8.状況終了
外見が明滅するように変化するのも収まったアクエリアが少年に駆け寄って、呼吸を確認する。死ぬような下手を起こしたつもりはないが、確認しなければ仕事の達成にはならない。
少年の手首に添えた指が、穏やかな鼓動を伝えてくる。華奢なんて言葉では片付けられない程に、栄養状態の良くない細さ。暗がりでも分かる程に顔色も悪く、今のうちに急いで運び出した方が良さそうだ。
抱き起こす前に、駆け寄って来る足音が聞こえる。その軽い音はミュゼのもので、彼女に視線を向けるアクエリア。
「丁度良い。ミュゼさん、この子を――ごぶっ!?」
「馬鹿野郎おおおおおおおおおおっ!!」
ミュゼが地を蹴って、からの、次の行動に至るまでの景色が気持ち悪いほど遅く鮮明に見えた。その足が地の次はアクエリアの脇腹に一撃を見舞う、その瞬間が綺麗に網膜に焼きついた。
勢いよく地面に叩き付けられるアクエリアと、瞬時に受け身を取って床に下り少年の元へ走るミュゼ。悶絶するエルフを余所に、ミュゼは少年を横抱きにした。
「プロフェス・ヒュムネに対して火ぃ点ける馬鹿が居るかっ!! どんだけ無頓着なんだよ阿呆がっ!!」
「……ぐ、……っ、ミュゼ、さん……なんてこと、してくれるんです……」
「施設長、医務室! 医務室行きますっ!!」
抱きあげた少年の体は、骨と皮しかないかのような軽さだった。
大声で宣言したミュゼの焦りを受けて、扉側に居たフュンフとロベリアが鉄扉を開く。
男三人をそのままに、ミュゼだけ一人走って行ってしまう。疾風のような素早さで、後に残るは塵のみ。
一撃を喰らったアクエリアはまだ立てない。的確に内臓を狙った蹴りは、如何なアクエリアといえど油断している所に貰ってはすぐに動ける筈も無く。
「……君も医務室へ向かうかね?」
「み……てない、で、手を、貸しなさいよっ……」
優しい言葉を掛けるだけのフュンフの口許が笑っていた。生まれたての小鹿でもまだ上手に立てるのではないか、という嘲りは取っておく。
震える膝を奮い立たせるアクエリアは、脇腹を腕で庇っていた。今何かされたら、消化しきれていないものが上から出て来そうだった。
「ふっ、君が床を舐める所は見ていて気分が良いな。女史は頭の回転も行動力も私の認める所だが、ここまでの働きをするとは思わなかったよ。だからこそ敢えて言おう。『自業自得』だとな。ふっ、ははは!」
「……気取ったクソヒューマンの若造が……思い上がるなよ……」
「ふむ。私の思い上がりは置いておいて、だ。君が思い上がって居なかったならば、女史からの飛び蹴りを喰らう事も無かっただろうな」
煽り文句は、健康体のフュンフが一枚上手だ。何をそこまで、とロベリアが二人の仲を心配する。それで同じ象徴に仕える者同士、問題が発生したりしないものか。
上機嫌に部屋を後にするフュンフと、残されるアクエリア。ロベリアは、アクエリアへの同情心が働いた。
「……肩、使いますか」
「………」
感情の起伏が少ないと誤解されがちなロベリアだったが、誰かを心配する心は相応にある。アクエリアにした提案は、たっぷり時間を使った彼の沈黙と、肩に置かれた掌で肯定される。
ゆっくり、ゆっくり、怪我人を労わるように歩くロベリア。他に誰かそうやって移動した事があるような、慣れた動きだった。
「貴方は、何も言わないんですか」
「……何か、とは?」
「ミュゼさんみたいなことですよ。同族の方が炎に、ってなった時、貴方は俺を責めないのかって思って、……ええと」
「ロベリア、です」
「そう、ロベリアさん。一番俺を責めて然るべきは貴方じゃないのかと思いまして」
「飛び蹴りを喰らって尚、誰かからの叱責を期待しているんですか?」
「……期待はしてません」
下手を打つ事が無かったにせよ、確かにアクエリアは危険な行為をした。それを責める気が無いと、ロベリアは暗に言う。それは寛容から来るものかと、アクエリアは一瞬誤解した。
「プロフェス・ヒュムネは、混血であっても生命力の強い一族です。あの程度なら、全身炎に巻かれたとしても簡単には死なないでしょう」
「――……」
「精神が暴走状態に陥る程の若い者であれば尚更。強靭さは若さに比例するのですから」
「そう、ですか」
侮られている、気がした。
精霊を従えるエルフよりも、自分達の種が優れていると思っているからこそ出る言葉。
縁も所縁も無い――訳では無い種族の口から、身の程を知らない言葉を聞いてアクエリアの目が丸くなる。本当にロベリアが手放しで称賛するような強靭さを持っていた種族ならば、国を滅ぼされたりはしなかったろう。
フュンフが若造なら、ロベリアはまだ立てもしない赤子だ。誰かからの庇護が無ければ生きられないのに、既に一人で何でも出来る万能感だけ立派に育ってしまった性質。
でも、アクエリアは知っている。
それらは彼だけの思い上がりでは無かったのだと。
「……もういいです。ありがとうございました」
今はその思い上がりを指摘する気にもならない。胸糞悪い、と思いながら借りていた肩から手を離す。
「歩けますか」
「御心配には及びません。これでも、丈夫なもので」
表向き友好的な言葉を選んで、愛想笑いを浮かべたまま少し距離を開ける。
ロベリアはアクエリアの行動に何ら疑問も抱かず、元来た道を進んだ。
孤児院常駐の医師が言うには、少年――スカイは極度の栄養不足らしい。
この施設に身を置くようになってからも、何かを怯えているように食事をあまり摂ろうとしない。もとより、食というものから縁遠い奴隷という身分でいきなり色々と食べさせては内臓が耐えられないとの判断で、粥からの食事療法をしていたのだ。根気強くいられたのは職員だけで、スカイはそうではなかった。
耐えきれぬ屈辱と恥辱の中で生き延びて、毎夜悪夢を見て叫んで起きる精神状態。
壊れるな、という方が酷な話で。
「……あんまり、聞きたくない話ですね。考えたくもないのに」
施設の非常勤職員という立場を使って医師の診療録を見せて貰ったミュゼは、その酷さに顔を顰める。
精神的な傷もそうだが、まず目に見える肉体的な傷の酷い事。今回、アクエリアは一切の傷を負わせなかったが、施設に来るまでに奴隷として受けていた外傷は筆舌に尽くしがたい。ミュゼであれば死を選んだかもしれないような屈辱的な傷さえあった。
「しかし今回、君達はよくやってくれた。ああもすんなり無力化してくれるとは、私も思わなかったよ」
「それはアクエリアが、……。私は、何も出来ませんでした」
「君の力もあったろう。そう自分を卑下する事は無い」
医師も去ってしまえば、医務室に残るのはミュゼとフュンフ、それから寝台に横たわって眠るスカイだけ。
ミュゼは寝台の隣に座る事を許されて、フュンフは診療録を読む。医療用語は包み隠さず、スカイの体の惨状を教えた。体も心も傷つき過ぎている筈なのに、この状態になってやっと落ち着いて眠る事が出来るなんて。
「私一人では対処できなかったかも知れません。自分の無力を思い知らされます」
「無力? とんでもない。君が無力であったなら、非常勤といえどこの施設に勤めて貰わんよ。君の能力を高く買っている私の事も考えて発言したまえ」
「……ありがとうございます。施設長は、お優しいですね」
互いに向ける言葉は本心だ。普段皮肉屋としての言葉選びが多いフュンフも、自分が認めた者には素直な言葉を発する。
優しい、と言われてフュンフの口許が綻んだ。
「そう言うのは君だからだよ。私とて有能な者には特別扱いをする。特に君は、あの酒場に置いておくには勿体ないほどの逸材だからな。……と言うと、あの女医二人もそうだが」
「あはは……。あの二人は医者として有能が過ぎますから。でもそれは、店主夫婦の人格が繋ぎ止めてる気もするんですけど」
「ディル様はそうだがアルギンは煩いだけだ」
褒められてミュゼだって悪い気はしない。アルギンの話をさりげなく振ると、案の定彼は不愉快そうな顔をしたが。
一向に起きる気配のないスカイに、二人の談笑は続いた。仕事が関わらない所でも、二人の性格的な愛称は悪くないようで、話が途切れる事は無い。
そして暫く経った頃に、閉められている扉から打音が聞こえた。ゴンゴンと拳で殴るような音は三回鳴り、はいと返事をするミュゼの言葉を待って扉は開かれた。……のだが。
「せんせぇー!」
「せんせい!」
春風の如き素早さで部屋に飛び込んできたのは、酒場から一緒に来た店主夫婦の娘達。双子が同じようにフュンフに駆け寄って抱き着いた。
左右を双子に囲まれたフュンフも、今の状態は想定外だったらしく真顔になっている。
「ウィ、ウィリア、バルト。ここは医務室だ、静かにしないか」
「せんせぇ、あそんでー」
「あそぼー!」
「静かに! ほら、お兄さんが寝ているんだ」
きゃいきゃいとはしゃぐ双子だが、寝台に寝ている人影がある事に気付いたら大人しくなる。そして、フュンフの側を離れて寝台に近寄った。自然、ミュゼと距離が近くなる。
「おにいさん……、おにいちゃん。えっと、スカイおにいちゃん」
「知ってるの?」
「まえ、せんせぇのところにそるびっととあそびにきたとき、あったよ」
「げんきなかったけど、いっしょにおすなばであそんだよ」
双子とスカイは面識があったようだ。顔を合わせて、一緒に遊んで。
目を輝かせた双子は、スカイの寝顔を見続けている。
「またあそんでくれるかなぁ」
「たのしかったなぁ」
この双子は、一緒に遊んでくれるなら相手が誰でも構わないらしい。例えそれが、少し前まで暴走していた他種族の少年でも。
無邪気な双子だが、これ以上部屋に置いておくのは危険だった。もし今スカイが目を覚ましてしまう事があったら、その時の彼はもう暴走状態ではないと言い切れないのだ。
「きっと遊んでくれるさ。だから、ほら。もう少し寝かせておいてあげよう。起きたらスカイと一緒に私も遊んであげるから、もう少し待っててくれないか」
「えー」
「……はーい」
フュンフの説得を渋々ながら受け入れる双子。その諦めの良さは年齢に見合わないほどだった。
あと少しは様子を見よう、と思っていたミュゼ。その時、開きっぱなしの扉からまた別の人物達が現れる。
「ここでしたか、ミュゼさんにフュンフさん」
アクエリアとロベリアが、やっと医務室に到着した。
「遅いぞアクエリア」
「道が分からなかったんですよ。途中で双子ちゃんに会って道案内お願いしようとしたら、俺達を置いて行ってしまいますし」
その光景を想像したミュゼの口端が勝手に歪む。年端も行かない幼児に置いて行かれた男二人の惨めさたるや。
人数が揃ったはいいが、狭い医務室での人口密度が増えてしまった。せめて双子だけでも退室させなければ、と思ったミュゼだったが。
「……、ん、ぅ、あ」
呻くような声が聞こえて、思考が止まる。
声の聞こえた方に勢いよく振り向けば、そこに居るのはスカイだけ。
「っあ……ぅ、……。ん、……ぁ。う」
苦しそうに、けど声を殺すように呻くスカイの表情は苦痛に歪んでいる。
やがて、その瞼が開く。うっすらと開いた瞼の奥からは、空色の瞳が覗いていた。




