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【第三部】アルセンの方舟 ―国家公認裏ギルド交響曲―  作者: 不二丸茅乃
chapter.3 あなたをさがして

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15.宮廷占術師




 ディルとアルギンの夫婦は、馴れ初めからして『普通』とは言い難かった。


 その二人が結ばれたからこそ、双子が産まれた。

 ウィスタリアを姉とし、コバルトを妹とする姉妹だ。周囲から可愛がられる幼児である双子は、両親から愛され、また両親を愛している。

 生まれてまだ数年の、小さな子供。世の中の穢れに触れた事も少ないような、無垢な子供。


 そんな彼女達が、悪漢の手に落ちた。





 幼児には、反応する事さえ難しかった。

 家を出て扉が閉まった瞬間、擦れ違うだけだった筈の男二人から抱えられた。一人ずつ小脇に確保されて布を被せられ、連れ去られた。

 分かりやすく音を立てる囮に引きつけられてしまったアルギンは、二人を連れて行く男達に気付けないままだった。双子を連れた男はその場を離れるように悠々と走る。雨足が強くなれば、荷物を抱えて走っても何ら不自然な所は無い。


「きゃ」

「わぁ」


 そして周到に用意された男達の塒は、五番街にもあった。空き家になっている家に勝手に上がり込んだだけの、暫く掃除もされていないのか埃の積もっている場所だ。酒場から少し離れていて、人目はしのげる。

 そんな埃だらけの床に、荷物でも投げるかのように放り出された双子。不用意に息をしてしまい、埃によって咳が出る。


「いいかお前らぁ! 騒いだら殺すからな!」

「っく、ぅえ、ふぇ……」


 これまで浴びせられた事のないような、粗野で悪意の込められた声。

 ひっ、と身を竦めて泣いたのはコバルトだった。男の子のように髪を切り揃え、半ズボンを穿いている。気の弱い弟とでも男達の目には映っただろう。


「しかし、双子かぁ。あそこの酒場、店主も良い女だったよなぁ? こいつらの身の安全をチラつかせりゃ、もしかすりゃあの店主も……」

「馬鹿か。幾ら美人でも子供産んでんだぜ? そんなババアなんて相手にすんのかよお前は。やっぱり女は若くねぇとな」

「ちゃんと見たかぁ? ありゃババアじゃねえよ、胸は無いが若かっただろ」


 子供相手に油断している男二人は、双子に縄も掛けないまま次の準備に入る。子供に聞かせるべきでない下劣な話をしながら、双子ならば一人ずつ入れるだろう背負えるように紐を取り付けた木箱を出して来る。薬売りなど、行商人なら持っているようなものだ。

 その中に、無理矢理詰め込まれる双子。声を殺して泣くコバルトは、ソルビットから貰った手の中のぬいぐるみを必死に握りしめていた。


「本当に今日の昼過ぎなら大丈夫なんだろうなぁ?」

「らしいぜぇ。なんでも、王妃殿下が外から戻って来るんだと。その時だけは、城下に出る奴なら検査も甘くなるんだとさ。王妃殿下とやらに掛かりきりになるんだから、そりゃ当然だよなぁ?」

「じゃあ、急がねぇとな。こんな城下なんぞ早く抜け出して、それからあのエスプラスの身柄と交換する交渉か。もし決裂しても、このガキ共売り飛ばせばそれなりの金が入るってこったな」

「そういうこった。見た目がキレーに産まれても、こういう事あんだから世の中ってのは分からんよなぁ」


 双子は二人とも、無垢な子供だったが、自分達について話されているその内容が『よくないもの』である事には勘付いている。

 猿轡を嚙まされて木箱の蓋を閉められる時も、コバルトは声を殺そうとして漏れる嗚咽を耐えきれていなかったが。


「………」


 ウィスタリアは、母親から引き継いだ灰茶の瞳を瞬かせて、最後まで男達の顔を泣きもせず見ていた。

 睨むでもなく、ただ、猿轡にも抵抗せず、黙って。




「駄目です、分かりません。道行く全員が怪しく見えます」


 外の偵察から戻って来たアクエリアは、開口一番据わった目でそう言った。目星をつけた怪しそうな通行人に片っ端から話を聞いても、全員が事件と何ら関わりの無さそうな一般人だった。

 外套を着た甲斐も無く、ずぶ濡れで戻って来た医者二人だってそうだ。街中を走っても、二人の足では限界がすぐに来た。何より、城下は狭いようで広い。体力の少ない二人が探す範囲は酒場の周辺で終わってしまった。


「ミュゼさんは?」

「まだ戻って来てないよ」


 手掛かりも掴めない状況は焦りを増すばかりで、酒場では惨状が広がっている。

 誘拐犯一味の男は、アルギンの手によって爪を数枚剥がされていた。


「……うわ」


 外から戻って来たアクエリアの声が漏れるほど、アルギンは荒れていた。

 男は拷問に気を失っているらしく、項垂れたまま動かない。その正面に座り込むアルギンは、手に酒場の卓や椅子の修繕に使う奴床(やっとこ)を持っている。その奴床には剥ぎたての爪を挟んでいるのが、生々しく恐ろしい。


「……全然吐きやがらねぇ……。他にも塒あんだろって言っても全然、何も……」


 悠長に拷問で情報を吐かせるには、時間が足りなさすぎる。

 焦るアルギンは空いている手で頭を掻くが、心を落ち着かせる手段にすらならない。


「二人は何処だよ。ウィリアは、バルトは、何処なんだよ。アタシとディルのかわいい子供達は、何処に連れてかれたんだよ、くそ……、クソ、クソっ!!」


 爪の間に血が残るほどに強く頭を掻くアルギンを止めたのは、冷静でいようとしたアクエリアだった。捻り上げるように手首を掴んで止めさせたが、代わりにアルギンは礼も言わずに睨みつける。


「貴女が自分を傷付けて、どうします。双子が泣きますよ」

「……」


 泣いて欲しい。

 今、叶うなら、目の前で。抱き締められる場所で。

 でも、邪な勢力の被害に遭ってしまった今、その願いは叶わない。傍に居て欲しいという、我が子に抱くささやかな願いすら。

 苛立ちから荒々しく、アルギンが手を振り払う。でも八つ当たりをしたって双子は戻って来ない。


「マスターっ!!」


 アルギンの後悔と絶望を、それ以上深みに嵌めないように動く者はまだいる。

 外から駆けて入って来たのは、全身濡れても尚外を走っていたミュゼだ。殴りつけるように開いた扉の向こうから、ミュゼ以外の人物さえも走って来た。


「アルギンさんっ!!」

「マスター!」


 外套も、裾も、酷く濡れている。

 その場に外套を脱ぎ捨てれば、オルキデとマゼンタの顔も露わになった。その後ろにはロベリアも付いている。

 息を切らせて焦りを浮かべ、アルギンの側に駆け寄ったマゼンタの表情は、いつも穏やかに笑っている女給の姿とは掛け離れていた。気絶している男を見るや、その顔が怒りに染まり目が見開かれる。


「……ミュゼさんから、話を聞いて帰ってくれば……。このヒューマンは、何を寝ているのかしら……?」


 マゼンタには、男が太腿から流して床に溜まる血も、剥がれた爪も見えている。でも、そんなものは関係ない。

 男の前に出るマゼンタは、こつこつと足音を立てる。仁王立ちした状態で、軽く片足を上げた。


「――破落戸(ゴロツキ)ヒューマンの癖に」


 水を吸いにくい木製の、泥汚れの多く付いた固い靴。急いで帰って来たのが分かる程の泥跳ねだった。

 軽く足先を引いたマゼンタは、それを反動にして男の顔に蹴りを喰らわせる。男の口の中に靴先を捻じ込む頃にやっと男が気絶から目を覚ました。


「っご、あ、ぁあっ!? んあ、あんあぁあ!?」

「黙れ、ヒューマン。その喉を震わせる事を許可した記憶は無いわ。底辺で生きてるお前はゴミ虫らしく、私達の鼓膜を汚さないでいてくれない? どうしてもっと早くに死んでなかったの? 虫の寿命って短かったわよね。なんで生きてるの? 剥がせるような爪まで生意気に生やしちゃって。スカイくん狙った次は双子ちゃん? 浅ましすぎて溜息も出ないわ。私の同胞達さえ勝手に売買してくれちゃって、何を調子に乗ってるの? そんな事で利益を得る事を、私は許可した覚えは無いのよ」


 男を見下げる紫色の瞳は、とても冷たい。

 酔漢の相手もそつなくこなし、店で笑顔を浮かべているいつもの穏やかな彼女は、今はどこにもいなかった。ジャスミンもユイルアルトも、その豹変ぶりに恐怖を抱く。

 尚も靴先をぐりぐりと、男の口に捻じ込もうとするマゼンタ。男の口からは再び苦悶の絶叫が漏れだす。

 そんなマゼンタを見ているアルギンの目は虚ろだ。でも、特に驚きと言った感情は見えない。


「……ロベリア」


 男の口から靴先を引き抜いたマゼンタ。その靴に涎も血液も付いていて、それをわざわざ男の腹部に擦りつけて拭き取った。

 年齢に見合わぬ、女王のような仕草だ。婚約者という男を呼びつける声も、普段の優しさは無くどこか高圧的だった。


「はい」

「『アレ』、出来ない? ……お願い、あの双子ちゃんの身の安全が懸かってるの」


 お願い、という声が怒りで震えている。

 ロベリアは、一度だけ頷いた。


「……な、ん、なんですか、どうしたんですか、マゼンタさんは……」

「きゅ、急に、人が変わったみたいに」


 マゼンタの豹変を初めて見た医者二人は、やや体勢を引き気味にして怯えている。スカイは、目の前で起きた事が理解出来ずに固まっているだけだ。

 ミュゼも、マゼンタの嗜虐的な行動に唇を引き結んでいた。でも、医者達のように怯えたりもしていない。

 豹変した彼女に抱いた謎の答えを出すのは、アクエリアだった。


「マゼンタさんも、オルキデさんも。プロフェス・ヒュムネなんですよ」

「プロフェ――って、スカイくんやロベリアさんと同じ?」

「それも、お二人は失われた彼の国の王族。特にマゼンタさんは、次期女王だったそうです」


 産まれる前から女王となる事を義務付けられていた、亡国の王族。

 国が滅び、このアルセン王国の庇護下に入った二人は、とある縁でアルギンの酒場で働くようになった。産まれた時に名付けられた、『本当の名前』さえも使えないほどに不便な生活だったけれど、他種族と生活する事で覚えたものもある。

 普段の給仕の姿は偽りではない。でも、この元次期女王たるマゼンタの姿は、本性とも言うべきものだった。


「……僕の紫廉。貴女が望む儘に」


 そしてそのマゼンタの表も裏も、ロベリアは婚約者として愛している。

 嗜虐に傾いた心を落ち着かせるように、一度だけマゼンタを抱き締めた彼は、すぐに男の前に座り込む。

 男は、ロベリアの頬に咲く緑色の菊――葉緑斑――に種族を勘付いたようだが、気まずそうに視線を逸らした。

 けれど視線を逸らす事すら許さないように、ロベリアが相手の首筋に触れる。直接体温を感じるような、或いは死に至る急所を確認するような手の動きに、気味が悪いと男の表情が不快そうに動いた。


「幾つかお伺いしたい事があるのですが、良いでしょうか」

「……はっ。お前もエスプラスか。今更何聞きてぇんだよ。知ってる事のうち、聞かせてやってもいい話は、聞かせてるぜぇ?」

「構いません。僕は、『それ以外』を聞きましょう」

「それ以外ぃ? ははっ、できる、もんなら……やってみやがれ」


 男は、ならず者の割には秘密主義だった。並の犯罪者であれば簡単に口を割るような拷問を受けて尚、決定打になるような情報は一切漏らさない。

 あろうことか、挑発するようにロベリアに向かって唾を吐きかけた。血混じりのそれを菊の模様咲く頬に受けたロベリアだが、表情を変える事は無い。


「――言いましたね?」


 ロベリアは自分の髪の中、巻き布の下に手を差し入れた。取り出したのは真っ赤な色をした、小粒の丸い種。

 それを口許へ運んだロベリアは、水も無いままそれを飲み下す。「あ、」と声を漏らしたのはスカイだけだった。


 ――『種』の摂取。それは、プロフェス・ヒュムネが自らの能力を発現する時に必要になる行動のひとつ。


「ロベリア、いつもの瓶は?」

「要りません」

「え、でも」


 ロベリアには、能力を発現する時には他に必要な物品がある。その有無を聞いたのに、返ったのが否定でマゼンタが驚いた。

 宮廷占術師であるロベリアが種の能力を存分に扱う為には、占い札と特別なインクが必要だった。その札は彼の胸元から出てくるが、今日に限ってインク瓶が無い。

 地に転がる、アルギンが男の太腿を刺していた小さな刃物があるだけだ。


「っ、ロベリア!?」


 その刃物を拾った宮廷占術師は、躊躇わずに自分の掌を斜めに裂いた。利腕でない左の手を、親指の付け根から小指の付け根に至るまでの一本線。

 血が流れる手をそのままに、利き手で占い札を床に広げる。その間に、傷付けた方の掌の上で血が自らの形を変える。流れ落ちるだけで終わる筈の血液が、立体的な花弁の多い花の形を模し始めた。


「嘘は、分かります。時間が掛かりますから、真実のみを話してください。手間を取らせたら許しませんよ」

「ゆ、っ、る、さなかったら……な、ななな、なんだって、いうんだよ」

「僕の権限で、殺します」


 曇りのない、嘘を吐かない瞳だ。

 深淵を覗くような虚ろな瞳は、その時に限って真っ直ぐに男を見据えている。


「僕の世界の中で一番大切な人を不快にさせた、貴方を僕が、殺します。僕はこう見えても、国に仕えていますので」


 ロベリアの手が、花を握り締める。血管の浮くほどに力を込めた掌からは、血のような真紅の液体が絞り出された。

 それは厳密に言えば血ではない。花を模した時点で、ただ流れるだけの血液ではなくなっている。ロベリアが宮廷占術師の地位に就いているのは、占い札とその液体があるから。

 液体は札の上で線を描く。それは、まだ一本の横線。


「僕の後ろの人達がその身を案じている、双子の少女の無事と比べたら。僕が貴方を殺した所で、微罪になる事は目に見えていますから」


 彼が宮廷占術師として、王城で何を行っているか知る者はごく少数だ。

 それが今、酒場で示される。


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