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【第三部】アルセンの方舟 ―国家公認裏ギルド交響曲―  作者: 不二丸茅乃
chapter.4 花鳥風月

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11.停戦


 停戦となった、なんて、その場に居合わせた者達からしても実感のない話だ。

 けれどテレフが戻ると同時、天幕の数だけは立派な帝国軍は水が引くようにあっさりと撤収し始める。仲間の死体などそのまま打ち捨てるように。

 それに合わせてアルセン軍も帰還の準備を進める。あれだけ大仰な書類に署名をさせておいて、まさか背中から刺して来るような事はないだろう、とは誰もが思ったが、『鳥』隊は帝国軍が完全に撤収を終えるまで動かなかった。


 一番に帰還を命じられたのは『花』隊だった。広報を務める隊でもあるが故に、停戦の御触れを出して回らなければならない。帝国の侵略に怯えていた場所は勿論、戦禍の届かなかった村々にまで馬を走らせるのだ。早く帰れるからといって休める訳じゃない。

 次に神官が多数を占める『月』隊も帰らされた。戦争のせいで辛い状況に陥っている者達を支援する。それは、戦争で親を失った孤児も含むのだ。同時に、戦没者の慰霊も行う。


 ディルとカリオンは、戦場で多大なる功績を収めたとして聖騎士の位を叙勲した。

 プロフェス・ヒュムネとの闘いに於いて、二人の戦果が高かったためだ。華々しい報を受けた民には、一時的にだが戦後の疲弊に差した明るい話として広がっていく。


 それからは、ディルとアルギンの夫婦が忙殺されるかと思ったほどの目まぐるしい時だった。




「たいちょ、全『花』遠方者の弔問終了っす。多少ゴネられたところもありましたが、概ね解決しました」

「報告ありがとう! そっか、……ダレスの、所も?」

「一番難航したっすが……なんとか。それから近隣は……短弓七番隊のフラボリアが病みました。今日は自室で一日泣いて震えているそうです」

「フラボリア……。そっか、分かった。後で様子を見てみる。あそこは一番戦死者が多かったからな……。任せっきりなのも悪かった。七番隊の仕事はアタシが代わる」

「たいちょ? 代わるったって、もう貴女休憩も取ってないじゃないすか」

「隊長のアタシが動けば、文句言って来る奴も、その文句を上に報告する事もないからな。ちょっと後は任せる。机の上の書類は全部終わってるから、暇そうな奴等に配らせといて」

「たいちょーってば!! お昼も食べてないのに!!」


 アルギンは自宅へ帰ることもままならず、執務室で仮眠して二時間後に仕事に起きる生活を続けている。

 それなりの地位に就いている者は皆似たような生活だという。ろくな食事も摂らぬまま、寝不足の体を引きずって執務に就く。

 城下に戻って来たこの一ヶ月強の間で一番過酷なのは、戦死者遺族に遺品と幾ばくかの弔慰金を持って報告に行く事だ。

 怒鳴り散らす遺族もいる。やり場のない悲しみに暴力を振るってくる遺族も勿論いる。泣き腫らして話が出来ない遺族もいるし、無関心な遺族もいるにはいた。一番やりきれないのは、遺族が子供だけだった時だ。

 先程話に出てきた七番隊のフラボリアというのは、自分以外の隊員が殆ど死んだうえ、小隊長も補佐も死んだために自分が報告に行かなければならなくなった。そして遺族の絶望に触れ、壊れた。こんな事態はフラボリアに限った話ではない。他隊でも似たような報告が上がっているし、『花』でも彼女以外に心を病んだ者がいる。


「……」


 アルギンの気が滅入るのも当たり前だった。

 フラボリアの様子を隊舎まで見に行って暫くの休暇を薦め、後は遺族への弔問。城下出身者だけで構成された隊だったから、馬を走らせれば夕方までに戻って来れる。

 残りの家庭全てを回り、罵声を浴びて暴力を躱し、壊れかけた心の遺族には少しだけ寄り添って話をして、五件回ってまた城へ戻る。

 こんな感じの生活を、戻って来てからずっと続けていた。ファルミアの戦闘から二ヶ月が経とうとしている。


「……はぁ」


 怒涛の日々だ。ディルとも顔を合わす事が無く、ディルはディルで同じように忙しい。

 離れている夫の食生活が気になるものの、人の事が言えない生活をしているアルギンはお弁当さえ作れなかった。隊舎の厨房に立つ事も無く、気付けば毎日ソルビットが調達して来てくれる食事を胃に詰める日々。戦場の緊迫した空気は無くなったものの、体力気力消費ともに戦場に居た時と変わらない。

 やっと外回りが終わり、城に戻り、疲労困憊で執務室に戻る途中の階段に差し掛かった時。


「あ」

「………」


 階段を下りる夫と擦れ違った。左と右で行き過ぎようとしていたが、やっと気付いた頃には距離が少し空いてしまった。すぐに気付かないほど疲れていた。

 互いに足を止めて、段差がある状態で立ち止まる。

 アルギンは上階へ向かう。ディルは下階へ向かう。振り返った時、二人の濃さが違う銀色がふわりと靡いた。今日は、珍しく互いに副隊長を連れていない。


「ディル、げ、元気?」

「……ああ」

「よかった。……久し振り、な、感じだね。……結婚してるのに、変な感じ」


 結婚指輪は今でも肌身離さず着けている。互いに同じだった。夫の指に輝く銀色を見て安堵する。

 ディルの顔を見れば、最後に見かけた時よりもやつれている。顔色も良くなく、疲労が見て取れた。

 さっきまですぐにでも執務室で仮眠を取りたい、と思っていたのに愛する人の顔を見れば疲れが軽減したような気がする。


「……ふふ。ディル、顔色悪い」

「汝が言えた事かえ?」

「アタシは丈夫が取り柄だから、心配するほどじゃないよ。……そっちは、まだ仕事終わらない?」

「……」


 ディルが黙ったのを見て、肯定と取った。たった一ヶ月で戦後処理が終わる訳が無い。やる事は山積みで、顔色が悪いのを無視してでも仕事に戻らないといけない。

 アルギンの食欲が無いのも、最近眠りが浅いのも、どことなく熱っぽいのも、過労のせい。

 ここ最近戦没者の名簿を見るのすら辛い精神状態で、それでも頑張らなければいけないのは隊長だから。

 まだ、仕事は残っている。名残惜しいが、夫婦二週間ぶりの再会もこれでおしまい。


「また、ね。ディル。ちゃんと眠れる時に眠ってよ。全部終わったら、一緒にどっか出掛けようね」

「……待て」


 去ろうとしたアルギンを、声で引き留める。下りた階段を再び上がり、ディルが近付いた。


「わ」

「……」


 無言で、アルギンを胸に引き寄せて、両腕を回す。段差のお陰で二人の身長差が縮まり、顔がいつも以上に近い。

 互いの吐息も聞こえる位置に居る。アルギンの顔はディルの肩付近に届き、息の温かさも感じてしまう。いつも着ている神官服から、教会の香の香りが鼻孔を擽った。


「ぁ、う。でぃ、ディル……」

「……、今だけは我慢しろ」

「が、我慢ってか。アタシは嬉しいんだけど」

「そうか」


 ふ、と安心した様な溜息が聞こえてきた。離れている時間に不満があるのはディルだって同じなのだ。

 離れている時間は、互いの責任の重さ。それを振り払わずに向き合う伴侶の存在が誇らしい。それはそれとして、離れていると寂しく感じるのは仕方のない事。だから、今は短い抱擁で我慢するしかない。

 体を離したディルは、アルギンの頬に触れる。その頬も少し肉が削げてしまっていた。


「今日は無理でも、明日は酒場へ帰ろう。……二人で。だから汝も、明日までに一区切りつけよ」

「あ、明日……?」

「分かったな」


 有無を言わさないディルの言葉は、休息を取る為に必要な時間づくりの為だったのだが。


「………わ、……かっ……た」

「……」


 少し意図を汲み取りそこねたアルギンが、それまで青白かった頬を朱に染めて了承する。

 あ、とディルが思った時にはもう妻は恥ずかしそうに何度も振り返りながら、階段を駆けて上階へ行ってしまった。

 間違った期待をさせてしまった気がする。でももう妻は去った後だ。弁解の余地は無い。


「……」


 ……それで、まぁいいか、で済ませてしまう程度には、ディルの心は妻に向いて逸らされない。

 次の執務へ向かうディルの足も、心なしか先程よりも遥かに軽くなっている。もう一区切りの予定がついているし、明日になれば妻とゆっくり二人の時間を過ごせるのだから。


 それが叶わなくなると知っていれば、ディルの歩みもここまで軽くならなかっただろうけれど。




 アルギンが執務室に戻った時、開いた扉の向こうに人影が増えているのに気付いた。

 隊長執務机の側で、寄りかかって来客を見ているのはソルビット。――そこまではいい。

 出されたカップを唇まで引き寄せて、優雅に紅茶を飲んでいるマゼンタが室内に居た。


「マゼンタ?」

「……」


 齢十四、王妃の妹だと知れたプロフェス・ヒュムネ達の『元』次期女王。

 名前を呼ぶと同時、それまで漂っていた優雅さが消えて怒りに歪む眼差しが向けられる。


「……名前は、名乗ったでしょう。私は朱酒紫廉。……紫廉よ。早く覚えてよね」

「……では、相応の態度でお話をさせていただきましょうか」


 紫廉と名乗る時の彼女には弁えろと言われている。その事を思い出したアルギンは頭を掻きながら付き合ってやった。

 これまで馬鹿話も家事もしてきて貰って一緒に暮らしているのに、今更こんな他人行儀は嫌だったけれど。


「それで、どのような御用事で? 王妃殿下の所で無しに、アタシの所に来るなんて初めてですね」

「その帰り、よ。さっき、姉様の所に言ったの。……そしたら貴女の名前が出てくるんですもの」

「アタシの名前?」

「私、大事な話があるって姉様に呼び出されたの。城に戻ってからずっと、ずっと考えていたんですって。貴女に言われた言葉を、ずっと、一ヶ月以上も」


 憤慨に揺れる声は、アルギンへ向けた怒りを隠せずにいる。それだけで、何の用かなんてわかったようなものだった。


「どういう事」

「そう言われましても」

「とぼけないでよ」

「はっきり仰られないと分かりませんね? ……申し訳ありませんが、アタシはこれでも結構忙しい身なもんで。謎掛けされるくらいだったらもっと頭の良い奴の所の方が楽しめますよ、紫廉様」


 他人行儀を望んだのは、マゼンタ――紫廉の方だ。ならば、アルギンだってそれに則る。

 突き放すように、何重にも真綿を巻いたような言葉で退室を促す。邪魔だ、出て行け、と、何の縁も所縁も無い者になら言えるのに。

 けれど、突き放された方もそれで出て行く訳が無い。アルギンの他人行儀に、一瞬悲しそうな瞳を向ける。けれど、その紫色の瞳は再び怒りにくすんでしまった。


「……楽しい訳無いじゃない。理解していない奴に、何を言ったって無駄なのよ」

「だから、理解とは何の話でしょうか」

「私達がずっと計画していたものの話よ。私が産まれて、物心つく前から、ずっと。私達の国を復興させるって、私はそう言い聞かされて育って来たのに!!」

「……ああ」


 そこで、漸くアルギンも理解した。いや、本当はもう少し前から何が言いたいかは分かっていた。けれど、知らない振りで煙に巻こうとした。あの時話した相手は王妃であって、マゼンタではない。覚えがあるからといって簡単に口を割れないのだ。

 さして興味もなさそうに振舞ったアルギンに、更なる苛立ちを抱いた紫廉は立ち上がった。床を蹴る勢いのまま、手にしていたカップも投げ捨てる。白い陶器は割れたが、部屋の中の三人とも誰も気にしない。


「姉様は、計画の全てを無期限に凍結させるって通達したわ。私達プロフェス・ヒュムネに!!」

「――え」

「国を簒奪しても新たな悲しみを生むだけだ――なんて、そんな日和った事を!! それじゃあ私達の悲しみはどこで癒せばいいのっ!! 殺された同胞の恨みは誰が晴らすのよっ! 貴女が余計な事を言ったせいで、この計画がもっと遅れちゃうじゃない!!」

「……。アタシのせい、ですか」

「そうよっ!! 貴女が余計な事を言ったから! 貴女がっ……」


 尚も恨みを口走る紫廉は。


「貴女が。……姉様を、変えてしまったから……」


 事実上の敗北を、アルギンの前で認めてしまった。




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