15.疑問なのか、疑惑なのか
夜の闇が小屋の外を覆っても、医者三人の仕事は終わらない。
狭い猟師小屋の中、背中に固い床を感じる病床で、病状中程度と振り分けられた患者は誰も彼も咳を繰り返している。
空気が滞っている。換気口になる窓を開ければ、外から羽虫が入って来た。手元を照らす為の灯りに自ら突っ込んで、燃え尽きる小さな命。川に流れる水の音は、患者の咳で掻き消えた。
「二名高熱発症。解熱の薬をお願いします」
「予備があるわ。これを飲ませて」
「一名、咳からの喀血。重篤患者相当と判断しますが」
「……喀血したなら運ぶのは難しいですね……」
夜の帳の奥で、淡々と自分達の仕事を進める三人。口に付けた布の覆いは既に二枚目に変えている。
中程度の症状ばかりの患者とは言え、体力に難のある順から悪化していっている。畑仕事で筋肉は付いていても偏った栄養ばかりを摂っているようで、これまでの食生活を聞けば医者の三人が顔を顰める程だった。とはいえ、城下から離れたこの田舎では食材にも限りがある。
悩ましい。
当たり前だが、栄養状態を考える時間なんて無かった。だから今の患者に適した料理の材料が無い。
そもそも、畑に実るこの村の食料だって取りに行ってる時間が無い。
「……」
リエラは暗い顔をしたまま乳鉢で薬草を磨り潰す。乾いたものなら粉にもなろうが、それは半生だった。汁のせいで団子状になるそれを見ながら、何か考えているようだった。
リエラが心ここに非ず、といった状態になるのはこれが初めてではない。
発熱した患者二名にそれぞれ薬を飲ませた酒場所属の医師二人も、それが分かる程度には関わってしまった。
「どうかされたんですか、リエラ様」
「え? ……いえ、……ううん。……何でもないのです」
「何か考え事されてたようですけれど」
ユイルアルトが喀血した患者の清拭に入り始めても、ジャスミンの問い掛けは続く。
今の時点で指揮官であるリエラの様子は懸念事項だ。指揮官が迷えば、下に付く者も迷うのは道理。それを分かっているリエラは、躊躇いながら口を開く。
「ジャスミンさん。ユイルアルトさん」
最初に口にしたのは二人の名前で。
「貴女がたが、アルギン様を経由して騎士に処方した薬――材料は何ですか」
次に口にしたのは、二人の罪だった。
「……え?」
「私は、宮廷医師になってそれなりの年月が経っています。ですが、合法である薬草やその他の材料であそこまで効能がある薬を作ることが出来なかった。それは他の宮廷医師も同じです。軽症といえど、一日休んだだけで復帰できる薬なんて」
いつか聞かれるかも知れないと思っていた話だ。その相手が宮廷医師なら、尚更。
アルギンから聞いただけでも、あまりに出来過ぎた薬だとは思う。合法の薬草だけ使っていては、決して叶わない薬効なのだから。
「……」
それを口にするのは憚られた。相手は医師といえど王家に繋がっている。これが露見すれば、処罰は免れないだろう。引いては、アルギン達にも迷惑が掛かる。
この国で非合法の薬草を使って薬を用立てている――なんて。
「偶然ですよ。私の処方箋、材料や量が違うだけかも知れません。組み合わせを少し変えるだけで薬効が変わるなんて、よくある話じゃないですか」
「……本当に、そうでしょうか?」
デナスと違って、リエラは医師として信用できる人物のようだ。
ジャスミンとユイルアルトを見る視線が、どこか疑わしいものを見るようなものに変わっている。ずっと、この人物は不信感を抱いていた筈。その『よくある話』を信じ切れていないのだ。
「……リエラ様は、私達の腕を御疑いなのですか?」
「違います。ですが、私はどうしても……貴女方の処方箋をお伺いしたいのです。何を、どうやって、どのように加えたのか。こうして病に苦しむ人達がいるのです、聞いて参考にしたいと思って」
温和な言葉に隠された疑念を、リエラは隠しきれていない。
暫くの間を沈黙が襲う。――重苦しい空気を断ち切ったのは、三人のうち誰でも無かった。
「……――あ、……あぁ」
喉の奥まで乾燥しきったような掠れた声。吐く息が多量で、苦しそうな発音。覆いがあっても、喉の乾燥は防ぎきれない。
医者三人が振り返った先には、腕を持ち上げている男性が居た。
「どうしました? 大丈夫ですか?」
一番に様子を見に行ったのはジャスミンだ。器で水桶から水を汲み、側に行って飲ませてやる。覆いはその間しかずらしてやれない。
大丈夫か、なんて聞いても大丈夫じゃないのは一目瞭然だ。それでも、その男性は。
「……ああ。……だい、じょう、ぶ、だ。くすり、のんで、すこし、らくに、なった」
「そうですか。……それは、良かった。明日になればもっと楽になりますからね。大丈夫ですよ」
切れ切れの声で、現状を口にしてくれる。これで楽になったなんて言われても、医者たちは本心からは良かったなんて思えない。こんなに辛そうなのに、すぐに治してあげられない。
「おれ、の。……むすこ」
切れ切れの息で、男性が口にするのは家族の話。
「けさ、ちを、はいた。……そっちの、ほうが、しんぱ……い」
「血を? という事は、重症患者の方に……」
医者三人が、顔を見合わせる。
中程度の患者に三人がかりで居られているが、重症患者の存在だって忘れた訳では無い。
今頃デナスの治療を受けているだろう彼の息子の身が案じられた。曲がりなりにも、デナスだって宮廷医師だ。素人に任せたで無し、あれだけ大口を叩いたのだからそれなりの結果を残してくれると信じる――しかない。
こんな夜に、様子を見に行ける訳が無い。残念ながら、様子見は翌日となる。
ごふ、ごふ、と何度も咳をするその男性と他に二・三言葉を交わした後に、眠りにつかせるためジャスミンは側を離れた。
何も言わずに三人が一固まりになる。同じ場所に集まった三人の表情は暗い。
その暗さは、来客にも気付かない程だった。
「……あれー……? 大丈夫、三人とも? 何かあった?」
声が聞こえてやっと、空気が少し入れ替わった事に気付く。入口が開いてソルビットが入って来ていた。
清涼な外の空気と共に現れた、緩く巻かれた髪の美女。その口許に覆いがあっても、その美貌は曇らない。
彼女に事の説明をすると、ははぁ、と小さく漏らした。
「確かにね。あの野郎、あたし達から見ても何やってんだかって感じだよ。三人が作ってくれたこの覆いもつけずに、咳しっぱなしの患者と同じ小屋に籠って出てこない。たまにお湯をせびりに来るけど、なんか喉に違和感があるみたいで咳払いし続けてるよ」
「咳払い? ……いくら病気といえど、こんなに早く症状が出るとは考えられないのですが」
「あっそ? じゃあ違うのかも。でも咳払いしてたのは本当だよ、証人にフィヴィエルもアールヴァリンも居る。一緒に見てた」
「違うわ、疑ってる訳じゃないの。ごめんなさい、ソルビットさん。でも、それが本当なら……」
「?」
医者三人が顔を見合わせる。
もしかして――デナスも罹患したかも知れない。或いは既に、潜伏期間か。そして、自分達が思っていたより病の進行がずっと早い。
重症患者を診ると言った男が一緒に罹患なんてお笑い種だ。それが知られたら宮廷医師の沽券にも関わる――と、一人だけ別の理由で顔を青くしているのはリエラ。
「明日、誰か見に行った方がいいわ」
三人の意見が一致する。
「じゃあ、その時はあたしが同行するよ。誰が行く?」
「……あ、で、では私が。彼とは一応宮廷医師の間柄ですし、私が様子を見る方がいいかと……」
「でしたら、私も後学の為に同行しても宜しいでしょうか?」
名乗りを挙げたのは、リエラとユイルアルトだ。ジャスミンは完全に出遅れたといった顔で二人を見ている。
「ええ……? 三人のうち二人も出て大丈夫なの?」
「村までそれほど遠いという訳では無いのです。朝までに必要になりそうな薬は用意しますので、出られます」
「……ユイルアルトさん。私は構わないけれど……ジャスミンさんの負担が大きくなったりしませんか?」
「私なら大丈夫です。……早めに戻って来てくれると有難いですけど、私だって医者です。患者を助けるために居るんですから」
ここぞと言う時の二人は息が合っている。決して誰の命も取り零さないようにという強い意志がある。
それは若くて志高い今だから抱ける理想だった。
「……そう、ですか」
戦争を経験して、目の前で取り零した命が数えきれないほどにあるリエラには、それが眩しく映る。
目の前で死んだ命に、これまでは罪悪感が先に立った。
二人には、まだそれがない。なら、そんな辛さは来なければいいと思う。辛い経験は無いに越したことはない。そんな経験が無くても、二人は患者に対して誠実に対応しているのだから。
「では、まだ休めませんね。二人とも、調合をもう少しお付き合いいただいても構いませんか?」
「はい」
「勿論」
ソルビットは三人が再び調薬を始めるのを、小屋の隅から見ていた。
ソルビットだって疲労困憊だ。今の今まで寝具の洗濯をして、患者に必要な湯を沸かして、その繰り返し。ここに来てから食事もまともに摂っていない。
それでも、この医者三人を見ていると愚痴も弱音も吐ける訳が無い。一番頑張っているのはこの三人だ。
「……ごめん、あたし少し休むから、手が必要になったら起こしてくれる?」
三人に投げた筈の言葉にさえ、返答がない。それほどまでに集中してる三人を見ながら、ソルビットの瞼が沈んだ。
ここは、刃を振り回す必要が無い戦場だった。その力になる為に、ソルビットは休息に入る。起きた時、また精力的に三人の力になれるように。
「……ほんとに、いい女だよ……ジャスとイル」
今日の疲労を吐き出すように言ったのは、ジャスミンとユイルアルトに対する感想。リエラには常々思っているので、敢えて言わない。
誰かの為に全力を尽くす医者の姿は、贅を尽くして着飾るだけの女よりよほど美しかった。
「あたしも、薬学収めとくべきだったかなー……?」
三人の手伝いが出来ない自分への歯がゆさをその言葉に織り交ぜて口から出して、ひとときの眠りにつく。
次に起きた時には、この地獄が緩和されている事を信じて。




