10.来訪者の提案
酒場を出て、五日目。
双子はフュンフを訪ねて孤児院に何度も来ているから、その生活にも慣れて来たようだった。
孤児院では、生きていくための基礎とも言える授業をしている。昼休みを挟んでも続くその時間に、子供達はよく学びよく遊ぶ。
スカイが編入したのは低年齢の組だった。文字を読み書きから始め、一桁の計算を行う。同じ組ではウィスタリアとコバルトも机を並べて学問に勤しんだ。
ミュゼも先生のひとりとして教壇に立つが、アクエリアは違う。
――「俺は別に、誰かに物を教える事を得意としていませんから」
しかし、その言葉はミュゼからの度を越した叱責で阻まれた。
「お前ひとりだけ楽しようとしてんじゃねぇよ!! 子供と一緒に悩んでやれよ、文字書いたり簡単な計算ならお前だって出来るだろ! ほらお前も頭抱えるんだよ、どう伝えたら理解して貰えるか考えやがれ!!」
「おねーちゃんこわーい」
「あはは、こわーい」
「……」
……そもそも、裏ギルドとしては『命令とあらばどんな依頼も遂行する(殺人を除く)』を王家に誓っているのだ。アクエリアの勤務態度は今の所、些か不充分。
治安の良すぎる十番街で、敵襲がある訳がない。怪しい人物が居たら、足を踏み入れた時点で徹底的に目を付けられるのが十番街だ。
そんな中で、ただスカイのお目付け役として動くだけでいいのだろうか? ――答えは、否。
特に、ミュゼが許す訳が無い。
「お前が『教えるのが得意じゃない』だぁ? ふっざけんなよお前それでも百年生きたのかよ。その程度得意じゃなくてお前の長い寿命なんの価値あんの? 普段調子づいて斜に構えてる癖にその言葉は逃げじゃないっすかあぁん? 誰かに教えるのが下手だからって格好悪い所晒しくないって魂胆丸見えなんですよねえええアクエリア様ぁあああああ? お前その言葉八十年先まで忘れんじゃねえぞ忘れたら簀巻きにして海に放り投げて魚の餌にしてやっからボケんじゃねえぞ」
「止めてください俺が何をしたって言うんです!」
「何もしてねぇからキレてんだろうがコラぁ!!」
ミュゼは応接用の机に平手をかますほど滅茶苦茶に怒り散らかしているが、その会場となっているのはフュンフの執務室である、施設長室である。
部屋の主は平然と書類整理をしているが、叱られっぱなしのアクエリアは困り顔だ。フュンフに会いに来てちゃっかりと居座っている双子はソファに転がってミュゼの悪行に笑っている。
そして酒場の二人に同行を言い遣っているロベリアも同席しているが、誰の行動にもにこりともしない。ただ、その場の混沌具合を眺めていた。
「ったく……。俺に何の恨みがあるんです、ミュゼさんは」
「恨み買った奴にしかキレられた記憶が無ぇのかお前はよ。いつも商売女から怒鳴りこまれる男は違いますねぇー?」
「商売女?」
「仕事の関係者ですよ! 俺は無実です!!」
ぎろり、とフュンフの鋭い目がアクエリアに向いた。教育に悪い存在を酒場に近付ける事は、幼い双子の先生である彼が許さない。
この時ばかりは『子供の親代わり』としてのフュンフの善良な面が、アクエリアの悪い部分を削ぎ落さんと牙を剥く。削ぎ落されては堪ったものではない、と震えあがるのはその視線を受けた側だ。
ミュゼがこれだけ喧しく罵詈雑言を並べているにも関わらず、何故かフュンフはミュゼを毛嫌いしない。これがアルギンが発した言葉であるなら、眉間に皺を寄せて退室を促しているであろうに。
「ミュゼやこの双子に悪影響しか与えぬのか貴様は」
「だから、俺は無関係っ……いや、無関係ではないですが」
「全く、話にならんな。ミュゼ、酒場の居心地が悪いと思ったならいつでもこちらに来て良い。君ならいつでも正規職員として歓迎する」
「………」
ミュゼを厚遇するフュンフの様子は、アクエリアの目から見てもおかしいと思っていた。
仕事熱心な人物には相応の待遇をする、というのは彼の言だが、それにしたって丁重すぎる。過剰な信頼と期待を寄せている、その裏に別の感情が見えるようで気持ちが悪い。
何より、それを普通に受け入れているミュゼだって。
「居心地悪くないから酒場に住んでるんでしょ。そこまで妙齢の女性の事を気にかけるなんて、施設長様らしくありませんねぇ?」
「……この程度、正当な評価を下しているに過ぎない。面倒事から逃げて実力を出さない誰かと比べるのも馬鹿な話だ」
「それが正当な評価なのかも分かりませんが、どうして貴方はミュゼさんをいつも施設に招こうとばかりするんですか」
「この施設が職員寮も備えているからだよ。私の勧誘を不純だと考える、貴様の頭の方が不純ではないのかね。嫉妬なら嫉妬と言えば良い、時間の無駄だ」
二人は同じ志を持つ大人である以上、円滑な関係を保とうとするのは当たり前だ。
それが気に入らないのを、ディルは悋気かと聞いてきた。そんな訳あるか、と吐き捨てた。
自分には婚約者がいた。彼女以外との未来なんて欲しくなくて、考えた事もなくて、この二十年ずっと彼女を想って生きて来た。
――でも、本当に彼女だけを想っているのなら、この国を離れて今も彼女を探し続けているんじゃないのか?
――ミュゼが自分を想う心を心地良く感じるのは、婚約者への裏切りじゃないのか?
自分の心を疑う自分自身も、確かに存在している。
婚約者を追い求める自分が、もし『そう』じゃなくなったら。
これまでの二十年間を、空虚だと感じずにいられるだろうか?
「はぁ!? 嫉妬って、何をどう見れば――」
「邪魔するよー!!」
怒鳴り付けようとしたアクエリアの言葉を遮るように、勢いよく開く扉。そして、同時響く大声。
十番街孤児院の施設長室で、しかも騎士隊『月』隊長の前でこんな暴挙を繰り広げられる存在が入って来ていた。いつもの服で、濃い茶色の下衣で、扉を蹴飛ばして入ってくるような女だ。
その登場に一番に反応したのは双子だった。表情をぱっと明るくさせて、侵入者に向かって走っていく。
「ままぁー!」
「ままだー!!」
「ん、ママだよ。二人とも元気そうで良かったー。逢いたかったよ元気にしてたー? 元気じゃなかったらフュンフとアクエリア殴る所だったぁ」
――アルセン城下五番街、酒場『J'A DORE』店主、兼、裏ギルド『j'a dore』マスター、兼、双子の母親である、アルギン・S=エステル。
闖入という言葉が相応しい、突如として現れたその鈍い銀髪を持つ女に全員が呆気に取られた。
アルギンの背後から、ひょっこり顔を覗かせる黒髪まで現れる。いつまで経ってもアクエリアもミュゼも戻ってこない事に不安になったスカイだった。
「あ、あの……」
「スカイ!? どうしました、ここまで来るなんて」
「あの、その……とちゅうで、お会いして。アクエリアさんに、ごようじだって……」
奇しくも、今回のスカイの件での重要人物が会した形になる。これで王妃までが揃っていれば、今回の依頼も終了しようものを。
「何でここまで来たんですか、アルギン。緊急の用事ですか?」
「………」
名前を出されたアクエリアが、不遜にアルギンに問い掛けた。
しかし名を呼ばれた側は、それまでの威勢もどこへやら。一気に表情も肩もしょぼくれさせて腰まで曲がる消沈振り。
「……ウィリアもさぁ……バルトもさぁ……酒場に居なくてさぁ……。ディルだっていつ帰って来るか分かんなくて……アタシ今めっちゃ寂しいわけよ……。分かる……? 一人静かな酒場にいるとさ……なんか、こう……心が死んでくるっていうか……。煙草吸っててもウィリアとバルトいないからわざわざ誰も注意して来ないし、酒飲んでてもアルカネットとかが鬱陶しそうに見てくるだけでさ……。マゼンタとかオルキデはアタシの扱い分かってる訳じゃん? 適当にあしらわれて終わるから悲しくなって今度はジャスとかイルに話しかけるじゃん? 最近物凄く塩対応なんだよねぇー……あ、そうそうその医者二人からこの孤児院宛てに荷物預かってんだ。ほらよ」
「――ふん」
最初は鬱々と愚痴をこぼしていたのだが、最後になるとこの孤児院を訪れた理由を思い出した様子。机に置いた、手土産のような大きさの包み箱。それは少し前にフュンフが医者二人に依頼した乳児用の解熱剤だった。
一週間と期限を設けた仕事をきっちり期間内に済ませた仕事振りに感心しつつ、フュンフが中を改めると、乳児用以外にもある程度の年齢の子供が飲めるものと、大人に移った時用の薬まで入っていた。
『皆様、どうかご自愛ください』――との一筆まで添えて。
「……本当に……貴様の所の人員は誰も彼も、貴様なんぞに勿体ない程優秀だな? アルギン」
「褒めるならもっと言葉選んでくれてもバチは当たらねぇぜ、先生さんよ」
ふん、と鼻を鳴らすアルギンは自信に満ち溢れている。自分が認めた人物が、自他ともに厳しい男に認めて貰えるのは気分がいいのだ。例え、どれだけアルギンを扱き下ろすような人物だったとしても。
アルギンとフュンフが視線だけで火花を散らしはじめ、所在なげにしているスカイには、アクエリアが手の動きだけで隣に招く。途端に表情を明るくした彼は、まるで子犬を思わせる懐っこさで移動した。
「それで、後から連絡は貰ったけど、今は王妃殿下が城下の外行ってるらしいじゃん? うちのアクエリアとミュゼをずっと貸し出してるのも嫌だなって思ってさ。こっちだって流石に五日も掛かるなんて思わないじゃん? 最初に提示されてた金額じゃ、一週間が限度だよ」
「相変わらずがめつい女だ」
「その金に見合うほどの能力を持ってるからねぇ、うちの奴等は。なるべく早めに帰してほしいし、なによりウィリアとバルトはアタシの心が死ぬから今すぐ帰して」
「………」
双子のお泊まりは、アクエリアとミュゼが来るための理由作りのひとつだった。そんなもの関係ないとばかりに、二人は毎日ご機嫌に孤児院での生活を楽しんでいるが。
大人達が小難しい話をし始めたのを見て、双子は退屈そうにし始めた。そして周囲の人物達の周囲をくるくる回って、気が済んだら部屋を出て行く。春の嵐のような自由さで、二人は重苦しい扉の向こうに消えた。
「……それになぁ。騎士隊『風』からの情報じゃ、例の奴隷商人どもの動きが掴めないらしいんだよ。ここに居られちゃ手出しできないって踏んだのかね、城下に居るのは間違いないらしいんだが、何処に潜んでるかも見当が付かないそうなんだ。奴等が探し回ってるのに、足取り掴ませないって相当だよねぇ」
双子が居なくなるのを見計らって、アルギンの口が簡単に開く。酒場の裏事情を知っている人物ばかりだから良いとはいえ、ここにはその被害者のスカイが居る。
思わずアクエリアがスカイの背に手をやって、自分の側に引き寄せた。彼にとって縋れる存在になっているという自負の表れだ。
「アルギン。今、その話は控えて頂けると」
「……。でもなぁ、アクエリア。控えた所でどうなる。その子の体の傷は、心の傷は、この話題から離した所で癒えたりしねぇだろ。奴等を骨にしてその辺に転がして踏みつぶして粉にしてそれが風にどっか飛んでったとしても、これまでの恨みが消える訳ゃ無ぇだろが。なのに、奴等はまだ生きてるんだぞ? 生きてまだ城下にいるんだぞ?」
この女は、殺しが御法度だという組織の長の割にとんでもない事を喋る。
アクエリアがスカイに視線を向けると、表情は青くなってしまっている。けれどその唇に、瞳に、恐怖だけではない怒りを見た。
一緒に居るのは、今の所たった五日間だ。たった五日間で、スカイはだいぶ元気になった。外見は、まだ栄養状態の悪い子供だ。でも、表情がだいぶ和らいだ。大人を信用し始めて、ずっと傍に居るアクエリアを信頼してくれている。
起きる時も、食事をする時も、休憩時間も、風呂に入る時も、寝る時もずっと一緒だ。スカイの至らない所は優しく注意して、勉強も少しだけなら見てあげて、本だって一緒に読んであげる。そこまで丁寧にスカイに関われる人物は、忙しい施設職員の中で他に誰もいない。
そんなアクエリアが、怯えて警戒するばかりだったスカイに、初めて怒りの感情を感じ取った。
「……こちらに身を寄せて、まだ五日です。依頼が、途中です。俺は、この状態のスカイ君を置いて、酒場に戻れはしませんよ」
「……アクエリア、さん」
「私も。ねぇマスター、私はそんな、金とかみみっちい事言わないからさ。もうちょっとここに居たいな。スカイ君の事は私も心配だよ。それでも駄目なの?」
「みみっちいって……。アタシが考えも無しにこういう事言ってるって滅茶苦茶心外なんだけどなぁ……」
アクエリアもミュゼも、スカイに対して真心から世話をしている。スカイ自身からは見返りを求めず、その心身が一刻も早く癒えることを望んで側に居た。
どれだけ今が辛くても。
辛い事を未来の先でも忘れられなくても。
『生きていればいい事がある』と。
側に居られれば、示す事が出来る。
「アタシはねぇー、提案があるの。なかなか危険な綱渡りなんだけど、ミュゼもアクエリアも、そんだけこの子……スカイの身の回りの事に本気なら、頷いてくれるんじゃないかなー? って思ってさぁ。ねぇ、どーかな」
アルギンの瞳は、アクエリアとミュゼと――スカイを、それぞれ見回している。
「スカイ。君が頷くなら、大人はどれだけだって君の為に動くんだけどなぁ。君を傷付けたクソ野郎ども、いつまでも引き籠って出てこないんだって。思い知らせてやりたくなぁい? 今でものうのうと生きてる奴等に、自分が見て来た地獄のほんの一部分だけでも見せてやりたくなぁい? 国の正当な裁きで苦しむ奴等の顔、見てみたくなぁい?」
酒に焼けた少し掠れた低い声で。
普段とは掛け離れた甘ったるい喋り方で。
口にするのは、地獄を見させられた者にとって誘惑される囁き。
「酒場においでよ、スカイ。――君を傷付けた奴ら、おびき寄せてとっ捕まえて、国にしばいて貰おうよ」




