10.招かれざる客と、願っても無い事態
「これはこれはぁ、皆様お揃いで!! 王妃殿下、ご機嫌麗しゅう」
「……」
これまで王妃は『王妃』という立場上、帝国所属の者と顔を合わせた事がある。その誰もが帝国内では地位を持ち、同時に過剰な程の自意識も持ち合わせていた。
今回来た男は、緑色の短い髪に乗せた黒色の中折れ帽、暗色の緑の軍服、縁取りは黒。特別長身という訳でも無く、アールヴァリンの方が背が高そうな痩せ型だ。騎士に比べると、若干小柄。年齢は若く見え、ディルやソルビットより年上という事はないだろう。
しかし男が浮かべる表情には、その場にいた全員が既視感を覚えている。
開いているのは間違いないがほんの小さな点にしか見えない瞳孔、唇で描く弧。にたにたと笑うに似た顔を、『月』に所属する男で一人知っている。胡散臭い空気なども、その男に似ている気がした。
その男から守るように、全員が王妃の側に位置付いている。特にカリオンとディルは、男がそれ以上近付けばすぐに抜剣出来る姿勢になっている。
不穏な気配に気付いた男は、近付く距離もほどほどに足を止めた。手にしている箱は取っ手が付いて手に提げられる。それが両手にひとつずつ。
「何用だ、茶でも飲みに来たか。貴様等相手に呑気に茶請けを用意する気など無いが」
「それはそれは。自由国家を謳う貴国アルセンが普段どんな茶を飲んでいるのかも気になりますけれどね。此方とてのんびり茶を啜っていると、帝国の頂点たる主君に叱責を受けますから」
「ふん。耄碌爺から受ける叱責などありはしないだろうにな。老いたヒューマンには自己を顧みる能力すら無いという訳だ」
「……」
王妃の挑発を、男は沈黙で返した。
同時に、手にしていた箱をその場に置く。そして二・三歩分距離を開いた。
「我が主からの献上品です。どうぞお納めください」
「……危険物ではあるまいな?」
「そのような事は致しません。まずは見ていただいた方が、円滑に話を進められるかと存じますが」
ディルが問いを投げれば、男は明快な言葉で返す。それが全て真実かも分からないが、今は信じるしかなさそうだ。
誰に断りを入れるでもなく、ディルが確認に行った。箱の留め具に指を掛けて、中を開く。
「――……」
ディルすらも、言葉を失うような中身が入っていた。
「どうでしょう? 危険ではないですよね? きっとお気に召して頂けると思ったんですよ!!」
「……汝等は、正気か」
「正気ですよ? だからこうして、いと尊き王妃殿下の許へとお持ちしたのですから!」
「……この場に王妃殿下が居ることを、既に察知していたという事かえ?」
ディルの問いに男は返事をしない。代わりに、『それ』を王妃が見る事でどんな反応が返るかをとても楽しみにしているようだった、
他に箱に危険が無いかを目視と手触りで確認したディルは、もう一度箱を閉じ直し、それを王妃の許へと運ぶ。近くで見る箱はそれなりに大きく、それでいて――何が入っているかを予感させる気配がしていた。大きさが『丁度良い』箱を、これまで皆何度も見て来た。
「……見ねばならぬか」
「是非とも」
「断ればどうする?」
「これは我等が帝国の主の、停戦の交渉材料にてございます。ご覧にならないと言われるのでしたら、この戦争がこれからも続くでしょうね。勿論、その勝敗については現時点で分かるものではございませんが……」
――断れば戦争は終わらない。
見る以外の選択肢を断たれた気がする。アルセン王国としても、これ以上犠牲を出す意味が無かった。更に長引けば、今度こそ隊長格の誰かが死ぬだろう。最早王妃には、まだ生きていてくれている誰かを犠牲にしてまでも皇帝の首を刎ねようとする意思は無くなっていた。
「……悪趣味な交渉よの。……カリオン、中身を出せるか」
「はっ」
誰もが嫌がる仕事をカリオンに押し付けても、彼は顔色ひとつ変えずにその通りに動く。
箱を開いて、中を見たその一瞬だけ、カリオンの表情が強張った。けれど次の瞬間には手を入れて、中身を引きずり出した。
掴んだのは――。
「っぐ……!?」
長さが疎らな白髪を掴んだカリオン。引きずり出された生首は腐敗が始まっていた。箱から出した事で、不快な悪臭が漂う。
腐った肉は暗褐色になっているが、その生首には肉自体が少ない。申し訳程度に頭に乗せられた小さな宝冠が、カリオンの無体に合わせてずるりと頭皮ごと落ちた。
「……」
一瞬の吐き気を堪えた王妃以外、誰も声を漏らさなかった。
腐敗した遺体など見慣れている。でも問題は、その生首が『誰』なのかだ。
「もうひとつの箱には将軍の首が入っております。ご確認なさいますか? 尤も、そっちは一足早く首を刎ねておりますのでもっと見るも無残な状況になっていますけど」
「……いや、いい。ディル、見たのであろ、相違無いか」
「あれより更に腐敗していた故に将軍の顔は分からぬ。が、嘘を吐いて得が有るように思えぬ。カリオンの掴んでいる生首は――」
――皇帝だ。
はっきりと口にしないまでも、ディルが誰の事を言っているのか分かる。
「……あの耄碌爺も、ついに悪臭漂う口を閉じ、自身全体から腐臭を放つようになったのだな」
「此れが、血税を絞り贅を尽くした男の末路か……」
「何故、皇帝と将軍を打ち首に? 其方の主というのは誰だ?」
質問を投げると、男は謁見の姿勢も取らずに笑顔のまま答える。
「我等の主の名前は、敢えてお伝えいたしません。これまでも貴女方は、生首となったその二人の名前を呼ぶことは無かった。では、いいではないですか。これからも我等の国は『帝国』、我等の主は『皇帝陛下』。そう覚えてくだされば良いと、名を出す事も無いと、我が主が仰っていました」
「……随分馬鹿にされたものだの。それで? この首は停戦の献上品と言ったか。ならば、帝国が引き起こした戦争の賠償金も、こちらが吹っ掛けるだけ払ってくれるのであろうな?」
「その通りにございます! 既に我が国では主による粛清が始まっておりますので、貴族の二十人や三十人ほど首を刎ねれば潤沢なる資金が用意できるでしょうな!!」
朗々と語る男の気持ち悪さが天井に達した。
気丈に話す王妃は垂れ布の下で、嫌悪感を隠し切れない。けれどそれはアルギンだって同じだ。
アルギンの不快な表情に視線を止めた男は、無礼にもアルギンを指差した。
「そこのお嬢さん!!」
「は、え、アタシ? ……ですか?」
「そうです、貴女ですよアルギン・S様! 話に聞いておりましたが、本当にお美しい人だ! 王国と帝国で所属が違うのが口惜しい程です……! 貴女とは是非一度お話をさせていただきたいと」
「成らぬ」
冷えた声色で、見開いた目で、手を剣に掛けたまま、ディルが言った。
王妃が腕の動きで止めさせようとしても、言い募る声は止まらない。
「其の者は我が妻だ。名乗りもしない無礼者に明け渡す時間など一秒も無い」
「……そうですか、残念です。アルギン様ほどお美しい女性であれば、多数の夫を囲うことも許されそうなものを」
「王国は一夫一婦制だ。帝国のように無法の地の尺度で物事を計るな」
「無法? 我等にも、ちゃんと法はありますよ? ――強きものが弱きものを自在に使役する事が出来る、とね」
王妃の顔色が変わる。
悪辣な帝国の根本は変わっていないのだ。それなのに、謙虚な振りをして停戦を持ち掛け、その上でアルセンの求めに従おうとしている。
気味が悪い。
アルギンの事もディルの事も考えれば、もう話は終わらせるべきだった。今にも剣を引き抜きそうな程怒りを眉間に現しているディルに正気を呼び起こさせるため、手を三回叩く。
「終わりだ。この献上品、扱いには困るが其方等の真心として受け取ろう。主である、新しい皇帝にもそう伝えると良い。停戦に付いては席を設けよう。二日後にでも其方等の主と共にもう一度来ると良い――」
「それはなりません」
「何……?」
男は背中側に付けていた書簡入れから、くるくると巻かれた紙を取り出す。品質の良い紙は、公的文書に使うものだ。
その中には幾つも条項が書きつけられている。この戦争自体全てを前皇帝と帝国の責とし、賠償金を支払う事で停戦とする、と。
賠償金を受け取るならば、その時もその先も現皇帝に一切の責を問わない事、とも。
領土も今回の戦前のままにし、大きくアルセン側に喰い込まれていた部分も帝国は奪取しない、と。
他にも小難しい項目はあったが、アルギンが視認できたのはそれだけだ。
「……ヴァリン、カリオン、フュンフ。どう思う」
王妃が呼びつけたのは、国に関して小難しい法や駆け引きを知っている者達だ。それぞれに読み回させるも、三様に顔を顰める。
それはアルセンに不利な項目があるからではなくて。
「……不気味ですね」
正直に言ったのはアールヴァリンだ。
どの項目をどう読んだ所で、アルセンに対して不利な部分が殆ど見当たらない。これまで帝国を相手にしてきて、そんな事は一度も無かった。妥協に妥協を繰り返して、時折怒りに身を震わせながら停戦条約に捺印してきた。そして、何度も裏切られた。
その時の感情を忘れられていないからこそ、王妃含む四人は素直に首を縦に振れない。それに、一番の懸念事項は一番下の項目ひとつだ。
『この停戦は双方どちらからも破棄が可能である』
その一文がある事で、どれだけの不利益があるか分からなかった。
「ご満足いただけたなら、この場で御署名をお願いいたします」
「この場で? 陛下の御意志無き状態で署名など出来よう筈も無い」
「権限はお持ちでしょう? 御署名いただけなければ、戦争続けますか。――ねえ、アルギン様。その時は、どなたが犠牲になるでしょうねぇ?」
「ちょっと待ってほしい」
わざわざアルギンだけを名指しした男。その言葉の裏に、どんな思惑があるかもまだ分からないけれど。
アルギンはどうしてもさっきから引っかかっている事をそのままにされている現状が我慢できなくて口を開いた。
「アタシの名前、アルギン・S=『エステル』なんだけど。もしかしてさっき、わざと名前間違えた?」
「………」
「話するくらいならアタシもそんなに嫌じゃないけど、アタシの愛しい旦那様が嫌そうにしてるから止めておく。でも、少しばかり不誠実な所はアタシも気になってるんだよ。主の名前は名乗らねぇ自分も名乗らねぇ、でも名前を間違えたアタシと話はしたい? はいそうですか、って頷けるほどの馬鹿じゃないからさこっちは」
「これはこれは。失礼いたしました」
「……続く戦争の中で、アタシを『犠牲』とやらにしようって考えかい。馬鹿は名前でも間違えて焚きつければ、癇癪起こして簡単に突っ込んでくだろうって魂胆か? それ考えたの誰だ。お前さんかい、それとも新しい帝国の主とやらかい」
「お前さん――と、呼ばれるのは他人行儀で好きではないですねぇ」
男は点ほどの紅色の瞳孔で、アルギンを見据える。その瞳がぎょろりと動くような気がしても、アルギンは動揺を出す訳には行かなかった。
アルセンを、騎士団を、そして自分を。――舐められては、困る。
対外用の苛立ちを見せたアルギンの心を分かっているのかいないのか、男は話をはぐらかす。
「『テレフ』とお呼びください。貴女の唇で呼ばれる名前は、きっと主に呼ばれるのと同じくらい甘美な音色でしょう」
「……ふぅん。テレフ、殿? おべっかが上手いねぇ」
テレフと名乗った男は、アルギンに話しかけていながらアルギンを見ていない。どこか灰銀の髪の向こうを通り過ぎた場所にいる誰かを見ているようだった。
これまで出逢った事のある、他の誰と話す時よりも不快だ。表面上は好意的なのに、それも白々しい。
「アルギン、止めよ」
「ですが」
「署名はしよう。そして、テレフとやら。二度とその顔を王国の臣民の前に出すな。我等は気の良い隣人同士ではない。無益な争いを繰り返さぬ為に。よもや、弱肉強食の帝国の世でもその程度の事が分からぬ筈もあるまいて」
「ありがとうございます。此方も、殿下の御言葉には概ね賛成ですね。心残りはアルギン様の――おっと、これ以上続けると旦那様の視線が怖いので止めておきますか」
「……」
王妃は二人の間に割り込んで、これ以上取り繕いようのない空気を話しの向きごと変える。
受け取った書類に署名を記す為の筆記具は、テレフが渡してきた。
記す名前は王妃のもの。それだけでは効力が薄いという事で、第一王子のアールヴァリンの名も下に記載した。
これで、表向きには停戦が叶った。
「ありがとうございますぅ!! これで我が主の許へ戻れます」
「……早く戻るがいい。私が追手を差し向ける気が薄いうちにな」
「おお、怖い怖い。ではそのように致しましょうか。遠く離れても皆様の益々の御活躍をお祈りしていますよ!!」
まるで長年の友人のような気安い別れの言葉だった。しかしその直後に紅色の瞳が、またアルギンを向く。
「ご機嫌よう、小さなお嬢さん。まずは――『おめでとうございます』とだけ、お伝えしましょう」
「……」
「貴女とはまた近い内に再会が叶う気がします。その時まで、どうかお元気で」
いちいち返事をするのも嫌だったので、無言で見送った。小さな――なんて、今のアルギンには不釣り合いな言葉を投げるなんて、本当に本心の知れない奴だ。
ディルは最後まで何かを言いたそうにしていたが必死に耐えた。嵐のような時間は、ほんの数分の間の出来事だというのに、八人の記憶に深く染み付いてしまった。
死体回収が終わったマゼンタ達も、やっと事態に気付いたようだった。
けれど彼女達は何があったかも聞かず、再び同胞の弔いに戻って行った。




