9.叶わなくなった未来
アルギンにとっての王妃とは、自分が孤児として城下に来てからずっと存在している絶対的な存在だった。
自分と年の差が酷く大きく離れている訳では無かったが、その立ち居振る舞いの全てがみすぼらしい自分とは大違いだった事をよく覚えている。
大人になればあんな淑女になれる、とも思ってはなかったが、王妃のようになりたいとも思わなかった。
藍色に表情を隠した、孤高の女主人。
綺麗だと思っていた。同時に、滲み出る排他的な感情を肌で感じていた。
今となっては、それも納得する理由があったと知ったけれど。
王妃達を追うように、外に出た後は周囲を探した。本陣は平野側にあるから、プロフェス・ヒュムネ達の死体を追うようにファルミア方面へ向かうだろう。
王妃達四人は、彼等をどう弔うというのか。弔った後はどうするのか。気になる事は幾らでもあって、本人達に聞かなければ解けない疑問だ。
太陽は既に一番高い場所から沈み始めている。早く見つけないと、夜の闇に紛れてしまう。その闇に悪意は無いと言い切れないのだ。
「……いた」
馬を出すのは、体の痛みを考えて止めておいた。けれどそれで正解だったようだ、見える所に四人の姿がある。
本当に誰も付いて行っていない。少し濃淡あれど黒髪の四人組が、遠く離れた平野にぽつんと立っている。
……ぽつん、というのも少し違うかもしれない。その足元には、幾つも死体が転がっているのだから。
その周辺はアルセン軍の遺体は引き上げが済んでいるらしく、伏した死体は全て帝国所属の者ばかりだ。その中で、羽虫飛び回る元戦場で、四人は死体の引き上げをしていた。二手に分かれて、『同胞』と思わしき緑の欠片を持ち上げている。その中には、持ち上げきれそうにない大きさのものもあったけれど。
「っ……!?」
外套を被ったままの小さな人物――恐らくはマゼンタ――が、およそ彼女の二倍はあろうかという緑色の死体を一人で抱え上げていた。
素人目にはどう抱えてもいいかも分からないのに、横に抱くような形で持ち上げる。死体を、他の何も干渉しないような平たい場所に並べて、また次の死体を回収しに行く。
また花の蕾のような年頃のマゼンタが、そこまで怪力の持ち主だとは思っていなかった。今は年齢の関係で客席に立たせるのは問題が有るだろうと、厨房の仕事をして貰っていた。だから、彼女の実力を見る事は今まで無かった。
アルギンが驚愕に固まっている間に、王妃が視線に気付いて振り向いた。その視線はすぐに逸らされて、特に咎められもしない。それをアルギンは、側に近寄っても構わないという合図に取れた。
今まで味方相手にした事無いほどの、用心深い歩みで近寄って行く。王妃の側に来る頃には、並べられた遺体は七体になっていた。王妃は少し場所を変えて、アルギンを連れてその場から離れる。
三人と作業中の平野を見渡すような場所に来てからやっと、王妃が口を開いた。
「阿呆面を晒して来るとはな。供は要らぬと言った筈だが」
「……アタシは、アタシ達は騎士ですから。アタシがお気に召さないならカリオンと代わります。けれど、供無しで行動はお控えください。ここは今でも最前線なんです」
「聞き飽いた言葉だな。我が妹達はアルセン王国の騎士よりも余程信頼の置ける者達だ」
「それは、種族が違うからですか? ただのヒューマン達に寄せる信頼は無いと?」
「……貴様はハーフエルフであろう。あ奴等と同じ括りに自分を入れるでない」
「仲間ですから」
他の三人も、アルギンの姿に気付いている。それでも黙々と作業を続けて、時折睨みつけるマゼンタの視線を受けた。
何故自分が睨まれているかも分からないまま、並べられている死体を見る。
緑ばかりと思っていたが、色がそれぞれ違う。木の幹のような体を持った者もいて、色の深さも個々で違いが出ていた。
衣服のようなものを纏っている者はいなくて、ヒューマン達のような体の線をした者もいなかった。それはアルギン達が戦闘した者達も一緒のように思えた。
「――……、あ」
そして、気付く。
衣服のようなものどころか、装飾品の類も一切無いのだ。
これまでのダークエルフや獣人の奴隷部隊には首輪が付けられていた。
それは、逃走の意思が見られた者達の首を絞め、或いはそのまま落とすまでに至る魔道具だ。
だから奴隷部隊は、自分の命が懸かっているから必死に抵抗してきた。
プロフェス・ヒュムネには、それが無い。
「……何があったかも、もう聞く事も叶わぬよ。皆、皆、貴様等が殺してしまったからな」
「このプロフェス・ヒュムネ達は、奴隷じゃ、無かった?」
「かもな。首輪が無ければ、自分達の意思で歯向かって来た訳だ。奴隷では無いとしても、それでも尚アルセン王国に敵意を向けた理由は分かっているよ。我等にとって憎むべきアルセン。祖国の後継者すら人質のように腕に抱くアルセン。ああ、戦場となったこの場に私が居たら、きっとこの者達を説得出来たろうにな」
「……説得して、どうするおつもりだったのです」
「知れた事」
王妃がこれまで望んでいた事は、こんな戦場の夜闇よりももっと危険だった。
「生き残り全員を我が同胞として集め、厚遇し、憎きアルセンに復讐して成り代わる。その時には王家すら傀儡にして、実権を私達が握るのだ。目指すは、ファルビィティスの――祖国の復興」
「………」
「その為の同胞の参集目標数は、百五十名。それが奴隷でも、この十四年の間に産まれた子供でも構わなかった。我が祖国がもう一度日の目を見るのに、国民の数は多い方がいい。……それでも、百五十が目標の最低数だった。……その一部となってくれたであろう同胞は、其方等が殺してしまったんだよ」
「陛下を……裏切るおつもりだったのですか」
「裏切る? 何も知らない癖に知った口を叩くな」
王妃の笑みは、嘲笑とも自嘲とも取れる。垂れ幕の下の唇の形も分からないが、鼻で笑う籠ったような音が聞こえた。
「アルセンは――国王陛下はな。同盟国でありながら、我がファルビィティスの女王を配下に殺させたのだ」
「……え?」
「貴様も知るダーリャにだ。……私達の姉だった。帝国が停戦の条件にと、目障りだった我等が祖国を滅ぼす算段を持ち掛けたのだ。私がそれを知ったのは、全て終わった後だった」
「ダーリャ、って……先代『月』隊長の!? まさか、そんなっ」
「まさか、が有り得たのだ。背中を刺される、とはこのことを言うのだろうな。ディルもこの話は知っている。私が復讐に燃える理由を知って尚、奴は貴様と結ばれる為にと私に忠誠を誓った」
「……え」
「……貴様は、愛されているぞ。利害の一致で王妃の座に収まった私よりもな。あんな人形めいた男が、たった一人からの愛を得るために私にすら刃を向ける……。相手はどうあれ、其処まで思われる貴様が羨ましいよ」
「え、ちょ、ちょっと待ってください!? 忠誠誓ったのに剣向ける!? 何がどうなってるんです、何の話です!?」
アルギンにしてみれば初耳の話ばかりで、ただでさえ容量の少ない頭に詰め込むには無理があった。
自他国の話に王妃の話、それから夫の話まで及んで頭が限界を告げる。けれど、聞きたい事はひとつだけ。
「ディルが、殿下に何したんです」
「……」
「殿下に剣を向けたんですか。どうして。怪我は。無事……だから今いらっしゃるんですよね。他に何も無かったですか」
「本当に、貴様は」
ディルを盲目なまでに愛しているのに、これまで散々不穏当な言葉を並べた王妃の言葉を疑わない。それどころか、今目の前で普段通りの姿を見せている王妃の身を心配している。
騎士であれば当然の行為だ。城に仕える限り、主君や王家第一として仕込まれるのだ。だからアルギンの反応は当たり前のものだが、王妃はそれに胸の苦しさを覚える。
これが、王妃という立場の無い『個人』としてでも、アルギンは心配してくれただろうか。
この活発で粗野な女が、ディルを差し置いて身を案じてくれるだろうか。
本当に、復讐を叶えた時。
これまで通りに接してくれただろうか。
「貴様の顔を見ていると、……苛立ちが抑えられない」
「………申し訳ありません」
「謝るな。これは私の問題だ。そうだ、悲願が頓挫したからといって、なんだというのだ……また、初めからやり直せばいい……初めから……」
初めから、また。
今集められた同胞の、その次代に託せばいい。
何年かかっても、いつか故郷は復活する。憎しみがあれば、きっと悲願は叶う。
何年も何十年も、この気持ちを忘れなければいいのだ。もう十四年続いて来たのだ、また憎み続けるなんて、簡単だ――。
「………ふ、っ。ふふ、ふふふっ……。なぁ、アルギン」
「はい」
「ディルはあ奴のみで、十人を制したと聞く。……そんな化け物が、化け物を屠る化け物がこの国に居て。本当に我が悲願は叶うと思うか?」
「……。差し出がましい事を申し上げますが」
王妃の声は震えている。その震えに止めを刺すように、アルギンが口にしたのは。
「殿下の御言葉が全て本当であれば、最初に果たすべき復讐は国王陛下とダーリャ様にでは無かったでしょうか。本当にファルビィティスの滅亡に、この国が関わっていたとして……それで、『アタシ達』と敵対するのですか」
「……」
「……今回の闘いで、命を落とした騎士は……王家の皆様の、そして貴女様の御身を守る為に死んだことを覚えていて欲しいんです。死んだ騎士に強いか弱いかは関係なくて、敵に背を向けずに戦ったのは、アルセンを守ろうとした想いの強さだと思っています。命を賭してでも守りたい国があった。……その想いは、アルセンの騎士もファルビィティスのプロフェス・ヒュムネ達も同じでしょう。そして争えば、必ず死者が出る。同じ事を繰り返すなんて、アタシの知ってる聡明な殿下の御考えだと思いません。……そして、先程の質問の答えですが」
王妃を『一個人』として見た、騎士としての言葉。
「その悲願を叶えるせいでアタシが死ぬ時は、貴女も地獄に送って差し上げます。貴女に供は要らないかも知れないけれど、アタシが死ぬ時はディル以外で共連れが欲しいって思ってたんです」
「っ………ふ、はははっ!!」
王妃の哄笑は、空の下によく響いた。
士官として配属された時から知っている女が、よくも偉そうな口を利けるまでに成長した。騎士の矜持も女としての自信も、誇りも驕りも兼ね備えた言葉だ。
王妃の笑いは暫く止まずに、その間もアルギンの表情は不服を訴えている。
「……これでも一所懸命考えたのになぁ……」
「いや、違う、違うよアルギン。違うのだ、お前の答えが、面白い程想定内でな。……想定内だからこそ、響いた」
「響いた?」
「……同じことを繰り返す。自他国問わず、権力を持つ者の愚行は必ず繰り返すものだ。私が復讐を遂げたとて、必ずまた我等に復讐する輩が出ないと言い切れぬ。禍根を断つには臣民垣根無く皆殺しが一番だが、それは賢いやり方にはならぬ。……不毛なのだよ、私のしようとしている事は。最初から分かっていたのだがな」
分かっていた――そう言いながら、王妃が垂れ布をつけた頭飾りを外す。
外気に直接晒される王妃の白い顔を、アルギンは生まれて初めて見た。
一人娘を産んだとは思えない程の若さと、透き通るような肌。瞼を伏せた先にある瞳は葵色。マゼンタのものと違う、憂いを帯びた紫。
「……ぁ」
「でも、なぁ。アルギン、私は、どうすればよかった。我が同胞の恨みは、私しか晴らせなんだ。故郷が滅びたのを、傍観するだけで良かったか。故郷の老害が怨みを晴らせとせっついてくるのを、無視して良かったのか。そもそも、私は復讐を叶えるためだけに陛下と婚姻を結んだのだぞ。だったら、私のこの十四年は、何の為に。……何の為に、あの人を裏切ってまで……」
その葵色が涙を湛えているのを見てしまった。
王妃という立場に相応しい嫋やかな美貌を持ちながら、ずっと表情を隠し続けていた女性。
顔を見せない事に意味が有るというよりも――王妃は、表情が豊かだった。それは権力を持つ立場としては、悪い方面にしか作用しなかっただろう。
ずっと、耐えていた。王妃の言う『あの人』が誰か分からなかったけれど、苦しんで来たという十四年の重みはアルギンにも分かる。
アルギンだって、その年月、苦しんできたから。
「……王妃殿下、アタシは――」
軽率な事は言えない。言ったが最後、王妃からの信頼も何もかも失ってしまう気がした。
騎士といえど、王妃は尊き国王の伴侶で、手の届かない存在だ。その悲しみや苦悩を理解出来るとは到底思わなかった。
でも、今は問われている。『どうすればよかったか』。
「アタシは」
そんな事、アルギンにも分かる訳ないのに。
「名前も顔も知らない、何処に居たかも分からなかった同胞の為よりは、顔も気心も知れている仲間の為に動きたいです」
「……、………」
「国を簒奪するってなったらそりゃもう国内外問わず荒れるし、そしたら知ってる奴等も皆傷つく。王妃殿下は、復讐の計画を立てた時には知らない顔ばっかりだったでしょうけど、今は知ってる顔の方が御同胞よりも多いんじゃないですか。荒れた国を立て直すのだって大変でしょうし、……そもそも復讐に十四年もかかってるんじゃ、成功の見込みは低いんじゃないかなって」
「……貴様」
「わぁあ、べ、別に喧嘩売ってる訳じゃないですよ。正直なアタシの考えをですね……申し訳ありません申し訳ありません!」
王妃の表情がみるみる険しくなっていくのを見て、アルギンが平謝りする。しかし膝を付く姿勢を取ることは無かった。アルギンなりの矜持はあるのだ。
けれど王妃の険はすぐに取れて、瞳に涙を浮かべていない顔で笑みを浮かべた。
「謝らずとも良い、私の迷いは吹っ切れた。幾らか不満はあるが概ね其方のお陰だ」
「は……はぁ」
「私は良いが、問題は紫廉だ。あの子は老害の偏った教育を受けているから――ん」
王妃が異変に気付いたのはその時だった。
他の三人は着実に死体回収を続けているのに、本陣からこちらへ向かってくる影が幾つも見える。
それらが馬に乗った隊長格ほぼ全員だと気付いたのは、六人が馬から飛び降りて王妃の側に控えた時だった。その時には王妃も顔の垂れ幕を再び身に着け、顔を隠す。
「何事だ。供は要らぬと再度言わねばならぬのか」
「申し訳ありません。しかし、重大な用件がありまして」
「重大な?」
「帝国からの使者が――来たそうです」
それは事後報告の形だった。何も聞いていない王妃は眉を顰める。
王妃の前方に立ったのは、カリオンとディルだった。
「来た、だと?」
「はい。どうやら人数は一名、何かしらの献上品があるとの事で、大振りな荷物を持っているとの事。武器や爆薬とも限らないので、危険です」
「で、あるならこの空の下で出迎えるのが一番か。全く、こんな時に……」
追い返しても良かったが膠着状態の今、話があるなら聞くのも悪くないと判断した王妃。カリオンが王妃に判断を委ねると、構わないとだけ言った。
じきに、遠い平野の向こうから一人の男が歩いてくる。誰もいない戦線の緊迫した空気に割り入るようにして、緑髪の男が。




