21.御礼、なにがいい?
四番街広域を巻き込んだ、大掛かりな奴隷商隊の捕物はあっという間に終結した。
騎士もそうだが、自警団までが出て来ての大騒ぎ。けれど騎士も自警団も、昔ほどの険悪な関係ではないからか連携とまではいかずとも足を引っ張り合う事は無かった。
あれよあれよという間に捕縛された関係者は十余名。その半数が、目に泥玉を受けて動けなくなっている者だった。
血相を変えたアルカネットが夫婦と双子の側まで走って来て、無事を確認すると同時に安全意識についての説教をし出したのが一番の笑い所だったのだろう。それでも最終的には、双子が無事でさえあれば良いと口を噤んだのだが。
今から、塒に使っていたと思わしき場所は総調べ。まだ暫く帰れそうにない、と愚痴っていたソルビット。それを尻目に、双子を酒場まで送るというフュンフ。
幾ら元騎士の夫婦が一緒といえど、今は第一線を離れた身。騎士の護送は必須だ。
酒場に帰りついた頃には、すっかり日も沈んでしまっていた。
やっと気を揉む時間が終わったか――と言えば、そうではなく。
「ほん、っ、ほんとう、に、よかっ、う、ぐすっ」
「もう、もうこんな、こと、二度と、うぅっ」
「………」
「……」
酒場で留守番を命じられ、酒場に捕縛されていた奴隷商の仲間も騎士達により連れて行かれた後も、健気に皆が無事に戻って来る事を祈っていたジャスミンとユイルアルト。
毛布を巻かれて帰って来た双子は、扉を開いてすぐに抱き着いて泣いている二人を目の前にして途方に暮れた。自分達の勇み足と不注意で、これだけの大人が泣くなんて思っていなかった。
医者の二人も、熱を出した時に苦い薬を出す以外は大好きな遊び相手。色々と薬草の種類を教えてくれる、頭が良くて自立出来ている大人だ。その二人が目を真っ赤にして大泣きしている。
「ごめんなぁ、ジャス、イル。あのさ、二人とも怪我してるみたいでさ。今から風呂入れるから怪我見て欲しいんだが」
「じゃあお風呂行きましょうか。私達が入れます」
アルギンが申し訳なさそうに言うと、医者二人はぐすぐす言いながらもすんなりと双子の身柄を預かってそのまま風呂場へ。まずは冷えた体を温めるのが先だ。その時に泥を洗い流して消毒して、といった手順が待っている。
風呂場へ連行される双子は「あれぇー」との言葉を残しているので、もう心配はいらないだろう。
「……さて」
双子は、酒場に帰って来た。怪我はあるが概ね無事だ。
アルギンも、ディルも、その時はカウンターに近寄りもしなかった。今酒場の中に居る全員から全身がよく見えるように、通路に立っている。
双子と一緒に来てくれたフュンフ。
自警団として尽力してくれたアルカネットも帰されて一緒にいる。
医者二人は今風呂場に向かったばかりで、後から個別に礼を言うつもりだ。
あとは、まだ上手く感情の抑制が出来ていないアクエリアと、そんな彼の傍に居るミュゼ。
そしてその逆隣りには、俯いたまま顔を上げないスカイがいる。
全員に椅子を勧めた後は、夫婦が同時に頭を下げた。
「ありがとう!! 心配かけてすまなかった!! あの二人の為に協力してくれて本当にありがとう!!」
礼を述べたのはアルギンだけだったが、『あの』ディルが頭を下げたというだけでも歴史的な一幕を見たかのような全員の心境。
二人がどれだけ、双子を大切に思っているかが分かっていた。これまで一緒に暮らして来た年月は、二人の親心を理解するにも充分な長さで。
「……頭を上げなさい」
「でも、下げてないと申し訳が立たない」
「上げろっつってんです。その半端に長い耳は飾りですか。聞こえてないんですか」
誰かが言わなければ、そのまま頭を下げ続けていただろう。
口にしたのはアクエリアだった。怒りは解けていないが、なんとか今は普段通りの格好を取り繕えている。姿はいつも通りなのに、隣にいるスカイはまだ俯いたまま。
この場で、夫婦に向かって頭を上げろと実際に言えるのはアクエリアだけだったろう。その理由も、夫婦を気遣っての事ではない。
「……」
敢えて口にする事は無かったが、アクエリアはずっとスカイを気にかけている。
双子が連れ去られてから、ずっと自分を責めていたのだ。医者二人が一緒に居たが、精神的にも不安定で、肌を引っ掻いたり爪を噛んだりという軽度の自傷行為が止まなかった。
どうしようもなく、無力を呪った。狙われている自分が表に出る事も出来ず、守られながら双子の無事を神に祈るしか無かった。
もし神がいたとして、自分にそんな運命を用意したのも祈った神だろうに。
「……スカイも、ありがとうな」
「え」
恨まれても仕方ないと思っていた。
双子の身に危険が及んだのは、自分が酒場に身を寄せたからだと思っていた。だから、アルギンとディルにはスカイを恨む理由がある。
なのにその唇から出て来たのは感謝の言葉で、スカイが耳を疑った。
「どうして」
「どうして? 何が? 今日はもう時間が時間だから無理だけど、明日はまたあの二人と遊んでくれたら嬉しいなぁ」
「あ、明日?」
「まだ暫く、城の方もフュンフも忙しそうだからね。でも王妃殿下はもう政務からお戻りになられたんだから、殿下が手が空くまでの短い時間なら酒場で預かってもいいんじゃないかって話をしたんだよ、フュンフと。あの双子も、やっとこれからまた外で遊べるようになるんだ。折角だったらスカイも一緒が良いんじゃないかって思って。五番街の公園も、遊べばきっと楽しいよ」
まだ、酒場に居て良い。
それも好意的な理由で。
アルギンとは短い日数しか接していないが、愛情深いひとだというのは分かっている。その愛情が自分にも向けられて、戸惑うスカイ。
「……正直、私としてはアルギンに任せるのは不安しか無いが」
「んだとテメェ。……ごほん。謁見した後、プロフェス・ヒュムネとして保護下に入ってからの話はまだ先だから出来ないけど。スカイには色んな選択肢があるんだよ。孤児院に戻って勉学に励むも良し、どこか信頼できる所で仕事して下積みするも良し。諦めない限り可能性は無限大」
スカイに向かって、未来を明るく話すアルギン。
敵意や侮蔑、拒絶や憐憫、それらと全く違う感情ばかりをこの酒場は与えてくる。
それに、今日初めて見る双子の父親であるディルも。
「汝も、精神が大分摩耗したであろう。今日は何も考えず、ゆるりと休むと良い。我が子は無事で、全て解決した。若し何かが解決して無くとも、必ず我等が解決する。重荷は全て任せよ」
「……でぃる、さん」
「帰る道すがら、あの二人が汝の事を話していた。……共に遊ぶと、とても楽しいと。我が子の友には、我等も最善を尽くす。――繰り返す、もう何も案ずることは無い」
スカイの瞳から見て、確かに、嘘を吐いているような様子では無かった。
大人の薄っぺらい嘘に、今まで何度も触れて来た。言われたことを言葉通りに受け取ったら傷つくことも分かっている。
何度も傷ついて来た。心も体も、血を流していない所が無い。
傷付ける大人は、『自分の言葉を信じた様子』が好きだ。だからスカイも、知らずその態度を覚えてしまった。相手に悟られぬよう、信じた振りをして、そして騙された時は大袈裟に絶望した振りをして見せる。そうすれば、その後与えられる痛みが少しは軽くなる。自分の心も幾らかは守れる。
「――ぁ」
ミュゼやアルカネット、騎士達が助けてくれた時も。
孤児院に引き取られた時も。
アクエリアが助けてくれた時も。
それから、孤児院や酒場で優しい時間が過ぎた時も。
いつかこの幸せを無理矢理取り上げられて、また傷つくだけの時間が来るのだと思っていた。
双子が自分の代わりに連れて行かれて、その両親から詰られる所も白昼夢で見た。
でも、いつまで経ってもアルギンはスカイを責めたりしなかった。ディルだってそうだ。
『友達』だと、詰る筈の唇は言ってくれた。
「ぼ、くは……」
優しい時間は、終わらなかった。
「……フュンフ、せんせいと、いっしょにいる、じかんも、たのしい、です。アクエリアさんと、いっしょにすごす、じかんも、たのしいです。ウィスタリアや、コバルトと、いっしょにあそぶと、たのしいです。これまでしらなかった、たくさんの、たのしいが、いちどにきて、ぼくは、ほんとうに、これでいいのかって……こわくなります……」
「怖い? どうして?」
「おわりませんか、この、『たのしい』が」
スカイが自分の顔を覆った。これまで何回も裏切られて、傷付けられて、それでも嫌だと言えなくて。これまで強制的に『苦しい』を与えられてきたのに、それが『楽しい』に置き換わって、また何かの拍子に『苦しい』に戻るかも知れないと怯えている。
その証拠に、ウバライはスカイを取り戻そうと追って来た。
「終わる? スカイは終わりたいって思ってるの?」
「おもってないです。……思ってなんて、ないです……! でも、ぼくは、こわい……!」
「そうか。怖いねぇ。分かるよ、今の時間が、突然終わってしまうかもって思うよね。今の時間が全部夢で、目が覚めたら誰もいないかもって思うよね」
スカイが胸に抱いた恐怖に同調したのもアルギンだ。
「優しくして貰ったらその分、夢だったらって思うと怖くなる。寝て起きて部屋を見たら、また嫌な時に戻ってるかもって思ったら眠れなくなる。大事で大好きな人が増えれば増えるほど、喪ったらって思うと本当に怖い」
「……どうして、アルギンさんは……そんなこと、分かるって、言うんですか」
「分かるよ。アタシも孤児だもん。ディルだって孤児だ。お前さんも一緒に遊んだ事のある、アルカネットだって孤児なんだよ」
「……こ、じ」
「夢から覚めて、ウィスタリアもコバルトも居なくなってたらアタシは辛くて死ぬだろうね。ディルが居なかったら生きていられない。三人だけじゃない。アタシは欲張りだから、アタシはアタシと関わりのある誰がいなくなったって、辛いよ。勿論、スカイがいなくなっても」
「……ぼく、も?」
「スカイが何かちゃんとした理由があって、望んでアタシの知ってる所からいなくなる訳じゃないなら、きっと辛いな。アタシは、お前さんがあいつらに連れ去られて居なくならないように努力したよ? だから出来たら、今を楽しいって思ってくれてるなら、次はスカイも少し頑張ってほしいなぁ」
「がん、ばる? ぼくは、なにを、がんばればいいんですか」
本当にこの時間が終わらないのなら、スカイだって努力しようという気概はある。勉強は今の所楽しいし、側に居る人は皆優しい。自分が何かを守れるのなら、その為に生きてみたい。
悪い白昼夢は裏切られた。
胸に抱いたこの願いは、諦めなければきっと叶う。
アルギンは、スカイの瞳に宿った光に希望を見た。まだ年若い者だけが持ち得る、未来への可能性だ。
彼女の両手の人差し指は、二ヶ所を指し示す。アクエリアとフュンフを同時に差して微笑んだ。
「お前さんの事を心配している筆頭はそこの二人だろうよ。あの二人が心配しないようによく食べてよく遊んで勉強を頑張って、なにより、『自分なんか』ってもう卑下しないようにするんだ。そんで、生きろ」
それはとても有り触れた、ただの一般論だった。でも、何も知らない世間知らずでも気概があれば実行できる、簡単なもの。
一日一日を一所懸命生きる、ただの子供になれ、と。
アルギンの言ったものは、ウィスタリアやコバルトも既に実行している。
「生きてりゃいい事ある、なんて言わないさ。でもな、ムカつく奴より不幸なまま死んだらそれはそれで嫌だろ。最後にソイツより長生きして墓石蹴飛ばしてやるくらいの気概で行こうぜ! はっはー!!」
淑やかと無縁な、アルギンの笑い声が響く。この女の助言のようなものは、受け取り手を選ぶ。
でもスカイは嫌な気はしなかった。繊細さとかけ離れた言葉は、他の優しく包み込んでくれる者達と違う感覚で心地いい。
子供のスカイの目から見ても奇妙な女だ。その奇妙さが、好ましく感じられる。
「マスター」
やがて風呂から上がって来た双子と医者二人。一緒に湯を浴びたらしく、四人とも着替えまで済んでいた。
双子は顔の擦り傷が痛々しく、裾や袖から見える包帯にアルギンが一瞬意識を飛ばしかける。丁寧に治療をされる程度には酷い怪我だったらしい。
ほかほかの二人がアルギンの傍に寄る。普通にしていれば、あまり痛くないらしい。
「骨に異常は見られませんが、擦過傷や打ち身が多いですね。聞いたら、自分達で馬車から飛び降りたとか」
「飛び降りたぁ!?」
「『ぱぱのおてほんみたからやってみたの』と言ってましたよ」
「ぱ」
――途端、アルギンの首から上が歯車細工のように不自然な動きでディルに向いた。
ディルは咄嗟に視線を逸らしたが、逸らした先で事情を知るアクエリアとミュゼに見られている。フュンフも庇えないとばかりに悲痛な顔をしていた。
後から、アルギンからの事情聴取と説教が確定した瞬間だった。
「……イルも、ジャスもありがとう。何か、皆に御礼がしたいな。あんまり金掛かり過ぎないことだったら聞くよ、それだけ感謝もしてるしね」
「は!? アルギン正気か!? 金銭欲の皮突っ張ってるお前の言葉か!?」
「うっさいアルカネット」
気安い義姉弟間の言葉がぽんぽんと出てくる間に、女性陣は女性陣で顔を見合わせていた。
別段今の暮らしで、アルギンにお願いしないといけないような物品は無い。感謝の気持ちとは言われても、娘達を誘拐された親の心に付け込むような事もしたくなかった。
フュンフだって、元から礼をして貰うために動いた訳じゃない。アクエリアだってそうだった。
家賃三ヶ月無料、とか、どこか旅行行きたいから旅費出せ、とかまでならアルギンも聞くつもりでいた。でも。
「……あの」
おずおずと手を挙げたのはジャスミンだった。
いつも控えめな彼女が、そわそわと身動ぎしながらアルギンを見ている。
「お、いいねジャスミン。決まった? アタシ、今なら何でも聞いちゃう」
「本当に? なんでも?」
「……そんな念押ししなきゃいけない内容なの? ちょっと不安になってきた」
「あ、い、いいえ。お金が全然絡まない話ですから、そういう心配は大丈夫なんですが」
少し不安が過るアルギンを余所に、ジャスミンは次に少し潤んだ瞳でディルを見た。
一瞬で何か良からぬ気配を感じたアルギンは、その視線の間に立ち塞がるように位置を変える。
「ディルはあげないよ。アタシの愛する旦那様だから。どうしてもっていうならアタシと殺し合――」
「違います! 違いますから!! ……その、私達、色々、知らない事ばかりじゃないですか。お城の話も、この酒場の話も」
アルギンの誤解はその言葉だけでは解けなかったが、途中で横槍は入れなかった。
ゆっくりと前提を話すジャスミン。先日、ヨタ村に行く依頼が来るまではこの酒場の厄介な話さえもほぼ知らなかった。この店主夫婦が、どんな過去を持っているのかも。
「私……というか。私達、色々、お話聞いてみたいんです。その、……お二人が騎士だった時の話とか、馴れ初めとか、私達が来るまでの酒場の話を、色々と」
――それは、フュンフもアクエリアも巻き込まれる形の『御礼』の提案だった。




