23.予定調和の尋問
ヨタ村。
ディルの口から、リシューの姓が出た時を思い出す。ユイルアルトの師も、ヨタの姓を持っていた。
師の子であるリエラは、宮廷医師で。ユイルアルトが関わった城下のすべてが、この謁見の間で完成しているような不思議な光景だった。
今考えるべきはそれではない筈なのに、現実離れした光景に思考が散らかる。横目で見た、自分を支えるために床に下ろされたジャスミンの手がひどく震えている。
恐怖が、二人を呑み込もうとしている。返答の言葉を選ぶにしても、何と言えば罪が軽く済むか、そればかりを考えてしまう。
「はい。使用いたしました」
驚くほどに落ち着いた声は、リエラの口から。
「どうか、罪は私一人に。ここに居るユイルアルトも、ジャスミンも、私の指示で調薬したに過ぎません」
「っ、リエラ様!?」
「其方の指示で調薬……、なぁ。リエラ、それでは困るぞ」
僅かに視線を上げて、リエラの様子を窺うユイルアルト。
リエラの様子はずっと変わらないが、気になったのは『困る』と言った王妃だった。今更、何を困るというのか。
「ど、っ、毒草!? リエラ、貴様そんなものを使ったのか!!」
再び声を荒げるのは、憤慨したデナス。
「王妃殿下、お聞きになりましたか! この女は、宮廷医師の地位を賜りながら、あろうことか国の禁忌に手を出したのです!!」
「………」
「なんと嘆かわしい……、なんと愚かしい! それで宮廷の名を冠する地位にいたとは、これだから女は!!」
――空気が凍る。
普段から使い慣れた言葉は、咄嗟の時にも口を突いて出やすいとはよく聞く話だ。
けれど玉座に居る王妃殿下は女であり、階下に佇む裏ギルドマスターのアルギンだって女で、更に言うならば騎士隊『花』隊長のソルビットだって女だ。
一括りにされた性に当てはまる三人が、一様に氷のような視線を投げているのにも気付かないデナス。
「……禁忌の毒草を使用した事は、確かに問題になるものだ。そも、たかだか『指示された程度で毒草を使いこなせる』ような医師がいるという話も驚くべき事だがなぁ……。まぁ、良い。総員、顔を上げよ」
王妃の声は、先程とはまるで違う張りの無い声になっていた。面倒臭さが一番に出てきたような、どこか間延びした声。
許しが出たので顔を上げた、村に向かっていた総勢七名。
「さて、デナスとリエラの申し開きは聞いた。ジャスミン、ユイルアルト。何ぞ、其方等には言い残した事はあるか」
「……」
「……」
改めて聞かれて、二人が押し黙る。罰は怖いが、自分達を守ろうとしてくれるリエラの言葉を聞いて、逃げたいと思う心は遠ざかってしまった。
逃げてもどうにもならないし、何より、リエラを口汚く罵るデナスが許せない。
「――私達は、指示されたからではありません。私達は、私達の誇りに掛けて、患者を救う事を優先しました。薬草は、私達の意思で使用しました」
「使った薬草は、毒草としてではなく、患者を助けるための薬効がある薬草として使用しました。私達にとって、毒草なんて呼べるものではありません。とても大切な、命を守る薬草です」
驚くリエラを余所に、言い切った医師二人。
デナスは二人の告白に更に捲し立てるように叫び出す。
「お聞きになりましたか!! これが! これが私達の手伝いとやらで派遣された者達です! 陛下の、ひいては王家に弓引く犯罪者です!!」
デナスはまるで鬼の首を取ったかのように居丈高に叫ぶが、反対にアルギンはニコニコと笑顔を浮かべていた。
その上機嫌さがおかしくなったのか、声に薄笑いを浮かべた王妃がアルギンに質問を投げる。
「……だ、そうだぞ。アルギン」
「はい? ああ、何でしたっけ。どうですか、王妃殿下。アタシのお抱えの医者、凄いでしょ」
「……本当に、謁見の間に居ながらよくもまぁそのような腑抜けた顔と言葉を連ねられるな……」
二人だけ、空気感が違う。一瞬だけ通り過ぎた和やかな空気は、咳払いをした後の王妃の言葉に掻き消えた。
「では、其処な医師四人に問おう。名を呼ばれた者だけ、我が問いに答えよ」
軽く指で合図した王妃は、側に控えていた暁に何かを持って来させる。
それは陶器製の盆に乗せられた植物のようだった。それも、葉の部分。
「……では、まずはデナス」
「っは、はい!」
「この植物を見て貰おうか」
暁が階段を下り、膝を付いたままのデナスの前に運んだ。床に置かれたそれを、しげしげと眺めるデナス。
「……この草が、何か?」
「禁忌植物のひとつだ。名前と毒性を答えよ」
「は……、はっ!?」
出された問いの内容に、途端に慌てだすデナス。そして目を丸くする女性医師三人。
面白いほど狼狽える宮廷医師長に、謁見の間にいる全員の視線が注がれる。
「……こ、これは……私が答えるまでもありますまい。これは、禁忌植物を使用した罪人リエラに」
「私は其方に聞いているのだぞ」
「……、……ぐぅう……」
答えられない。
当たり前だ。
知識が無いのだから。
「どうした、だんまりか。ならば仕方ないな。では……ジャスミン、答えられるか」
「……はい。その、クロベニヨンの葉ですね。その、申し上げにくいのですが、このクロベニヨンの葉自体には毒性が無く、根に毒を溜め込みます。主な症状は嘔吐ですね。薬効としては解熱と痛み止めです」
デナスに対してすらすらと答えるジャスミン。ぷっ、と噴くような笑い声がアールヴァリンから聞こえた。
「ふむ。……ふむ、成程な。では、次。暁」
「はぁい」
暁は短い白髪を揺らしながら、背中側に隠し持っていた植物を取り出す。同じように盆の上に乗せて、クロベニヨンの葉の隣に並べた。
今度のそれも葉だ。先程のものよりも細く、平行に葉脈が見える。
「では、デナス。次こそ答えて貰えるか」
「は、っ……はいぃ……」
脂汗の浮いたデナスの顔は蒼白だ。一問目を答えられずにジャスミンにお株を奪われている。
ふんふーん、と鼻歌を歌いながら上機嫌に枝毛を探しているアルギンは、元からデナスになど興味が無さそうだった。
「葉……、葉、そして、禁忌植物……、葉、といえば、と、っ、トリエルベショ……!」
「はぁ?」
洒落や冗談などではなく、呆れ返る声がユイルアルトの口から飛び出た。あまりの場違いさに途端に顔を赤くして蹲る。
再び、ボフッ! と噴き出す声がアールヴァリンの方から聞こえてくる。暫く笑いが止まらなかったようで、背中を丸めて堪えている。この場で笑えないのはデナスだけだ。
「……、………。えー。……、では、……次はユイルアルトに答えてもらうとしよう、か……。そこ、アールヴァリン。笑うのを止めよ」
「……っく、す、……すみま、せ、……く、くくくっ……」
ずっと思い患っていたよりも、随分リエラ達に好意的な空気に感じられてユイルアルトが戸惑う。でも、これも見せ掛けだけで後からこの空気すら裏切られたら、と思うと糠喜びも出来なかった。
自分の名が呼ばれて、ユイルアルトが居住まいを正す。背筋を伸ばし、指定された葉をもう一度見遣る。
「……モノオモイ、です。薬効として咳症状や肺炎の治療に有効です。ですが毒性が高く、一度に多量に摂取すると死に至ります。名の由来が、多量摂取した後の苦しみに耐える姿が物思いに耽っているように見えるからだと記憶しています。量を加減して使用すれば、咳病の特効薬に成り得ます。ちなみに、トリエルベショの葉は三叉に分かれる葉先が特徴の薬草ですね」
「……ほう。其方といいジャスミンといい、随分淀みなく答えるものだな」
「医学を学んでいれば、この程度は当然かと。医学は発生する病状のみでなく、相対する毒をも知っておかなければなりません」
デナスを嘲笑する意味を込めて、謙遜するように答える。先程まで真っ青だったデナスの顔は怒りによって真っ赤に染まっていた。
人を小馬鹿にしなければ、ユイルアルトだってこんな侮辱めいた言葉は選ばない。でも、デナスが謙虚な人格であったなら最初からこんな醜態を晒していなかっただろう。
酒場の医師二人の善戦に満足そうに頷いた王妃は、更に次を暁に要求した。
「さ、次は難しいですよぉ」
次に暁が出した葉は、葉脈の先に向かうごとに尖り行く楕円形をしていた。葉の縁には鋸のようなギザギザが見え、その形は不揃い。そして他の薬草と比べて、葉が大きい。全長はユイルアルトの中指よりもあるだろう。
え、とリエラが息を呑んだ。
「次は指名はせぬ。宮廷医師同士、この葉が何なのか答えてみせよ」
躊躇うリエラを横目に、出し抜くなら今しか無いと考えたデナスが手を挙げる。そして王妃の指名を待たずして、大声で叫んだ。
「レイアンガの葉です! 私は見ました! もし違うと仰るならば、私の閲覧した書籍が間違っていたのです!!」
言い逃れにしてもやや卑怯な言い回しだった。しかしその言い逃れは、場の空気を更に冷えさせるだけで。
ジャスミンが、ユイルアルトに耳打ちする。
「……ねぇ、イル。あの葉……覚えある?」
「……。無い、わ。でも、絶対にレイアンガじゃない」
頭にある薬草の知識を掘り返してみても、あの葉に似た形のものは数多くあれどそのどれもと違うように見えた。
濃い緑色をして、大きく、薄い葉。少なくとも、ここまでの大きさの葉をつける薬草は酒場に借りている部屋でも育てていない。自分達の知らない薬草なのか、と身構える。
「デナスの答えは出た。リエラ、其方は何と答える?」
「……答える、べき、ですか。殿下も、お人が悪いです」
「人が悪い? さてな、そのような言葉を受ける謂れは無いと思うが」
リエラは正解が分からないのではない。
「……城の中庭に生えている桜桃の葉ですよね。薬草に使われる程の薬効はありませんし、御存知の通り禁忌でもありません。強いて言うのなら実自体は甘くて美味しく栄養があります」
生真面目にリエラが答えた時点で、アールヴァリンの我慢が決壊した。何も言わずに出入口に向かって走って逃げる。しかし扉を開ける力は残っておらず、門扉に手を掛けたままその場で大笑いし始めた。
謁見の間に響き渡る王子騎士の笑い声を聴きながら、デナスが呆然とした顔を王妃に向ける。王妃の出した結論は、彼にとって自業自得のものだった。
「……以前からなぁ、其方に対する苦言を多く拾っている。高圧的だの、医師なのに特定の病以外の相談に乗らないだの、乗ったら乗ったで言われた通りにしたら逆に悪化しただの。ほとほと困り果てていたのだがな、腕のいい医者が城下に居るという話を聞いた。今回、其方等の手伝いとして二人を向かわせたのは、本当は二人の能力が何処まで高いのかを知りたかったからだ」
「……で、殿下。私を……嵌めたのですか」
「嵌めた? 何を言っている。自滅しただけではないか。これまで私は陛下と其方一族の縁を鑑みて、何某と鋏は使いようと言い聞かせてお前を使っていたのだぞ。だがしかし、碌に切れぬ鋏よりも存分に切れる鋏の方が良いに決まっているよなぁ?」
自滅した、との言葉には全員が深く頷いた。医師として当然の知識を聞かれただけなのだ。
「其方は宮廷医師の地位よりも、しがない町の皮膚科医の方が似合っているようだ。――アールヴァリン。もう笑いは引っ込んだだろう。連れていけ」
「承知」
それ自体が既に台本か何かにあったかのように、戻って来たアールヴァリンは平然とデナスを立たせて引きずるように連れて行った。
何事かを喚いていたが、誰も言語として聞き取れなかった。ただ喧しさに耳を塞いで、嵐が通り過ぎるのを待つだけ。
「何故っ、なぜぇえええ!! 私は、医師として、国の為に尽くして来たというのにぃいい!!」
その言葉は、塞いだ耳に届いた。悲痛な声、といえば聞こえはいいがただの悪足掻きだ。
王子騎士とは違う理由で我慢の限界に達したらしい王妃が、床を蹴るようにして立ち上がる。
「世迷言も大概にしろこの老害がっ!! 貴様のような阿呆は我が国に害しか齎さん! 規範となるべき宮廷医師が貴様のように腐り切ったのでは話にならん! 貴様の眼前に並ぶこの六人や、リエラ達のような功績を立ててから物を言わぬか! 最早貴様の存在自体がこの国の毒だっ!!」
王妃の限界は、怒りで現れた。
怒鳴り付ける王妃の足許、階段の下で並んだ六人は黙ってデナスを見ている。
その誰もが、王妃の認める人材だった。
デナスは憤りか絶望か、言葉をそれ以上発することなく連れて行かれる。まるで、犯罪者でも連行するかのように無理矢理に。
「さて……、リエラ。ジャスミン、ユイルアルト。……改めて、労を労おう。ヨタ村には死者は出なかったと聞いている。これから先は、そう暗い話にはならん。全員体勢を崩しても構わんぞ」
それまで気が張っていた酒場の医師二人は、柔らかな声に戻る王妃の言葉に腰が抜けてその場に崩れ落ちる。油断すれば意識さえ暗闇へ落ち込んでしまいそうだったのを、互いを抱き締めて支える事で耐えた。
嵐のような時間だった。感情の振れ幅も大きい。疲労は、これ以上無いと言うほど感じていた。
でも、この先に暗い事を考えなくていいという言葉は何よりも安心感を与えてくれたものだった。




