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【第三部】アルセンの方舟 ―国家公認裏ギルド交響曲―  作者: 不二丸茅乃
chapter.2 魔女の憂鬱、聖女の溜息

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10.足りない言葉と止められた唇


 後から、食卓の料理の状況を確認しに来た村人は気を利かせて追加の料理を持って来てくれた。

 元から用意するつもりはあったそうなのだが、散乱した食べこぼしに気付くと片付けもしてくれる。

 どうも、村人達にもデナスは横暴だったようだ。それをフィヴィエルと一緒だからと、最低水準の持て成しはしてくれている。

 既に風呂も済ませて寝に入ったという話のデナスの悪口に、料理を新しく運んで来た女性の村人二人と一緒にソルビットが花を咲かせていた。


「……」


 それにしても。

 ユイルアルトは外の様子を窺うが、誰か次に入って来る気配が無いのを不審に思う。

 一番来訪を喜ばれているフィヴィエル、そしてジャスミンがまだ戻って来ない。

 新しく料理と、デナスに出し渋っていた酒が運ばれてきてささやかな宴の様相を呈した食事の席は、肝心な人物がいないまま進む。それを村人も特に何とも思っていないのが不思議だった。


「……ジャスとフィヴィエルさん、どちらに行ったんです?」


 それは単なる疑問で済ませたくなかった問題だ。

 あ、と何かを言いかけた村人はそのまま言葉を呑み込んだ。その様子を見るに、多少なりとも他言しないように言われているようだ。

 だからと、聞かずに終わらせられるユイルアルトじゃない。村人が意図的に口を噤んだのに気付くと、顔色を変えて立ち上がった。


「ジャスはどこです!?」


 フィヴィエルがジャスミンに無体を働く――なんてことはない、と、信じたい。これまで短いながらも一緒に居たフィヴィエルは、そんな下劣な男じゃない筈だった。突然声を荒げたユイルアルトに、村人がびくりと肩を揺らした。

 それまでのんびりと料理に舌鼓を打っていたアールヴァリンは、流石王族と思わせる優雅な手付きを中断してユイルアルトを指差す。


「どうして戻って来ないんです! フィヴィエルさんも!!」

「落ち着け」


 たったそれだけの動きで、ユイルアルトの激情が凪ぐ。

 本当は完全に怒りと焦りを忘れた訳じゃない。でも、こんな時に落ち着きすぎている王子騎士の命令を聞かないでいられない。

 ユイルアルトの喚く声が止まり、呼吸が整い出した頃合いを見計らってアールヴァリンは手に水が入った器を取る。勿体ぶったように飲み干して、ゆっくりと時間を稼いでいた。


「フィヴィエルだって空腹を差し置いて別の任務に就いているんだ、変に騒ぎ立てるのは止めて貰いたい」

「だって……、私、何も聞いてないんですよ!? ジャスは何故戻って来ないのです。フィヴィエルさんと何方かに行ってるのですか。任務って、何なのですか」

「……言ったら、君は変に気に病んだりしないか」


 落ち着き払ったアールヴァリンを余所に、ソルビットも視線を寄越した。彼女だって何も聞かされていない立場であろうに、疑問を口にする事は無い。


「気に病むって」

「別に、聞きたいなら聞かせられる。フィヴィエルは俺の命令で、隣の村までジャスミンを連れて行った。君達が言う『必要な物』を調達するには、あの二人だけで別行動を取る方が望ましかったから」

「……ジャスを!? フィヴィエルさんが!?」

「彼の顔の広さの有効活用と、あとは消去法だな」


 王子の宵闇を思わせる色の瞳が、ユイルアルトに無遠慮に向いた。

 それだけで何を言いたいか伝わってしまう。手を払った事を悪く思っていなくとも、仕事を達成するための不確定要素になってしまう事を考えたのだ。

 そして、ユイルアルトよりも確実性の高いジャスミンが選ばれた。ただ、それだけの話。


「フィヴィエルは『鳥』隊の中でも腕を見込まれているし、連れていった馬もネリアだ。不測の事態が起きない限り、日付が変わる前には戻って来るよ」

「……不測の事態って、何ですか」

「フィヴィエルに限って有り得ない話だが、道を間違えたり、踏み外したりの事故だな。あとは向こうの村で何らかの問題が起きた時。こっちはまた無い話では無いのが、あいつで対処しきれない数の野盗や山賊の類が出た時か」


 非戦闘員であり、本人自体は非力なユイルアルトでは対処も出来ない世界。だからこそ、護衛として騎士が着いて来たのも分かっている。

 その『無い話ではない』状況に、相棒が身を置いている事実だけが、心に不安を掻き立てる。


「ま、あいつが勝てないとか悪い冗談は置いといて、だ。ソルビット、水が無くなった。汲んできてくれないか」

「水くらい自分で頼みなさいよね。今はただの一騎士なんでしょ」

「……」


 空になった器を片手で持って軽く振る、その姿を以てソルビットに水汲みを頼んでも彼女は素気無く断るだけ。

 すぐさま近くにいた村人一人が、彼の手から器を回収して部屋を後にする。残るもう一人の村人も、空いた食器を下げるために部屋を出て行った。

 部外者がいなくなってやっと、ソルビットは不機嫌そうな口調を隠さずにアールヴァリンを睨みつける。その顔は、同じ立場の騎士としての顔だ。


「あたしだってイルと同じ気持ちではあるんだよ。せめて、イルには一言あって良かったんじゃない?」

「急ぎだから事後承諾には変わらなかっただろうな。こっちでやきもきしてても、フィヴィエル達が齎す結果には変わりが無いだろう。聞かれたから言っただけで、聞かれなかったら言わなかった」

「そこんとこどうにかしなさいよ。次期国王ともあろう王子殿下が、そんな事じゃ部下に愛想尽かされちゃうよ。――未来の王妃殿下にもね」

「っ……」


 ソルビットから言われた言葉に、あからさまに表情を曇らせるアールヴァリン。

 彼が誰を自分の妻に望んでるか、ユイルアルトは知っているから分かる。今まで彼の求愛をはぐらかし続けた彼女だって分かっている筈なのに。

 悲痛な表情を浮かべた王子騎士を気にしていると、リエラが静かに席を立った。それまで物置か何かかと思わせるほど大した行動も起こさなかったのに、この時だけは違った。


「……ユイルアルトさん。私達も、そろそろ……」


 今は二人だけにしようとする魂胆が見える。でも、ユイルアルトだって邪魔をしたい訳ではない。

 部屋を出て行く二人を、ソルビットは視線を向けもしなくて、アールヴァリンだって同じだった。


「……ソル、お前は」


 ユイルアルトが室内から去るよりも先に、その言葉が王子の口から出たのを聞いてしまう。

 リエラは部屋から少し離れると、更に速度を速める。食卓に残った二人に、足音を聞かれないように。


「リエラさん」

「……」

「リエラさんっ」


 宮廷医師の足は、まだ進んで、もう少し進んで、外に出て、やっと止まる。

 降り注ぐような星空が天上に広がる中、もう村の中央の火は小さくなっていた。それは一日の終わりを示しているかのような仄かな灯り。

 外に出ている村人は、もう殆ど居ない。


「……あのお二人は仲が宜しいので、邪魔をしてはいけないと思ったんです。すみませんね、一緒に部屋を出て頂いて」


 聞いても無いのに、振り返ったリエラは口を開いた。

 灯りに照らされた水色の毛先が揺れて、年齢を少々重ねて熟した女性の笑顔に皺の影が入る。

 二人の仲を、あらかじめ聞いていれば白々しい話だった。


「アールヴァリンさんが一方的に好意を抱いてるのを、『仲が宜しい』って言うのですか」

「…………」

「部外者だからって、そんな風に誤魔化されたくないです」

「そんなつもりは」


 自分一人であの光景を誤魔化そうとしていたらしいリエラは、その言葉に顔を片手で覆って大きな溜息を吐く。

 隠せない。隠せる訳が無い。王子の想いは、そんな小さなものじゃない。

 宮廷医師として、王家に仕えているからこそ隠したかった話もリエラにはあった。隠し続ける事で信頼を損ねる相手がいるなんて、こんな事態は初めてで。


「……ユイルアルト、さん。この事は、口外されては困るんです」

「承知しています。私も、少しばかり面倒な所に住んでいるので」

「ああ……そう、でしたね。貴女は、アルギン様の……」


 宮廷医師からも様付けで呼ばれる、自分の住処の長の立ち位置が改めて示される。

 あんなに分かりやすく夫に愛を示し、普段から間の抜けた様子のままの女店主。人は見かけによらないだなんて話、こんな近くにあるとは思わなかった。

 自身の立場と今の状況に頭を悩ませるリエラは、やがてゆっくりと視線を上げた。二人の視線が合っても、リエラの表情は何かに怯えたままだ。


「……どなたから、お聞きになりました?」

「アールヴァリン様から、直接。少し聞いただけで、自分から話してくださいました。あの様子だと、本当は自分の胸の内を誰かに聞いて欲しかったのではないでしょうか」

「そう、でしょうね。そうだと思います。あの方は、随分前から患っていらっしゃいますから」


 恋心を『患う』なんて、最初に言い出したのは誰なのだろう。

 随分長く大病を患った王子は、今でも完治どころか寛解すらしていない。

 それを見ているだけの宮廷医師。


「叶わない、のですか」

「叶いません。いずれあの方は、その立場に相応しい他国の姫を娶る事でしょう」

「ソルビットさんは相応しくないのですか? 姫と言わずとも、騎士隊長を務める女性では不相応だと?」

「相応しいと判断されていたら、陛下ももっと以前から、……」


 再び、自分の顔を手で覆うリエラ。これ以上は言えない、と言いたげに首を振った。

 あの二人の事をそれほど知らないとはいえ、何かしらの引っかかりを感じるユイルアルトはそれで黙っていられない。二人の仲が許されないのは他に理由があるからではないか、と感じ取ってしまったから。


「陛下って、国王陛下ですよね? 自分の子が誰かに想いを寄せているのに、反対してるんですか?」

「――その件に関しては、あたしが誤解を解いておくよ」


 更にリエラに対して追求しようとしたが、後から追いかけて来たソルビットによって阻害される。

 その瞬間、小さな灯りは夜の闇に飲まれて消えた。星明りの下で、女が三人集まる。


「……イル、こういう話に興味あるのは分かるけど。それでも無関係な人から根掘り葉掘り聞こうとするのは止めて欲しいなぁ。聞きたいなら、あたしがいるじゃん」

「聞いて、教えてくれるんですか」

「んん。教えるよ。別に、聞かれて恥な事は――あたしには、無いもん」


 ソルビットは、先に外に出ていた二人を置いて歩を進める。向かう先は、女性用として割り当てられた就寝用の小屋だ。


「簡単な話だよ。あたしが、孤児だから。崇高なるアルセン王国の王家に、薄汚い孤児の血は入れられないからね」

「孤児、って」

「騎士隊長になれたのは、あたしの能力を買って貰えたから。だからそれ以上を望むのなんて、畏れ多くて出来ないんだよ」


 くすっ、と小さな声で笑うソルビットの声。

 それはいつもの世間話に挟む笑いのような気がして、ユイルアルトが慄いた。

 言葉にはこの夜の闇と似た暗さが滲んでいるのに、差が激しすぎて理解が及ばない。

 ――そんな明るい声で、何でもない風に言う事じゃない。


「……けれど、ソルビット様は」

「それ以上はだーめ」


 尚も何かを言おうとするリエラの口を、ソルビットが言葉で塞ぐ。


「さ、イルもお風呂入っておいでよ。リエラ様はもう寝よう、明日はもっと疲れるよ」


 明らかに、追い払われている。

 ユイルアルトがこの場を離れれば、ソルビットはきっとリエラに改めて釘を刺すに決まっているのだ。

 でも、人に聞かれて嫌な話なんて幾らでもあるのだと知っている。ユイルアルトだって同じだ。だから、これ以上話を聞く権利なんて無かった。


「……では、失礼します」


 残されている選択肢は、風呂に向かうしかない。

 背を向けた二人に頭を下げて、その場を去るユイルアルト。

 リエラが言いかけて止めた言葉が気になっていても、今はどうしようもなかった。



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