19.思い知らせるに相応しい
子供達は、その場から動かさず。しかしミュゼがしっかりと二人を見ていた。もう、今度こそ見失わないように一緒に居て、他方から寄って来る男共がいた場合も排除する程度はミュゼでも出来る。
問題はウバライの方だ。
別に、怒りに震えるミュゼでも対処出来る相手だ。しかし、それではアクエリアの怒りの行き場が無い。
現に、双子が無事――泥だらけの傷だらけではあるが――な姿を見ても怒りが収まる様子が無い。格好があまりに悲惨なせいもあるだろうが。
しかし、手には泥玉を持っている辺り、双子もそれなりに楽しんでいたようには見える。
「殺す……殺せない……殺す……殺せない……ああ……ヒューマンってのは本当に面倒臭ぇなぁ……?」
普段の胡散臭い敬語もかなぐり捨てるほどに、自身の感情を御しきれていない。
こうして生きて見つかったんだから――と、双子じゃ無ければアクエリアだって冷静だったろうに。
「みゅ、みゅぜ、おねえちゃん……?」
「おねぇちゃん……」
「大丈夫、二人とも? ……擦り傷があるね。ばっちい菌でも傷に入ったら大変だ」
手巾を二枚持って来ていて良かった。軽く拭うだけでも泥汚れはマシになる。
アクエリアの本性に怯えている二人は、されるがままになっていた。
「……あのひと、おじちゃんなの?」
「こわい」
「そう言ってあげないで。二人の事を凄く心配してたんだよ」
「でも、あんなおじちゃん、はじめてみた……」
「こわい……」
助けが来たのは理解出来ているようだが、その『助け』に恐怖を抱くほど、普段のアクエリアの姿とは違っていた。
仕方ない。これまで、何も知らない双子にもアクエリアは身柄を偽っていた。
自分の正体がダークエルフだと、知られれば面倒な事になっていたから。
他国では邪悪の象徴とされていたダークエルフ。
過激な者は排除しようとさえしていた。だから、ずっとアクエリアは本当の姿を偽って生きていた。
この自由を謳う国ではそんな事は無かったが、それでもアクエリアは自分を偽り続けた。
そっちの方が生き易いと、長い生で学習してしまったから。
だから双子はアクエリアの本当の姿を知らないし、本当の姿を見せたら怯えさせてしまうと気に病んでいた。
「……へ、へっ。ダークエルフかよ……。だから何だってんだ、俺はダークエルフすらも商品として扱った事があるんだぞ」
「……」
「たかだか種族が違うからって、昔に滅んだ国の種族に何が出来るって言うんだ。それよりも、俺達と組んだ方が金に困らない暮らしが出来るぜぇ?」
「黙れよ。うるさい」
ウバライの震えた声による勧誘さえも、冷たくあしらう。
今は双子に怖いなんて言われても、アクエリアは平気な顔をするだろう。
でも本当は二人にとって怖いなんて思われたくなくて、優しい『おじちゃん』でありたい筈だ。
不器用な甲斐甲斐しさに笑みが零れる。産まれてからずっと側で見守って来た、二人にとっての優しい『叔父』。
「怖いね。でもね、怖いのは、二人が危険な目に遭ってたからだよ」
不安がる二人を、そっと抱き寄せる。こうすることでアクエリアから目を逸らしてやれる。
二人はミュゼの服をきゅっと掴んで、抱き返した。
「……う」
「ごめん、なさい」
「本当に悪いのは二人じゃないから大丈夫。ちゃんと、元気な顔を皆に見せてあげてね。それに、今一番怖いのはアクエリアじゃなくて――」
ミュゼの背中の向こうで、ウバライの悲鳴が聞こえる。
何が起こっているのか、わざわざ見る気もない。でも、鼻に届く肉や何かが焼けるような臭いが漂ってきた。
「……今のアクエリアより……、マスターの方が、絶対に怖いから……」
ミュゼの耳に届くのは、地上で起こる電撃音。アクエリアの声は一切聞こえず、やがてウバライの声も消える。
殺してませんように。
双子の震えが消えるまで、ミュゼはただ二人に寄り添ったまま祈る事しか出来なかった。
アクエリアがこれだけ怒っているのだ。
産みの親であるアルギンの怒りは、さて、どれ程のものだろうか――。
ミュゼはその時、ディルがアルギンと合流した事を知らないので、悠長にそう考えていた。
話は昔に遡る。
ディルが何故、最高の栄誉とも言える聖騎士の位を戴いたのにその地位を返上して酒場に居るのか。
妊娠したアルギンは酷い悪阻で、入院しなければならない事態になった後の話だ。
産まれたのは両親の外見をそのまま受け継いだような愛らしい双子だったが、子を育てる者には平等に襲い掛かる苦行を親に強く。
騎士であったアルギンも、体力には自信があった。
けれどか弱い命である赤子、それも同時に二人を相手に世話していたのだ。同時に酒場店主として、そして裏ギルドマスターとして働いていたアルギンの活動限界は、誰もが思っていたよりもあっという間に来た。
でもアルギンの幸いは、助けてくれる仲間が、そして夫が側に居た事。
誰も彼も育児を手伝い、双子の相手を進んでして、聖騎士として務めるディルの穴を埋めた。マゼンタやオルキデも、時間があれば双子と遊んだ。ソルビットもフュンフも、双子の面倒を見た。
酒場に帰っている間しか妻の苦悩と双子に触れられないディルだって、何も考えていない訳が無かった。
双子が産まれて半年、全ての引継ぎを終えた彼は騎士の位を返上する。
向こう数十年は働かなくともなんとか暮らしていける蓄えを用意して、不特定多数の『誰か』ではなく、愛する『家族』を守る為に。
――その『家族』に危機が及んだ時、ディルは愛する者を何よりも優先する。
そして、時は今に戻る。
アルギンとディルは、四番街と五番街の境に居た。既に主要な通りは騎士が着々と封鎖し始め、細々とした道にも監視は付いている。
境に居ると言っても、大人しく散歩などと遊興に出ているのではない。座り込んで怒りに息を荒くしているアルギンの下衣の裾をディルが泥まみれの靴で踏んづけて、今にも走り出そうとしているのを止めているのだ。
「大人しくせぬか」
「……ふー……っ……、ふーっ……!!」
瞳に宿る殺意は、まるで手負いの獣だ。子供を盗られた親ならば仕方のない事だ。数秒待つだけで解ける怒りなど、この時限りはある訳ないから。
今靴を外せば、アルギンは瞬く間に走り出して消えて、怪しいと思った通行人を片っ端からなぎ倒していくだろう。きっと、力尽きるか双子が見つかるまで。
ここに来るまでも、アルギンはディルに仔細を話しながら怒りに何度も噴火している。子供並に感情表現が豊かな女だが、それが怒り一辺倒になる時が本当に喧しい。
「……殺してやる……。あいつら全員殺してやる……。酒場に残してる奴も殺してやる……」
「落ち着け」
こんな時でも、冷静に見えるディル。――だが。
「半分は残せ。我にも首を飛ばす権利はある」
本当に冷静であるなら、夫婦連れ立ってこんな所まで来ない。
妻が誰かを殺す危険があると判断し、それに否を突き付けるなら、そもそも下衣を踏むだけの拘束で済ませる訳も無い。
ディルも、もう穏便に済ませる選択肢は残っていない。騎士に敵の身柄を引き渡すことすら、時間の無駄だと思っている。
夫婦にとって、愛する人と自分の血を受け継いだ最愛の娘達だ。正直に言って、この地上の誰の命よりも大切な双子。二人とも騎士でなくなった今、国王と双子のどちらかが死ぬという状況に置かれれば躊躇わず双子を守る選択をする。騎士であった時だって、国王を選択出来たかどうか危うい。
「……ディル……」
夫の口から不穏な言葉が漏れて漸く、アルギンの瞳の殺意が和らいだ。夫に振り返る唇から漏れる音は、いつも夫へ向けている甘ったるい声。
「……ごめん、ね」
「何を謝る? 汝が全員殺戮するのは譲れぬのか」
「そうじゃないよ、半分くらいならなんとか残す。……でも、そうじゃない。ごめん、アタシ、不甲斐ない母親で、二人を、こんな、危険な目に遭わせて」
「汝が悪いのかえ。其れを言うなら不注意で飛び出したウィスタリアとコバルトにも非はある。然し、一番の悪は奴隷商たる奴等では無いか。奴等さえ居なければ、汝も己に非が有るとは露ほども思う事は無かったろう」
「……ありがとう」
自分の無鉄砲さを分かっているから、こうして止めてくれる夫の存在はかけがえのないものだ。アルギンの長所も短所も理解して、それでも傍に居て肯定してくれる。
夫がこの男でなければ、アルギンは気に入らない所を見つけては殴り飛ばしていただろう。非常時だとしてもこうして下衣の裾を踏まれる事すら苛立った筈だ。でも、ディルには怒りは抱かない。惚れた弱みもあるのだが。
夫婦が和やかに会話が出来ているうちはまだ良かった。でも、ディルの言葉に奴隷商たちへの怒りが蘇る。あいつらさえ居なければ、存在しなければ、と思考が飛躍するうちにまた呼吸が荒くなる。怒りを乗せた血液が、全身を駆け巡って毒していくような感覚。これを止めるには、双子を無事に取り戻した後にあいつらを全員血祭りに挙げるしか解決策が見いだせない。
「……やっぱりあいつら全員殺す残らず殺す絶対殺す……!! よくもアタシ達の可愛い二人に……!!」
「落ち着け」
そして話は堂々巡り。ここだけ聞けば、どちらが悪人か分からない。
やがて夫婦だけだった場所に、続々と参集する人影がいた。
「遅く、なりました」
一人は男だ。質の良い布地で仕立てられた黒い聖職服を纏っている。連絡を受けて急いで来たという風体だ。
もう一人は女だ。着替えたらしく、雨で濡れてはいるものの白と赤を基調とした騎士服を纏っていた。
その二人の共通項として、癖の強い波打つような茶色の髪を持っている。
――そして、その茶髪の二人の背後に、隊列を作って待機する騎士達。
「遅い」
「は、申し訳ありません。……まさか、………まさか、あの二人がこんな目に遭っているなど、悪い冗談としか思えず……」
「冗談であるなら、夢であるなら、我とて此れ程迄に怒りなど抱くものか」
「アルギン、大丈夫? ほらお手々繋いどこうか」
「繋がねぇよ。アタシが走る時邪魔したら承知しねぇぞ」
フュンフ・ツェーン。
ソルビット。
異母兄妹にして、ディルとアルギンの騎士隊長時代に副隊長を務めた者達だ。この夫婦の扱いにくさと面倒臭さは、昔からよく知っている。そして、双子ととても深い関わりがある二人。
何かあった時、この夫婦の元に真っ先に駆け付けるのもこの兄妹だった。
「てっきり、あたしもうアルギンは誰か殺しちゃってるかと思ってた」
「馬鹿言え」
集結した、昔馴染み。
アルギンの瞳に憎悪の炎は渦巻いていれど、先程までの理性を欠いた獣の目はしていない。
「今からだよ」
「おっかなーい」
――本当に、どちらが悪人なのか分からない。
「アルギン、ディル様に迷惑の掛かる行動は慎んで貰おうか」
「あーあーうっせぇなお前さんはよ、こんな時にまで」
ソルビットはアルギンに対してやや煽る口調をするが、フュンフはその逆で窘める事ばかりを言う。
それで丁度良い均衡が保たれていた。無鉄砲に走り出すような事ももう無いと確信したディルが、そっとアルギンの下衣を踏んでいた足を外す。
泥と雨で汚れた服でも、アルギンは気にも留めない。
「ソルビット、フュンフ、もういい?」
「――構わん、だろう。命令を出してのろのろと動く我が『月』でも無い」
「あたしの『花』も、アールヴァリンの『風』もね」
現騎士隊長である二人は、自隊が既に所定の位置に付いていると暗に示した。
もう、奴隷商達はこの四番街から逃げられない。四人の背後にも、既に封鎖用の人員が隊列を組んでいる。
この城下で、手を出してはならない『一般人』に魔の手を伸ばしたのだ。奴隷商には末端に至るまで、楽に死ねない未来が約束されている。
「出くわした輩は、片っ端から斬り捨てて良いのかえ」
「何も知らぬ民の可能性が残っています。相手に敵意がある時だけにしてくださいませんか、ディル様」
「面倒だな」
「そうだね。雨が止んで来てるから、無関係な奴も外に出て来るかもだし――あ」
夫婦は治安の悪い言葉を並べつつ、空を見上げる。
そろそろかと思っていたら、肝心の人物からの報せが届いていた。
曇天の空に広がる、目玉を象った光の模様。
その中心から――光が一筋、地に降り注ぐように落ちた。
「あれか」
アルギンの口から漏れた声。
アクエリアが双子を見つけた、その報せだ。彼らしく、分かりやすくも大仰しい格好つけた紋様だ。
アルギンが自分の腰に手を滑らせる。僅かに上衣の裾を捲ると、下衣の留め具部分に短刀が二本差してある。慣れた動きで引き抜くと、一歩を踏み出す――よりも先に、襟元をディルによって摘ままれる。
「ぐぇ」
「先走るな。次先立って動けば、明日から首輪と鎖を付けて生活して貰おう」
「やーん、やめてディル。愛してる。もう行かないから離して。そして結婚して」
「とうにしているが、汝はもしや痴呆でも患ったかえ?」
「「……」」
またやってるよ、と兄妹からの冷たい視線を受けても夫婦は二人の世界に入っていた。
尤も、アクエリアが双子を発見した報があっての落ち着きなのだが。
暫くして夫婦漫才も終わり、四人は足並みを揃えて進み出す。
四人がその場を離れたと同時に、騎士達は包囲網を狭めていった。
じりじりと、じりじりと、鼠の一匹すら逃さないかのように。




