12.異変
夜はいつものように当たり前に更け、そして時間が経てば日が昇るもの。
だからとその夜に眠気が来るかと聞かれれば、ユイルアルトには難しい話だった。
用意して貰った寝床に横になり、数回うつらうつらと浅い眠りに引き寄せられる。しかし長続きしない微睡みは、物音やふとした時に目覚めてしまっていた。
まだ外も真っ暗、室内の灯りも全て吹き消した状態。外から僅かに差し込む星明りを頼りに室内を見渡せば、ソルビットの寝床が空だった。
ジャスミンも戻ってきている様子が無い。時折晩秋の風に揺れる草木の音がするだけで、静かだ。リエラだけは掛け布の下で胸元を上下させ、深い眠りに入っているだろう事が分かる。
こんな時間に、ソルビットは何処に行っているのだろうか。
騎士である彼女が寝床を離れる理由は幾つかあるだろう。普通に生き物としての生理現象のせいかも知れないし、フィヴィエルとジャスミンを心配して外にいるかも知れない。
なんとなく落ち着かなくて、寝床から抜け出す。今が何時かもわからないまま、冷え防止の肩掛けだけ掛けて小屋の扉を開いた。
外は風の音だけしか聞こえなかった。村全体が寝静まったようで、今は物音も殆どしない。
村の中央で焚いていた火も、今は灰を残すだけだ。
「……」
夜の風に靡く毛先を触りながら、ひとりぼっちになった感覚で立ち尽くす。
知らない土地で、一緒だった親友がいなくて、新しく友人になってくれた人も今はいない。
朝日が昇るまでに、親友が戻って来るかも分からない。待つしか出来ない状況が眠りを浅くさせる――と、思っていた。
「……?」
それは第六感と言って良い。
一瞬ぞわりと背中を駆け抜けた寒気に、村の出入り口が見える位置に移動する。
ぶるるる、と鼻を鳴らす馬はジョマという名前だったか。気難しいと言われた黒馬が、落ち着かない様子で地を蹴っていた。繋がれなくても平気なのか、彼を縛る綱は無い。
ジョマの異変を目にした、それから程なくして、地を揺らすかのような蹄の音。
「……え」
嘶きが、村中に響いた。
その嘶きに呼応するかのように、ジョマが鳴く。途端に何処かへ走り出す黒馬は、すぐにユイルアルトの視界から消えた。
と、同時に。
「っ――!!」
村の柵を飛び越えて、駆けて来たのは栗毛馬だった。
乗っている騎士の男が纏っている服には見覚えがある。けれど、彼の服はもっと色が明るかった気がした。夜でも見分けやすい、白と橙を基調とした服の筈。それが、今は闇の黒を吸っているようだった。
栗毛馬のネリアが着地した瞬間、どすん、と地面を揺らすような衝撃が来る。ただ事ではない事態に、ユイルアルトが後退りした。
「ユイルアルトさん!!」
何が起きたか理解出来ていないユイルアルトの頭上に、フィヴィエルの怒号が響く。
「下がってください! 早くっ!!」
「っえ、あ、っ。な」
――何で。
その理由が分からないけれど、今は質問を返すよりも怒号に従うしかない気がして踵を返した。
フィヴィエルは急いで馬上から下り、その腕の中に抱き抱えていた人物を近場の物陰に下ろす。
「ジャス!?」
小さく、丸まるようにして縮こまったジャスミン。
その体が、遠目から見ても震えているように見えて声を荒げる。
「下がって!!」
フィヴィエルの怒声はまだ続いている。よく見れば、その手には剣が引き抜かれていた。ユイルアルトの腕程も無い、騎士が扱うには比較的短いものだ。
まともな光源が無い夜に、その刀身がぎらりと光った気がして身が竦む。その銀色の光は苦手だ。
誰かの命を奪えるそれが、何の為に引き抜かれたのか分からないから。
何事だ、と村人の一部まで起きて来た音がする。がたがたと民家から音がするが、フィヴィエルはそれらに背を向けたままだ。
やがて、大勢と思えるような男達の声が聞こえた。ジョマやネリアと比べるともっと軽い蹄の音も。
「見るなっ!!」
その声は、再び絞り出されたフィヴィエルの声だった。彼は新手の声の方角に走って行き、それから続く音は、何かしらの武器がぶつかり合う音。ネリアもフィヴィエルの背中を追った。
見るな、なんて言った先に居るのは村人やユイルアルトなのだろう。何が起こっているかは、この村が何を以てして騎士に救われたのか聞いていれば分かる。
それでも、一人だけだなんて大丈夫なのか――そんな不安が頭をもたげる頃。
「フィヴィエル!! 目を閉じろ!!」
別の怒号が飛んだ。そして何事か分かる間もなく、彼等がいるだろう場所で瞳を焼くような光が放たれる。
ユイルアルト達のいる場所まで届く、いきなりの眩い光に視界が白に沈んだ後で、耳に届くのは男達の断末魔。
視界が物の輪郭を辿れるようになったのは、全てが終わった後だった。
「……戻る途中に、襲撃に遭いました。恐らくは、以前村々を襲っていた賊の残党がこの周囲に戻って来たのかと。この時間に速度を緩めて戻ろうとしていた僕にも、非はあります」
女性用の寝室の小屋に火を焚いて貰って、状況説明に入るフィヴィエル。
その場には城下から共に出て来た七人のうち、異変にも気付かず眠りこけているデナスを除いた六人が揃っていた。村人には任務の秘匿を理由に離れて貰っている。
隣の村まで行って戻って来た二人は――血に染まっていた。ジャスミンもフィヴィエルも再度身綺麗にした筈なのに、血の残り香が漂っている気がする。二人には、一切の外傷が無かった。
「残党の数は六。……うち二名は、途中で」
途中で。中途半端に止められた言葉に、ユイルアルトが沈痛な面持ちを隠し切れなかった。
何をしたのかは、彼の服の色を変える程に染み付いた血液で分かっている。
ジャスミンはまだ部屋の隅に居た。体は無事でも、精神的消耗が酷いようだ。その隣に座って宥めているのはリエラ。
「じゃあ、残党も居なくなったからここも安全になった訳だな。新手がぽこぽこ出てこないなら、だが」
ジャスミンの消耗を分かっていて、アールヴァリンは事務的に言葉を口にする。人の命を命と考えていないような、心無い言葉を。
戦闘に途中参加したアールヴァリンとソルビットは、最後どうなったかを知っている。
「お前が二、俺が三、ソルビットが一。数も合っている」
何の数だとか、聞きたくない。ジャスミンの体も強張ってしまって、それを見たソルビットが冷たい視線を投げる。
「アールヴァリン殿下、被害者を無駄に怯えさせる発言は控えた方が賢明かと」
敢えて冷たい女騎士の諫言だ。一瞬だけむっとしたアールヴァリンも、怯え切っているジャスミンの姿を見れば罪悪感も浮かんでいるようだった。
「……今から俺は見回りに行って来る。この周囲に明るい村人も一人都合して貰おう。あれらをここいらの獣に……って訳にはいかんからな。他の奴等は休んでろ、明日の御者役は任せたぞ」
隠し切れない言葉を暈す、半ば投げ槍な王子騎士。着ている夜着の上から適当な羽織物を肩に掛けて、剣を腰に佩いて出て行った。初日から腰に下げていたそれが、本来の用途で使われるなんて思わなかった。
一人減って、五人になった室内。かたかたと震えるジャスミンの体は、これでもさっきより落ち着いた。
「……僕は、向こうの部屋に戻りますね。申し訳ありませんが、後を宜しくお願いします」
自分のせいで、ジャスミンを巻き込んでしまった負い目。
あんなに大声で怒鳴りつけていた声が嘘のように静かな声で、彼は後を託して小屋を出て行った。
「……ごめんね、ジャス。怖い思いさせて」
男性陣が消えた後で、ソルビットは優しく声を掛ける。膝に頭をつけたまま、ふるふる、と首を振るジャスミンは、人の言葉に自分の意思で返答が出来る状態ではあるようだ。
やがて落ち着いた彼女は、泣き腫らしたような赤い目で周囲を見た。女性三人しかいないことが、今は安心材料だ。
「……ソルビット、さん」
「なぁに?」
「あんなこと、いつもなんですか。騎士って、いつも、ああいうことしてるんですか」
「……」
自分達に害を与えるものを、武器を以て捻じ伏せる。
彼等騎士が守るものは王国、ひいては王家だ。国を守るという大義名分がある以上、服を血に染めても誰も異を唱えないだろう。
「……いつも、じゃないよ。でも、そんな任務があるのは間違いないね」
「マスターも、ディルさんも、昔は騎士だったんでしょう」
「……」
「ああいうこと、してたんですか。今は酒場で、あんなに穏やかで、双子ちゃんもいて、なのに」
――彼等が過去、人を殺していたか。
聞かれたら、答えはひとつしか返せない。
「そうだよ。……騎士だったんだもの」
「っ……」
「でも、今は違うよ。人を殺すような事はしてない。それが、国王陛下と王妃殿下と交わした約束。依頼であれ私生活であれ、今はアルギンもディルも、人を殺さない。ウィリアやバルトに顔向けできなくなるような事も、してない」
今は、と注釈を入れられた酒場店主夫婦の姿は、ジャスミンやユイルアルトが知っているそのままだ。
いつも笑顔で愛らしく、両親から深く愛されている双子は酒場の太陽だった。その二人の笑顔が曇る事を、誰も望んでいない。
「でもね。二人が騎士だった時も、私情で武器を振るった事は無いよ。無実の誰かを害した事も無いよ。人を殺す事が悪だって、頭固くして全部一纏めにして、二人を悪く思うのは止めてあげて。でないと、この国は戦争で負けてたんだ」
かつてこの国が巻き込まれた戦争が、どれだけの重みを持っているか分かっている筈だった。
それを騎士の口から聞くまで、分かっていたつもりだった。
自分達を襲って来た暴漢に手を下した騎士が浴びた返り血を、恐ろしいと思ってしまったジャスミン。
戦争の規模は、そんなものじゃない。比べる事自体が間違っているけれど、本質は似たようなものだ。
「分かって、います。あの二人は、私欲で誰かをどうこうしようって人たちじゃない。そんな人達だったら、私達だって食い物にされてたでしょう」
城下で居場所を作ってくれた、優しく呑気な夫婦。あの二人の庇護下でなくともジャスミンは生きられるけれど、ユイルアルトはそうじゃなかった。でも恩義を感じているのはユイルアルトだけではない。
帰りたい、と思う。
あの酒場はうるさいけれど、楽しくて。懐いてくれる可愛い双子もいて、アルギンの側で働くのも悪くないな、と思っている。これまで必死で隠そうとしていた、隠し切れない裏事情を追求しなければいけないし。
「少し、怖かっただけです。フィヴィエルさんに、申し訳ないです。私を守る為に武器を振るって、全力で逃げてくれたのに、私は失礼な態度を取ってしまって」
「大丈夫だよ、フィヴィエルも気にしてないよ。悪いって思うなら、明日から普通に振舞ってやって」
ジャスミンの茶色の髪を撫でるソルビット。形通りに掌を滑らせていると、ジャスミンの瞳が疲労と眠気でとろんとなり始める。
今日は休息に入るべきだ。他に何の用があろうと、起きていてはならない。体も心も、疲労は休息でしか癒えない。
自分の寝床に寝に入るジャスミンを、ソルビットは最後まで見守っていた。他の面々も眠りにつくが、最後まで起きていたのはソルビットだった。




