13.業務外の針仕事
翌日、周辺の見回りとやらに出ていたアールヴァリンが持ち帰って来たのは、途中で落としてしまったらしい布だった。
多少砂はついているが、何重にも巻かれた布の中は無事だ。砂がついた部分だって、洗えば落ちるだろう。
一晩の休息とはいえ、朝までゆっくりしていられる時間は無かった。デナス以外の全員、深く眠れた訳でも無く日が昇るより前に起きてしまう。村人皆が起きる前に出発しようという話になり、見送りには村長だけが出て来てくれた。
フィヴィエルが名残惜しい旨を伝えつつ、他の村人達を気遣う意思を伝えれば、それで出発の準備は完了だ。
実際、フィヴィエル以外は他に準備があったのも事実。
女性医師三人は、アールヴァリンの持ち帰った布と格闘していたのだから。
「イル、寸法違うわよ。これじゃ小さいわ」
「子供が居ない訳でもないかと思って、わざとです。小さめに作らないと意味が無いですから」
「ああ、そっか。そうよね、ごめんなさい。ありがとう」
ユイルアルトは裁ちバサミを手に、ジャスミンは針と糸を手に、リエラは譲って貰った紐を手に、それぞれ分担作業していた。
長方形に切った布を折りたたみ、口の周囲を覆えるような形にする。仮の形に四隅を縫い付けて、布が耳に引っかかる位置に届くように紐の長さの調節をして、それから紐を巻き込んだ本縫い。
挨拶を済ませてさあ出発――という時に馬車の中を覗いたフィヴィエルは、女性陣の行動に首を捻るばかり。
「わざわざ縫うんですか」
「縫わないと耳に引っかかるようにできませんからね」
「後頭部で結ぶ形にするなら、布を大きめに切るだけで済みませんか?」
それは彼なりの質問だったのだが、一番先に返ったのは返答ではなくユイルアルトとジャスミンの冷たい視線だ。
「それで済むならこっちもそうしてます」
「出発なら早く出してくださって構いません」
言いながらも手元は止まる気配がない。布に刃を滑らす音がフィヴィエルを急かす。
既にアールヴァリンは御者席にいた。フィヴィエルがその隣に座り、馬車が動き出す。
「事前情報だと、村の人口は四十人弱でしたっけ? 随分少ないですよね」
針仕事の合間に、ジャスミンが世間話のように口を開いた。作業に集中しながらでも、単純作業なので口は自由だ。
「そういえばそうですね。この周囲に村があるから、別に不便していないのでは?」
「……昔はもっと人が居た筈なんですよ。でも高齢化が進んだんでしょうね」
「へぇ?」
リエラが紐を結ぶ手付きは覚束ない。普段やるような作業でも無いし、馬車は既に動き出している。
ユイルアルトの切り出す布と、ジャスミンの仮縫いは溜まっていく。リエラは長さの違うように紐を用意するのに手間取っていた。
「ふんっ、そんな布切れが何の役に立つ」
茶々を入れてくるデナスの視線もあるだろう。先程から、リエラの指先は震えていた。
こんな高圧的な宮廷医師が同僚で、不憫だなと素直に思う。酒場ののびのび空間とはえらい違いだ。
その高圧的な態度を、これまではしっかりとした医療の知識があるからだと思っていた。けれど覆いを作る姿を見て、デナスは手伝うどころか何も理解していなさそうな顔つきをしていて。
「……貴方、宮廷医師様なんですよね?」
思わず、素直な疑問がユイルアルトの口から出た。
「当然だ。我が一族は三代前よりアルセン王家に宮廷医師として仕えている。そこいらの下賤な血とは格が違うのだよ」
「血で格が決まるんですか、そうですか。それはどの医学書に書いてあるんでしょうか?」
「医学書のような紙切れに頼り切りではまだまだ二流以下だな、出直してこい」
「まさか、医学書も読んだ事ないんですか?」
「言っただろう、我が一族は代々宮廷医師だ。その技は、この目と耳と頭が覚えている」
「医学書にすらまともに目を通した事が無い医者が宮廷医師なんて、恐ろしい……」
耳を疑うような言葉だ。
これまで一族のしてきた事だけを見て聞いて覚えただけで宮廷医師と名乗っている。新たな知識を取り入れようともせず、普通であれば役立たずとして切り捨てられようなものを。
こっそり、ジャスミンがリエラに耳打ちする。
「……本当に宮廷医師なんですか? 重用されてるんですか?」
「それが、……とある薬に関してはお作りになるのが大変お上手で」
「とある薬?」
「水虫の……」
「あっ」
それは珍重される訳だ、と即座に理解した。ジャスミンだって、完璧に効果のあるその用向きの薬は作れていない。
処方相手は騎士で、夏でも冬でも似通った格好をしているのを知っている。自然、ジャスミンの視線は近くで作業を見守っているソルビットへ向き――。
「失礼な事考えてるの、顔に出てるよ。言っとくけどソルちゃんはそんな薬必要としたことないんだからね」
即座に指摘されて視線を逸らした。
ソルビットはそのまま話に割り込む形で、デナスとユイルアルトの間に来るように位置を変わる。半ば喧嘩腰だった二人の会話はそれで途切れた。
「これ、どのくらいあればいいの?」
「あればあるほどいいです。洗い替えも必要ですし……痛っ!」
「あーらら」
突然の馬車の揺れで、手元が狂ったジャスミンが自分の指を刺した。ぷくりと血が浮かんで玉になる。
一度止血が必要だと、ジャスミンは道具を置いてその場を離れた。近くに置いてある手荷物の中から小さな血止めを取り出す。今作っている覆いに、血を付ける訳には行かなかったから。
傷を処置している間に、ソルビットが本縫いに入っていた針と布を勝手に取り上げてしまった。
「見本はもうあるから、この作業はあたしがやるよ」
「へ?」
「この四隅縫えば良いんだよね。多分、仮縫い要らないや。ジャスはリエラ様手伝ってやって」
「え? え、ええぇ? ソルビットさん、針仕事ですよ? 出来るんですか?」
「任せなさい。これでもあたし、以前はお針子の振りしてた事もあるんだから」
そうして針を布に通すソルビットの手付きは、ジャスミンよりも上手かった。仮で糸を通していた並縫いの上を、布端がほつれないようにかがり縫いで縫っていく。その速度は、ジャスミンの並縫いとさほど変わらない。
騎士のするような作業ではない。こんなに地味な縫物を、いつも派手な姿ばかり見せていたソルビットが出来るとは思わなかった。
馬車が走る間に、出来上がりの数は着実に増えていく。布を切り終えたユイルアルトも針作業に入り、最低限必要だと思われた五十個は直ぐに揃った。移動中の馬車の中で、御者席にいる二人にも渡す。
デナスにも渡そうとしたが。
「そんな布切れなど要らん」
と断られてしまった。
想定内としつつ、許す限り四人は作業を続ける。洗い替え、洗い替え、と呟く医者三人の目付きは次第に凄みを持ち始め、手伝いしているだけのソルビットは僅かながら恐怖に身を強張らせる。
途中に休憩を一度だけ挟み、日のあるうちに馬車は件の村まで辿り着いた。
発った村のすぐ側にあった盛り土は、作業に集中していたジャスミンやユイルアルトは気付かないまま済んだ。
「……ここが、その村か?」
馬車を下りたアールヴァリンは、周囲を見渡しながら怪訝な声を出す。
村に広がる畑は、農産物があれど収穫されている様子が無い。外に人の姿も無く、寒村が更に閑散としている。
医療道具を持って馬車から下りる面々も、その静けさに足を踏み入れるのを躊躇っていた。
民家は点在しているが、医者ならば最初に確認しておきたいものが、無い。
「井戸がありませんね」
指摘したのはジャスミン。騎士の面々も言われたあとに気付いたらしく視線を動かす。
「確かにな」
「水源が無いと人は生きられません。医者は仕事ができません。まさか、私達がさっき休憩した川まで水を汲みに行ってるんでしょうか?」
「まさか。……村人が水を汲めるような地形じゃなかったぞ、崖の下まで行かなきゃならなかったんだ」
その際に、一応一日分の水は汲んである。これで治療に当たれと言われたら、無理な話ではない。治療だけなら、だが。
リエラは目を伏せ、口許に先程作った覆いを付けていた。その唇はもう見えないけれど、布の下で言いにくそうに震えていた。
「……この村の水源は、あちらの森の中にある川になります。井戸を掘らないでいられるのは、まだあの川の水が豊かな証拠でしょう」
絞り出すような声は、まだ見てもいない村の状況を的確に示す。リエラが指差した先には、確かに森があった。
怪訝な面持ちのジャスミンとユイルアルトを余所に、デナスは居丈高に声を張った。
「ああ、そう言えばこの寂びれた村はお前の出身地だったなぁ?」
「っ……」
「どこぞの酒場で余生を過ごした母親と一緒に逃げのびて来たんだったか? 全く、医者の癖に魔女と間違えられる方が悪いのだ」
『どこぞの酒場』。その言葉に反応を返したのが二名。
自分の母を悪く言われて、リエラの眉間が縮まった。刻まれた皺は、年齢のせいではないものが幾つか。
医者。
魔女。
その言葉にユイルアルトの思考が停止する。
「――デナス様」
停止した思考を戻したのは、ソルビットの冷たい声だった。
「今からが宮廷医師としての貴方の仕事でしょう? ここで無駄話に興じる時間は無い筈ですが。視界で認識したままをアールヴァリン殿下よりガレイス陛下へと上奏奉る事構いませんね?」
「っ、ふ、ふんっ!! 本当の事を指摘したまでだ! 何が悪い!!」
「本当の事を指摘するのが善だと仰いますれば、私とて『本当の事』のみを語るまででございます。――油売ってないで仕事しろよ」
ここに至るまでの道中で溜まりに溜まった怒りを吐き出すかのようなソルビットの余りの気迫に、息を呑んだデナスは一人でぶつくさ言いながら村の中へ向かって歩き始めた。
高圧的な同僚がいなくなったことで、リエラの緊張の糸がふっと緩んだ。膝から崩れ落ちそうになるのを、側に居たフィヴィエルが支える。
「大丈夫ですか、リエラ様」
「……ええ。大丈夫、……大丈夫よ、ありがとう」
髪の色が似通った二人だ。少し濃さは違うけれど、透き通る浅瀬を思わせる水色。二人が並ぶと、まるで親子のようだった。
二人と何ら関わりが無いから、傍目から見てそう思うのかも知れない。ジャスミンもユイルアルトも同じことを思って、目を合わせて黙り込む。
「さて、ジャス、イル。あの豚にはああ言ったけど、貴女達にもしっかり仕事して貰うから覚悟してよー」
「承知しています」
「それは良いとしても……、あの人とも連携取るんですか……?」
ジャスミンの震える声は、デナスへの不信感がありありと出ている。ソルビットを以てして『あの豚』と言わしめる程の性格だ。
連携、との言葉にソルビットもはた、と気付く。んん、と唸るのは、どう頑張っても連携のれの字も取ってくれそうにない豚の事。
「あちらさん次第かな。大丈夫だって、二人の仕事に支障は出ない」
「出ないって……。どんな根拠があって」
「そりゃ、勿論」
ソルビットが指差したのは、まだフィヴィエルから心配そうに肩を支えられているリエラの姿。
リエラを倣ってソルビットも口に覆いを付ける。即席の不格好な覆いのせいで顔の上半分しか出ていなくても、その美貌は陰りを見せない。
「宮廷医師は三人いる。逆に言えば三人しかいない。その中の一人は、あたし達もお世話になった人だから」
「……え? え?」
「この人ほど、腕に信頼を寄せられる宮廷医師はいないよ。だから、二人にとっても良い勉強になると思うんだ。リエラ様に足りないのは、自信と度胸だけだよ」
リエラは突然指差されて、何の話かついていけていない。
でも酒場からの医者二人は分かっている。二人がリエラを見る視線も、真剣みを帯びた。
「リエラ様を、よろしくね」
それは、ソルビットの頼みだった。




