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【第三部】アルセンの方舟 ―国家公認裏ギルド交響曲―  作者: 不二丸茅乃
chapter.3.5

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1『元』黒幕達




 場所は、王城の一室に切り替わる。

 日も沈んで夕日の一筋すら消えた、夜の時間。


 栄華を誇るアルセン王国、その頂点に坐すいと尊き国王陛下――の、妻の部屋だ。

 王妃ではあるが、彼女は後妻。国王と死別した前の妻も使っていた部屋で、女三人はソファに座っていた。

 一人は王妃。その立場に相応しい豪奢な夜着を纏っている。いつも王妃として人前に出る時は垂らしている顔の垂れ幕も今は無い。

 王妃に向きあうように座る二人は、王妃の妹だ。年齢の離れた姉妹だが、それは種族がヒューマンとは違うから。今は濡れた服を着替えて、前開きで帯を締める形の衣服を纏っていた。

 若草色の絨毯の上、三人が囲むテーブルには、そのまま摘まめる果物が乗っている。軽く傾けられる酒杯も一緒だ。


「はぁ。自分が運ばないでも飲めるお酒っていいね」


 酒杯の足許を軽く持ち上げ、優雅に中身を口にするのは末の妹だ。普段は飲食物を運ぶ給仕をしているから、こうして贅沢が許される姉の傍にいると頬が緩むのを抑えられない。

 真ん中の妹は、果物を手にしていた。皮ごと食べられる葡萄の粒を口に運んでは、物静かに咀嚼している。

 妹二人もそう頻繁に遊びに来てくれない事から、今日の王妃は機嫌がいい。面倒臭い仕事も終わったばかりだ。


「しかし、二人とも」

「なぁに、姉様?」

「私の護衛は終わっただろう。もう戻って良いというのに、双子が心配じゃないのか?」

「心配、……っていうと、心配だけど。でも、ああいうのって親の仕事でしょう? 双子ちゃんが無事じゃない訳ないわ。そんなにあの夫婦が無能だって思ってないわよ」


 ぐっ、と杯を飲み干した末の妹――マゼンタ。軽い酒だからか一気飲みしたくらいでは顔色は変わらない。

 三姉妹の給仕を務めているのはロベリアと暁だった。『宮廷』の名を冠した役職に就く二人が、甲斐甲斐しく世話を焼いている。

 酒は暁が注ぐ。空になったマゼンタの酒杯に瓶を近付け、下品なまでに並々と注いだ。


「ちょっと、暁さん。飲みにくいわ」

「このくらい、簡単に飲んでしまうでしょ? 何回もウチが注ぎに来て良いんです?」

「それも嫌ね」

「……」


 くすくす、と、相手を小馬鹿にするかのような笑みを浮かべて再び酒器を傾けるマゼンタ。

 暁は高い地位にいながら、三人から尊敬される立場に無いようだった。


「私も、ウィリアとバルトがどうにかなるとは思っていません。……ただ、水入らずの邪魔になるのではないかと……思っています」

「そう、か」

「……」


 どこか浮かない顔で葡萄を食べ続けているのは、酒場で厨房を担当しているオルキデだ。

 姉の質問に答えながらも、心此処に在らずの様子だ。


「それよりも、暁さん」

「はい?」

「聞いたでしょう、今日はマスターの一大事だったのよ。大事な双子ちゃんが連れ去られたのに、貴方はこんな城で油売ってて良かったの? 加勢したら、少しはマスターも貴方の事見直すかも知れないのに」

「見直すって言っても……、双子ちゃんはあの男の子供でしょう。ウチは今でも、アルギン様以外どうでもいいですよぉ。アルギン様の身に危険が及んでないなら別に、何がどうなろうと知った事じゃないですしぃ」

「わぁ」


 ――清々しいほど、クズ。


 マゼンタが敢えて口にせず、言葉を酒と共に流し込む。

 一時は共に地獄に堕ちるような盟約を組んでいた事もあるが、その約束も有耶無耶になって久しい。

 暁はアルギンに一方的な想いを寄せていたが、結果は今の通り。双子も生まれた今、ディルを殺したとしても手に入る事はないだろう。

 だからか、ここ数年の暁の勤務態度は若干適当になっている。尤も、真面目だったとしてそれが国の為になる事などどれくらいあるのだろう、という話だが。


「今日は一泊して帰ろうかなぁ。どうせ酒場も休みでしょ。ロベリア、お部屋空いてる?」

「はい。勿論、御二方がいつもお使いになる部屋は空いております、……が」


 一泊の算段を付けている時、王妃の部屋の扉から打音が聞こえる。

 来客を感じた王妃が、暁に開くよう命じる。応対した暁は扉を開き、そこから男が二人現れた。

 一人は嵐に吹かれたような癖のついた黒髪。騎士服は白と橙。

 一人は後ろへ撫でつけた濃紺。騎士服は白と濃緑、金縁。

 カリオンとアールヴァリンだ。騎士団長と騎士隊長の二人が並んで王妃の部屋に来た。


「御歓談中の所、申し訳ありません」

「報告か?」

「はい」


 カリオンは笑顔を浮かべていて、アールヴァリンの顔には疲労が浮かんでいる。

 だが、その場にいた者は皆知っている。――この男の笑顔が不自然だと。


「誘拐されていたウィスタリア、コバルトの双子両名、無事に発見されました。現在はフュンフの護衛の元帰宅し、ジャスミンとユイルアルトの治療を受けたそうです」

「そうか」


 王妃も自分の酒杯を掲げた。

 軽く持ち上げてから口に運んだそれは、まるで神に感謝する祈りのように見える。


「件の奴隷商隊、現在捕縛したのは総勢十九名。皆一様に口を閉ざしていますが、首魁ウバライ・ゴーン含めて『花』副隊長ミシェサー・ミシャミック管轄の牢獄に送っています」

「うげぇ」


 咄嗟に自分の口から出た濁声に、思わず王妃が指先で唇を塞いだ。あまりに酷い声で、その場にいた者達に聞いたか問い掛けるような視線を向ける。でも、王妃を尊重する者達は誰も聞いたなんて言わないし顔にも出さない。


「……ミシェサーの牢獄か……。まぁ、牢獄に人を送っているうちは、ミシェサーも大人しくしているからいいものを……。十九名か、二週間は持つか」

「その間『花』の業務が手薄になりますね」

「ミシェサーの受け持っていた通常業務などたかが知れているだろう。ソルビットの補助に誰か回せ、また倒れるぞ」

「その点は、抜かりなく」


 恭しく礼をしたのはアールヴァリン。この義息子が『花』隊長であるソルビットにどんな感情を向けているのかよく知っているので、言及はしない。

 話は一旦それで終わったように思えるが、カリオンの笑顔はまだ剥がれない。


「今回、件の奴隷商隊を城下に招き入れた人物としてバルオード卿が考えられていましたが……、別の貴族も手を引いていたようです。現在調査中です」

「ほう?」

「現在卿の身柄はご家族共々、我々『鳥』で拘束しています。夫人も御息女も何も御存知なさそうではありましたが……」

「あんな醜悪な者共と関わりがある事すら、家族には知られたくなかったであろうな。家族に下手な動きが無ければ明後日にでも解放してやれ、見張りは付けておいた方が良いだろうが」

「承知いたしました」

「調査中との別の貴族だが、バルオード卿と関わりを密にしていた奴等を片っ端から洗え。多少大事にして構わん、許す。最近大きな顔をして仕事もせずに日がな大酒飲んでる貴族連中も、少しは酔いが醒めるだろ」

「……はっ」

「ふふ」


 面倒臭そうな声ではあったが、指示に容赦は無い。受けるカリオンが了の返事をした所で、王妃が軽く笑った。


「カリオン、其方も今回の件について思う所があったと見える。双子の身を案じたか?」

「……はい。勿論、その事もありますが……」

「どうしてもな、権力を持つ輩の幾らかは腐るものだ。騎士団は代謝が早いから、そこまで無いかも知れぬがな。貴族となると性質が悪い、二代目三代目が初代と同じ志を持っているとは限らぬのでな」

「……」

「大丈夫だ。其方は善くやっているよ。……もう、以前のような無力を感じる事も無い」

「そうそう」


 カリオンの不自然な笑顔の理由は、この国に蔓延る『救いようの無い悪』が見えているからだ。

 そういうものを駆除するために、アルギンやディルは城下で奔走している。昔は肩を並べて戦場に立った彼等が、大切に守ろうとしている存在を脅かされた事に心を痛めていた。

 王妃の慰めに、マゼンタも同調した。再び空になった杯を暁に向かって振っている。次を注げ、というふてぶてしい合図だ。 


「私達も協力してるんだし、そこまで思い悩まなくてもいいじゃない。今度何かあったら、『皆』で対抗するって決めたでしょ? その辺り、あの夫婦の功績が物凄く大きいんだけどね」

「お前は本当に、アルギンもディルも気に入ってるよな」

「ディルさんはどっちかっていうとどうでもいいけど。当たり前じゃない、……」


 マゼンタの声は、その時まで楽しそうだった。

 けれど次第に顔は俯き、手の中の杯が空のまま傾く。


「マスターが……、アルギンさんがいたから……、姉様も、私も……こうして穏やかに暮らせるようになったのよ」

「……」

「……そうだな」

「あの人が、私達に道を示してくれたから……」


 この姉妹にも、『世界を一変させる』ような出来事が起きた。それはアルギンの功績なのだが、彼女は大っぴらにそれを言わない。

 姉妹の価値観も生きる意味も、全てをひっくり返した。その重大さに気付かずに笑っている女を、姉妹は慕っている。産んだ双子にも厚遇するほど、とても重要なことがあった。


「――ところで」


 俯いたマゼンタの顔が暗くなりいくのを見て、アールヴァリンが声をあげる。


「先程部下の情報が入って来たのですが、酒場ではあの夫婦の馴れ初めについて話がされていたそうですよ叔母上」

「はっ!?」

「どうやら、今回の礼にとジャスミンが強請ったそうです。二人の昔話が聞きたいと」


 そう聞くや否や、酌をしようと近付いて来た暁を突き飛ばす勢いでマゼンタが立ち上がる。

 マゼンタの体当たりを受けた暁はよろめき、持っていた瓶から胸に思い切り酒が掛かる。


「つめたっ!」

「先に言ってよアールヴァリンさんっ!! こうしちゃいられないわ、私帰る!! 久し振りにディルさんの惚気が聞けるかも知れないわっ!!」

「え」

「え」


 同時に声を漏らしたのは、オルキデとロベリア。

 オルキデはゆっくりできると思った矢先、このまま扉すら突き破りそうな勢いの妹に目を丸くしている。

 ロベリアだってそうだ。婚約者が一泊すると言ったからその心持ちでいたのに、自分より優先される存在に複雑な感情を抱いている。

 けれど。


「ロベリア、一緒に来ない?」

「……え」

「酒場の楽しさは一晩泊まったくらいじゃ分からないわよ。あの二人の昔話の面白さも保証するわ。全部話終わらないうちに帰りたいの、ねぇ、駄目?」

「……いえ」


 ロベリアは、王妃の勧めでスカイを巡る依頼に関わった。

 そこで見たアクエリアとミュゼの姿は、異種族でも子供を分け隔てなく守ろうとする『大人』としての姿だった。

 その二人を従えるアルギンは、奇妙な言動ながら自分の子を大切に想う『母親』だ。

 酒場で築かれている関係性は、金や地位、名誉が全てとは言えない。ごく親しいものだけに見せる『真心』が、あの酒場では多く動いているように見える。

 マゼンタやオルキデ、王妃の心を――『悲願』を、変えた女。それが、アルギンだ。だから、もう少し彼女の様子を見ていたい気もしていた。


「僕は、大丈夫です。ですが、仕事が……」

「構わんぞ。社会勉強とでも思って行くがいい」

「ありがとうございます」


 王妃からの許可も下りた。二人連れ立って、やや早足のまま部屋を後にする。

 残ったのは騎士二人と暁、王妃とオルキデだ。王妃は次に、オルキデへと視線を向ける。


「オルキデ。お前は行かないのか」

「……言ったでしょう。家族水入らずの邪魔をしたくない、と……」

「だが」

「私には、戻る資格が無い。……少なくとも、今日くらいはいない方がいいんです」


 皮をつけたままの葡萄の実が、オルキデの手の中で――潰れた。


「……今の私には、あの酒場は、眩しすぎます」

「……」

「私のした事が、……マスターに……照らされるようで……私は……」

「そうか」


 王妃は、オルキデに無理に帰るように言わなかった。ただ、暁に視線を送って、部屋の準備を進めさせる。

 カリオンも報告終了とばかりに暁と部屋を出て行った。残ったのはアールヴァリン。


「しかし、あの夫婦の馴れ初めなどと……。あんなものが労働の褒美になるんでしょうかね」

「ふふ、其方は昔からその態度を一貫させておるの。私とて、あの二人が語る昔話を聞けるなら、私との齟齬があれば指摘して茶化してやりたいとは思っているのだぞ」

「では義母上も酒場に行けばいいじゃありませんか」

「……それは、成らぬのだ」


 義息子の言葉に苦笑を浮かべた王妃。

 その微笑みが、どこか寂しそうなものに見えてアールヴァリンが怪訝な表情を見せる。


「確かに、あの酒場は義母上に相応しくないような汚い場所ですが」

「そうではないよ。……違うんだ。あの場所は、私にも――」


 オルキデの心の闇と、王妃の過去の闇。

 そのどちらもが、夫婦が寄り添う酒場を眩しいと思っていた。

 

「とても、苦しい場所なんだよ」


 特に王妃には、『苦しい』と思ってしまう相手が居るから。

 優しく、あたたかく、自分を包み込んでくれた、大切『だった』人が住んでいる。


「なぁ、ヴァリン。良ければ其方も酒を飲まぬか? 折角なら双子の無事を祝して杯を掲げよう。時間はあるか」

「少しだけなら、なんとか。ソルを待たせていますので、一杯だけにして頂ければ」

「ソルビットの仕事は終わっているのか? 確か数日休みを取っていたな」

「そうですよ。明日から暫く、俺に時間を使って貰います」


 臆面もなく王妃に言うアールヴァリンの頬が緩んでいる。

 ソルビットにずっと片恋していた義息子を、王妃はずっと見ていた。十年以上想いを寄せている女騎士との恋を応援できない理由は、ちゃんとある。


「……ヴァリンよ、あまり……繰り返したくはないのだが」

「分かっています」

「今年に入ってからは既に二件、他国からの婚姻の打診が届いている。宛先は次期国王としてのお前だ」

「……分かっていますよ」

「もう、遊んでいる時間は無いぞ」


 それまでマゼンタが座っていた場所に座り、手酌で酒を注ぐアールヴァリン。

 次期国王としての立場を、これまで有難く思った事なんて一度しかない。

 足枷になり続けていた。次期国王になる為として叩きこまれた無駄な教育も、限界まで割かれた自由時間も、個人としての意思も。

 ただひとつ、次期国王の地位があって良かったと思ったのは――ソルビットと出逢えたことだけ。


「双子の無事を祝して、乾杯」


 口煩い義母を黙らせるかのように、アールヴァリンが酒杯を掲げる。む、と一言唸った王妃はそれに続いて同じように酒杯を持ち上げた。


「乾杯」


 良い義母ではないが、これからは良く在ろうと思っている王妃。それ以上は口を出さずに酒を傾けた。

 夜は更け行く。城内は酒場とうって変わって、とても静かな夜になった。



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