな……殿下を、変えられるような、立派な、奴じゃ、ない、です」

「知っておるわ。ディルしか見えておらん、とんだ暴れ馬だ。自分が目を付けられやすいのに気付かぬわその癖問題行動は起こすわ、他国の要人とひと騒動起こすわ。私がどれだけ其方の事で胃を痛めたか知らんのか」

「……それは、申し訳、ありません」

「其方は立派でなくとも、私にとっては特別なんだよ。……ここまで、倒れるほどの執務を強いて悪かった。医者にかかって、数日はゆっくり休むと良い。其方だけでは無いな、休ませられる者は早々に休めるよう通達を出すか……」


 王妃すらも疲れているのに、その場で他の者に対しての対処も考え出す。気丈な王妃は、自分の疲れを外に出す事は無かった。

 二つ指輪が通された指がアルギンの背中を撫で、暫くすると紫廉が申し訳なさそうな顔で水を持って掃除夫を連れて来た。続くようにばたばたと足音がして、リエラが走って来る。


 アルギンの状況を重く判断したリエラは、その身柄を病院へ送ることを決めた。

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