26.二人がまだ知らない王城の話
――酒場に戻った次の日、起きて来た双子に泣き付かれた医者二人。
可愛らしい天使のような双子は、遊び相手の帰還を心から喜んだ。
今日はずっと一緒に遊ぼう、とおねだりされて、疲労を押して一階客席での室内遊びに付き合う事になった。今の状態で外に遊びに行っていたら、途中で二人とも倒れかねない。
昼も過ぎ、双子がそろそろ昼寝といった頃に酒場には来客があった。
それは王妃が前日に言っていた通り、共に村まで行った騎士隊長二人の来訪だ。ソルビットは露出を控えながらも肢体の起伏が分かるような衣服を纏い、アールヴァリンの格好はこんな五番街に来るような格好ではない、形も生地も質の良い貴族の普段着。
双子は二人を見るなり「そるびっとだー!」「あーるばりんさまだー!」と喜んでいる。この二人とも顔見知りなのは、並みのお子様と一線を画す待遇を受けた子供達だと改めて思い知らされる。そんな双子も、込み入った話に入る時には父親によって退出を促されたのだが。
「……改めて。お疲れ様、二人とも」
「ソルビットさんやアールヴァリン様こそ」
「俺達はこのくらい、なんてことないから大丈夫だよ。昨日はよく眠れたかな?」
「はい、なんとか」
「そうか、それは良かっ……た。よっと」
気を遣ってくれたように感じた王子の言葉も、次の瞬間にはそうでないと悟る。
彼は荷物の中から何十枚にも及ぶ書類を、四人が座る卓の上に出した。紛れもなく医者二人に渡されるものだ。
「……これは、何です?」
「昨日の義母上……王妃殿下とのやり取りの一部分を纏めたものだな。今の所秘匿としている部分は故意に削ったが、君達の功績を文章に残してある。あと昨晩の一連の話を口外しないという誓約書として署名を入れて貰いたい部分もある。そしてこっちが報酬として王家が提示する金額だ。……そうだな、先にこちらの確認をお願いしたい」
「はいはい、………へ」
山と積まれた書類にうんざりしながらも、一番最初に確認を言われた項目に二人がそれぞれ目を通す。
王家からの仕事と聞いて受けたのは自分達だったが、提示された額はこの先五年は仕事しないでも慎ましくなら暮らしていけるような数字だった。
「……これ、二人で、この額ですか?」
「? いや、一人分だが?」
「へ!?」
「ヨタ村の生存人数を考えたらそうなるだろう。未知の病だというのに、一人も民を欠かすことなく治療した。君達の『手伝い』の範疇を越えた働きをした報償は、これでも足りないくらいだ。……どうだ? 蹴った宮廷医師の座が惜しくなってないか?」
惜しくない、と言えば――正直、嘘になる。王家は自分達を充分に評価してくれる。そういう職場に就けるというだけでもありがたい話なのに。
でも悔しがるほどではない。勉強不足だと言って蹴ったのは自分達なのだから。
「この報償に見合うほどの働きを、これからも出来るように勉強していきます」
「ふふっ、士官学校であれば優を言い渡せる返答だな。王妃殿下も期待していると言っていた」
「それで、確認は大丈夫ですけど……他の書類って何なんですか? こんなに沢山」
「……ああ。これは酒場の医者としての二人に用立てて貰いたい薬なんだが……」
書類について話をしている最中も、酒場の夫婦の居室では子供達が部屋を出たいと叫んでいる。「しょるびっと、びえええ」と泣き喚く声も四人の耳に届く。
昼寝時間を放棄してきゃーきゃーと我儘を言う声を聞きながら、頬杖をついていたソルビットが微笑んだ。
「にしても、いいなぁ二人とも。あのかわいーい双子と一緒に暮らしてるなんて羨ましい。あたしも今日は二人と遊んで帰りたいなぁ」
「そういえば、あの双子ちゃんはソルビットさんの名前をよく出しますね。あと『先生』とかいう人の事も」
「ああ、兄貴の事ね」
「兄貴?」
ソルビットの口から出た、彼女自身の家族の話を聞くのは初めてだ。そもそも、ソルビットは孤児だと聞いていた。だから、ユイルアルトは深入りせずにいようと思ったのだが。
「兄貴、というのは昨日も謁見の間に居たフュンフ・ツェーンの事だ。ソル……ビットの異母兄になる」
「い」
「異母兄!?」
「ちょっと、あんまり人の家庭の事をぺらぺら言わないでよ」
「隠す事でもないだろう。城仕えなら皆知っているし、二人もいずれ宮廷医師になる予定なんだから」
「余計な世話だよ。言う必要があったらあたしが言ってるし」
ぺろっと話してしまったのは王子騎士であるアールヴァリンだから、ソルビットも強くは出られない。
名前が出たのは時折ディルを訪ねるために酒場でも見かけ、昨日は五大貴族ツェーン家の名代として謁見の間に居た彼。
確かに同じ色と質感を持つ髪はそっくりだ。でも、そっくりと言える箇所はそこしかない。そんな二人が異母兄妹だと想像するのは荒唐無稽な話で。
同時に二人が納得する。ツェーン家当主が顔を合わせたくないのは、表面上は孤児であるソルビットなのではないか、と。孤児でいるのには、何かしらの理由があろうのだろう。
ソルビットがあからさまに不機嫌になるのが分かったので、ジャスミンは無理矢理話題を変える。
「で、でも、あんな時間に城下に戻って来たのに、よく皆様集まれましたね」
「ん……、ああ。途中で俺の部下が村に様子を見に来ていたから、俺が帰るおおよその予想を伝えていたんだ。予想通りになって良かった、と言うべきか」
「部下の人、来てたんですか?」
「アールヴァリン、時々姿見せない時があったでしょ。これでも王子だから、早馬で部下が来るんだよ。あたしかアールヴァリンかのどっちかが対応するんだ」
「へぇ」
そういえば、ジャスミンとフィヴィエルが賊に襲われた時もソルビットは寝床を抜け出していたな、と思い出す。だから、ユイルアルトは何の気なしに聞いてみた。
「行きで途中の村に寄った夜も、部下の人が来てたんですか?」
「………」
「…………えっ?」
「違うんですか? ソルビットさんいませんでしたよね、あれ、でもあの時村の外に出てたのはアールヴァリン様もだったような気が」
彼が放った魔法石は村の外から投げられていたような記憶がある。じゃあ二人はどうして村の外にいたのだろう、と疑問が頭を通り過ぎた頃。
「ユイルアルト」
「はい」
「それ、他の誰にも言っちゃ駄目だよ」
有無を言わさないソルビットの笑顔に、口を閉ざしてこくこくと頷くしか出来なかった。ジャスミンも同様で、視線を向けられれば同じように頷くしか出来ない。
この話題は終わり、とばかりに次の書類を捲るアールヴァリン。しかし、その顔は真っ赤に染まっていた。
「……えー、と。そう、次だな。その、色々と内容はあるんだが君達の目で見て貰った方が良い。目を通しながら待っていてくれ」
隣に座るソルビットは、ずっとアールヴァリンの脇腹をつついている。
医者二人が書類に目を通し始めた頃合いを見計らって、二人が同時に席を立った。そして、場所を隅に移して話し合う。
「ど う し て く れ ん の」
「し、仕方ないだろ……。そんなに心配するなよ、ソル。何かあったら俺が責任を」
「またこんな所でそんな呼び方して。ヴァリンがどう責任取るってのよ、大口も大概にしなさいよ」
騎士隊長二人の会話に、医者二人も聞き耳を立てている。
どう聞いても親密さが拭えない二人の会話に、なんとなく察するものがある。ソルビットを『ソル』と呼ぶのは厄介な人物だけだと彼女も言っていたのだ。
つまり、あの二人は立場が違いながら、恋人関係、或いはそれに近い状況にあるという。
ジャスミンは身分違いの恋愛話に頬を染めて盗み聞いているものの、ユイルアルトの気分は違った。
――『いずれあの方は、その立場に相応しい他国の姫を娶る事でしょう』
その恋が叶わない事を、リエラから聞いていた。そして、それを是とするソルビットの言葉も聞いている。
孤児でありながら、貴族の落胤で、今は騎士隊長を務めるソルビット。
彼女はそれでいいのかと――聞きたくても、聞ける訳が無かった。
「……な、なんか、不思議な状況ね。王子がソルビットさんを好きだなんて……」
「……そう、ですね」
「恋人同士なのかな。そうだったら素敵ね。王子と騎士の恋物語なんて……、……? ねぇ、イル? 聞いてる?」
「……聞いていますよ」
「どうしたの、イル。……そんなに必死に、何見てるの?」
ユイルアルトの視線は、先ほどから書類に落ちたままだった。覗き込んだソルビットが、その文章を小声で読み上げる。
「……『薬の依頼』? ……え、なにこれ」
「……」
「心臓の薬に、呼吸器の薬、内臓系の薬は大体書いてあるわ……。こんな薬、本当に一度に必要なの?」
「……おかしいですね。これではまるで病状が理解出来ていないようです。手当たり次第に薬を試そうというつもりなのかも知れませんが……同時使用が危険な薬もありますね。これは、直接王妃殿下に話を伺った方が良いでしょう。謁見申請はどう取ったらいいんでしょうね」
「申請はアールヴァリン様がいるから直接聞いた方が早いわ。でも、病状が理解出来てないって……リエラ様がいるのに? もう禁忌植物の使用は認められたも同然なんだから、リエラ様に頼ればいいんじゃないの?」
「頼れないか、……それとも、リエラ様でも病名を特定する事が出来ないのかも知れませんね」
書かれている文章には、薬の名前や材料が記載されている訳では無い。ただ、治療薬を用意できるならして欲しい、という藁にも縋るような文面だった。
リエラでも特定できない病気であれば、二人の手にも余るかも知れない。でも、酒場の医者として手が空いている自分達だから出来る事なのかも知れないと思い直す。
「……まさか、城下に戻って早々……こんな依頼が来るとは思いませんでした」
書類を捲るユイルアルトの手は、暫くその部分で固まってしまっていた。
依頼者、ミリアルテア。
薬の使用対象者、ガレイス・R・アルセン。
病に臥せった国王の病状が芳しくない、という文言までついた書類を、二人は呆然と眺めるだけだ。
これまで受け持った患者の中でも、国王という存在は、何よりも重圧を感じるものだった。
一階の隅で、リシューが微笑んでいる。
他の誰にも見えない己の師は、自分の教え子の出世を喜んでいるようだった。




