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【第三部】アルセンの方舟 ―国家公認裏ギルド交響曲―  作者: 不二丸茅乃
chapter.2 魔女の憂鬱、聖女の溜息

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14.宮廷医師としての質




「過去を振り返るのは、生者の特権かも知れないわねぇ」


 ――ユイルアルトが城下に身を寄せてからの師であるリシューは、以前そう呟いた事がある。

 それはジャスミンと出逢う前の話だ。一人で使う広い部屋の窓際に用意して貰った、薬草の為の棚の前。

 水差しを手にするユイルアルトの隣で、穏やかな顔をした老婆が呟いた言葉。


「……特権……って、何ですか?」

「いえね。ほら、生きているとどうしても恨みたい人の一人や二人や三人出て来るじゃない?」

「先生、そんなに恨みたい人がいるんですか……」

「例え話よ。……でも実際、恨みたい人なんてそんな数じゃ収まらないわよね」


 外から入る日の光は強くて、師の姿が一瞬透けて消えたかのような感覚を受けた。

 でも師は変わらずそこにいて、酒場の医者としての色々を教えてくれる。

 アルカネットは外傷薬を必要として、アクエリアは薬よりも薬草茶を欲しがった。双子はまだ幼いからよく熱を出したし、アルギンとディルだって薬を欲した。

 自分は古株だから、と酒場に纏わる色々な話をしてくれた。


「恨まない、なんて言ったら絶対嘘になるもの。その時は恨まないつもりでも、いつか来る心の苦しい夜にふと思い出して、憎しみを募らせるの。もう終わった話でも。腹の立つ話だけど、その時に絶対自分が悪かったなんて思ったら駄目なのよね。後ろ向きな考えは積もれば死んでしまいたくなるから」


 ユイルアルトの持つ水差しが、鉢に水を注いだ。雫を弾いて日光に光る葉は生命力に満ちていた。


「死んだら、終わりなのよ。今も元気でいてくれるアルギン達を見ていると、強く思うわ」


 酒場の色々な話を知っている老婆、リシュー。

 彼女はユイルアルトに薬以外の話をしてくれた。

 でも。


 リシューの話は、持ち出さない限り誰も口にしなかった。




「罹患者、計二十名。うち口からの出血を伴う重症患者三名、今朝から意識さえ朦朧とし始めているようです」


 村の中の民家を一件ずつ回り、自主的隔離状態になっている人々の様子を調べていく。

 最初は疑わしそうに対応していた村人も、王城からの使いと聞けば大人しく受け入れてくれた。

 今の所、辛うじて死者はいない。でも治癒した者もいない。あと少し遅れていれば死に至っていただろう人物も確かに居た。回って行った民家の住人全員に覆いを渡して装着してもらう所までを見届けて、村長に確認して住民全員の状況を把握した。

 水の確保、病人の隔離。即座に考えなければならないのはその二つで、森の確認にはフィヴィエルが行ってくれた。

 フィヴィエルが居ない六人で、村のおよそ中央、蒼天の下で相談を始める。どこの軒先も病の手が伸びているからだ。


「患者は出来たら病気の進行度に合わせて別々にするのが良いと思いますが、収容できる場所があるかどうかが悩ましいですね。未発症者の中から、新たに患者が出ないとも限りませんし……ひとまず一人ずつ病状を改めて確認して振り分けて……ああ、村長さんにも隔離場所の相談を」

「隔離場所なら一ヶ所、馬車の中とかはどうですか?」

「使ってやりたいのは山々だが、病気を城に持って帰る訳にはいかないんだよな……」


 この頃には既に、騎士三人にも病が口や鼻を通して入って来ることへの理解は行き届いた。分厚い覆いでも文句なしに付けてくれるのは有難い。

 病気への理解が進んでも、城下の者だけで話し合っているだけでは答えが出ない事もある。村長も軽傷とはいえ病に罹っていて、普通に話をするだけでも辛そうだった。無為に苦しませない為にも、聞きたい事は手短に纏めようとしている最中。

 なのに。


「下らん。咳止めでも飲ませておけばじきに良くなるだろうに」


 水を差すのはやはりデナスだった。自分の腕に絶対の自信がある中年男は、今広がっている病を大したことがないと思っているらしい。

 ただの咳止めで治るものならこの村に派遣されている訳も無いのに、そこまで頭が回らないようだ。自分より年を食っただけの男の浅慮に嫌気が差す他の面々も、敢えて口に出す気は無い。デナスに付き合う気がないからだ。


「もし住居を隔離施設として借りられるなら消毒とかも必要だよね。消毒ってお湯でいいの? お酒で消毒できる事もあるって聞いてるけど、この村にお酒はなさそうだよね」

「消毒できるお酒は段違いに強いものだけですよ。アルギンの酒場にも滅多に置かないような物じゃないと」

「住居の消毒もですが、寝かせる寝具の洗濯も必要だと思います。今洗っても……夜までに乾くかはわからないですね……」

「急いだほうが良いね。それあたしがやるよ。三人は患者さんの隔離と診察と薬の調合お願いしていい?」


 デナスが蚊帳の外に置かれたのは丸分かりだ。表情だけに不満を浮かべたデナスだが、ソルビットに強く出られない現状に押し黙る。

 一先ずの方向性が決まった所で、フィヴィエルが戻って来た。片手に下げた木桶に水が汲んである。


「アールヴァリンでん、……様、ソルビット様。確かに森に川がありました。そして猟師小屋と思われる小屋も発見しました」

「猟師小屋? 中は確認したか」

「はい。誰も居らず、少し埃っぽくはありますが掃除すれば使えそうです。何より川の側なので、環境は良いと思います」

「猟師小屋、なぁ……」


 顎に手を置くアールヴァリン。今の状況を考えると隔離場所として即決に相応しいと思ったのだが、何やら考え込んでいる様子にジャスミンとユイルアルトが不思議そうな顔をする。


「……患者をそこまで運ぶことになるとして、重症患者が移動に耐え切れるか?」


 アールヴァリンも馬鹿ではない。体力の落ちた病人を運ぶことに抵抗はなくても、運ばれる側に問題がある時の事を考えている。

 その懸念はリエラが取り除いた。


「重症患者はこちらの何処か一ヶ所で看た方が安全ですね。自力移動が出来る方は川の傍の小屋に。ソルビット様、担架はありましたよね?」

「馬車の中だね。後から持って来るよ」

「手分けして看病することになりますが、担当を振り分けた方がいいでしょうね。重症患者の担当については――」

「私が行こう」


 最終決定に移ろうとしたリエラを、再び邪魔するように口を開いたデナス。

 その過信が判断を誤らせる。独善に傾いた男の耳にはもう何も届かない。


「貴様等はせいぜい中程度の患者を治して悦に浸っていろ。この程度の病、私の手に掛かれば造作もない」

「ですが」

「口答えするな!! 何様だ!!」


 ――お前こそ何様のつもりだ。

 その場にいた全員が怒鳴り付けたかったが、その誰もが冷静だったので黙った。

 デナスがその場を去る頃には、ジャスミンが不安そうな表情を浮かべる。あんな男の思うままにしていいのか、と。


「……俺達は騎士であって、医者じゃないからなぁ。医療面において、奴の権限の方が高いのは確かなんだ」

「そんな。王子殿下であっても駄目なのですか。病人は権力や能力をひけらかすために存在しているのではないんですよ」

「重症患者を……ってのが、あたしも心配だねぇ。手遅れになったりしなきゃいいんだけど……」

「……良くありません」


 ぐっと拳に力を入れ、震える声を出したのはユイルアルト。言われた言葉の意味が分からなくて、目を丸くするソルビット。

 その手の震えは、怒りから来るものだ。


「病には軽症も重症も関係なく、それがあるだけで苦しいものです。誰だって早く治りたい。治すために医者がいるのであって、医者が悦に浸る為のものではない。あんな言い方するのは医者じゃない。あんなのが宮廷医師だというのなら、私はこの国の医学に失望する」


 そして、あんな宮廷医師を召し抱えている王家にも。

 敢えて言わなかったが想いは伝わった。城仕えの面々は皆一様に暗い顔をする。


「……ごめんね、イル。あたしも、なんとか出来れば良かったんだけど」

「……」

「ごめんね」


 ソルビットの口から上る謝罪は、決して上辺だけのものではないと知っている。いつもの軽い調子で言われる謝罪ではなく、快活な声が暗く沈んでいるかのような音だった。

 苛立ちすぎてユイルアルトの視界が滲んだ。気を抜くと溢れそうになる涙を雑に袖で拭って、改めて気合を入れ直す。

 もしかしたら奇跡が起きるかも知れない。あの宮廷医師が患者を治癒する可能性だって残っているのだ。

 そうなれば、あの男は更に偉そうにするだろう。でも、患者が本当に治るのなら構わない。


「患者を運びましょう。フィヴィエルさんは小屋の清掃をお願いできますか」

「……診察が終わり次第、すぐ運びます。水汲みとお湯沸かしを……申し訳ありませんが、どなたかにお願いしたく思います」

「じゃあ、それは俺がやる。別に名指ししてくれていいんだぞ、リエラ」


 リエラの希望はアールヴァリンが掬い上げた。

 ユイルアルトとリエラが指示を出している間に、ジャスミンはその場で荷物を確認する。患者に使う道具はその都度洗浄や消毒が必要なので、すぐにでも火を起こさないといけない。拠点としては蒼天の下というのは心許ないが、今だけは文句を言っていられない。

 六人はそれぞれの使命の元散開する。

 川沿いの小屋に患者を全員運び終えた時、既に日は山の向こうに落ちていた。




 猟師小屋一ヶ所に二十名近くを隔離する、なんて難しい話で。

 寝床が間に合わなかったのだ。薄布を隔てた固い板の上に並んで寝て貰っているが、これでは咳が止まったとしても別の個所を痛めそうなもので。

 ソルビットが全力を出したとしても、一人で総勢十七名の寝床づくりなんて無理だったろう。でも他に人手は無かったし、未発症者も村に残って発症しないかを恐る恐る待っている状態だった。


「イル、こっち薬研終わったわよ」

「こちらも調合終わりました」


 リエラが診察して、有用だと思われる薬を調合し終わった二人。まずは十人分の薬が出来上がった。

 この小屋に収容した患者の症状は咳、血痰。夜も眠れない程咳が酷い、と自己申告する患者もいる。

 一先ずはリエラが持ち出して来た薬で様子を見ようという事になった。

 薬研で挽いた薬の材料をそれぞれ分量を量りつつ紙に包みながら、この薬では治りが遅いだろう事もユイルアルトとジャスミンには分かっている。


 アルギンが出発前に言っていた、ジャスミンとユイルアルトの薬が効いたから任務を遣わされた話。

 あれが本当だとしたなら、別の材料を使わなければならないのだから。



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