9.めをさました!!
「………」
「………」
「…………、……」
「おにーちゃん、おきた」
「おきたー」
「……!? うわぁ!?」
目覚めたスカイの視界一杯に広がったのは、それぞれ色の濃さが違う銀髪を持つ、幼い双子の顔だった。
ミュゼが側に近寄るのを止めたにも関わらず、両親譲りの色の瞳をきらきらと輝かせて、身を乗り出しながら自分の寝顔を覗き込んでいた子供にスカイは悲鳴を上げる。体に掛けられていた毛布を咄嗟に握り締め、寝台の上を双子から離れるように移動した。
目覚めて最初に見たのが、毒気の無い双子の顔だったからだろうか。鉄扉の部屋で見せた暴走状態は成りを潜めている。
「起きたかね?」
「っは、………あ、……」
最初に声を掛けるのは、フュンフの仕事だ。大人の男から声を掛けられて、途端にスカイの表情が強張り、碌に返事も出来ないまま固まってしまう。
しかし。
「せんせぇ、おにーちゃんおきたよぉ」
「わーい」
「こらこら、静かにしないか」
双子が再びわらわらとフュンフの側に行く事で、スカイの警戒が和らいだ。施設長として子供に見せる穏やかで優しい顔も、怯えを解かせる理由のひとつ。
今、自分が何故医務室にいるのかも分かっていない顔だった。不安そうなのは変わらずで、部屋の中を視線だけで見渡しては状況を把握できずに諦めた顔をする。
「気がついて良かった。スカイ君、ですよね」
「……あ」
次は、ミュゼが声を掛けてやる。
相手がシスターの格好をした女だからか、スカイの警戒はさらに弱まった。毛布を握る手に籠めていた力が抜けるのを見て、ミュゼも安心する。
「今はまだ寝ていて大丈夫ですよ。体を休めた方がいいでしょう」
「……あの、ぼくは……いったい」
「………」
やっと言葉としてスカイの声を聞けた。書類にあった年齢とは思えない、少女のような声の高さを持つ舌ったらずな喋り方だった。
声だけじゃない。身長も、体重も年齢相応とは思えなかった。この頃はもっと、五番街にあった孤児院の子供でさえ、もう少し上背があって肉がついている。肌も髪も爪も栄養不足で荒れた、脂肪も筋肉も無いような、枯れ木のような体の薄いスカイを見ていると胸が苦しい。
そしてこんな少年に、自分がさっきまで何をやっていたのか聞かせる必要はあるのか――と、ミュゼが口を噤もうとした。しかし。
「貴方は種を摂取し、暴走状態に陥りました。こちらの方が貴方を無力化し、貴方の側にいる女性が医務室に運び、今に至ります。未熟さ故にこうなったのですよ、自覚はありますか」
「ぼう、そう?」
「ロベリア様。傷ついているスカイ君に、その言い方は無いでしょう」
ミュゼが言葉に棘を忍ばせ、窘めるように睨む。
言い方があまりに悪い。ミュゼでなくても怒るだろう内容に、フュンフもアクエリアも白い目を向けた。空気の悪さを感じ取ったロベリアは、すぐに両手を挙げて降参の意思を示す。
「……本当のことですよ。でも、同族の叱責は同族がした方が良いでしょう」
「どうぞく……」
「……少し複雑な話になります。でも、スカイ君。貴方はまだ休んでいた方が良い」
説明なら、後から幾らでも出来る。でも傷ついた体は今すぐ休めなければならない。
でも、と引き下がる彼の体を横たわらせ、体に毛布を掛けてやる。それだけで、疲労しきったスカイの瞳は眠たげになっていく。
寝息が聞こえるより先に、双子を連れたフュンフが、そしてアクエリアが退室する。ロベリアとミュゼは、スカイの寝息が安定した後に部屋を出た。
アルギンから伝えられていた仕事内容の残りは、『子供の身の安全』『王立孤児院への暫くの滞在』だ。だから、自然と同性のアクエリアが側に居ることになった。
食事の時も風呂の時も、寝る時でさえ一緒に行動する。それをアクエリアは嫌がらず、またスカイも拒否権が無いものだと考えた。
十番街のこの孤児院で、何かしらの危険が起きるとは考えにくい。雨季に備え大勢の騎士が出払っているとはいえ、王城にも程近い。安全を確約された場所での楽な仕事――と侮っていたアクエリアだったが、その考えをすぐに撤回する。
ロベリアから、プロフェス・ヒュムネの保護に必要不可欠な存在である王妃が緊急の公務で暫く城を空けると聞いたのだ。それには義理の息子であり王子騎士にして騎士隊『風』の隊長であるアールヴァリンも同行するという。そうなれば、スカイを守るための滞在の予定は自然と延びる。
孤児院に泊まって一日、二日、三日。
最初は警戒心を隠せなかったスカイだが、寝台から起き上がれるようになり、歩けるようになり、アクエリアと同室で寝泊まりをするようになって。
「アクエリアさん、次はこの本をおねがいします」
「おにーちゃんずるい! つぎわたしー!」
「わたしも、わたしもー!!」
「…………」
四日目を過ぎる頃には、自由時間の図書室ではスカイと双子がアクエリアの隣を争う姿が見られるようになった。
これは職員も笑って眺めるだけしか出来ない。言い方は悪いが問題児であるスカイが一番懐いたのが、外から来たアクエリアだった。双子は元から共に生活しているようなもので、アクエリアに懐いているのは当たり前。そしてアクエリアが慕われている姿を見て、この施設に住んでいる子供達も、全く警戒せずに彼に近寄るようになった。
意図しない形で人気者になったアクエリア。今はやっと他の子が離れて行って、比較的静かに過ごせるようになっている。
「言い争いは止めなさい。俺は順番にしか読みませんよ、次はウィリアの番でしたよね。スカイもバルトも少し待ってなさい」
「……はい……」
「うー……」
「だいたいスカイ、貴方には寝るときに読んであげてるでしょう。少しは我慢を覚えなさい、俺は逃げたりしませんよ」
子供の相手に慣れていた。
並の大人だって飽きてすぐ逃げたくなるような絵本の朗読に、アクエリアは何冊だって耐えた。これまで酒場でももっともっとと要求していた双子で慣れてしまったのだろう。時々限界を感じた時は水を飲みに行って、暫くしたら戻って来る。絵本の朗読に関しての忍耐だけは、ミュゼもアクエリアに勝てそうにない。
双子はアクエリアの声に聞き入って、スカイは広げられた文字を食い入るように見ている。彼は、まだ字が読めないのだ。教育を受けた事もないらしい。
「……」
ミュゼは同じ部屋で、そんな四人を見ていた。
非常勤とはいえミュゼも職員だ。子供達に本を読んであげる時間には自分も参加し、年齢に応じた色々な本を読み聞かせる。今はその本を選びに図書室に来ているのだが、子供達の為に朗読するアクエリアの声に、本を取る為に背表紙に指を掛けた所で止まってしまった。
「……『せっせ、せっせとたねをまきます。そらまでのびろ、てんまでのびろ、と、うたいながらたねをまいて、じょうろでみずをかけました』」
優しい声だった。
普段、ミュゼに聞かせるような皮肉屋の唇から紡がれる声じゃない。子供達に語り掛け、絵本の登場人物たちの感情に合わせた声だ。
こんな声も出来るんだ、と妙に感心してしまう。この声も出せるからこそ、誤解した女が酒場まで押し掛けてくるのだろうが。
「……」
だから。
という訳でもないのだが――ミュゼの胸に過ったのは、苛立ちだ。
こんな声を出す『この男』を知らない。自分には一度として掛けて貰った事のない優しい音色が耳を掠める度に、お前とっとと槍燃やしたツケを払えと殴りたくなってきた。
本当のアクエリアは、この声と同じように優しいのは分かっている。
でなければ、ミュゼは、――。
「『ここになるみを、だれとたべよう。ひとりではたべきれないでしょう。たくさんあいじょうをそそいだのです、ひとりじめしてはもったいない』……ん? どうしました、バルト」
「あのね、あのね、おじちゃん」
煩悶するミュゼを余所に、コバルトが身動ぎしているのを目ざとく見つけたアクエリア。
先程読んだ部分を指差して、幼児の高い声が問いかける。
「おじちゃんなら、だれとたべたい?」
「……俺、ですか」
「わたしねぇ、ぱぱと、ままと、おねえちゃん! わたしたちでもたべきれないくらいみがいっぱいなったら、さかばのみんなでたべたいね」
「わたしも! みんなでたべるとおいしいよねぇ」
双子は自分達の希望を語り始める。沢山成った実を、自分の家族と食べたいとはしゃぐ子供達。
アクエリアはその姿に目を細め、スカイは居心地悪そうに俯いた。
スカイはこれまで、『誰かと食べる』なんて希望を持つ事すら許されなかった。食べる物にすらあり付けない生活をしていたのに、そんな願いなんて。
「……そうですねぇ。じゃあ俺は、スカイ君と食べたいですね」
「え、……」
「スカイ君、ここの料理をとても美味しそうに食べるんですよ。スカイ君と一緒に食べたら、きっと美味しいだけじゃなくて、見ているこっちも嬉しい気持ちになれるでしょうね」
「えー! わたしだっておにーちゃんもいっしょがいい!!」
「わたしも! みんなでたべよぉ!!」
その言葉は予想外だったらしく、スカイは頬を赤らめて更に顔を下に向けてしまう。
同性とはいえ初々しい反応が可愛かったのか、笑みを漏らすアクエリア。
でも、ミュゼだけはその景色に違和感を抱いていた。スカイを見ている筈の瞳が、その背中の向こうに通り過ぎていくような違和感。
「………」
まだ、彼は忘れられていない筈だった。
アクエリアが『誰か』を選ぶなら、彼には一人しかいないのだ。今も、過去も。未来は――さて、どうだろう。
過去にアクエリアの側に居て、過去にアクエリアを捨てて消えた、たった一人の婚約者。愛した彼女を探すために、世界を旅することになった。
二十年前の話。でも、未だに彼は引きずっている。だから今でも、『結婚詐欺師』という言葉に異常なほど反応する。
いい加減引き抜かなければならない状態にある本を手に取って、その頁を捲って見てみる。でも、子供向けの本だというのに内容は頭に入って来ない。
アクエリアの中で、『彼女』の記憶はこの本のようにならないらしい。
いつもは本棚に仕舞い込んで、気が向いたら手に取って、時々文字を辿ってそんな事もあったなと懐かしめるようなものには。
彼の中でその思い出は、開きっぱなしで机に置いている本のままなのだ。




