20.人質
物事には加減というものがある。
医師三人が調合した毒草は、高い薬効がある故に使用しているのだ。三人ともがそれを深く理解して、毒と薬効の均衡が薬効に傾くように調合している。それは自分達だけの経験に基づくものばかりではなく、先人の知恵もあってこそ。それらは認められていないとはいえ、医学書を浚えば出てくる調合もあるのだ。
それらの知識もなく、ましてや『飲めば飲んだだけ効くだろう』という浅はかな考えを持った馬鹿には付ける薬も用意できない。よりにもよって、その馬鹿が医師の看板を下げているから他の善良な医師は頭を抱えるしかない。
馬鹿に付ける薬なんて、もし調合出来たらどれだけいいだろう。看板に似合わない判断を下す馬鹿が減るだけで、どれだけ世の中が生き易くなるだろう。
本当に、あんな馬鹿さえいなければ。あんな馬鹿さえいなければ。あんな馬鹿さえあんな馬鹿さえあんな馬鹿さえあんな馬鹿さえあんな馬鹿さえあんな馬鹿さえ
(――以下、殴り書きで読めない。ジャスミンの日記の一頁より)
端的に言えば。
死者は出なかった。
リエラが重症患者へと調合し持って出た薬は、あと少し病の進行が進んでいたら手遅れだったろう。死に至る病があれ以上気道や肺を傷付けていたら、如何な薬といえど役に立たない。
医者は寝る間も惜しんで患者の為に尽力した。デナス以外の、と注釈は付くが。
そのデナスは病の症状に加え、薬の過剰摂取により副作用の頭痛と嘔吐と悪心と過眠、その他諸々の副作用に息も絶え絶えで治療の真似事どころではなかった。邪魔しないでほしい、という他の医師三人の願いは少し歪な形で叶ったのだ。
デナスの出しゃばらない村では、穏やかな時間が過ぎている。皆が皆、口の覆いを付け、手洗いとうがいを励行し、それ以上の悪化も感染も見られない。危ういと思われたソルビットも軽度の咳だけで、処方された薬を飲めば二日で症状は治まった。
そのソルビットが咳している間、本人よりもアールヴァリンの方が焦っていたのだけれど。
「……症状の回復。あとは別口で処方した薬を飲んでくだされば、あとは自己回復出来るくらいにはなるでしょう」
村に来て、八日が経った。元々畑仕事をしている人物が多かったためか、体力の回復には目を瞠るものがある。
一番酷かった重症患者も、既に自分の足で立って動けるくらいにはなっている。畑仕事に出たいとの申し出があったが、それはリエラが阻止した。
死者の出なかった村では、皆が一様に安堵を顔に浮かべている。もう罹患の心配がない、とまでは言えないが命の危険は去ったと見ていい。既に二日前には中程度の患者が使っていた小屋を引き払い、全員が村に戻って来ていた。
その日も薬の調合が終わったジャスミンとユイルアルトは、患者の診察を終えたリエラを労った。お茶を出して、少しでも彼女の疲労が軽減されればいいと周囲の片づけをする。
「ありがとうございます、二人とも」
「このくらいしなきゃ。一番疲れているのはリエラ様なんですから」
二人の功績は、決して『手伝い』では済まされないものだったが、それでも二人はリエラを尊重した。自分の立場もあるのに禁忌薬物を使用してまで患者を守ろうとした心は、二人が尊敬するに値する。
そしてリエラも二人を軽んじたりはしなかった。「べつに様付けじゃなくていいのに……」と呟くも、二人は聞こえない振りをする。
細々とした手伝いをする二人を見ながら、リエラが微笑みを浮かべる。
「私に娘がいたら、こんな感じだったのかしら」
どこか寂しさを滲ませたリエラの声を、二人は無視できなかった。
自分の放った言葉が二人にとっては重苦しく感じたのを気付いて、苦笑いを浮かべるももう遅い。
「ごめんなさいね。私、ちょっと感傷的になったみたい」
「……リエラ様、娘さんが……欲しかったんですか?」
「欲しかったわ。ううん、本当のことを言うと性別はどっちでもいいの。私は、早くに夫を亡くしたから」
茶を口に含む、リエラの顔が疲れている。だからだろう、こんな取り留めのない話をしだしたのは。
早くに夫を亡くした、というリエラの表情は浮かない。
「二十年前の戦争でね、戦死したのですよ。その時も、私は宮廷医師だった。医師なのに夫を救えなかった」
「……」
「小さい息子が居たのよ。でも、母も病気で、それから暫くして亡くなって……。誰にも頼れなかった私は、王妃殿下に息子の未来を託したの」
「息子さんを? 託したって……」
「王立の孤児院にね。……お願いしたの。教育は行き届いているし、衛生環境も良い場所だったの。私はこういう仕事をしているから、ずっと一緒に居られる訳じゃない。だからお願いしたのだけど、私が離れても母に頻繁に会えていたから安心してしまったのですよ。預けてから一度も、今まで私は、息子……フィリートに会えなかった」
昔を懐かしむような声には、確かに悲哀が滲んでいる。
「その孤児院に預ける事が、私にとっての『人質』になるとも思ってなかった。……私が何か罪を犯せば、その咎は息子に向かう。一度として再会出来なかった、今は何をしているかも知れない息子に」
「……なん、ですか、それ」
「酷い……!」
「どうしようもなかったのですよ。私は良い母親になれなかった。デナス医師長を前にして良い医者でいられなかったように。今は息子が幸せであるようにと祈るばかりで。……今も元気だったら、貴女達と同じ年くらいかしら。今も、元気かしら」
懐かしむように言葉を連ねるリエラ。もう、懐かしむ事しか出来ないのだ。
宮廷医師という立場についていながら、人質が必要なのは王家が疑り深いからか。それとも、リエラの信頼が薄いからか。恐らくは前者だろう、と二人は判断した。
「――私がこうして、禁忌指定の薬草を使った事で。……咎はきっと、息子に向かうのでしょうね」
息子と、助けるべき村人達。
天秤にかけた宮廷医師は、血を分けた大切な、もう思い出す事しか許されない息子を選ばなかった。
血の繋がりを軽視する者はいれど、リエラがその手合いには見えない。それほどまでに、高潔なのだ。
「……緊急事態でした。咎を負うなら、役に立たなかったデナス氏ではないでしょうか。それでリエラ様が、そして息子さんが責任を負わされるのは間違っています」
「間違ってないの。それが、国として在るべき『公平』です。国が決めた法に、緊急事態などと、そんな言葉で許されるものがあるならそれは公平ではない。……願わくば、もし誰かにとっての『次』があるなら、その緊急事態が許されるように法を整備して貰いたい所ですけれど」
リエラは、どこまでも『宮廷医師』だ。
だから、国の決定に胃を唱えない。国の為に仕える者のひとりとして、自分の責を自分で背負う。
「勿論、貴女達には責を問われないようにするから。……私に脅されて、とか、禁忌指定の毒草だと知らなかった、とか、追及された時にはちゃんと言ってくださいね?」
こんな優秀な医師を。
医師長などと名乗る愚物よりも高潔な医者を。
違反ごときで処分する仕様の無い国なのだろうか――この国は。
あの酒場が、そして一緒に来た三人が仕える先は。
ジャスミンも、ユイルアルトも、苛立ちを堪えた。リエラに、仕える国に対する悪口をこれ以上聴かせるつもりは無い。
黙りこくった二人に、曖昧な笑みを見せたリエラ。薬草の事では完全に通じ合った二人と一人だが、この件に関しては互いに言いたい事があるようだ。
何があっても、今のままでは平行線。何もかもを諦めた医師と、全部を諦めきれない医師二人。
沈黙はリエラが破る。「他の方達の様子、見てきますね」と言って席を外した。先程回診も終わったばかりなのに。
リエラがいなくなった後の重苦しい空気は暫く晴れなかった。残された二人は互いに視線を合わせて、それでもただ無言。
言いたい事はそれだけで通じる。リエラを、このままにしておけないと。
「最悪、リエラ様が追放になれば、私はついて行きます」
「それがいいわ。私もそうしたい。リエラ様とイルが一緒だったら、きっと私はそれだけでいい」
「……本当に?」
「え」
ユイルアルトが問い返した、その言葉にジャスミンが言葉を失う。
「なんだか、ジャスは他に心残りがあるんじゃないかな、って思ったんですよ。どうもこの仕事を受けてからというもの、とある一人と距離が近いんじゃないですか」
「は……っ、はぁ!?」
「別にいいんですよー。ジャスの未来が春色になるならそれに越したことはありませんし」
「なっ、なんで!? 別に、私とフィヴィエルさんは、そんなんじゃ!!」
「あれぇ、別にフィヴィエルさんの話をしたつもりじゃないんですが」
「イルっ!!」
彼は少し頼りないが、良い男だ。それはユイルアルトの目から見ても思う。優しくて、でも強くてしっかりした意思を持っている騎士。おとぎ話の王子様ほどとは言わないが、親友を任せるなら彼が良いと思う。ユイルアルトだって、彼に悪い感情は抱いていないのだから。
ちくり、と胸が痛む。それは親友の心が彼に向いているせいだと言い聞かせた。
「からかうなんて酷い!!」
「からかうのは愛情表現のひとつですよ、ソルビットさんがアルギンにするのと一緒です。ほらほら怒らないで、ちゅーして差し上げましょうか?」
「そういう所真似するの止めて!!」
親友同士の戯れだ。だから、この時までは二人の間に笑顔がある。
ユイルアルトの顔から笑みが消えるのは、その後。
「……」
リエラにとっての心残りは、昔に生き別れた息子だろう。ずっと逢えていない、夫の忘れ形見。
夫の髪色は知らないが、リエラの髪色は水色だと知っている。春先の水を思わせる、澄んだ川の色。
王妃が預かった子供の身柄は、将来どういう職業に就くのだろうか。本人の適正次第とはいえ、城に関係する職につくのではないか。
――フィヴィエルの髪色も、水色だったな。
ユイルアルトはふと気付いて、それでも黙った。
不確定要素をジャスミンに聞かせるつもりはない。それに。
ユイルアルトが気付いているなら、ジャスミンだって気付いていてもおかしくはないのだから。




