3.お泊まり、出発
――プロフェス・ヒュムネ。
ヒューマンのような見た目でありながら、その体を成すのは肉ではなく、植物。
祖に近ければ近いほど、黒曜のような艶のある黒い髪と瞳を持つという。
彼等を産むのは、彼等の故郷『ファルビィティス』の城内に存在した『母樹』という植物。およそ十年周期で、純血のプロフェス・ヒュムネをおよそ一体ほど産むという。
食物を多く必要とせず、水と日光と肥料で生きていける存在。自身らを秀でた存在として、他種族を下に見る傾向がある。
どうしてそんな彼等が、ヒューマンに近い外見をしているのか。
それは後世では、『食料』と同じ外見をする事で相手の油断を誘うから、とされている。
「……ミュゼ?」
「ん、……」
夕暮れ時になって、双子がソルビットに連れられて帰って来た。小さな二人はお泊り会の話に喜び、支度に酒場中を走り回っている。
ミュゼは一階のカウンターに突っ伏して寝ていた。起きれば不安そうなアルギンの顔が側にあって、湯気を立てるカップも側に置かれていた。
「大丈夫か。疲れてる? 流石に、最近は色々雑用任せてたもんな」
「んー……、大丈夫。もう春は終わるってのに、何だか眠くて。ありがと」
珈琲を入れたカップを差し出され、礼を言ってミュゼが受け取る。
季節で言えば今は初夏だ。けれど気温が上昇する前に、アルセンには雨季がある。いつもならば一ヶ月経たずに終わるそれは、先に空に暗雲を立ち込めさせて晩春の空気を長引かせた。
疲労もあるが気温が良い。暑くもなく寒くもなく、惰眠を貪るにはあと少しだけ適している。
「それに雑用っつったって、最近は一般人に扮した警邏とかが中心だったしな。こないだの宝石商の商談護衛とか、何も無さ過ぎて暇だったくらいだし」
「あれは念の為にって付いてて貰っただけだしな。あそこを前から狙ってたらしい賊は少し前に騎士が捕縛してたんだぞ。後輩が仕事熱心でアタシら助かる」
「じゃあ引き続き騎士が護衛すりゃ良かったんじゃねぇのか」
「そこは、ほら。騎士だから。別に仕事があるし、今でさえあちこち忙しく動いてるからなー……。ああ、暫くの間ディルもウィリアもバルトも帰ってこないとかアタシ寂しすぎる」
「寂しいんなら今回の仕事、私じゃなくてマスターが行けば良いだろうにさ……」
「じゃあ、アタシの代わりに酒場回してくれる? 時々城から騎士とか暁が仕事回して来るのも、上手く捌いて割り振ってくれな。あとアタシが酒場を不在にしてる言い訳を、誰にも怪しまれる事無いようなのを考えといてくれ」
「…………それは無理」
これだから司令塔は。
一番楽な立ち位置に居るように見えて、なんだかんだと仕事が多い。普段抜けているように見える夫溺愛の女でも、抱えている案件の多さにはミュゼだって驚いた。
騎士の位を返上した女でありながら、今でも城に仕えている。その夫は若くして聖騎士の位を戴きながら返上し、今は昼でも酒場で妻や子供と一緒に過ごす変わり者。
見ても聞いても、一緒に暮らしても不思議な場所だった。どこか奇妙でありながら、本人達は幸せそうだ。
「……寂しいのはいいけどさ。子供達、暫く手元から離して……不安じゃねぇの」
「ん?」
カウンター内での酒場の雑用に移ろうとしたアルギンが、その言葉を聞いて布巾を取った手を止める。
「自分達の子供なんだろ。なのに数日って言っても人の手に任せるのって嫌じゃないの?」
「……嫌……っていうのが、分かんないな。何があってもあの二人はアタシとディルの子だし、どんな事になっても愛してるよ。それは誰の手が介入しても変わらないし、何よりあの子達はアタシ一人じゃ育て上げられなかった。皆の助けがあってやっとあそこまで大きくなったんだよ。……でもさ、こういう仕事してると、不安になるじゃん」
「不安?」
アルギンの手が改めて、客用のグラスを手に取った。
「アタシら、いつ死んでもおかしくない仕事してるんだ。いつ王家から尻尾切られても不思議じゃないし。突然アタシらが居なくなった時、あの子達には頼る先が必要になる。……アタシもディルも、戦災孤児なんだ」
「――……」
「フュンフは絶対に、あの子達を大事にしてくれる。ソルビットもそうだし、この酒場で二人をずっと見ててくれてるアクエリアだってそう。頼る先と懇意にするのは悪くない話だと思うしね」
「……元孤児が、自分の子供を孤児にした時の事を考えるの? 孤児にさせないように、って考えないの?」
「勿論考えてるよ。でも、どうしようもない事ってあるじゃん? アタシの両親だって、多分、アタシを孤児にするために育てたんじゃないんだし。……多分、だけど」
アルギンの手で磨き上げられるグラスは、こんな酒場には不釣り合いなほどの高級品だ。そもそも、硝子で出来た酒器など酔っ払いに出すには怖すぎる。
曇りの無い状態にまで仕上げられたそれを元の場所に戻した時に、扉につけている鐘が低い音を鳴らして来客を通す。
「おっと、迎えが来たよ。ウィリアー、バルトー。下りといでー」
「はーい!!」
「はぁーい!!」
元気な双子の声と共に、とたとたと階段を下りる足音二つ。小さい双子が型違いの揃いの服を着ている。夫婦の愛の結晶は、来客を見るなり駆け寄っていた。
「せんせぇ!」
「せんせい!」
先生、と呼んで両足に抱き着く先は、騎士隊『月』隊長のフュンフ・ツェーンだった。
五番街に似合わないような紳士感漂う暗色の上下揃いの格好で、目許が見えないように薄茶色の鍔広の帽子まで被っている。これはこの男の私服か、と思うとミュゼが若干引く。
この男、どう見ても堅気の仕事をしていない。実際の職業を考えると当たり前の事だが、嫌に迫力がある。
「ウィリア、バルト。そうしがみ付かれては私も歩けぬよ」
「せんせーだいすきー」
「だってーせんせいなんだもーん」
完全に甘える体制に入っている双子は、可愛らしい見た目に反して驚くべき筋力でしがみ付いている。フュンフが一歩を踏み出すも、キャッキャと笑うウィスタリアとコバルト。
だいすきー、なんて軽く言うウィスタリアの姿に、ミュゼの笑みが引き攣った。
「……いいの? マスター。あれ、いいの?」
「へ、何が?」
「いや、だって、あれ」
フュンフが遊んでくれることに、心底嬉しそうに見える双子。彼の足が一歩を踏み出すごとに、体が揺れて落ちそうになるのを楽しんでいる。
その姿が薄ら寒く思えるのはミュゼだけのようだ。
あれいいの、なんて聞かれても、そんな曖昧な質問ではアルギンに何が悪いか分かる訳が無い。
「遊び方ならいつもの事だから大丈夫だよ。フュンフは二人が産まれた時から知ってるし、加減もしてくれる。それ言うならアクエリアだってそうだよ、纏まった時間が出来て遊ぶ時とか皆全力なんだ」
「……そう。……そう……。そう、なんだ。いいんだ」
ミュゼにしてみれば、他に言いたい事はあるのだがどうも奥歯にものが詰まったような言い方しか出来ない。
言って聞かせて良い内容なのかも分からなくて、中年男と幼児が遊んでいる様を眺めるしか出来ない。
双子の声が叫びを交えた笑い声になる頃に、階段が再び音を立てた。アクエリアとディルが下りて来たのだ。
「やれやれ。二人は随分楽しそうにしてますね」
「来たかフュンフ。馬車を付けているのであろ、十番街まで我を送れ」
「子供が楽しむのはいい事だろう、アクエリア。ディル様、承知しました。荷物はそれだけですか?」
双子とミュゼ、アクエリアの荷物は既に客席のひとつに積んである。しかしディルの荷物は腰に下げた小さいものひとつだけだ。その少なさを指摘されてディルは首を振る。
「任務に適した衣装は用意する、との話だ。長居する心算も無い、予定が済めばすぐ帰る」
「畏まりました」
「全く、騎士で無くなった我の手を借りようとは――今一度汝も含めて鍛え直さねばならぬかもな?」
「……御勘弁ください」
荷物もそれぞれが持ち、ディルは双子の荷物を手にして、さあ外へ――という時に。
アルギンがいつもの締まりのない笑顔で、ディルの傍に近寄った。
「えへへ。えへ、ディル。いってらっしゃい。これお弁当」
「……」
「頑張って来て。でも、無事に帰って来てよ。寂しいけど待ってる」
包みを渡しながら照れ笑いではにかむ姿は、若く初々しい新婚夫婦のようだった。
でも現実は、二人は既に幼児の子持ちで新婚などではない。それなのに、妻が夫に向ける愛はいつでも過剰。
「……行って来る」
包みを受け取った夫は、表情を特に変えることなく短く返した。
あー塩対応だなーまぁいきなりデレても驚くしなーと、と思いながらフュンフとアクエリアの方をちらりと見た。
「……あれ?」
二人はそそくさと酒場を出て行くところだった。
急ぐでも無しに、なんでだろう? と思うのも束の間。
視線を夫婦の所へ戻した時に、二人の唇が触れあっている所を見てしまった。
ディルが身を屈めているので、どうやら彼が自主的に唇を重ねに行ったようだった。ご丁寧に妻の頬に手まで添えている。
その周辺でにこにこしながら夫婦の接吻を見守る双子。
「へ」
「あはー、ぱぱとままなかよしー!」
「なかよしー!」
「大好きな人にはこうするんだよ。ほら、ウィリアとバルトにもほっぺちゅー」
「きゃー!」
「まますきー!」
……刺激的なものを見せられた気がするが、これらが彼等の別れの儀式のようなものだろう。アルギンは膝を下ろして双子を抱き寄せていた。
これが最後になる訳でもあるまいし――、と、ふとミュゼの思考はそこで止まる。
「……」
彼等は。この四人は。
そうなる未来があった。
離れて暮らすだけならまだいい。死に別れて、どれだけ泣いて求めても二度と逢えなくなる世界。
少なくとも、その未来は現実だった筈だ。だからこそ、ミュゼは育ての親に延々と聞かされて育った。
この四人がどんな末路を迎えたか。
「……、……んんっ!」
このまま離れる気がないのではないか、とさえ思わせる四人にわざとらしく咳払いを聞かせる。一番に反応したのはディルだが、何も無かったかのように歩き出した。既に出発の言葉は伝えてあるのだ。
その後を追うように、双子が小走りで父の背中についていく。アルギンはミュゼが出るまで、ずっとその場にいた。
「皆、行ってらっしゃい」
今の状況では、見送るしか出来ないのだ。
妻であり母でありながら、酒場の店主と裏ギルドのマスターを兼任している。貸宿の面々も取り纏め、王家との連絡も取り合う。
本当はアルギンが一番、双子と一緒に行きたかった筈だった。
「……行ってきます」
笑顔のアルギンにそう返して、ミュゼも馬車へ向かう。
アルギンからこの仕事を託された以上、成果を残さねば信頼に背く。
ミュゼには、この酒場の面々との信頼を裏切りたくない理由があった。
誰に言ったって理解されない、嘘のような理由が。




