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【第三部】アルセンの方舟 ―国家公認裏ギルド交響曲―  作者: 不二丸茅乃
chapter.2 魔女の憂鬱、聖女の溜息

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2.二人の出発


 ジャスミンとユイルアルトの仕事は、比較的時間の自由が利く。

 それは医者でありながら診察をあまりしないからだ。


 基本的に、診る患者は酒場に住む者達や、酒場の住人から他言無用と念を押され紹介を受けた外の者のみ。あとはたまに酒場に現れる、酒による急性中毒者。

 特に酒場の中ではアルカネットは自警団員で、よく怪我して帰宅するので上客だ。マスターであるアルギンも二人が作る薬を常用しているし、その娘である双子は時折熱を出すので看病する。治療費に法外な金額を提示している訳でも無いのに、気付けば収入は増える一方だ。

 アルギンやディルの知己だという人物達も、時折診せに来る。そういった手合いは服の質も礼儀作法も一般人とは掛け離れているので、診察の度に緊張していたものだが。


 今日、改めて言われて合点がいった。

 依頼をして来るのが王城関係者なら、その伝手がアルギンにあってもおかしくない。

 ユイルアルトは、どこか自分達だけ置き去りにされたような感覚を覚えた。マスター夫婦から知らされていないことが、まだ幾つ残っているかも分からない。

 この酒場の一員になって、三年経つのに。




 ユイルアルトは、酒場の中でも二階にある広い部屋を使っていた。最初の三か月は一人で、それからはジャスミンと二人で。

 窓際には棚を作り、故郷から持って来た植物の苗や師から受け取った種を栽培している。今では数が増え、栽培にも慣れて来た。植物にとっては必要な筈の日差しがあると発芽しない種もあるなんて、師から教えて貰わなければ分からなかった事だ。

 緑豊かな、酒場の一室。そこには、国から栽培を禁止されている毒草すらある。医者二人にとっては心癒されるその空間で、それぞれの寝台に寝転がって昼寝を取っていた。


 幾ら診察に裂く時間が少ないとはいえ、ユイルアルトとジャスミンは薬を作っている。

 昼間でも作れない事は勿論ない。しかし、小さい客人が予期せず薬の材料を触ると危ないのだ。

 二人は示し合わせたように、夜に薬を作るようになる。それも共同作業にしているので、片方に作業の熱が入ればもう片方も付き合わされる。

 二人とも、互いを親友と思っているからこそ出来る事だ。そして二人はいつも午前様となり、昼寝は欠かせない。欠かせば死ぬというほどに。

 だからアルギンから呼び出しがかかった日の昼も服さえそのままに寝ていて、いつもだったら夕暮れ時に起きるのだが。


「ユイルアルト」


 ユイルアルトに優しく呼びかける声がする。


「ユイルアルト。起きて。大変よ、貴女にお客様が来るわ」

「……ひぇえ!?」


 情けない声を上げながら、寝台から飛び上がったユイルアルト。

 声の主は寝起きだからか一瞬分からなかった。でも意識が覚醒すれば聞き間違える筈のない、自分の師の声。

 リシューと名乗った老婆は、いつも同じ服を着ている。床にまで届きそうな毛糸のワンピースだ。その上に付けている白いエプロンを脱いだ彼女の姿を、ユイルアルトは一度も見たことが無い。水色髪を纏めた三角巾も、外れた姿を知らない。


「……先生」

「良く眠っていたみたいね、ユイルアルト。起こすのも申し訳なかったけれど、貴女達に深く関わる話みたいで」

「い、いえ。起こして頂くのはいいんですけれど。深く関わるって?」

「城からお客様よ。三人ほど、馬車に乗って来ているわ」

「馬車って……」


 城から客と聞いて、今即座に思いつくものと言えばひとつしかない。

 昼に了承の返事を出した出張依頼だ。窓の外を見れば、まだ太陽は夕日にもなっていない。時間からして午後三時くらいか、今なら双子が階下でおやつを食べている頃かも知れない。

 体に掛けている薄布を退かして、床に足を下ろす。靴を履いて立ち上がり、窓の外を見た。


「まさか、もう来たんですか」

「早ければ早い方がいい、とアルギンも言っていたでしょう? 彼等は迅速を貴ぶものよ」

「……先生も、もしかして王城に仕える人たちと交流あったりしたんですか?」

「私? 私は……アルギンの育ての親が窓口になっていたから、直接の関わりは無かったわ。でも私の近しい人は城で働いていたの」


 悪戯っぽく笑う老婆は、顔の皺を深く刻んだ。


「用意、終わったら下りてきた方が良いわ。何が起きるか分からないから、護身用の薬品は忘れずにね?」

「……ありがとうございます」

「そうそう、アルギンが追加の薬をお願いしたいって嘆いてたわよ」

「それは……、仕方ありませんね。出しておきます」


 リシューは用が済んだとばかりに扉の方向へ向かう。

 それと時を同じくして身動ぎしたのはジャスミンだ。日頃の睡眠不足が祟って起き上がるのも辛そうにしている。


「……イル……?」

「ジャス、起きたの?」

「……なんか、声、聞こえて……。イル、何か私に言った……? ごめん、聞いてなくて……」

「……」


 先程のリシューとの会話が自分に向けられたものだと誤解したジャスミンは、枕を抱えたまま寝台を転がっている。でももう時間の余裕はなさそうだ。


「もうすぐ、迎えが来るみたいなの。例の出張依頼」

「しゅ、っちょう……って、え!? 早すぎない!?」


 一瞬で目が覚めたらしいジャスミンは寝台で跳ねるようにして起き上がる。ぼさぼさの髪を手櫛で整えながら、寝に入る前に纏めた荷物を視線で探す。扉側に置いていたそれに手を延ばそうとするが届く筈も無く、顔から床に落ちた。

 痛みを堪えながら真っ赤になった顔を抑えつつ、床を這いずって荷物を確認し始めるジャスミン。


「……」


 その姿を見ながら、用意だけはしていたアルギン用の薬を一週間分棚から引き出す。これさえあれば暫くは彼女も大丈夫だろう。

 あとは、荷物を下に下ろすだけで出発の準備は出来る。体を引きずるように荷物を抱えて、扉の鍵を開くジャスミン。


「先に行ってるわ、イル」

「ええ」


 一人になった筈の部屋で、ユイルアルトも荷物を抱える。

 服とか、薬とか、念の為に、良く効いたと言われた薬の予備とその材料も。


「行ってきます、先生。私達が居ない間の水やり、出来たらでいいのでお願いできますか」


 誰も居ない筈の部屋に伝言を残したユイルアルトは、廊下に出てから鍵を閉める。

 暫くの無音を約束された筈の室内だったが、植物の棚の如雨露が早速かたりと音を立てていた。




「え、ジャス? イル? もう下りて来たの?」


 一階に向かった二人を出迎えたのは、カウンターの側で書類と顔を突き合わせているアルギンだった。その側にはオルキデがいて、深刻そうな話をしている。


「アルギン、はいこれ。一週間分の薬です。泣いて有難がってくださいね」

「え、マジで!? わぁ! ありがとう!!」

「もう下りて来た、ってどういう事です?」


 ジャスミンは手近な椅子に荷物を下ろし、言葉の真意を測りかねて問い掛ける。ユイルアルトもそれに倣って荷物を置いた。


「迎え、夕方までには来るって言ってたそうだからまだなんだ。早いなって思ってね」

「夕方までに? そうなんですか?」

「アルギン、御心配には及びません。もう来ます」

「え。だってまだ」


 ユイルアルトは確信している。もう来る、と師が言ったのだ。ならば間違いない。

 アルギンも室内の時計で時間を確認するが、夕方には程遠い時間。まだ来ないだろう、という予想を口にしそうになったその時、酒場の外から馬の(いなな)きが聞こえて言葉を切った。


「アイツ、もう」


 もう来た、と口にするよりも早く、出入り口の扉の鐘が低く大きく体を揺らす。


「アルギーーーン!!」


 弾むような、高い女性の声。その足取りも跳ねるような歩幅で、アルギンまで駆け寄りそのまま抱き着いた。

 うわ、と声を漏らすアルギンはよろめくが、踵に少しばかり高さのある靴を履いていながら倒れずに立っていられている。

 抱き着いて来たのは、ユイルアルトとジャスミンも知る人物。何回か診察したことのある、背中まである癖の強い茶色の長い髪を持つ、この城下でも特級の美人だった。


「アルギン、お久し振りぃ。元気だった? ちゃんとお酒控えてる? 煙草吸ってないよね? 相変わらず美人だねって褒めたいでしょ。あたしを」

「はいはい、つい四日前も会っただろ忘れるなよ。お前さんはいつでも美人だしアタシはいつもと変わりないよ」

「流石アルギンってば正直者。そんな正直者には美人からの口付けを送りましょうね。はい、ちゅー」

「やめろ」


 扉が開いて即戯れる女性二人に、医者二人は目を丸くしている。

 二人が顔を合わせる所を見たのが初めてだからではない。こんな戯れは、この『美人』が酒場に現れる時は基本的にいつも見させられている。

 いつもと違うのは、『美人』の服装だ。いつもはその豊満な肢体を惜しげもなく晒すような、いわば下品とも取れる格好ばかりをしているというのに。

 今日は白と赤を基調にした、上下共にかっちりとした制服だ。そう、まるでこの国の騎士が纏っている騎士が身に纏う物のような。

 しかし彼女の制服はもう少し違っている。肩に広がる赤いマントを羽織り、胸元に大きな椿を模した藍色の花飾りがついている。髪だって緩く編んで流していた。


「やっほー、イルにジャス。今日の二人も美人だね。出張に了承の返事を貰えたって聞いたからあたしが出て来たよ!! 嬉しい?」

「え……。出張、って」

「なんで、知って……?」


 溌溂と能天気面を晒す『美人』は、二人の知っているようで知らない女性だった。


「ソルビット、お前自己紹介まだだろ」

「え、そうだった? 確かに名前は名乗ったけれど、役職まではまだだったかな」


 そう言うと彼女は、マントを翻すようにその場で横に一回転してみせる。そして、ダン! と足を叩き付け、床に穴が開くのではないかと思わせる程に力強い足取りで正面を向いて止まった。

 一瞬だけ眼光鋭く医者二人に視線を向けて、それから始まる改まった自己紹介。


「今回二人の護衛としてあたしが任命されました。アルセン王国騎士団『花鳥風月』、『花』隊所属にして隊長のソルビットでーす。そこのアルギンとは腐れ縁だから、これからもお世話になるね!!」

「腐れ縁って言い方どうかと思うぞ」


 ソルビットを前にすれば、いつも頼りないアルギンさえ突っ込み役になる。

 呆然とする医者二人を余所に、ソルビットは二人のものらしき大きな荷物を小脇に軽々と担いで持って行く。肉感的とはいえ、どこかの貴族令嬢と言われても不思議でない程の美貌の女性が、だ。


「荷物これだけ? 随分軽いね。馬車に乗って移動しながら他の面子の紹介するから、早くおいでー」

「え」

「ええ!?」


 ソルビットが進行を握れば、ジャスミンもユイルアルトも後手に回ってしまう。「割れ物が入っているの! お願いだから慎重に扱ってください!!」というジャスミンの叫びも無視された。

 早足で酒場を出て行く二人より後に歩き始めるユイルアルト。その背中に、アルギンの声が掛かった。


「そういや、イル。お前さんの所の植物大丈夫? 暫く留守にするならアタシが水やりしとこうか」


 それは善意から来る言葉だったが。


「先生に頼んだので大丈夫です」


 その善意さえ突っぱねるかのような冷たさ滲む声。

 途端にアルギンは身を竦ませて、首を縦に振るしかなくなっていた。


「っあ、り、リシューのばあちゃんに頼んだんだね!? そ、そそそそれなら安心だぁ!! アタシより植物に詳しいしなぁ!! ハハハハ!!」

「……じゃあ、出て来ます」


 尚も何かを挙動不審になりながら話し続けるアルギンを、わざと無視した。

 扉が閉まり、鐘が一連の動作を最後に音にする頃には静かな開店前の酒場が戻ってきている。


「……ばあちゃんかー。……うん、そうだよな、ばあちゃんか……」


 アルギンにとっても、リシューという人物は大事な人だった。

 この酒場に引き取られてから随分良くしてくれた、穏やかな性格で優しい女性だったから。

 一方的に世話になった。いつかは御礼がしたいと思い続けたが何も出来ず、そのまま二十年以上の時が流れてしまったけれど。


「如何かしたか、アルギン」

「あ、ディル」


 騒がしさに夫婦の寝室から様子を窺いに出て来たディルは、先程の嵐のような状況を知らずにいる。

 んー、と悩んでアルギンは夫に事情を説明した。


「イルとジャス、もう行っちゃって」

「ほう? 今の騎士団は対応が迅速だな」

「そんで、水やりやっとこうかって話したんだけど……リシューのばあちゃんに頼んだから良いって」

「リシュー……、ああ」

「ばあちゃんの事信用してない訳じゃないけど、大丈夫かな。如雨露とかまだ持てるのかな?」

「知らぬな。其の辺りは、見えぬ我よりも見える者の方が詳しかろう」


 夫はこればかりはどうしようもない、とばかりに非協力的で、アルギンを置いて厨房に入っていく。


「……そう、だよね。うん、……アタシも、イルが決めたなら出来る事なんて無いんだ」


 まるで自分を納得させるように呟いて、アルギンも厨房へ入っていく。もうすぐ双子がお昼寝から起きて来て、おやつをせがむ頃合いだ。


 随分昔に、どうしようもない隔たりが、アルギンとリシューを別ってしまった。それ以来、アルギンはリシューと会話さえ交わせていないのに。

 どんなに嘆いたって、今更遅い。



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