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【第三部】アルセンの方舟 ―国家公認裏ギルド交響曲―  作者: 不二丸茅乃
chapter.8 思い出の残り滓

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14.贈物


「アルギン!!」


 首元に刃を滑らせようとしたアルギンは本気だった。一番最初に反応できたのはディル。

 短刀を握る手を掴んで、肌から刃を浮かせる事には成功した。けれどその拳は柄を強く握り込んで離さない。ディルの逆の手は、今も抵抗激しい刃先を握り込むことでその動きを止める。

 赤い筋が、刀身に何本も走る。


「っ……!!」


 本気で、死ぬ気だった。

 アルギンの衝動は冗談で済まされないものだ。目の前で育ての親の豹変を見てしまっただけにしては、ここまで躊躇いなく死のうとするものなのか。

 ディルの痛みは血の量と比例する。アルギンは荒い息のまま、抑えきれず溢れ続ける涙に溺れているかのような顔で。

 痛みを堪え、尚も刃を握り込むディル。こんな所で、こんな事で、愛する人を失いたくない。

 足元のウィスタリアとコバルトは、事態の理解が追い付いていなくとも、母の異変を敏感に察して声を上げて泣いた。


「う、うわああああん!!」

「わぁあああん!! まま、ままあああ!!」


 子供の泣き声が鼓膜に届いて、やっと正気を取り戻すアルギン。は、と気付いた時には自分が取り返しのつかない事を仕出かしたのを思い出す。震える手が力を無くし、ディルが刃を取り上げた。


「……馬鹿者め」


 安堵を顔に浮かべたディルの額には、じっとりとした汗が浮かんでいた。からん、と床に落ちる短刀には真新しい真紅の血液。

 唇を震わせて、アルギンが声にならない叫びを挙げる。愛する人を傷付けてしまった。体も、心も。


「っあ、……ぁ、うあ、……ディル、でぃるっ……!! ご、ごめ、ん……」

「謝罪なら後だ。……汝の謝罪を聞いている時間も余裕も無い」


 冷たく言いきった夫の語気に、一瞬怯えたアルギンだったが。

 ディルは妻の肩を一度だけ抱いて、すぐに身を翻す。――腰に佩いていた剣を、血濡れではない方の手で抜いて。


「戦争結構。アルギンと引き離される位ならば、我が貴様等の許へ単身乗り込む事も視野に入れよう。だが、妻を一方的に傷付けるだけの雑言――腸が煮えくり返る、とは此の事だ。死した貴様を義兄と尊重しようと思った事すら、既に汚点と成った」

「……」

「此の場で殺し合おう。戦争、などという戯言も要らぬ。此の場で決着を付ければ単純明快に総てが終わろう」


 宣戦布告。

 ディルの口から紡がれたそれを一句余さず聞き取ったエイスは、どこか感慨深そうに目を閉じて微笑んだ。そして、その両の掌で拍手を送る。乾いた打音が響き渡った。


「素晴らしい」


 心は本当に此処に在るのかと聞きたい程の、清々しい声。


「ディル君。本当に、私は。……君にアルギンを任せて正解だと、今なら思える。どれだけアルギンが君の事で泣いていたか、『今の』君は知らないだろう」

「……何の話だ」

「アルギンが幸せになれないのは、全部、全部、君のせいだった。でもアルギンはどんな事になっても、君をずっと愛し続けた。そしてこれからも愛し続ける。だから私はこんなくだらない世界で、何百年も同じ事を繰り返して来た。ずっと、ずっとずっと……君達が揃って生きているのは『今だけ』なんだ。……なぁ、ディル君。分かるかい。分かってくれるかい。分かって欲しいと望む私を、せめて今だけは馬鹿にせずにいてくれるかい」


 言うと、エイスは顔を片手で覆った。

 そしてこれ以上ないという程の敵意を、ディルに視線で送る。吊り上がった目が、皮膚に食い込む爪が、怒りとは違う、けれど激しい感情を伝えてくる。

 ぴりり、とアルギンの皮膚が痛みを訴えた。それは感情に振り回される精霊の嘆き。


「君が幸せじゃないとアルギンも幸せになれないんだよ。私が欲しいのはその立ち位置じゃないけど、君の事もずっと不愉快だった。ずっと、アルギンがこんなに尽くしているのに、どうして君が、君ばっかりが……」


 嘆いているのは精霊ばかりじゃない。エイスの声はアルギンを憂うように、悲しむように、震えて囁かれた。

 雰囲気の異常さに、騎士達はまず重要人物を守るように盾となる。

 エイスと話をしているアルギンやディル、そしてその側を離れたがらない双子は勿論、体調不良を体で訴えるジャスミンとユイルアルトの医者二人は即刻カンザネスが背に庇う。

 王妃には騎士隊長二人が付いている。万が一にも取り溢しは許されない。


「……ユイルアルト嬢。ジャスミン嬢の様子は如何か」


 小声でジャスミンの様子を聞いたのは、カンザネス。


「あまり、良くありません。一刻も早く横にさせたいです」

「お二人の護衛には俺が付く。……この場を離れた方が賢明やも知れんな」


 この場を離れる事には、ユイルアルトも頷いた。

 でも、ジャスミンは青い顔のまま首を振る。


「って」

「……ジャス?」

「待って。……お願い。私、あのひとの事を知ってる気がするの」

「知ってる、って……。話に聞いていた人でしょう。アルギンと、アルカネットさんの育ての親の」

「エイス、さん。……そう、エイスさん。どうして、あの人が」


 言葉として出て来ない、この違和感はジャスミンだけのものだ。

 二人が酒場に身を寄せた頃、既にエイスは鬼籍に入っていた筈だ。顔を合わせた事も、声を聞いた事も無い。彼が何を好いて、何を厭うかも知らない。それでも。


「私達を知っていたのは、どうして」


 まるで自分達の事を、随分前から知っていたように。

 随分前から、親しくしていたかのように。

 あんなに優しい声で身の心配をしてくれるのか。

 ジャスミンの疑問が晴れる前に、ディルが身構える。


「世迷言に耳貸す時間など無い」


 妻の心を乱された、怒り。

 エイスの挑発に乗った妻が自刃を考えた事実だけが、ディルの殺意を招くに相応しい。その足元に掌から流れ落ちる血液が散っても、ディルの意識は自分の痛みには無い。

 その殺意を本物だと認めたエイスが、ころりと笑顔を浮かべて指を差し出した。


「テレフ」

「はっ!」

「一分だ」


 それが合図のように、テレフが目を見開き、口端が頬にまで達する笑みを浮かべて双剣を抜く。ディルと対峙する、それだけが楽しみだと言わんばかりの感情は足に乗り、疾走する。

 中間地点で邂逅した二人の間に飛び散るのは、互いの刃が食い付き合って現れる火花。


「テレフ!」

「だから、君はだーめ」

「離せよっ!」


 ミュゼがテレフの名を呼んで駆け寄りそうになるも、再びエイスから腕を引かれて止められる。

 ディルへの加勢に回ろうとした王妃も、セレスの妨害に遭って膠着状態。

 他の者は動けない状態だ。鬼気迫る戦闘に、下手に手出しをしてしまえば出した側がやられてしまうだろう。


「……さて」


 テレフに一分とだけ伝えたエイスは、髪を掻き上げながら微笑を浮かべたまま。

 その視線はアルギンへと向いた。


「アルギン。私は、ずっと君に会いたかったよ」

「……」

「一緒に行けない、……なんて、本当はね。そう言われて、私はとても、……とても、安心した」


 その瞳が潤んでいるように見えるのは、アルギンの気のせいだったかもしれない。


「大好きだ。愛しているよ、アルギン。私はずっと君を愛している。想いの強さならディル君に負けない。暁君なんて話にならない。ネリッタ君は、……もう居ない人の事だ、これ以上悪く言うのは止めておこう」


 エイスが並べるのは、愛情の質は違えど皆アルギンの事を大切に想っている男達の名前だ。その中に並ぶ名前の中でも、ネリッタだけが異質ではあったが。

 片手でミュゼを引き留めたまま、逆の手を出した。その掌は上を向き、何やら小声で呟くように唇だけが動くのが見える。やがて、その掌からどす黒い何かが現れる。

 何も無い所から姿を現すのは、漆黒の板状のなにかだった。掌からせり上がるようにして出て来たそれが、完全に姿を現す頃。


「一分とは言ったけど、……ディル君は本当に強いなぁ。もうテレフ息上がってるじゃないか」


 たかが一分。けれど、ディルの猛攻を抑えられるだけの力がテレフにもあった。双剣で押さえ続け、防戦一方になってはいるが軽症で済んでいる。軍服のあちこちに、僅かに掠った跡が見えた。 

 王妃とセレスの戦闘も、その場に散らばった種が芽吹いて、そこから咲いた花からの狙撃をセレスが避け続けている状態だ。避けきれない攻撃は、セレスの翼を模した蔦が受け止めている。

 帝国側には、攻め手に回る気配が見えない。それが何かの布石のように思えた、――のだが。


「……暁君、なんて言ってたかなぁ……。確か、こうだったかな」


 その呟きが、気味悪く、アルギンの鼓膜を撫でる。

 そしてエイスの一分、の言葉から、丁度その分数を数える頃に。


「ええと。……今の貴方は必ず『アルギン様を殺す』、……だったっけ」


 余裕を聞かせる彼の声。並べた単語はとても凶悪なものだった。

 諳んじた言葉はディルの耳にも届いた。けれどその言葉に反応するよりも先に。


「っ、……!?」


 ディルの右膝が、突然反応を失った。力なくそちら側から体が傾く。

 突然の事にディルが反応できず、地面に体が叩きつけられた。組み合っていたテレフは今、剣を振り上げた所。振り下ろすその瞬間になって。


「――デスタンさんっ!!」


 テレフが大声で呼んだのは、第三者の名前。途端に旋風が巻き起こり、黒い影にテレフの身体が上空へと連れ去られた。手を離れた双剣はその場に突き刺さるだけで、ディルの身には傷ひとつ無い。


「ぐ、っ……!」

「ディル!!」


 堪らず、アルギンも双子もディルに駆け寄る。床に伏せたまま立ち上がれない夫は、何が起きたか分からない顔をしている。

 必死で立たせようと肩を貸すが、ディルの身体は重く動かない。肘を立てて立ち上がろうとしているのも分かるのに、どう力を貸しても膝立ちすら出来ないようだった。

 ざり、と、右足を引きずる音も聞こえる。


「あっはっは、出来た出来た。良かった、これで出来なかったらテレフが死ぬところだった」


 エイスは両手を打ってご満悦の様子で笑っている。その邪気の無い笑みが邪悪だった。


「兄さんっ!! ディルに酷い事しないでよぉっ! アタシが目的ならアタシだけ狙えばいいだろ!?」

「そういう訳にはいかないんだよ。私、ディル君がめっちゃくちゃ、ものすごーく強いの知ってるんだもの。今のディル君を敵に回したら、テレフどころか私まで殺されてしまうよ。彼、君の事大好きだから」


 ぷぅ、と片頬を膨らませる、その姿は状況に見合わない。今の事態を楽しんでいるかのような様子に嫌悪感しか起きない。


「おじちゃんきらい!! ぱぱをいじめるな!!」

「エイスおじちゃんでもゆるさないんだから!!」


 双子がすかさず抗議をするも、肝心のエイスは耳を貸さない。

 掌のどす黒い何かを弄びながら鼻歌まで歌う始末。

 しかし。――エイスの行動はそれだけでは終わらない。


「許さなくていい。寧ろ、許してくれないでよ。私が何の為に『ここまで』してきたのか分からなくなるだろ?」


 彼の掌に呼び出された『モノ』は、それまでは漆黒の板の筈だった。それが、突然鮮烈な光に包まれる。

 逆の手の指で触れるだけで、それらに亀裂が入った。そしてその亀裂一つ一つに、何かの映像が映り込む。

 それら全ては小さくて、遠くから詳細を視認できなかった。


「喜べ、世界。はじめの一回を飛び越え、六十六の地獄を繰り返し、六十八回目で解放に至る。死を選ぶほど飽いた日々が再び進み始める」


 亀裂で出来た欠片の数も、六十六。

 それらが弾けるように飛び散った。思わず手や腕で顔を庇う面々。


「アルギン。ディル君。……ウィリアちゃん、バルトちゃん。私から、最後から二番目の贈り物だよ」


 その欠片は全て、家族へと向かって飛ぶ。

 最初から、エイスの目的はこれだった。


「これまで君達がどう生きて、どう死んでいったか。どんな道を選んでどんな涙を流したか。……思い出してくれると、とても嬉しいよ」


 鏡像を移さぬ、実体の無い記憶の鏡。

 それらは肌に刺さることなく、四人の身体の中に吸い込まれるようにして消えて行った。


 突然のこと。

 だから、避ける事も出来なかった。



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