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【第三部】アルセンの方舟 ―国家公認裏ギルド交響曲―  作者: 不二丸茅乃
chapter.4 花鳥風月

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8.王妃の目的


「……」


 アルセン軍本陣大天幕まで案内された王妃の顔色は暗く沈んでいた。

 緊急事態だからと、数名の護衛をつけただけで自ら馬を駆ってここまで来たのだ。

 その場に揃っていたのはエンダを除いた隊長と副隊長七名。

 そこに王妃と、その護衛として付いて来た三人の人物が加わる。王妃以外は外套を被っていて、顔までは分からない。

 反射的に、それまで仕事や作業をしていた全員がその場に傅いた。来る、なんて聞いても無いし誰からも報告が来ていない。


「お、王妃殿下。何故こちらへ」

「報告を受けて飛んできたのだ。……エンダの話も聞いている、『花鳥風月』隊長格が一人も命を落とさずに済んだのは僥倖である――とでも、先に言っておこうか」


 まるで皮肉のように聞こえた。

 誰も死ななかったのが、王妃にとって不愉快な事だと。


「隊長格が誰も出迎えに来ぬでな、私が並べる不満なら幾らもある訳だ。……椅子」

「っ、は、はい!」


 一番に反応したのはアルギンだ。手近な椅子は簡素な作りだが、腰掛けられるものはそれしかない。

 椅子を用意されて腰を下ろした王妃は、改めてその場の全員を見遣った。


「報告を受けた。プロフェス・ヒュムネが三十『人』。それら全てを撃破したと」

「は、……はい」

「……」


 王妃の声には少しの失望が混ざっていた。まさか、国の為と思った行為に不満があるのか、と。

 確かに王国では彼の種族を保護する法がある。だからと、殺し殺されの世界でそれでも保護しろと無体を言われるのかと不安になった。


「プロフェス・ヒュムネの遺体は何処にある?」

「……は。現在は、アルセン軍の遺体搬出に掛かり切りですので……そのまま、戦場に」

「そうか」

「お待ちください!」


 王妃は椅子から立ち上がる。

 質問に答えていたカリオンは、その身を案じて制止した。


「まさか、行かれるのですか」

「無論。でなければ私が此処に来た意味があるまいて。騎士からの護衛は要らぬ、自分達で行く」

「危険です!!」


 許しも無く顔を上げ、尚且つ立ち上がろうとしたカリオン。このままでは止めるために腕でも引くのではないか、と誰もが思った時。


「邪魔しないで」


 護衛の一人が、王妃とカリオンの間に割って入った。

 その人物は身長もアルギンより小さく、女か子供かと思われる。しかし、その声はアルギンにもディルにも聞き覚えがあって。


「……え?」


 まだ若い女性、外套の間から覗いた瞳の色は――紫。

 そこでやっと、護衛達が外套を脱ぐ。

 現れたのは、酒場の店員として仕事をして貰っているオルキデと、マゼンタと、それから、見知らぬ少年。

 少年の顔を見れば、誰だって息を呑む。その片頬に菊が咲いているような緑の模様があるから。

 そしてそれは、プロフェス・ヒュムネの特徴でもあった。


「邪魔ではないのだぞ、紫廉。これでも我等の身を案じている。あまり逆らうな、この者達が我が同胞を滅したのだから」

「………」

「ど、同胞って――まさか」


 この場では、驚いている者の方が少なかった。

 紫廉と呼ばれたマゼンタと、オルキデが『そう』だとはアルギンも知っていた。

 けれど、王妃までもがそうだとは知らなかったのだ。


「……、紹介を、未だしていなかったの。紫廉、緑蘭、ロベリア。アルセンの誉れである騎士団の面々に挨拶しなさい」

「はい」


 最初に名乗り出たのは、オルキデだった。


朱酒 緑蘭(あかさか ろくらん)。アルギン様の経営する酒場でも顔を合わせた人はいらっしゃいますが……普段はオルキデと名乗っております。どうぞ、お好みの方の名でお呼びください」


 物静かな彼女の様子は、いつも酒場で見せる表情と変わらない。年はソルビットやディルより年下だが、アルギンを越える落ち着きを持っていた。


「僕は、ロベリアと申します。今は無き伯爵家の非嫡出子として保護された身分ではありますが、王妃様より過ぎた待遇を賜っており、今回も同行させて頂きました。見ての通り、プロフェス・ヒュムネです」


 続いたのはロベリアだった。オルキデと似通った涼やかさを持ち合わせていながら、感情の薄い所は在りし日のディルを思わせる。どこを見ているかも分からない視線は、言葉が終わると同時に瞼で防がれる。

 そして、更に続くのは。


朱酒 紫廉(あかさか しれん)。葵生――王妃殿下と緑蘭姉様の妹。ファルビィティスが今も国として健在だったなら今頃私が女王だったの。私に紫廉として接する時は弁えなさいね」


 ……その一言に、嫌悪感を覚えるのが普通の反応だろう。実際、騎士隊長格の半数は下げた頭の眉間に皺が寄った。

 まだ十五歳にもならないような小娘が、知ったような口をきく。滅びた国の女王を騙る口が不愉快に思う者もいたが。


「……我等はファルビィティスが滅びた時に即位していた女王の妹だ。我が国の掟では、次代の女王が紫廉であった事は間違いない」


 即座に王妃からの注釈が入って、その謎が解ける。掟がどんなものかはその場で知ることは出来なかったが、紫廉の高圧的な態度も納得がいく。

 しかしアルギンの頭の中は疑問符がいっぱいだった。少なくとも、酒場では穏やかに接していたマゼンタがこんな態度を取っている所を見るのは初めてだったから。


「我等は今は、アルセンに属する者だ。しかしプロフェス・ヒュムネとしては同胞を弔わねばならない。邪魔はするな、危険があるなら自分達で取り払うまでだ。他の者の随伴も要らぬ、其方達は其方達の仕事を続けよ」

「……畏まりました」


 最初に王妃が天幕を出て行く。それに従うように三人が出て行くが。


「………」


 噛みつくような視線をアルギンに投げたマゼンタ――否、紫廉。

 四人が去った後に各々が立ち上がり、天幕の外を見る。

 季節が幾ら秋口だと言っても、腐敗の進みは止めようがない。分かっている筈なのに、王妃は三人を従えて行ってしまった。


「……大丈夫か、アルギン」

「ん、う、うん。大丈夫」


 搬送されたエンダを除けば、一番怪我の具合が悪いのはアルギンだった。急に動くことも難しい妻に寄り添うディル。

 だからと、この数日間充分休んだアルギンは自分が幾らか回復しているのが分かっている。だから、返事は簡単に。


「……ねえ、ディル」

「どうした」

「アタシ、……行って良い?」


 アルギンの言葉には、その場にいた全員が反応した。


「……行くって、何処へ」

「王妃殿下のとこ」

「随伴は要らないって言われたじゃないか」

「そうだけど」


 王妃の言葉は、絶対だ。けれど、本当に王妃達だけで行かせていいものか。

 言葉に滲んでいた絶対の自信を疑う訳じゃないが、素直に信じるのは危険だと思えた。

 ――まさかプロフェス・ヒュムネの同胞を殺したとして、アルセン王国に牙を剥くわけでもあるまいし。アルギンの心配は余計なもののように思えたが、嫌な予感は消えない。


「邪魔しなきゃいいんだろ。幾ら護衛がついてるって言っても、本当に四人だけで行かせるのは駄目だよ。アタシだったら、オルキデもマゼンタも知らない相手じゃないから少しは大丈夫だと思う。それに、本当に王妃殿下が拒絶なさったらすぐ戻って来るから」

「……本当だね?」

「大丈夫だよ、カリオン。アタシを信じろ」

「貴女を信じたいのは山々だけれど、いつもの貴女には不安しかないんだよね……。でも、分かった。……実の所、私も心配はしていたんだ。お願いするよ」


 カリオンからの許可は下りた。許可が無くともいくつもりではあったのだが。

 しかし、アルギンが本当に『許し』を得なければいけない人はもう一人いる。


「……」

「ごめんね、ディル。……今回は、アタシだけで行きたいの」

「ソルビットも連れずにか」


 心配するが故に、今のアルギンに寛容になれない夫、ディル。

 傷だらけの妻が、また一人で動こうとしている。今でも医療部隊の世話になっている癖に、こういう時に一人で動きたがる。

 けれどディルは訳あって、王妃とアルギンの間に割って入れない。その事情を、まだ妻は知らない。


「今回は一人で行かないと駄目な気がする。自惚れなんだろうけれど、アタシは、王妃殿下に目を掛けて貰ってる気がするから。……それに、一番心配なのは……マゼンタなんだ」

「マゼンタが?」

「アタシを睨んでた。……いつもはあんな顔する子じゃないのに。王妃殿下と、話をしたいんだ。……ちゃんと話をしておかないと、後悔する気がする」


 二人の視線が絡んで、離れる。先に逸らしたのはディルだった。


「……必ず、早めに戻れ」

「ありがと」


 この女に、何をどう言って聞かせても無駄だ。苦言を呈して顧みる女だったら、隊長の立場にも居なかっただろう。

 無謀な女を愛する苦悩は、今でも尽きない。

 アルギンは口端にだけ笑みを浮かべると、すぐに背を向けてしまう。掴もうとしても掴めない水のように、手を伸ばしても掌を滑り落ちる春の花弁のように。

 アルギンが大天幕を後にしたら、残るのは沈黙だけだ。何事も無くアルギンが戻ってくるように、ただそれだけを願う。


「しっかし……、三姉妹っすか。ロベリアは確か混じりっすもんね」


 ずっとアルギンが出て行った大天幕の出入り口を見ていたディルに、ソルビットが近寄る。その表情は苦虫を噛み潰したような顔で、隊長に付いていけなかった自分に焦れているようだった。


「知っているのか」

「一時期有名だったそうっすよ。王家の保護の元、働きに出していた女従に手を出した貴族。子が産まれても無体を続けて、その女従は死亡。今は保護対象に手を出して死なせたとして、王妃の名のもとに取り潰されたそうっすけど、その落胤が彼でしょうねぇ」

「落胤。……汝と同じか」

「はー?」


 ――フュンフの実父に孕まされた女従の子、それがソルビットだ。

 ソルビットの間の抜けた声が大天幕の中に広がって消えた。この話は周知の事実となってはいるものの、ソルビット自身がそれを私的な場ならともかく公に肯定した事はない。


「一緒って言ったら笑いますよ。素直にあたしの存在を認めてくれたらいいのに、未だにあたしの母親ごと存在を無かった事にしてるんだ。姓を名乗ることも許されないし、母親は今でもどこいるか分かんない」

「……」

「ま、それで好き勝手出来るんだからいーっすけど。あたしが積み重ねてきた努力も功績も全部あんな奴の手柄にしてたまるか。あたしが歩いて来た道は、あたしが選んで来た道だから」


 ソルビットの半生は、年齢に見合わない程に壮絶で。

 だけれどそんな事、お首にも出さない彼女はやっと笑う。


「あたしは選んでたいちょーの側に居る。たいちょーも、あたしを選んでくれた。……そんなたいちょーと一緒に行けないのは、ちょっと心苦しいっすねぇ」


 大天幕の外で、王妃と一緒に、アルギンはどんな話をするのか。

 ソルビットにはアルギンについて知らない事は殆ど無い筈なのに、それが今まさに増えようとしているのが不安だった。


 時間は刻々と過ぎる。


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