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【第三部】アルセンの方舟 ―国家公認裏ギルド交響曲―  作者: 不二丸茅乃
chapter.2 魔女の憂鬱、聖女の溜息

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25.既に叶っていた再会



 宮廷医師。

 三人しかいない王家直属の医師は、先程一人減る事が確定した。

 もう一人の存在は未だ不明だが、残る一人のリエラの腕は二人も知っている。

 彼女と共に肩を並べて、この国の薬学の未来についていつまでも考えられる日々はきっと希望に溢れているだろう。

 慣れない環境で苦労する事もあるかも知れない。でも、もうこれまで大事に育てて来た薬草を毒草と言われる事もなく、陰で薬を作り続ける事もしなくていい。悩んだ時には、隣に親友が居る。

 断る理由は何も無い、ように思えた。

 けれどジャスミンも、ユイルアルトも、体が考えるより先に椅子から腰を上げ、そして床に両膝を付いた。


「――大変、光栄に存じます。ですが」


 その言葉から続く答えをも、全員が予想していた。


「私達はまだ若輩者で、この城下に身を置いてからまだ三年しか経っておりません」

「私達は、今からも勉強しなければいけないことがあります。目を掛けて頂いて、とても嬉しかった。ですが、私達の能力は自信を持って『宮廷』と名乗るには不充分な事がありすぎます」


 デナスさえ『宮廷』と冠した地位に胡坐をかいていた。

 その後、宮廷医師として就任する自分達は、デナス以上の能力を持っていないといけない。その点は、きっと心配いらないが、だからと『それだけ』では、きっと足りない。


「いつか、今以上に研鑽を積んだ私達を、それでも迎え入れてくださるとしたら、その時は喜んでお仕えしたいと思います」

「……そうか。……残念だ。いや、……本当に、残念だ」


 二人の想いを、王妃は汲んでくれた。驚くほど呆気ない引き際に、二人が逆にからかわれていなかったか心配になったほど。

 しかし、王妃も提案して即不承諾とは思わなかったのだ。提案を持ち帰り後日断られる可能性を考えていただけに、少し心に棘として刺さってしまった。


「……私は反対でしたが。このまま宮廷医師になった場合、忙殺される未来が見える。そうなれば、薬学の話をする時間が取れそうにありませんので。まだ二人の知識の泉を覗いていたい気持ちの方が強いですから」

「ん? フュンフ、其方はそう言うがな。もし二人が城に仕えれば、話す場合の物理的距離はとても短くなっただろう。酒場に行くより近くなるのだぞ」

「………」


 王妃とフュンフは不穏な事を話しているが、二人の側に居たアルギンは複雑そうな顔をしている。


「……反対、だったんだよ。アタシ。反対だったけど、……二人とも、良かったの?」

「何がです?」

「宮廷医師だよ? アタシの酒場に居るよりも遥かに高い地位で、二人が満足するような仕事が出来たよ。そりゃ、忙しいし城仕え全員が善人って訳じゃないし町医者が見るようなのとは比べ物にならないくらい酷い怪我とか病気があって自分達の分野外の症状も見る羽目になるし、お薦めは本当にしないけど、でも」

「私達を追い出したいならそう言ってくださいませ」

「違うよ!!」

「私達は自分達の意思で酒場を選んだんです。……勿論、ゆくゆくは叶うなら宮廷医師の地位も望んでいますので、そう気に病まないでください」


 医師二人は顔を見合わせ、笑う。


「王城の事についても勉強しないと、ね。一番のお得意様は騎士団の方々になるのかな。騎士団のことについても何も知らないから」

「忙しくなりそうですね。でも、そういう事に詳しい人が近くにいるから大丈夫でしょ」


 呆気なく話が付いた宮廷医師就任の件。でも、まだ王妃には話しておかないとならない事が山とある。


「……次の話に移ろうか」


 咳払いした王妃が声を掛ける。酒場の医師二人はもう全て話が終わったように思っていたが、まだ続きがあるらしいことに驚いた。


「アールヴァリン、ソルビット、フィヴィエルの騎士三名に於いては別途休暇を設けよう。明日から三日、ゆるりと休め。それから、リエラ、ジャスミン、ユイルアルト。功労者である其方達にも褒美を取らせる。叶えられる願いはそう多くはないが、希望を申せ」


 この場から去っているアールヴァリンは別として、残る二人の騎士は膝を付き頭を垂れた。先程まで緩やかな空気が流れていたにも関わらず、その姿は騎士として格好が付いている。

 褒美、と言われて咄嗟に思いつくものは、ユイルアルトには無かった。けれど、何かを躊躇うように身じろいだリエラ。そして、そのリエラを差し置いて発言した人物がいた。


「褒美、でしたら、私から口にしても良いのでしょうか」

「ん? 乗り気だな、ジャスミン。そうさな、其方であれば五番街に診療所を建てるくらいの願いなら聞き届けられるぞ」

「私の望みは、診療所でも金銭でもありません」


 親友が口にしたい望みに気付いたユイルアルトが、あ、と声を漏らす。その背に指を掛けたくて手を伸ばすが、布地を滑るだけの指先は逃げられてしまった。

 一歩を踏み出したジャスミン。玉座に向かい片膝を付いた。


「――宮廷医師リエラ様の、生き別れた息子さんと、リエラ様を会わせて差し上げてください」

「………」

「今の今まで、お会いできていないと聞きました。どうか、褒美を取らせるという言葉が真実だとしたら、リエラ様の悲願を叶えて欲しいんです」


 ユイルアルトだって、似たような事を考えた。でもジャスミンよりほんの少し冷静だったから、言葉を選ぼうとしていて先を越されてしまった形だ。

 自分だって、共に苦難を乗り越えた人がずっと抱いていた願いを後押ししたい気持ちはある。――親子が望まぬまま引き離されているのは、間違っている。


「王妃殿下。私からも、お願いします。フィリートさんと、どうか一目だけでも会わせて差し上げてください」


 ユイルアルトも、ジャスミンの隣に膝を付いた。頭を垂れて、粛々と願いを述べる口振りは落ち着いている。

 でも、何か、胸に引っかかる。ユイルアルトは自分の中にある疑問を晴らすことなく、頭を下げ続けた。

 その二人の平伏を受け、リエラは目に涙を浮かべている。


「……二人とも。私が、先に言おうとしたのに……」


 しかし、王妃は。


「………。……はぁ」


 とても、複雑そうな溜息を吐き出していた。

 それは階下にいた六人にしても、事が終わって再び王妃の側に控えている暁だって同じだ。

 皆どこか気まずそうに、居心地の悪そうに視線を彷徨わせたり身じろぎをしたりを繰り返している。

 そしてソルビットは、ただただ小声で呻きながら頭を抱えていた。


「……口出すなって言ったのに……」


 それは、城仕えの中でも触れてはいけない話のひとつになっていた。

 宮廷医師として仕えるリエラの、生き別れの息子の話。誰も彼も口に出さない、秘匿の話。

 しかしそれは、何かしら重大な秘密が隠されているからではない。


「……、何を言うかと思えば。その褒美を取らせる事については、否と断じる他にない」

「そんなっ……!?」

「そうだな。フィリートについては壮健である。若くして腕を見込まれている。その身を案じる事自体が、フィリートにとっての侮辱と成り得るやも知れぬほどにな。……というか……、……リエラよ、其方もアルギンの昔の話を笑えぬな」


 声を荒げたジャスミンの視線から外れた所で、アルギンが顔を隠して悶絶していた。

 王妃の苦言は、怒りや不満とは別の所から来ている。

 視線をちらりと上げたユイルアルトだけが、その言葉の違和感に答えを得た。


「……王妃殿下、ひとつお伺いしても宜しいでしょうか」

「構わぬ」

「もしかすれば、既にリエラ様はフィリートさんとお会いした事があるのでしょうか」

「……、ほう? アルギンの配下にしては、其方は聡い所があると見た」


 アルギンにとって、それはなかなかの侮辱であるにも関わらず、彼女は顔を真っ赤にして黙り込んでいるだけだ。

 再び、リエラから言葉を呑み込んだような音が聞こえる。

 生き別れた息子と、既に会っている。それはリエラがそうだと知らされない形で。


「フィリートさんは、私達と同年代の男性。そして将来有望な――もしかすると、騎士ではありませんか?」

「………。如何な私といえど、その問いには答えたくないなぁ?」

「髪の色は水色で」


 そこまで言って、やっと、リエラの視線が謁見の間の中を移動する。


「騎士隊『鳥』に所属し」


 そして、フィヴィエルに視線が辿り着く。


「名前は、『フィリート』から別の名に変わっていませんか」

「如何して、そこまで其方は聡いというのに宮廷医師の座を断った?」

「私が聡いのではなく、……リエラ様がただ、鈍いだけかと思ったのです」

「私も、意地悪く黙っていた訳では無い。ただ、こういう話は他人が出るものでは無いだろう? 当人たちに気付いて欲しかったのだ。尤も――息子の方はとうの昔に気付いていたのだが」


 フィヴィエルもまた、リエラを見ていた。


「……フィ、……」

「………僕……私は、まだ、ジャスミンさんやユイルアルトさんよりも、未熟者です。母にとって、恥ずかしくない騎士になれば、その時に真実をお話しようとしました。宮廷医師の息子が、末席の騎士のままでは母の恥になりますから」


 母が、名の変わった生き別れの息子に気付かぬ鈍い母のままでも良かった。それを望んだのは、未熟なフィヴィエル自身だ。

 震える足で、手で、フィヴィエルにふらふらと近寄るリエラ。そんな彼女に駆け寄り抱き留め、その場に二人寄り添ったまま座り込む親子。

 もう、話の続きどころの空気ではなくなってしまった。王妃は何度目かの咳払いの後、アルギンに顔を向ける。


「其方達は二人を連れてもう帰れ。紫廉と緑蘭に双子を任せているのだろ。明日にでも、ヴァリンとソルビットを酒場に向かわせる」

「んじゃあ、ありがたく戻らせてもらいます。ディル、帰ろ」

「ああ」


 既にお開きの空気が流れ始める中、一番に動くことを許された酒場の面々が揃って歩き出す。

 ジャスミンは結局最後の最後でやっと気づいたらしく、呆気に取られた顔のまま最後尾を歩いていた。

 謁見の間を出るその時になって、二人とも親子にもう一度視線を向ける。リエラは、声を殺して泣き続けていた。ずっと求めていた息子の姿が、こんなに近くにあることに涙が止まらない。

 もう、親子が離れる必要もないのだ。気付くのを皆、ずっと待っていただけで。


「皆さん、意地悪なんですね」

「昔っからだよ」


 ユイルアルトが零した言葉に反応したのはアルギンだった。

 彼女の耳は何故か、今も赤く染まったままだ。



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