20.その長女、親よりも強く
苦悶の呻きと救いを求める叫びが、聞こえる。
魔法が使える相手に卑怯だと罵った口は、すぐに悲痛な声を上げる。
少しは自信があった筈の近接戦闘も、目の前に立つ異種族の方が上手だと知ると顔色は青くなった。
殴られ、蹴られ、僅かにアクエリアが見せた隙を狙えば体の動きが止まる程の雷撃が襲う。かといって、命を奪うほどの強さではない。
嬲られている。
ウバライは、これまで自分が子供達にそうしてきたように、絶対的強者によって弄ばれていた。
「……少しは感謝するんだな? そこの煩ぇ女が一緒じゃ無けりゃ、お前なんて一瞬で灰になって終わったってのに」
反撃の機会など、一度として与えられていないウバライは、その絶対的強者から敵意を一身に受けていた。
煩ぇ女、なんて言われているシスター服を着たミュゼは、ウバライの視線の向こうで双子と一緒に泥遊びをしていた。そこいらの土を手でひっくり返してこね回し、また泥玉を量産している。アクエリアを見て怖いと震えていたコバルトですらもう笑顔を浮かべ、三人で歌まで歌っていた。
「あーるせんのーおーがーわーはー」
「きーよきながーれーのー」
「豊かーなー恵みを分け与えー」
双子の歌は手放しで褒められる音程ではないが、ミュゼの高音は聞き取りやすく綺麗だ。こんな場所で歌っているのが不似合いな程に。
呑気な歌が聞こえて来て、ウバライが不愉快そうにそちらへと視線を向ける。
この歌には、二つの意味合いがある。ひとつは、双子を落ち着かせるため。そしてもうひとつは、アクエリアがウバライを殺してしまわないよう、双子の存在を意識させるためだ。
「余所見してんじゃねぇ、よっと!」
「っご、はっ……!」
視線が自分から外れたと見るや、即座に腹部に蹴りを喰らわせるアクエリア。その動きは魔法の操り手というだけでは説明しようがないほど早い。彼自身も武術を身に着けているようだった。
手加減されていつつも相応に力は入っている。胃液が逆流してきそうになる痛みを堪えながら、ウバライが中腰になった。
これだけ痛めつけられても、ウバライの部下達は誰も助けに来ない。
逃げたか。――それとも。
「しっかし、アルギンも遅いな? このままじゃ俺自身が殺さないよう我慢しても、ヒューマンの体じゃ耐えられんで死ぬぞ」
「殺すなっつってんだろ、馬鹿エ……アクエリア」
「誰が馬鹿だ」
「お前だよ」
敬語じゃなくなったアクエリアと、気易すぎる言葉を投げかけるミュゼ。ぽんぽんと交わされる言葉の応酬にも、双子は慣れてしまった。
「おじちゃんもおねえちゃんもこわーい!」
「あはは、こわーい!」
怖いなら笑うな、とウバライは視線で訴えるが誰も意に介さない。
やがて一方的な暴力が続いて、手足の感覚も薄れて意識も飛びかける頃。
五人の耳に――ヒューマンであるウバライの耳には少し遅れて――複数人の足音が聞こえた。
足音だけではなく、何かを足元悪い地面に引きずるような音もする。ずる、ずる、と規則的に聞こえる音は不気味さを増していた。
音が聞こえ始めると同時、アクエリアが自身の髪に手を差し入れる。髪を手櫛で梳く度に、その色が変化し始めた。いつも、酒場で気の良いエルフを騙る時と同じ色。髪の次は、肌の色までも変わる。
「……な……ん、だ」
ウバライは既に、明瞭に話す事すら困難になっている。
既に立っていられない状態で地に伏し、泥だらけの顔を僅かに上げる。
雲間の光が多くなって、明るくなってきた地上に最初に見えた新しい影は――濃さ違いの銀色を髪に宿す、ウバライの知らない人外の姿。
「――遅かったですね」
アクエリアが声を掛ける、その音が少しばかり嘲笑っているようだった。
ディルとアルギン、それから少し距離を置いてソルビットとフュンフがいる。兄妹は手に縄を持っていて、その縄の先には男達が捕縛されて引きずられている。これまで道すがら、なんとか夫婦に殺させずに捕縛した三下共だった。
到着の遅延をからかわれて、アルギンがアクエリアを睨んだ。
「……まさか、そいつ殺してねぇだろうな。アタシ達差し置いて」
「まだですよ。……でも、死んでたとしてもそっちが来ないのが悪い。これでも、相当我慢してたんです。良いじゃないですか、そっちも大収穫だったようで」
「収穫は出来ても屠殺はまだだよ。……それで、こいつが、元凶って訳かい? まだ生きてるよな?」
アルギンは両手に持った短刀を、器用にくるりと手の中で回して持ち返る。
自分の子供達が、ミュゼの側で無事なのは分かる。
双子もアルギンを見ていた。でも、肌から伝わる母親の怒りが、双子に駆け寄る事を考えさせない。
――親としては、今の状態でも無事とは言いたくない。
顔にも傷を負って泥だらけ。どうしてずっとこんな場所に、という問いかけはしなかった。ミュゼが不用意にどこへも連れて行かなかったから、最短で再会出来たのかも知れないのだから。
それでもアルギンは、赤い血を流して、体も雨と泥に濡れて。そんな子供を見て、無事で良かったねなんて笑って言えるような女ではない。
「なぁ、まだ生きてるよな」
再び問い掛けるアルギンの隣にいるディルも、無言で剣を引き抜いた。王家の政務に同行した時に佩いたそれは、ディルの手に長年よく馴染んだ愛剣だ。
ディルの殺意は、まだ口から出ない。代わりに、射殺さんばかりの瞳が語る。愛する娘に汚い手で触った罪を、命で償わせようとしている。
「生きてるよな、そいつ。生きてるんだろ。まだ生きてんだろ!! っざけんじゃねえよアタシ達の娘をこんな目に遭わせやがってぇええええ!! 鼻からコレ突っ込んで脳味噌が溶けるまで掻きまわしてやんよ!!」
短刀を構えて体勢を低くするアルギン。
その隣でディルも構える。最早無抵抗な相手に、確実に仕留めるという意思を持って。
「『未だ生きている』僥倖と、『未だ此の世に居る』奇禍。殺すには生かしておかねばならない不条理――度し難いな」
頭に血が上って短刀を構える妻と、冷たい殺意極振りの剣を携える夫。
どちらの手に掛かった方が楽に死ねるか、なんて選択肢しかウバライには残されていなかった。
後ろに控えるフュンフもソルビットも、泥に塗れた双子を見てしまえば止めようという気すら起こらなかった。せめて、他の誰かに見つからないうちに、自分達が隠蔽できればいいと。
その時は、誰もがウバライの惨たらしい死を願っていた。
たった一人以外。
「えいっ!!」
「どわぶっ!?」
軽い足音。その時、ミュゼは夫婦の方に視線を向けていた為に、その人物が動いた事に気付かなかった。
あ、と最初に言葉を飲んだのはソルビットだった。
アルギンも、ディルも、自分達の体の横を過ぎ去る塊に、投げられた後に気付く。
ウィスタリアが投げた泥玉は、地を這うウバライの顔に命中した。反射的に目を閉じたらしく、眼球までには泥の侵入を許していないらしい。
この上泥玉まで投げられて、悲惨な状態になったウバライを指差して笑うウィスタリア。
「きゃっきゃ。あたったー」
「………」
「ありがと、おじちゃん! たのしかったよ、わたしたちとおいかけっこであそんでくれて」
――瞬間、周囲の大人の動きが止まる。
「……ウィリ、ア……?」
「おじちゃんたちね、あそんでくれたの。たのしかったの。――ねぇ、バルト」
「え……あ、えと、……う、……うん! たのしかった!!」
「『また』あそんでね、おじちゃん!!」
最初は戸惑っていたコバルトですら、最後にはウィスタリアの言葉に同調する。
その顔をしっかりと見ることが出来たのは、位置的にミュゼとソルビットだけだった、が。
声だけは楽しそうに弾んでいるウィスタリアの顔が、コバルトに向いた時だけ一切微笑すら浮かべていない真顔だったのを見てしまった。
ぞくり、と、その顔を見てしまった二人に悪寒が走る。自分が行動を起こさないと何が起こるかを全部分かっていて、妹さえを言いくるめた。
両親に、人を殺させない為に。
その手を汚させない為に。
自分達双子が大事にされているのと同じ程に、二人もまた両親を愛しているから。
ウィスタリアとコバルトがそう無邪気に言ってしまえば、大人の毒気は抜けていく。『楽しかった』『遊んでくれた』人物を、子供達の前で殺す事は出来ない。本人達が危険な目に遭ったという自覚が無ければ、今はまだ楽しい思い出の筈だ。それを親の心の都合で悪い記憶に書き変える事は無い。
アルギンもディルも、その場で刃を仕舞った。「ちっ」などと、アルギンの舌打ちが聞こえたが誰も咎めない。
今この状態で、青くなって冷や汗をかいているのはミュゼとソルビットだけだ。
「……」
「………」
「……」
顔を青くした二人だけが、視線で語り合う。『見た?』『見た』と、互いにしか聞こえない会話で。
これはどちらからの遺伝で、誰の教育の賜物だろう。双子には色々と要らない事を教育した記憶のあるソルビットさえ、ああまで大人顔負けの駆け引きと裏の顔をするよう教えた覚えはない。
武器を仕舞った両親に、双子は泥だらけのまま近寄って行く。そんな愛しい子供達を、親は両腕を広げて受け止めた。最初はアルギンが双子を両腕に抱き留めて、ディルはそんな三人を纏めて抱き締める。
アルギンが、双子に頬を寄せた。
服は冷たいが、肌はちゃんと温かい。大事で、大切で、世界と引き換えにしても守りたい愛しい子供達。
――やっと、腕の中に帰って来た。
「心配、したんだよ。ウィリア、バルト」
「ごめんなさい、まま、ぱぱ」
「ごめんなさい」
「……無事で在れば……其れで構わぬ。無事で、笑顔で、戻って来るだけで……」
「ごめ、っ、ふ、え、ふええええええええん」
両親の声は悲痛で、コバルトは泣いたがウィスタリアは耐えた。えへへ、なんて照れ笑いに隠した感情は、親の二人には筒抜けだったけれど。
やがて親の腕も離れた頃に、フュンフが四人の側に寄った。一番に振り返ったのはウィスタリアだった。
「せん、せ」
「……私も心配したぞ、ウィリア、バルト」
「せん」
「怪我を、しているな。痛かっただろう。辛かっただろう。……楽しかったと言っていても、体の痛みは別だろう。もう、帰ろう。帰って、傷を診て貰おう。今日はゆっくり休もう」
「……」
ウィスタリアは驚いたような大きな瞳で、フュンフの顔を見ていた。瞬きもしない母親譲りの灰茶色の瞳から、大粒の涙が溢れて落ちる。
ぼろぼろと、幾粒も、止められない恐怖と不安と、それから安堵の涙だった。先生と慕う男の顔を見て、やっと安心して泣けた――とでもいう風に。
「えへ。……えへ、へへ。ふえ、……ふぇえ……せんせぇにも、ごめん、なさ、」
「……良いんだ。ディル様の言うとおりだ。君達が無事なら、私も他に何も望まない」
「……せんせぇ……! せんせ、せんせぇええええっ!!」
フュンフが屈んで腕を広げると同時、躊躇わずに駆け寄るウィスタリア。その腕の中に飛び込んで、やっと子供らしく大きな声を上げて泣き始めた。
その場には暫く、双子の泣き声が響いた。建物の間をすり抜けて天まで届いた大声は、徐々に雲さえ晴らすかのように青空を招いた。
――家族が感動の再会をしている最中に、ウバライは地を這っていた。
連中が子供に気を取られている間に、逃げるように移動する。建物の影を移動し、曲がり角。姿が隠せれば、それから立って走れるかどうか。体は痛いが、今は痛みに任せて転がっている場合じゃない。
動かないと、殺されてしまう。
ウバライの行動理由はそれだけだったが、やっと曲がり角に辿り着いたところで背中に強めの衝撃を受ける。
「ぅ、ごっ……!?」
「はい、そこまで。まともに動けなかっただろうによく逃げたものだな。でももう終わりだよ」
靴底で、背骨をごりごりと踏み躙られている。
ウバライが必死に背中側に視線をやろうとすると、それまでに見覚えのない男が踏みつけていた。
濃紺の髪を、全て後ろへ撫でつけた男。美形でありながら、どこか酷薄な印象さえ与える切れ長の瞳。
着ている服は――白と深緑の生地で仕立てられた騎士服。普通のものと違うのは、威厳漂う深緑のマントを羽織り、騎士服にも金色の縁取りがされている事。
ウバライの口から、痛みから来るものとは別の呻きが漏れる。この服を着た人物とは、絶対に対峙したくなかった。
「ウバライ・ゴーン? だったか? ……よくもこのアルセン王国で好き勝手やってくれたものだな。どう落とし前をつけるつもりだ? お前達みたいなのに食い荒らされるためにこの国がある訳じゃないんだよなぁ」
「っぐ……っな、なんで、なんで、お前っ……!!」
「『お前』? 今、俺に向かって『お前』って言ったか? 随分威勢の良い口持ってるじゃないか、バルオード卿と関わりあったなら俺が誰か分かってるんだろ、それなのに『お前』呼ばわりして良いとでも思ってるのか?」
アールヴァリン・R・アルセン。
この国の第一王子にして騎士隊長の一人。次期国王と言われているこの人物は、敵に回すと誰より厄介と同業者のうちで悪評が立っている。それが悪評として広まっているのは、広めている者達が悪事に手を染めているからなのだが。
尚も立てない状態に陥っていると、また別の足音が聞こえてくる。今度は、色違いの騎士服に身を包んだ女だ。先程、銀色の夫婦と一緒に来た記憶がある。
「ヴァリン、そいつどうすんの? 殺しとく?」
王子騎士の名前を気易く呼ぶ血の繋がらない女は、この国には騎士隊『花』隊長のソルビットしかいない。
「いや、一先ず引っ立てないとな。処分は義母上が下すだろうが……まぁ、あの人の事だ。面倒臭いって言って俺達に任せるかも知れないな」
「よし、じゃあ今殺しとこう」
「そういう所、アルギンに似て来たなソル。殺すより、お前の副隊長にでも任せろよ。適任だろ」
「げぇ」
「よかったなぁ、ウバライ。お前の処遇は最終的には強制労働だろうが、それでも命あっての物種だって言うしな。俺達はお前の命までは取らないよ」
それは慈悲に満ちた言葉だった、かも知れない。
アールヴァリンの表情が、邪心の無い笑顔に見えた。どんな凶悪犯罪者でも、懐深い、或いは性善説を説いている愚かな王子なのだと、その時のウバライは思いかけた。
「ただ、まぁ。尻の穴が広がって元に戻らないくらいなら、死ぬより安いものだよな」
――王子騎士が口にするようなものじゃない発言が聞こえた瞬間に、ウバライは自分の耳を疑う。
そして、一両日中にはその言葉の意味を、文字通り体で理解するのだった。




