5.過去を語る瞳
アルセン王国には、聖騎士が二人いる。
それは先の戦争、今でもまだ爪痕さえ癒えきってない五年半前まで話は遡る。
戦争の敵国、帝国がアルセン軍を押して、押して、アルセンがもう引けないという所まで押した時があった。それ以上引いてしまえば、国の戦火が更に広がると誰もが理解していた。
だからアルセン軍は引けず、また帝国も今が好機と見逃さなかった。
帝国から投入された、種族毎に分けた奴隷部隊。
それらは更にアルセン軍を疲弊させ、多くの犠牲者を出した。
騎士団は戦線を突破される最悪の状況を覚悟した。けれど、それでも国を落とされる訳には行かなかった。
騎士四隊長は、己に出来る全てを実行しながら――奴隷部隊を、全て撃退した。そして戦争は終結に向かい、再び平和な時間が訪れる。
おとぎ話によくありそうな話だった。けれど、それがこの国に現実に起こった話。
その時、ソルビットは『花』副隊長。
アールヴァリンは『風』副隊長。
そして、ディルとアルギンは。
「……それが、『花』元隊長アルギン・S=エステルと、『月』元隊長にして聖騎士ディルの昔話。その時の騎士隊のうち、『鳥』と『月』の二人の隊長が聖騎士の称号を下賜される。耳障りだけは良い華々しい名誉で、国が受けた戦禍による惨状を覆い隠すかのように。戦後の四隊長は聖騎士の名にも恥じぬほど、国の安定の為によく動いた。アルギン以外」
「アルギン以外? どうして」
「国に戻って戦後処理してる時、お腹に子供がいるって発覚したんだよ。……あの時はあたしも驚いた」
ソルビットの語り口は、とても話し慣れたもののようだった。本に書かれた童話を暗唱するかのような声は、普段ジャスミン達の前で大騒ぎしている彼女の口調と大違い。
彼女は御者席に座り、馬の手綱を駆りながらジャスミンとユイルアルトをリエラと一緒に呼び寄せた。デナスは幌を閉めた後方に位置付いて、その間に休息中のフィヴィエルが横になっている。壁役としてとても有難い図体だ。リエラも、守られてる安心感からか背中を幌につけたまま眠りに入っていた。
日はとうに沈んで星が輝く夜。馬の歩みも日が出ていた時よりも遅めで、馬車の揺れも静か。話し声も概ね密やかで、邪魔など入りようがない。
「時期が時期だったから、これは民から反発来るかなーって思ってたんだけど、意外と皆寛容だったね。聖騎士様の奥方が妊娠って事もあって、寧ろ国の復興の吉兆だとか言う人も出て来て……そこそこの処理が終わって後はあたしだけでも対処できる、ってなった時に、アルギンは騎士を辞めて酒場に専念した。裏ギルドの長の肩書と一緒にね」
「その時のお子さんが、ウィスタリアちゃんとコバルトちゃん?」
「そう。悪阻が酷くて入院もした程だったんだけど、それがまさか双子とはね。戦争を乗り越えて生まれた二人、とっても可愛いでしょ」
双子の愛らしさについて語るソルビットの隣で、同じく御者席のアールヴァリンが苦笑を浮かべる。
「あの頃のディルは見ていて楽しかったな。妊娠発覚直前の嫁が病院に担ぎ込まれた、って聞いた瞬間の真っ青な顔。矢も楯も堪らず、ってあの時の事を言うんだろうって思った」
「あれから暫くも凄かったね、『月』の奴等も悲鳴上げてたよ。気でも狂ったかって言われる程上機嫌に執務してたらしいじゃん」
上機嫌、と聞いて医者二人が顔を見合わせる。三年ほど近くにいる二人でも、まだディルの上機嫌と通常を見分けるのが難しい。
そもそも、妻といても子供達といてもいつも同じ顔をしている。不機嫌な時なら何回か見た事ある二人には、浮かれたディルの姿を想像する事も出来なかった。
「言っとくけど、今のディルはあれで上機嫌だよ」
「あれで!?」
「騎士時代のディル、本当酷かったからね? 怖くて皆が遠巻きにして見るくらい。あの顔だからモテない訳じゃなかったけど、他の女はなかなか近寄れなかったんだよ。実際話しかけても反応薄かったしね」
「……でも、アルギンは近寄れたんですか?」
「まぁーねぇ。近寄れたっていうか、ディルが側に居て嫌な顔をしなかったのがアルギンとかの一握りだけって訳。今は本当に丸くなったよねぇ」
「あー」
その点は現状と変わらなさそうだ。ずっとずっと昔から、アルギンはディルを一途に想っていた。現在のように、馬鹿みたいに、ずっとディルだけを好きだと言っていたのだろう――と、医者二人は過去に想いを馳せる。
けれど二人の恋愛模様を知っている騎士三人は、二人が想像しているだろう世界に薄々気付いていても、肯定も否定もしない。
だって、そっちの想像の方が面白そうだから。
「元騎士隊長夫婦が経営する酒場、そして運営する裏ギルド。その一員として、俺達騎士も王家……ひいては国王陛下も、君達には期待を寄せている。だから今は遠慮なく、何かあったら俺達を頼ると良い。そっちの方がディル達に借りを作れるしな」
「か、借りだなんて。そんなことする訳には参りません」
「気にするなよ。あいつらもそのつもりで君達を来させた筈だから」
「ですが」
王子だからか、アールヴァリンから『君』と言われるとむず痒くてたまらない。見ている限り、少し冷淡さは感じれど品行方正な王子だ。何と呼ばれようと拒否権も無い。なのに、経験したこともないような居心地の悪さに眉間の皺は深まるばかり。
それはあの酒場で、今みたいに懇切丁寧に扱われた記憶が滞在初期しかないせいだと思ったけど。
「頼る必要が出来るまで、そういう事は考えたくありません。私達は確かにアルギンから信頼されている医者ですが、私達を託された貴方達だってアルギンから信頼されてるのでしょう?」
「私達は確かに非力かも知れませんが、客人だなんて思わずに接してくれる方が嬉しいです。お荷物なんかになりたくありませんし、お役に立てた方が私達も胸を張れます」
アルギンの側にいると、自己肯定感を刺激される。それはいい意味でも、悪い意味でも。
あれだけ自分の伴侶に愛を惜しげもなく伝える女だ。他人に感謝を伝える時も、声や手振りが大きい。考えは顔に出るし、あれで元は騎士隊長だったと聞いても冗談にしか思えないが、それも本当なのだろう。
そんな彼女が信じた自分達は、決して頼ってばかりの女ではいけない。
「……これは、参ったな」
「ね。流石アルギンが依頼お願いするの渋っただけあるよ。強くていい女だよ、二人とも」
騎士でもない女がそう答えたのが意外なのか、アールヴァリンは苦笑を浮かべた。後方で大人しくしているだけの手伝い係を想像していたようでたじろいでいる。
王子騎士にとっての良い女とは少し違ったようだが、元より二人に信頼を寄せているソルビットはご満悦で。
「でも、そんな事言って良いのかなぁ、二人とも? 今話を聞いているのは騎士隊長だよ。一般人だから許してー、なんてそんな甘えた事はもう言わせないからね?」
「そ、それは少しくらい寛大に見てもらえると嬉しいです。私達の本分は医療ですし」
「あはは! 冗談だよ、医者に手元を狂われちゃ堪らないからね!! でもさっき話に出た件みたいに、味気ない食事に彩りを添えてくれるとあたし達も嬉しいなぁ。栄養が偏っちゃうと、ソルビットちゃんの自慢のお肌も荒れちゃうからね? うふん」
そう言って科を作り微笑むソルビットは、自分で言うほどの美貌を確かに持っている。医者二人が初めてアルギンから紹介された時、思わず見惚れた程の美貌と肢体。出るとこは飛び出て、引っ込むところは適度に引っ込む。男を惑わせ女の憧れになる、肉感的な体。
ソルビットの言葉にどう反応していいか分からない医者二人が、はは、と乾いたように笑う。しかし、アールヴァリンは笑みを浮かべられなかった。
「…………」
無言を貫き、道の向こうを見る王子殿下はどこか不機嫌らしかった。涼やかな美貌も、唇を引き結べば冷酷ささえ湛える。
御者席に並ぶ美男と美女でも、相性の悪い仲なのかも知れない。結婚に至った『花』と『月』の隊長が特別なだけで、同じ国に仕える者同士、日常では相対する関係があっても可笑しくない――と、思ったのも束の間。
「どしたのアールヴァリン。そんな顔してたら二人が怖がっちゃうよ? ほれほれ眉間の皺なんてこうしちゃうもんねー」
「ばっ、お前……ちゃんと道の先見てろよ!」
不機嫌な王子殿下にちょっかいを出し始めるソルビット。その接し方があまりに慣れていて、対応するアールヴァリンも思わず声を荒げる。互いに向ける声色は、仲が悪いという訳では無いらしい。
二人の年齢を聞いた訳でも無いジャスミンとユイルアルトだが、二人の距離の近さに年齢差を勝手に夢想する。ソルビットの妖艶な雰囲気を考えるに、少しは彼女の方が年上だろうか。
同僚のような、悪友のような。けれど、アールヴァリンが彼女に向ける感情はそれだけではないような気がした。
「……ったく、帰ったら覚えてろよ」
「そんな先の事覚えておけませーん。あたしの時間を予約したいなら相応の方法があるでしょー」
安心した所で、ジャスミンとユイルアルトも互いに毛布を掛けて横になる。幸いにも、それだけの広さは確保して貰えた。
休息に入る二人の為に、アールヴァリンとソルビットも前方の幌を閉める。夜風が入らなければ、薄めの毛布一枚で耐えられるほどの気温だ。
「ちょっと寒いね」
御者席から、潜めたソルビットの声が聞こえた。
「……温めて欲しいのか?」
「折角ならあたしはヴァリンが掛けてる毛布がいいな。ちょっと寄越しなさいよ」
「ちょっ、やめろソル。俺だって寒いんだぞ、独り占めするな」
ユイルアルトは、その優しい声に誘われるように眠りに落ちる。
二人が交わす言葉の端々に見える親愛も、深く考えないまま。
同行する人物は、デナス以外敵意を向けてくるような相手はいないみたいで、それどころか騎士達は友好的で安心できる。
決して短くない道の途中で、厄介な問題が起こらない事を願うジャスミンとユイルアルト。
馬車は揺れる。七人分の重さを引いた馬が二頭、ゆっくりとした歩みで目的地に近付こうとしていた。




