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【第三部】アルセンの方舟 ―国家公認裏ギルド交響曲―  作者: 不二丸茅乃
chapter.2 魔女の憂鬱、聖女の溜息

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18.色彩の洪水



 それは、三年ほど昔に遡る。


「………。リシュー?」


 酒場に身を寄せて三か月にもならない頃の話だ。

 奴隷のような仕打ちを受けていた頃の傷は薄くなり、起きていられる時間も長くなってきた頃。

 とある昼下がり、昼食の支度をするアルギンを一階の厨房で見つけた。忙しなく動く彼女が作る料理は、大体のものが美味しい。

 手伝いを申し出たのは、その食事が三人分しかないからだ。アルギンと、ディルと、それからユイルアルト。他の面々は、まだ小さな双子も含めて出払っていた。

 その時に、自分の中で気になっていた話を聞いたのだ。酒場の一員の筈なのに、いつもひとりでいる師の事を。


「……ちょっと待って、イル。リシューって、今、言った?」

「はい。……どうしたんです、アルギン。リシュー先生の事、知ってますよね?」


 とても穏やかで、薬草に詳しく薬の知識も豊富な老婆。

 アルギンの昔話も、ほんの少しだけ聞かせてくれた人。

 ユイルアルトにとってリシューは、傷だらけの自分の側にいてくれた人だ。そして寝台に横たわるだけのユイルアルトに、薬の話も含めて沢山の事を聞かせてくれた。


「……うん。……そりゃ、……知ってるよ。リシュー婆ちゃんは、………その、アタシがこの酒場に引き取られてから、……とっても優しくしてくれた人で……」


 知っている。なのに、言葉は煮え切らない。

 何か奥歯にものが挟まったような言い方しかしないアルギンは、火に掛けた鍋の中で野菜が焦げ付き始めているのにも気付いていない。

 ちょっと、と指摘すると、うわぁ、と情けない声を上げて鍋を火から下ろす。

 様子がおかしい。もとより、彼女は嘘の吐けない性格だとユイルアルトも分かっている。とても分かりやすいアルギンは、先程から周囲を見渡すようにきょろきょろと視線を彷徨わせていた。


「……婆ちゃん、今も近くに居る?」

「え?」


 居るかと聞かれれば、居ないと答える。

 師だって暇ではない筈だ。ユイルアルトも故郷でそれなりの薬の知識を学んできたが、彼女の知識は書物百冊にも勝る。そんな医者があぶれている訳が無い。……と、その日まではずっと思っていた。


「今は居ませんけど……どうしたんですか、本当に。先生がいたら何か都合が悪いとでも?」

「いや、都合悪いのアタシじゃなくてさ……。いやもしかしたらアタシも都合が悪いかも知れないけど、でも」

「はっきりしてください。何なんですか」


 呆れを吐息に逃がしながら、挙動不審な酒場店主を見遣る。彼女は焦げ付いた野菜を丁寧に取り除きながら、何をどう言えば良いか迷っているようだった。

 話したのが間違いかもしれない、時間の無駄かも知れない。そう思った時に、耳に届いたのは涼やかな男性の声だった。


「――リシュー・ヨタは既に鬼籍の人物だ」


 厨房入り口に、様子を見に来たらしい店主の夫が立っている。

 白銀の髪を長く伸ばした、長身の男。双子の父にして、ある意味この酒場での最高権力者。


「ディル……!」

「以前、手持ち無沙汰の時にエイスの遺した書類を見た。この酒場に縁のあったリシューという薬師は、十年以上前に死去したそうだが」

「っディル、待っ、待ってよ。イルの言うそれが、ほ、ほほほほ本当に、婆ちゃんか、わ、わからないじゃないか」


 死去の事実を淡々と述べる夫、ディル。

 途端にアルギンの手元が震え出す。舌も回らなくなったようで、その表情がありありと恐怖を伝えて来た。


「――死去?」

「そうだ」

「嘘でしょう。だって、先生は私に沢山話をしてくれましたよ。先生が育てているっていう薬草の種まで貰ったんですよ」

「……リシュー婆ちゃんはな、アタシがここに引き取られて暫くして、病気になったんだ。薬だけじゃ治らない病気だとか言ってて、……それで」

「嘘」


 だって、師のくれたものは、部屋にもあるのに。

 話してくれたものは、頭の中にあるのに。

 それら全てを、夢や幻だなんて思われたくなかった。焦るように否定するユイルアルトだが、夫婦は否定もせずに話を聞いた。そして、付け加える。


「……婆ちゃんが使ってた部屋な。……今、お前さんが住んでる部屋だよ」

「――……」

「婆ちゃんの事は、アルカネットも知ってる。随分前に亡くした人の名を聞くなんて思わなかった。それも、新しく入って来たお前さんの口から」


 焦げを取り除き終えたアルギンは、再び料理に取り掛かる。

 その日の昼食に何を食べたかは、もう覚えていない。


「婆ちゃんも、話が合う新入りが来たって喜んだのかもな。……お前さんの言うとおり、本当に婆ちゃんが今でもいるのなら……これまで、誰とも話が出来ないで……一人で寂しかったんだろう。アタシ、見えないから」

「……」

「ずっと婆ちゃんはこの酒場にいてくれたんだな。……。じゃあ……。婆ちゃん、……誰か知らないかな」


 昼食の内容は覚えていないが、その時のアルギンの思いつめたような声は覚えている。


「何をですか?」

「……え? アタシ何か言った?」


 すぐにはぐらかされてしまったが、アルギンの瞳と声に灯った怒りを覚えている。

 誰に向けたものかも分からない、普段はさっぱりした性格の彼女がその時だけ見せた粘質の怒気。

 貼りついて焦がす、溶けた鉄のような、そんな凶悪な温度。


 その後、リシューからは、先代マスターである男は殺されていると聞いた。

 犯人はリシューも知らないそうだ。




 リエラを先頭に、足は森の中を駆ける。小屋の側を流れる川を越え、獣道さえ無いような手付かずの雑草の中を走った。

 衣服の中にさえ入って来るような背の高い雑草は、女の柔肌を軽々と裂いていく。掠り傷だらけで突破した草むらの向こうに、何かが見えた。

 息切れが一番激しいのはジャスミンだった。運動不足もそうだが、慣れない地での激務は精神も肉体をも蝕んでいる。耐えていられるだけ、ユイルアルトが頑丈なのだ。


「こっちです!」


 リエラはまだ先頭を走る。こっち、なんて言うのは『何か』が見える方角だ。

 あれは何だとユイルアルトが目を凝らす。周囲の森の緑より突出して見えるのは、同じ緑色をしながらも建築物のようだった。木材で出来た家よりも、もっと歪な形をしている曲がりくねった緑の壁。入口がどこにあるのかも分からないそれに、リエラは躊躇わず飛び込んだ。


「は!?」


 緑――つまり、植物で出来ている壁だ。ならば木の板のように人を弾き返さないのは道理。

 自分もリエラの後に続けると信じて、先に飛び込んだのはユイルアルト。


「……な、っる、ように、なれ!!」


 二人の姿を見て、やや気後れしたように速度を落とすも、親友と共にと飛び込んだジャスミンで最後だ。

 がさがさ、という音を立てて奥に進めば、そこに広がるのは別世界。


「――……」


 緑の壁で外界から隔絶された異世界の中は、色彩で溢れていた。

 いくら晩春といえど色に統一性が無い花や草が咲き乱れている。青、赤、黄、それからすべてに共通する緑。植物の鉢を置いている棚のようなものも見えるが、それらも全て蔦に侵食されている。


「……イル」

「え、え」

「あれ、冬にしか咲かない花よね」


 その場所には、『すべて』があった。

 ユイルアルトとジャスミンが酒場に借りている部屋よりも、もっと沢山の種類の植物。誰かが手を加えていないと完成しない、色の洪水を思わせる緑の楽園。

 その中には季節でも無いのに花を咲かせる薬草もあった。――違う。この三人にとっては薬草だが、国から見れば禁忌指定の毒草だ。それらが季節外れに花を咲かせて実をつけているなんて、毒草認定した者からすれば叫びたくなるような悪夢だろう。

 鮮やかに、そして物騒に、咲き誇り育ち切った植物達は三人の到着を待っていたかのようだった。やっと来た、早く使え、早く、自分から、と、もし声が聞こえるならそう聞こえていただろう。


「――せん、……せい」


 これが、リシューが故郷に遺して来た菜園だ。こんなに数多くの薬草を扱える医者を魔女扱いなんて、その時の人物達はどうかしている。

 頭がおかしくなりそうだった。ユイルアルトやジャスミンから見ても、この異世界は値千金だ。どれだけ金を積んでも欲しいものが揃っている。これだけあれば、どんな薬でも作れそうだ。誰が望む薬でも、希望の薬効に遜色なく。


「ジャスミンさん! ユイルアルトさん!」


 二人の放心は、リエラが名を呼ぶ声で正気に戻る。


「全部!! 全部、回収をお願いします!! それぞれ皆に行き渡るぶんだけ、持って行きましょう!!」


 指示を出されれば、二人も村に派遣された医者に戻る。何がどんな薬効があるか、二人の頭には大体の所が入っている。

 手で摘み取るだけの簡単な作業だ。でも素手で触る事さえ危険な薬草まであって、それはこの異次元の中にあった錆びた鎌で刈り取る。

 何か余計な事を考える余裕なんて、許されなかった。二人がリエラの言葉通りに、この村にいる全員に薬が行き渡る分だけ薬草を刈り終えた後は、それを両腕に抱えて運んで帰る。何か入れる物持って来れば良かったね、なんて、やっと笑みがこぼれたのはこの時だ。


「優先順位は、重症患者の方々三名。それから吐血の症状がある方に配った後は、体の弱い方や症状が酷い方順に状況を見ながら渡します。まだ材料が足りなければ、私が再びこの場所へ来ます。何度だって来ます」

「承知しました」

「分かっています。その時はご一緒しますよ」

「では――」


 三人の瞳には、決意がある。

 誰も死なせない、死なせてはならないという医者としての強い意志だ。

 その意志の中にはデナスも含まれている。あれでいて、国が抱える医師の一人だから死なせる訳にはいかない。


 ……いかないだけで、本当は死んでもらった方が清々するけれど。


「戻りますよ!!」

「はい!!」


 私情よりも仕事を優先するリエラは『宮廷医師』だ。

 最初は頼りなく思えたデナスに対する怯え顔も、今では成りを潜めている。力強く、自信に満ちた国お抱えの医師の姿。

 その一瞬の横顔に、リシューに似た表情を見つけるユイルアルト。でも、敢えて声には出さない。今言うべきなのは、リエラの心を揺らがせるような言葉ではいけないのだから。



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