9.豚と紛う行儀の悪さ
「布、ですか?」
女性陣が風呂から上がると、村の空気は食事に向かう。長旅で疲れた面々の為に、村の人々は村で出来る最大限の持て成しの料理を用意してくれた。
場所は村の中でも一際大きな家だった。村長宅らしいそこで、厨房は料理の出来る女衆でてんやわんやだ。
山菜、根菜、獣の肉。次々と広い食卓に並べられている最中、ユイルアルトと風呂上がりのジャスミンは手伝いを申し出た。最初は戸惑っていた村人も、配膳くらいならと任せてくれた。
その間に、二人は必要な物が調達できないか聞いた。あまりに急な出張依頼で、城下では用意できなかったものだ。
「生憎、こっちの村では織物を作っている訳ではないので……。こちらの農産物は、食料になるものばかりなんです」
「こちら、って事は別の村では織物を?」
「少し先に行った場所にある、お隣の村ですよ。あちらは綿を育てて城下にも出しているとかで……」
すんなり話が出て来たということは、村同士で時折ある確執などは無いようだ。隣の村まで行けば必要な物資が手に入る。その時は楽観的に考えていた。
「隣の村?」
ユイルアルトとジャスミンは、手伝いが終わり食事に呼びに行く時にアールヴァリンに相談してみた。
男性用にと割り当てられた村長宅の一室には着ている服も体を締め付けないようなものに変えて休息態勢に入ったフィヴィエルも一緒にいて、報告するには丁度良い。騎士二人に伝えれば充分だろうと思っていた。
しかし、話を受けて二人は顔を見合わせる。難色を示すような顔色で。
「……それは、絶対に必要な物か? 馬車の中にあるもので代用できないのか」
「代用は出来ない事はないですが、切り裂きます。服であれ毛布であれ、不便になるのは間違いないかと」
「……」
最低限しか持って来ていないのに、服を切り裂かれるのは流石に困る。毛布を切り裂いてしまえば、寝るときに困る。
何もかもが最低限しか無い馬車で、代用品なんて無理な話だ。けれど、男達が難しい顔をしているのには理由がある。
「……次の村には寄らない形で時間配分をしていたんだ」
「え……」
「この村で充分な休息とそれなりの補給が出来た。次の村でもフィヴィエルは似たような歓待を受けるだろう。そうなると簡単に発つのは難しいから、それなら寄らずにいればいいかと考えた。寄る必要があるとしても、帰り際の休息の時でいいだろうと思ってな」
「明日の朝になれば、全速力で目的地に向かう、と……今、そういう方向で話を練っていたんですよ」
この村に寄った皺寄せが、明日取り返せる範囲だったとしても。
別の村まで寄る時間はもう、許されていない。
医者二人は顔を見合わせる。それでは、危険から身を守れないかもしれない。
「……。……絶対に、必要なものなんだな」
「……はい」
二人の顔色で、王子騎士はそう判断する。
「悪いが、ジャスミン。ユイルアルト。君達は先に食事を済ませていてくれ。俺達はちょっと考え事があるから」
「すみませんが、僕達は食事は後からいただきます」
騎士二人はすまなさそうに言ったきり、医者二人に見向きもしない。これからの計画をすり合わせるのに忙しい様子だ。
「……無理を言うならお前が――、でも……」
「いえ、それでは……なら、――で」
小声で聞き取れない部分もあるが、それらは意図的に聞き取らせないための口の動き。やがてジャスミンがユイルアルトの肩に手を添え、その場を後にする。
絶対に必要かどうか、なんて、聞かれなくても医者なら必要と答えるだろう。
浮かない顔で食卓のある部屋へ戻って来た時、二人の視界に入ったのは想像を絶する光景だった。
「……おぉ」
食い散らかされたテーブル。食事で口許や襟元、袖回りを汚した男。食べこぼしが散乱する卓と床。倒れた水入れは男の側にあるから、誰も回収できない。
中途半端に手を付けられた食事は、全員が手を付けられるようにと取り皿まで用意して貰っていた。なのにその男は、皿なんて関係なしに直に匙を入れては口に運んでいる。
「いやぁ、食った食った。久し振りに人の食い物を胃に収めた気分だ」
「……」
その卑しい豚の名前を、二人は知っている。デナスとかいう名前の宮廷医師だった筈だ。
男は気が済んだとばかりに匙を放り投げると、一人でその場を後にした。
一緒に卓に着いて耐えていたのは、簡素な夜着に着替えているリエラとソルビット。ソルビットなどは先に自分の取り皿に寄せていた食事を黙って食べていた。リエラは、偉そうな同僚の姿におろおろとするばかり。
「――豚の分際で人の言葉を喋るなんて生意気ね」
背中が冷えそうになる声色で呟いたのはソルビットだ。格好は村娘達と同じような寝る前の一枚衣だというのに、その視線が醸し出す殺気は騎士のそれ。
ぐちゃぐちゃに食べ散らかされた卓上は悲惨で、それでなくとも奴が直に口を付けた匙でほじくり返した食事を食べるのは気が引けた。同じ卓に着くだけ着くが、平然と食べ進めていたのはソルビットだけだった。
「……後から、別の食べ物を用意して貰おうかな。ごめんね、不愉快なもの見せちゃって」
「別の食べ物って、……そんな」
ジャスミンは首を振っていた。こんな惨状に等しい光景を見せられて食欲がないのもある。
でも、これだけの食事を用意するのに大変だったろう村人の気持ちが、これほどまでに無残に荒らされているのだ。別の料理を、なんて口が裂けても言えない。
自分の取り分けた分が無くなった後は、あの男の食い残しともいえるものを、ソルビットは食べている。その心境も、医者二人には理解出来なかったけれど。
「――あたしね、もっと汚いもの口に入れてた事あるから。こんなの、なんてことないよ」
汚い、という認識はあるのだろう。それでも、村人の厚意として胃に収めようとするソルビット。幸い手を付けられていないものがあって、それらはソルビットが他の三人に取り分けた。
「それで、アールヴァリンとフィヴィエルはまだ来ないの?」
「少し……話があるからって。後から来るって言ってました」
「話し合い……。そっかぁ。ま、二人が話し合って決められる事なら、あたしが無理矢理割って入らなくても大丈夫だね」
食卓に並んでいるものは、どれも美味だった。城下で売られているのはどれも収穫から日にちが経っているようなものばかりだったが、これは村で取れたての新鮮な食材を使っているだけある。
暫くはそのまま食べ進められていたのだが、ソルビットが暫くすると目に見えて食べる速度が落ちてきている。若干うんざりしたような顔になってまで、それでも口に料理を運ぶ。
「……ソルビットさん、お腹いっぱいなんですか?」
「………あたしねー、体動かさないとあんまりお腹空かないんだぁー……。馬車乗ってるだけだと、そんなにね……」
女にとってなかなか羨ましい体質だが、もとより瘦せ型のジャスミンもユイルアルトも食が進む性質ではない。ましてや、男の食い差しなんて好んで食べたい訳もなく。
でも、ユイルアルトは手を伸ばした。ソルビットさえも躊躇っていた、一番汚く食い散らかされている皿に。
「え。イル? 無理しなくていいよ」
「無理だなんて」
食い散らかされる前は、綺麗に盛り付けられていただろう皿だ。デナスの事さえ無かったら、食欲をそそる見た目と味だったに違いない。
食事の作法すら満足に出来ない豚のような男に心の中で毒吐きながら、負けじと直に匙を差し入れる。もう、他に誰も食べないだろうことを見越して。
「……綺麗じゃないものを口に入れた事くらい、私にもあります。でも、この料理を用意してくれた人達の心は綺麗でしょう。難点は、私が小食な事くらいです」
「イルってば、……本当に」
ユイルアルトは、読唇術の心得なんて無い。でも、ソルビットが言葉にしなかった唇の動きは見えた。
――『いいこだね』。
子供を優しく褒めるような、優しい眼差しと一緒に。
「………」
「さ、男二人が来るまでに食べきっちゃおうか。そしたらお代わりって形で新しく料理運んでもらえると思うんだ」
「え、こ、これ全部ですか?」
流石に七人分という形で用意された食事の、豚もどきの食い差しを女性四人で全部――というのは難しい話だ。それでなくとも食の細い面々ばかりで、もう無理といった空気が流れ始めた頃。
「ジャスミン」
時、既に遅し。
部屋の入り口にはアールヴァリンとフィヴィエルが立っている。ちょいちょい、といった掌の動きと名前で酒場の医者の片割れを呼ぶ。
食事もそろそろ限界だったジャスミンは大人しく呼ばれていった。そのまま、フィヴィエルと部屋を後にする。
――フィヴィエルは、騎士服を着ていたような気がした。けれどアールヴァリンが彼の体を隠すようにして入って来たから、見間違えたかもしれない。
「はー、頭使ったら俺も腹が減っ……なんだこれ」
アールヴァリンは、やっと食事に入れると思っていたらしい。それなのに、食卓やその床にまで広がる地獄絵図に固まってしまった。
「豚の食い差し」
「豚って、……あー」
名を出さずとも、二人の間では理解出来たようだ。尊厳のある誰かの事を呼ぶには倫理観が乖離した呼び方だが、この食事の有様を例えるならそう呼ばれても仕方ない。寧ろ豚の方が綺麗に食べるのではないか。
王子騎士に食べさせるには、あまりに汚すぎる惨状だ。けれどソルビットは、さっき彼がジャスミンにやったようにちょいちょいと掌の動きで招く。
「何だソルビッ、」
「あーん」
「はぁ!?」
何の疑いも無く側に来た彼に、自分の匙に乗った料理を突き付ける。それは比較的綺麗な状態で残されていた皿の、誰も匙を入れてない部位から掬ったものだ。
リエラは、その光景に「まぁ」と声を漏らすだけ漏らして凝視している。ユイルアルトは、二人の間にある感情の片側だけは聞いていたので面白い出し物でも見ているような心持ち。
こんな事されて、確かに諦められる訳ないよなとも思う。
三人分の視線を受けて、アールヴァリンも何も行動せずにはいられなかった。それで拒めばいいものを、この王子騎士は大人しく匙を口に入れる。真っ赤な顔をしているから、これは本当に感情を隠し切れない性格なんだなと理解した。
「美味しいね、アールヴァリン!」
「……、……。………ああ、そうだな、ソルビット」
騎士と言えば、絵本に出てくるような凛々しい姿だったり、故郷にいた頃の自分やジャスミンを助けてくれた恩人の姿でもあるのだが、どうしても二人を見ていると『馬鹿だなー』としか頭に浮かばない訳で。
こんな二人が隊長を務める騎士団というのも、そこまで気を張らなければならないものでも無いかもしれない、という思いが強くなった。
アールヴァリンがそうやって鳥の給餌のように料理を食べさせられている間、ジャスミンは戻って来なかった。
フィヴィエルも、同じ卓に着くことはなかった。




