21.権力の使い処
馬車での酒場までの帰路は短いようで長かった。
怪我した子供が乗っているとはいえ、馬車の速度は一定だ。わざと傷が痛むように走るでも無しに、夜の街中を順調に進んでいく。
ミュゼはと言えば、フュンフに失礼な受け答えをしたために自責の念に駆られており、フュンフもまた毛色の違う女の扱いに困っていた。アルカネットは、この二人がぎこちなく固まっている姿に愉快になっている。
やがて酒場が近くなり、この大きさの馬車では入れない路地の側まで来た時、緩やかに減速した。一番に下りたのはミュゼだ。
「ドウモ……アリガトウゴザイマシタ……」
ぎこちない会釈と挨拶。感謝を伝えるだけ伝えて、居心地の悪さにミュゼが離れる。
その後を追うアルカネット。しかし地に足を付けた瞬間、その隣に同じようにフュンフが下りて来る。
「げぇ」
「ヒッ」
「……誰も彼も、私に何か怨みでもあるのかね?」
フュンフが下りると同時、馬車は再び動き出す。まるで最初から、この場にフュンフを置いて行くように打ち合わせがあったようだ。
夜中、既に民家の灯りも疎らな時間に三人が歩き出す。
「この時間、表は閉まってる筈だから裏から行くぞ」
「ほう。掃除は行き届いているのだろうな? 埃が積もった床など踏ませるなよ」
「文句言うなら帰ってくれて構わんが」
男二人は前からの知人なようだが、ミュゼは顔色を青くしつつ道を進む。酒場は既に窓幕を全て閉めてあり、看板も中に入れていた。細い脇道を通れば、酒場の勝手口はすぐだ。
鍵の開いているそこに、三人が身を滑り込ませる。
中に入ると食器の擦れる音が聞こえて来た。勝手口のすぐ向こうが厨房になっている。薄明かりの中で閉店作業が続いているようだった。
「ん」
三人に一番に気付いたのは、洗い物をしていたオルキデだった。手を泡だらけにして、勝手口に視線を向ける。
「マスター、アルカネット達が帰ってきました」
「おーう」
特に大した出迎えでもないが、エプロンで手を拭きながらアルギンが走って来る。そして三人の姿を認め、薄笑い。
「……お疲れ、ミュゼ。仕事より、そこの口やかましい男の相手の方が疲れたんじゃねぇ?」
「何だと?」
アルギンの言葉に反応したフュンフ。ミュゼの背中側で怒気を感じて、小さく丸くなった背中が震えた。
さっきまで、何処で何をしていたかを忘れさせるような空気に様変わりする。それを安心すると思ってしまうミュゼは確かに居た。張り詰めて息が詰まりそうになる仕事だけじゃなくて、それを終わらせて戻る拠点の温もり。漸く人心地ついたミュゼだったが、目の前でいい歳をした大人が喧嘩し始める。
「こちらとて、さっさとディル様にお目通り願いたいのだが。相変わらず酒臭い貴様と毎日一緒など、ディル様の心労も察せざるを得ないな」
「ざーーーんねんでしたぁー! 今日アタシ酒飲んでませーん! まぁこれから飲むんだけどな!! お前さんのだぁい好きなディルの傍で!!」
「見守りの次は介助までさせるか。如何な偉大なあの方でも、そろそろ貴様の側に居るのに苦痛を感じているのではないか? これだから人の心を察せない愚か者は」
やいのやいのとする二人を余所に、アルカネットはミュゼに顎で合図する。「ん」と言いながら振った顔の向こうには客室へ続く出入り口があった。
客席では、既にディルがカウンターの椅子に腰かけて待っていた。いつも同じ席に座っている所を見ると、そこが彼の定位置なのかも知れない。
二人からのやや重い愛を叫ぶ声が聞こえている筈のディルだが、頬杖をついて二人の到着を待っている態度はいつも通りだった。
「其の姿を見るに、無事だったようだな」
「……無事じゃ悪いか? お陰様で血の一滴も出てない」
「何よりだ」
勝手口の攻防と比べると、客席でのやり取りは随分味気ない。今も尚聞こえてくる喧しい言い争いを気にせずに、アルカネットが席に着く。それに倣ってミュゼも手近な椅子に腰かけた。
二人の腰が落ち着いたのを見ると、ディルが頬杖を止める。そして二人に向き直って、改めて労いの言葉を掛けた。
「フュンフが報告に来ず、我が妻と戯れ合っている所を見るに、仕事自体は滞り無く終わったようだな。然して難度の高い依頼でも無いが、一人連れて行った感触は如何であったか、アルカネット?」
「……俺に誰かのお守をさせようとするんじゃない。言い出したのはオーナーだが、お前も止めてくれて良かったんだぞ」
「ふん、我がアルギンを止められると思うかえ? 止められていたならば汝は我等が一員と成らずに済んでいた。然し、汝の言い草からしてミョゾティスは邪魔にも成らなかった訳だな?」
「……そうだよ、畜生。初めての割にはよく動いた」
二人の判断では、ミュゼは及第点らしい。前日ほどに反対するでもなく、ディルも素直に頷いた。
幾らか二人が事務的な報告をしている間に、やっとアルギンとフュンフが厨房から姿を現した。あれだけギャンギャンと言い争っていた割には、二人とも後腐れないけろっとした顔をしている。
「改めて、おつかれー。アルカネットにミュゼ、疲れてると思うけど詳細聞こうか」
「私としても、報告は欲しい所だ。暫しの同席を願おうか」
二人は、自分達の言い争いさえ終われば途端に連携を見せてくる。フュンフはディルの側に立ち、まるで従者のように位置付いている。
アルギンはいつものようにとばかりにカウンターの中に入る。その姿だけは、酒場が開店していた時に見たマスターの姿そのままだ。
「……じゃあ、ミュゼにとっては初回だし、俺が報告する」
アルカネットが報告したのは、仕留めた敵の数と発見した子供の数。それから、始まりから終わりまで二人がどう動いたかだ。簡潔に述べられたそれを聞いて、アルギンもディルも、そしてフュンフも頷いた。
一通りの報告を終えてから、フュンフがわざとらしく咳払いした。
「今回ディル様から相談頂いた件を鑑みて、私が支援役として隊を率いました。生憎手の空いている者が『鳥』隊の即席部隊だったので借り受けたのですが、二人に少々無礼があったようですな。嘆かわしい」
「実害無いから別に。……でも、あんたがわざわざ出て来たのって何でだ。あんた、現場に出てくるような立場じゃないだろ」
「支援に回る前に、別件の予定があったのでな」
アルカネットの疑問に勿体ぶるフュンフ。服の中から出したのは、五枚に及ぶ書類だった。
それを押し付けるように、アルカネットに渡す。
「ディル様より相談を受けた。この酒場の一員と縁を深くしている孤児院の話だ」
目を通すアルカネットの視線に、良く知る孤児院の事が書かれているのを見た。
は、と短い息を吐いて弾かれたように前を向く。目の前にいる三人は、良い大人の見本ではない。
「聞けば、建物としても古く、子供にとって悪影響にしかならない場所だと。まともに動ける男は居らず、シスターの数に比べて子供の数が多いとも聞いたな。周囲の環境もあまり宜しくなく、柵が柵として機能していない。……私も、今日の夕方に見に行ったよ。あれは酷い。私の目の前で床が抜けた。よく今日まで無事だったなと言わざるを得ん」
フュンフの言葉が、ミュゼには小馬鹿にしているようにしか聞こえなかった。
苛立ちを、服を掴むことで耐える。自分の守りたい場所が嘲られるのは我慢できない。
「詳しいシスターに話を聞いたが、以前は貴族の慈善事業の一環として建てられた孤児院だったな? 今はその貴族も運営から手を引いて、最早金も尽きかけ、アルカネットの涙ぐましい努力による寄付で繋いでいる。それで子供達に不便を掛けるなど、痛ましい事だと思わないか?」
ミュゼの息が、荒くなる。
アルカネットも、フュンフの言い草に苛立ちを感じていたが黙ったままだ。
「……それで、何だってんだ。俺達の苦労を馬鹿にしてるのか」
「いいや? 子供達に見せる愛情は見せて貰ったよ。そして、成程と思わざるを得ない。皆良い子だ。明るく活発で、裏表が無く好ましい。奴隷商人達に目をつけられれば、一晩で皆いなくなるだろうな」
――馬鹿にされている。
ミュゼが反射的に立ち上がった。噛みつくような視線を、自分達より立場が上である三人に向けている。
「……何が言いたいんですか。あの子達に、何か言いたい事があるんですか。私が全部聞きますよ」
怒りと不愉快とで、腸が煮えくり返りそうだった。偉そうな顔をして自分達を下に見ているフュンフも、何も言わないアルギンもディルも敵認定しそうになる。
でも、暴れないだけまだ冷静だ。
「あの子達に言いたい事? もう無いな。既に言って来たのだから」
「っ……何を聞かせたんですか!!」
「聞きたいか」
ミュゼが苛立ちに言葉を震わせている間、アルカネットは書類を捲っていた。
孤児として暮らしている子供達の名前、シスターとして働いている者の名前、最近の寄付額と使い道など全てが書いてある。
そして一番最後にあったのは――土地の権利書だ。
「っ、ミュゼ! これ」
「は? ……あ!? 権利書じゃないかっ!」
「君達の知っている孤児院の全ては、私に託されたのだよ。正確には、『私』という個人にではないが」
回りくどい言い方の狭間で、フュンフが微笑む。
確信に触れるその前に、わざとらしいまでの紳士的な一礼をミュゼに見せて。
「改めて自己紹介をしよう。私はアルセン王国、王立騎士団『花鳥風月』所属。騎士隊『月』隊長、フュンフ・ツェーン。『月』は執務のひとつとして、王立孤児院の運営も行っている」
その長ったらしい役職を口にした時、ミュゼの表情が怒りから戸惑いに変わる。
騎士やそれに近い職業であることは薄々気付いていたが、騎士隊長であることは考えていなかった。
「あの孤児院を、我が権利を行使し王立分院とする。勿論、その称号に相応しい改修は受けて貰うがな。最悪立て直しになるやも知れぬが、その間の子供達の衣食住は我が名に懸けて保障しよう。そうすれば二度と、抜ける床や倒れそうな柱に注意を払わずとも暮らしていける。シスター達の人員も補充しよう。生活の為にと孤児院内部以外の仕事に時間を割かれる必要も無い」
貴族から見捨てられた孤児院が、王立分院となる。
「言っただろ、『監視をつける』って」
監視などという冷たい言い方で覆い隠した、子供達の住まう場所の環境改善。
夢でさえ見たことが無いような話だ。生活の質は間違いなく跳ね上がり、隙間風に凍える建物から脱却できる。
子供達の為になる話であるのは間違いない。そして、それを拒む事は出来ない。
「……どうして、そんな事を?」
「ディル様の御考えだ。子供の生活を守るための孤児院が逆に害になり得る、と。その害も私ならば取り除けると仰った。であれば私は最善を尽くすのみ」
それまでの振る舞いは、ミュゼをわざと怒らせるための悪趣味だったのではないかと思わせる程の話だ。
出来過ぎて詐欺を疑っても良いほどだが、彼等の立場を思えば疑うのも時間の無駄だった。
「……流石」
騎士団『花鳥風月』、騎士隊『月』隊長。
そんな人物を動かせるだけの権力を、二人は持っていた。ミュゼは育ての親から聞いていたから、知っている。
「『月』と『花』の、元隊長様だけありますね。こんな伝手をお持ちだったなんて」
ディル。騎士隊『月』先代隊長。
アルギン・S=エステル。騎士隊『花』先代隊長。
露骨に褒めた訳では無かったが、ミュゼの言葉に二人は満足そうに鼻を鳴らしていた。