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22.七年前、あの時





 ――ダークエルフの私でも、祈れば神に届くかな?


 アルギンの耳に、失った人の声が蘇る。

 孤児なのに孤児院をも追い出されたアルギンを引き取って育ててくれた人。既に亡い、とても優しいダークエルフの声だ。

 料理の作り方も教えてくれた。寂しい夜は一緒に眠ってくれた。苦しい時は愚痴を聞いてくれた。恋の相談にも乗ってくれた。兄はいつもこのカウンターで、騎士になったアルギンの帰りを待っていた。

 アルギンにとって、エイスは親代わりだ。幾人か手本にしたい大人を挙げれば、最初に出てくるのが育ての親である彼の名前。


 エイスに生きていて欲しいという願いは、誰が叶えてくれたんだろうか?




「待っ、――」

「やめろお前はそれ以上口を開くな! 酔いすぎだ!!」


 アルギンが問い掛けたくて振り向こうとした時、背中にクロードの怒声が届いた。

 食器は割れて落としたオルキデは床に蹲ってそれらを掻き集めようとするが、焦りで指を切ってしまったらしい。店内では常連の揉め事が発生するし、酔っ払いの一言で皆が混乱しすぎていた。

 それだけ、エイスが残して来たものは大きいんだな、と改めて思い知らされる。――しかし、そう思っていたのは何も知らない者達だけだったようだ。


「……」


 ディルは指先の動きだけで、騎士達に配置変更を命じていた。ひとりは扉、ひとりは窓、ひとりは階段と、まるで酒場の人員を含む誰もを逃さないような配置。

 店内で異変に気付いているマゼンタは、その騎士達の動きに苦い顔をする。

 アルギンは何が起こっているのかが分からないまま、異様な空気に周囲を見渡すだけだ。

 先程までカウンターでじゃれ合うように言い合いしていたミシェサーもソルビットも、酒場では有り得ない程の重苦しい空気感に黙り込んでいる。


「――は、……ははっ」


 笑うしかなくなったのは、アルギンだ。

 酔っている男が、たた願望を口にした。叶わない願いを、酒に任せて口走っただけだ。


「ほらぁ、おっちゃん。酔ってるからって変な事言いすぎだよ。ちゃんと歩いて帰れる?」

「俺が送る。立てるか」

「んだよぉ、皆して俺を飲み過ぎみたいに言いやがってよぉ。嬢ちゃんだって早く会いたいよなぁ?」


 やや苛立ち気味のクロードが立たせようと腕を引っ張る。まだ続けるか、と小声で囁くように注意しながら。

 その間も、オルキデは床で震えている。マゼンタは何かを諦めたように、そんな姉の姿を見ていた。


「……会いたいって、……まぁ、会いたいのは会いたいよ。育ててくれた礼も言えなかったけど、でも」

「だよなぁ!? そうだよなぁ、なのにこいつ、クロードっつったら俺に怒鳴りつけてよぉ」

「はは、は。まぁ、仕方ないよ。実際おっちゃん、酔ってんじゃん」

「酔ってねえよこのくらいでぇ! だいだい、クロードも知ってるんだぜぇ?」

「黙れって言ってるんだ!」

「エイスさん、そのうち戻って来るんだろ。だって生きてるんだから」


 ――ディルが、立ち上がった。

 それだけで緊迫した空気が騎士達に流れる。アルギンは、仕舞い切れなかった酒瓶を手に持ったまま、店内を見渡した。

 意味が分からなかった。

 クロードはそれまで怒鳴りつけていた筈なのに、既に諦め気味で口を閉ざしている。

 部屋の出入り口と成り得る場所を閉ざした酒場は、今から捕物でも始まるのかと思うほどの緊迫感に包まれているのに、八百屋の店主だけが気付いていない。


「エイスが、生きている。――では、死亡は偽装かえ」

「は、……?」

「我等は、何も聞かされておらぬ。知っている事を全て話せ。……汝も、クロードもだ」


 自分達以外、エイスの死の真相について『何も知らない』事を。





「……最初はよ、俺達の父親の代からだったかな。こんな五番街に店を建てた、エイスさんの話は家族内で聞いていたんだ」


 八百屋の店主から酒が抜けるまで、然程掛からなかった。突然周囲の客や店主夫婦から詰め寄られれば、楽しい気分も酒と共に霧散もしよう。同時、自分が何故口を滑らせたかも分かっていない顔だ。

 八百屋店主の座る椅子に向かうようにディルとソルビットが座っている。事情聴取か裁判のようだった。しかも、ただの客だと思っていた四人連れさえも自分を凝視しているのだから八百屋店主の心労は強い。テーブルを挟む位置で座らされているクロードは巻き添えを喰らった形だった。

 窓幕は全て閉めて、閂も閉めて、店内は閉店の状態だ。何かあれば、壁際に控えた騎士――ソルビット以外の四人――が出動してくれる。


「……五十年前から。この酒場は、裏で王家と通じているのは、この周囲に住んでる奴等はだいたい皆知ってる。他に漏らせば殺すけど、もしこの酒場が不手際起こして問題になった時は近所の奴等が巻き込まれるから、って、そういう注意喚起はしてたみたいだ」

「五十年前から、って……アタシも生まれてないんだけど。それで、誰から誰までが知ってるとか、そういうの分かる?」


 アルギンはいつも通りに、カウンターの中で煙草に火をつけた。話が話だけに、喫煙を注意して来る者は誰も居ない。


「多分、ここの通り二・三件は全部知ってる。……あと、自警団の上層部も」

「はぁ!? ログアスさんも知ってるってのか!? 今までそんな素振り見せなかったぞ!?」

「……そんなの、俺達だって知らないよ。でも、何かしらこの酒場が今まで不審だった事何度だってあったろ。……でも、どう考えたってこの酒場が怪しいってなった時も――お咎めは無かっただろ」

「……そん、なの」

「エイスさんが、夜に血塗れで帰って来て。怪我したのかって聞いても。何もない、って、それだけ言って、笑顔で、店に戻って行ってた。あの人はそんな人だ。嬢ちゃん、嬢ちゃんは知らないかも知れないけれど。あの人は、普通の酒場店主じゃない。もし嬢ちゃんが、あの人を『優しい』とだけ言うんなら、……それは、もうひとつの顔を知らないからだ」


 アルギンに突き付けられる育ての親の話は、煙草を吸っていても耐えられそうにない。

 これまで酒場の裏の顔は隠して来たつもりだった。隠せてきた『つもり』だった。でも努力とは関係ない所で、話を知っている者だっていた。

 まだ頭の整理がつかない状態でも、八百屋店主は続ける。


「エイスさんがああなる何日か前。……俺ん所に、買い物に来たんだ」


 遠くない記憶を、遠い目をしつつ語る。


「『もうすぐ私に大変な事が起きると思う』って。『でも私が死ぬとか有り得ないからすぐに私の死体なんてものが出てきたら隔離して欲しいな』って言っていて。……『急いで火葬場にでもブチ込んでよ。君達だったら運べるでしょ』なんて言うもんだから、何の冗談かと思って……」

「……その伝言なら、エイスさんは俺の所にも言いに来たぞ」


 話を肯定したのは本屋店主、クロードだった。

 彼は空になった酒器を振り、酒を要求する。マゼンタがアルギンから酒瓶を受け取り注ぎに行くが、その手は震えている。


「……戦争になるかも、って時期だったから……空気が、不穏だったのは、今でも覚えている。俺にも参戦の打診が来ていたが、……無視した。もう俺に武器は握れない」

「其れで正解だった。……あの戦場は余りに酷かった」


 クロードの呟きを、今度はディルが肯定した。参戦の打診、と聞けば他の者にとってクロードの正体が更に分からなくなるものも居たが、今大事なのはそれじゃない。

 アルギンは話の続きを急かす。自分の知らない話がこれだけ山積みで、理解出来ないとしても聞かないで居られて平気ではいられない。

 続きを。


「でも、アタシの見た兄さんは――死んでいた」

「……本当に、……ちゃんと、確認したのか?」

「確認、って。あんだけ血が出てて、冷たくて、呼んでも返事は無くて」

「あの人が使う魔法。……俺達も深く知らんけどさ、……何だったか覚えてるか」

「魔法は、そりゃ、兄さんは――」


 あの人は、扱える魔術が幾つかあった。

 火だったり水だったりした。でも、酒場で一番重宝した魔法がある。

 食材に保存に使用したり、飲み物に浮かべる冷たい結晶。

 周囲の温度を奪う、氷。


「血の量は、俺だって何をどう誤魔化したか知らない。でも、あの人は生きてるんだよ。じゃなけりゃ、火葬場から自分の二本の足で出て行く訳ないからな」

「……は!? だって、兄さん、骨になって」

「骨壺、中身見たか」

「………」

「言ったろ。生きてる、って。俺だって確証の無い事を言わない。……あの人は、火葬場から出て行く直前に、言ったんだ」


 血に塗れた服のまま。

 穴の開いた腹部を押さえて。

 やや乱れた髪もそのままで。


 ――あー、ねぇ。次がいつになるか、わからないんだけどね?


「いつか、嬢ちゃんを迎えに来るって」


 ――もしあの子が幸せになった世界に行き着く事が出来たら、その時はまた戻って来るよ。


 彼は、確かに事情を伝えた者達に向けてそう言った。


「……アタシを? 迎えに、って、どういう意味」

「エイスさんじゃないのに、知る訳ないだろ」

「それ、他に誰が聞いてるの」

「……俺と、クロードと。……それから……あの時、集まったここの通りの、男衆……くらいだ」

「兄さんはアタシを迎えに来て、どうするつもりなの」

「だから、それは本人に聞けばいいだろ。今ほど嬢ちゃんが幸せな時って無いだろうから、……迎え、来るとしたらもうすぐだろ」


 幾つも聞きたい事があるのに、アルギンの質問は全て『分からない』で片付けられる。

 こうなればアルギンも渦中の人だ。頭を抱えたくて、理解出来なくて、心の支えの夫に視線を向けた。

 でも、ディルはアルギンを見ていなかった。


「――さて」


 夫の薄い唇は、オルキデとマゼンタに向けて。


「其処な青い顔の二人は、何か言う事があるのではないかえ」


 名指しされた二人は、大きく肩を震わせる。

 マゼンタは反抗的な瞳を向けるものの、オルキデに至っては涙を浮かべて俯いている。

 何かを隠しているのは、混乱するアルギンの瞳から見ても明らかだった。


「……オルキデ? マゼンタ?」

「っ……」

「なぁ。……そういえば、さ。アタシも、ずっと、疑問に思ってた事があるんだ。兄さんは自殺じゃなかった。今も生きてるらしいし、そうしたら、自殺に見せかけた可能性だって、あるんだけど、さ」


 アルギンが抱えていたその疑問は、犯人捜しを半ば諦めていたから誰にも向けられなかった。

 自分が離れていた間に起きた城下の事件だから、自警団やアルカネットに任せていて、自分は自分の事に専念していた。忘れようとしたからかも知れない。手掛かりがあまりに少なすぎた。もう、犯人は見つからないのかも知れないとさえ思っていた。


「アタシが兄さんの死体見つけた時、いつもだったら酒場の仕込みしてた時間だよな。二人揃って酒場に居なかったのは、買い出しが理由だったっけ?」

「……」

「買い出しに行った先、八番街だったっけ。確かに遠いから、兄さんが殺されたってされる時間から考えるとお前さん達に犯行は不可能って訳だ。でもな、アタシ、そこの店の人から聞いてるんだ」


 でも、本当は――アルギンだって、戦争が終わった後に、調べていた。

 騎士を辞めてディルが傍に居て、時間に自由が利くようになってから、少しだけ調べた。

 調べて、明らかに怪しいとも思っていたけれど、でも二人が『そんなこと』する訳がないと信じた。

 信じていたかった。そう思ったのは、アルギンの甘さ。


「『あっちの通りで姉が待っているんで』って、マゼンタが走って行った、って。でも、その姉の姿自体は見ていないんだ。その店の人。……なぁ、オルキデ。お前、その頃どこにいて、何してた?」



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